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信長の庶子  作者: 壬生一郎
九尾編
186/190

狄(てき)の千島の屋形

「方座第四の『妙』か」

晴れ渡る空を眺めながら、俺は一人ポツリと溢した。遠くの空に見える鳥は一体なんであろうか。(かもめ)かはたまた渡り鳥の類か。先ほどまで見えていなかった水平線にはうっすらとであるが島が見えて来た。まだ暑い時期であるのに随分遠くまで見えるものだ。北国ゆえ、空気が澄んでいるのだろう。


「残念なことでございましたな」

風も穏やかで足元もしっかりとしたその場で、俺は周囲に気を配ることなく一人で考え事をし、一人で呟いていたつもりであったが、その時後ろ、いや、すぐ横と言って良い程度の距離から声をかけられた。


「ああ、彦八かすまないな。考え事をしているせいで何も手伝えておらぬ。順調か?」

安土宗論、その答え合わせとも言える長島での辻説法から十日後、俺は船の上にいた。それも釣り船や戦船とも違う、海を渡るべく作られた巨大な船の上だ。


「何ら問題はございませぬ。そのために我らがおりますれば。帯刀様は帯刀様にしか出来ぬことをなされませ。再び長島に戻るまで思案の中におられたとてよろしゅうございます。話に聞いても、我らには分からぬことばかりですが、帯刀様には分かることがあるのでしょう」

辻説法はうまくゆき、話はいよいよ核心というところまで進んでいた。安土宗論その最大の争点と呼ばれる箇所まで話は進んでいたのだ。だが、そこで話が終わってしまった。余りにも人が多く集まってしまい、そして集まり過ぎた人が道を塞ぎ、盛り上がった拍子に人雪崩を起こしてしまったのだ。幸い、騒動や喧嘩騒ぎになってしまった時のために用意しておいた人がおり、当然教如らもそれように人を配置していた。人の下敷きになって怪我をしてしまった子供や女性が多くいたがそれらも間も無く助け出され、母が許可を出して屋敷で手当てをした。俺や母を助け、実質的な内務を行なってくれている松下嘉兵衛が事情を聞き取り、此度の怪我人は宗論による喧嘩や他宗派への攻撃ではないことも調書をとって安土に提出。これによって長島の辻説法による咎めを受けたものはなく、加害者も被害者もなしとされたