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信長の庶子  作者: 壬生一郎
九尾編
188/190

エゾタテワキ

「くあ……」

大きなあくびを一つして、空を眺めた。今日も天候は良い。しかしながら頭の中は鉛を呑んだような重さだ。加えて寝不足のせいか、昨日まで何ともなかった船の揺れで少し酔ってしまった。


「あはは、帯刀さん、若いのにオットセイ食べたりするから、寝られなかったんでしょう?」

明るい声で、全くもってその通りな指摘をされた。お恥ずかしいと頭を搔きながら頷くと、晴天の空に勝るとも劣らぬ爽やかな顔の青年が俺の背を撫でるように軽く叩いてきた。


「も、申し訳ありません。ご迷惑にならないよう大人しくしておきますので」

「なんもなんも。こんな風になってしまうから、あんなに精がつくものばっかりだすのはやめれて父上に伝えておいたんだけどね」


昨日の晩、きっとこの人が若い頃は随分と女性に言い寄られたであろうなと想像した蠣崎季広(かきざきすえひろ)殿、その想像した通りの若い姿が目の前にあった。即ち、その三男にして間も無く蠣崎家の跡目を相続する方、蠣崎慶広(かきざきよしひろ)殿である。昨晩の食事の折、季広殿は明日以降の船旅においては案内をつけると言っていた。案内人という役を受け賜る人物として、俺は経験豊かで、かつ身分はそれほど高くない人物が選ばれるものと思っていたのだが、季広殿は御自身の後継をご用意された。まあ、当然たった一人ということではなく十名以上の随伴がついており、その中には俺が想像していた通りの風貌の者もいた。きっと抜け目ない考えがあるのだろう。


「今日が天気が良くてよかったよ。荒れてたらきっと昨日食べたもの全部そこから海にまかしてたしょや」

「ええ、海が荒れていたらきっとこの程度の酔いでは済まなかったと思います。吐かずに済んでよかったです」

ところどころ言葉の意味がわからない部分があったので、言葉を繰り返すように返答をすると、慶広殿はうんと頷き、お珠は置いて来て正解だったと言った。


「あんななまらめんこいお嬢様が体調悪くしても、俺たち男じゃ面倒見きれないからね。半端に頑張らずに朝から具合が悪い方が本人も周りも辛い思いをせずに済むよ」

「え、ええ。まあ、私と同じで疲れから来る不調であると思いますのでお気にせずとも戻る頃には良くなっているでしょう。お気遣いいただき、重ねて感謝いたします。折角頂戴した貴重なオットセイの肉を海に出してしまうのも、御当主様に申し訳ございませんので」


そのようなことを俺が言うと、慶広殿はふふっと、父親譲りの上品な笑い方で笑った。季広殿の上品な笑いは酒の席で崩れていたが、多分慶広殿のそれは幼い頃から染み付いた素のものなのではないかと思う。


「真面目だね。そんなに有り難がる必要もないよ。オットセイとかね、海に住む獣は大食いで、漁をして捕まえた魚を食っちゃったりするんさ。したっけちょうど良いくらいに内地の人にも食べてもらったらこっちとしても助かるんだよ」

「さ、左様ですか」

本当なのだとしたら、父君から『余計なことを言うな』と叱られかねないような話を、ごく気軽にしてくる慶広殿。その心配が顔に現れていたのだろうか、精がつくのは本当だよと言われた。まあ、確かにその点に関してはこの身で十分理解している。


「新鮮なうちに食べられれば肉も美味しいんだけど、内地に運ぶと時間がかかるからね。冬なら氷漬けにしておけば良いのかもしれないけど、真冬になればアイヌだって簡単に狩には行けないから。運んでいる途中で腐らせてしまったら全部わやでしょや? したっけ乾燥させたモノを売れれば、ってことになったんさ。毛皮は元々高く売れるしね」

「成る程」

やはり(したた)かな方だ。土地柄、文字通りの米の生産量という意味での石高ではそれこそ蝦夷地全てで一万石にも満たないかもしれない。だが海産物を中心とした蝦夷とその周辺で手に入れることの出来る産物を含めての石高を算出すれば、十万石を越えるかもしれないし、或いはうまくやれば百万石の大領にも等しくなるかもしれない。今もって自家の立場が不安定であることをわかっているが故、朱印状で足場を固め、跡継ぎも定めた上で産物の価値を高めようとしている。


「それで、売れると思うかね?」

「な、何故私に聞かれるのです?」

「いや、大島様とか、船長さんとかがね、そういう話は帯刀さんにするのが良いよって言ったものだから。うちの知恵袋だって言ってたよ?」

「ああ」

間違ってはいないなと思い頷いた。俺が極めて優れているというよりは雲八爺さん含め皆そういうことについて無関心なだけな気もするが。


「弟たちや妹たちにも、もう少し良い物を送ってあげたくてね。知恵を貸して欲しいんさ」

「弟や妹、ですか?」

そういえば、弟や妹の多さであれば決して誰にも引けを取るまいと思っていた俺であるが、この方は兄二人を亡くしたとはいえ十三男十三女の実質的な長兄なのだ。俺よりも多い。


「あのー、うちは兄弟が多くて。それと、あんまり言いたくはないけど兄達と姉が余り良くないことになってしまったべさ」

「なるほど」

あえて深く聞かず頷いたが、少しばかり話は聞いている。兄君二人は父季広殿が蠣崎の家を継いだ頃に亡くなったそうだ。それも、季広殿のご長女が毒殺したという話である。どのあたりまでが本当かは知らないが、誰がどう考えても嫌な話だ。


「したっけね、弟たちは寺に出したり、早いとこ他の家に嫁がせたりしたんだけど、嫁ぎ先で肩身狭い思いはさせたくないのよ。特に歳離れた妹なんかは、娘と大して変わんねし、可愛いべ?」

「ええ、可愛いです。とても」

昨日から割と高い数値を叩き出していた蠣崎家に対しての親近感がその時針を振り切るほどにぶち上がった。季広殿が父に似てるとか公方様に似てるとか色々考えたが違う。重要なのはこの慶広殿が俺に似ているということだ、エゾタテワキ見つけたり。


「これから先日ノ本、蠣崎様が仰るところの内地では一気に人の数が増えます。その上で物の流れが加速します。ですので蝦夷地という今まで名前しか知らなかったような土地固有の産物であれば物珍しさもあって売れるとは思います」

とにかく、弟や妹にしてやれる仕送りを増やすためにどうにか銭を稼ぎたいと仰せであるのならば、俺が協力しない手はない。歳の離れた妹はとても可愛いのだ。歳の近い弟は馬鹿だったりする。可愛くないとは言わんが。


「なして人の数が増えて物の流れが加速するの?」

「戦がなくなったからです。戦いで人が死ぬことがなくなり、戦乱で捨てられた村に人が戻り、親が子を、子が親を口減らしする必要がなくなります。そして織田家は元々商売の家です。今後蝦夷地から朝鮮、琉球に手を伸ばし、やがて唐国(からくに)、そして南蛮へと大きく手を伸ばして貿易を行いたいと思っているので、突然織田家が滅びるようなことがない限りこの流れは続くはずです」

後半部分については、織田家が推し進めているというより俺が先頭を切ってやりたがっていることなのだが、まあそれについては良いだろう。父も勘九郎も後押ししてくれているのだから間違いではないはずだ。


「成る程……蝦夷地から内地に向けて売れそうな物は何があるだろうね?」

俺の言葉に真剣な顔で頷いていた慶広殿は、非常に端的な質問をしてきた。そういう聞き方をするということは薄々でも蝦夷地の産物が持つ弱点を分かっているのだろう。海産物は生だからこそというものが多い。オットセイもそうだが鮭も雲丹(うに)も、運んでいる間に駄目になってしまうようでは売れないのだ。


「オットセイの陰茎がそうですが、乾かして干物にするというのはかなり良い方法だと思います。日持ちがする上軽くなりますから」

「うん。冬の間にみんなして仕込んで春になったら売る。それなら誰でも出来るね」

「昆布などの海藻も取って干しておけば売り物になるでしょう。それにオットセイ、鹿、狼、熊、このあたりの毛皮は皆売れるでしょう。気をつけるべきは狩り過ぎるということですね」

「なして?」

「中華の地の東岸に沿海州という土地があるのですが、この辺りには黒貂(くろてん)と呼ばれる生き物がおり、良質な毛皮が取れたそうです。ですが、それが献上品となり、貴族の愛用品となった結果、ほぼほぼ全て狩り尽くしてしまい、結局獲れなくなったと」

「絶滅させてしまったの?」

「そうかもしれません。そうなると貂が食べていた生き物が増え過ぎてしまったり、そのせいで農作物に害を与えたりと、結局碌なことになりません」

「アイヌのやり方通り、自然から少しずついただく方がいいということだね」

そうですと、俺は頷いた。つい昨日俺が考えた結論と同じものが慶広殿の考えの中から出てきてくれるのは実に嬉しいことだ。


「他には?」

「聞くところによれば、砂金が取れる川があるとか。交易をするという点では、アイヌは立場が弱いです。あくまで自然の恵みからしか商品を作れない。砂金なら今年はあって来年はないということもないでしょうから、定期的に砂金取りをして、いざという時の、まあ、へそくりにしておけば良いかと。蠣崎様としましても、砂金を取引に使い溜めておけばいざという際に役立ちましょう。先立つものはカネですので」

それにつけても金の欲しさよ。金欲し符号は全ての上の句に合わせることの出来る万能の言葉であり、この世の真理でもあるのだ。


「金が取れるのなら銀に(すず)(なまり)に、掘り出せる鉱山(ヤマ)があればいいけど、アイヌが許してくれなさそうだ。またカムイがどうとか言われそうで」

「カムイ?」

「あー、神様みたいなもの? お珠さんが言う神よりは、八百万の神のような」

「ああ、それは難しそうですね」

山に宿る神様がどうこうと言われたら、その山をほじくりかえさせてくれとはとても言えないだろう。それを無理やり行う日はアイヌとの全面戦争の日だ。


「せめて土から良い焼き物が出来れば」

「ああ、それは良いですね。そうだ、それこそアイヌ伝統の織物や防寒用の衣類なども併せて売って下さればそこから人気が出るものもあるかもしれない」

実用品であれば流行り廃りにも負けずに安定して売れるかもしれない。そんなことを言うと心当たりでもあるのか、慶広どのはあれやこれやと物を挙げた。とりあえず可能な限りそれらを全て売りに出してみたらいい。


「後は、これから先少しずつ北国でも育つ稲を育ててゆくつもりですので、いつの日か蝦夷地でもしっかりと穂をつける種の米が現れるのをお待ちください」

「それは、期待はしたいけど何百年かかることやら」

頷いた。何百年かかるかは分からないが、達成出来れば効果は永遠である。そして農産物ということであればもう一つ可能性としては唐や天竺、更にその先にある国々で育てられている作物の種や苗を持ってくるという手もある。もしかしたら蝦夷地のような土地でこそ育つ上に米よりも腹に溜まる夢のような食い物がこの世のどこかにあるかもしれない。


「勉強になった。皆が口を揃えて帯刀さんに聞けって言っていた理由がわかったよ。ありがとう」

「いえ、お役に立てて良かったです」

一旦話が纏まったその時、船乗りたちがやにわに動き出した。今日以降は、まず船が停まれる場所探しと、その場所を使ってもアイヌに怒られないかをしっかり確認してからでなければ上陸もままならないので、船は陸地が見える場所にて行ったり来たりを繰り返しつつ少しずつ北上し、良さそうな場所を吟味している。


「いい場所が見つかったのかもしれない」

「そうですね。ともかく揉め事にならないのが一番です。何しろアイヌの部族は多い。その全てとしっかり交易出来るようにしたい。最悪でも不干渉というところまでは持っていかなければ」

「蝦夷地全体で交易して、朝鮮や琉球、その先とも物を売り買いする。時代が変わってゆく」

しみじみと、慶広殿が呟いた。


「蠣崎家も変わってゆく。父上はもう隠居される。父上は、自分はこれまで檜山屋形に仕えてきたが、お前の時代は天下の大相国家に仕えるのだ。と言っていた。若い頃は随分苦労していたから、本当に嬉しかったんだろうと思う」

頷く。もう既に沢山の名を出したので今更徳川殿や毛利元就公に似ていると考えはしないが、彼ら然り、理不尽に頭を押さえつけられてきた事もあったのだろう。


「代替わりを機に名乗りも松前に変えようと思っている。大相国様も間も無く代替わりと聞いているし、帯刀さんの話を聞く限りこれから交易は大きな意味を持ってくるのだろう」

「そう思います」

そうなる前に織田家そのものがひっくり返ってしまわぬよう、打てる手は打ち続けている。


「松前の家になった後、蝦夷の松前、対馬の宗、それから琉球、やっぱりこの辺りは特別な家になる。のかなあ?」

ふふ、と含むように笑ってしまった。深い洞察であると思ったのだが、最後に自信がなさげになったのが面白かったのだ。


「勿論、三つの家は全て特別であるとは思いますが、それぞれが立場は異なります」

「うん、というと?」

自然な流れで、問いを重ねられた。この方は父君にもまして話し上手、というか聞き上手だ。


「琉球には王がおりますが、これは既に屈服しております。実質九州の惟任日向守様に従属されております。そして琉球はその先にある国々へ向けての中継基地のような扱いとなるはずです。惟任日向守様も既にご高齢ですので、こちらとて間も無く代替わりするかもしれず、そうなったらその時を機に関係についても見直されるかもしれません」

「うん」


「対馬の宗氏も中継地ですが、中継する相手は朝鮮にある李氏の王朝に限られます。こちらの方が、蠣崎氏、松前氏にとっては近いでしょう」

「うん。あ、しかしアイヌには」

「そうですね。アイヌには王朝はありません。そこが、松前氏としてどうあるべきか考えるにあたって重要な点となるのではないでしょうか」

多くの部族を俺たちはまとめてアイヌと呼んでいるが、俺たちはアイヌじゃない。なんて思っている部族がいても何らおかしくはない。アイヌ語が伝わるところまではまあ、暫定的にアイヌ民族、アイヌ部族で良いだろう。何十あるか、或いは何百あるかしれぬ部族たちに対し、後ろ盾にいる織田家の力を借りればいつでも滅ぼせるのだという圧力は見せつけつつ、平時には貿易を執り行い、有事には部族間の調停をし、飢饉や災害などがあれば助けてやる。このようなやり方が出来れば良いと思う。百年二百年と時を費やしてアイヌ諸部族を滅ぼし、蝦夷の富を独占しいずれは独立。という野心あふれたやり方もあり得なくはないだろうが、そのようなやり方は俺の立場としても心情としても全く勧めることは出来ない。


「たいぎがってはいられんね。急ぎ蝦夷地の調査とアイヌとのやりとりを進めんと」

しばらくの間腕を組んで思案していた慶広殿だったが、やがて答えが出たようで、北の地の当主に相応しい迷いのない口調でそうい言い切った。


結局、この時の航海においては寄港地を定めることが出来ず沿岸をウロウロするばかりで終わってしまったが、これより後松前慶広(よしひろ)の代になり、蝦夷地の開拓と、長い時をかけての民族融和は確実に押し進められてゆくこととなる。

方言については道産子っぽさを出したくて入れただけなので、当時の実情とかとは全然違うと思います。今更ですが

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― 新着の感想 ―
「なまらめんこい」が出てきて笑ってしまった。 北海道のギャルはなまらめんこいらしいのでw
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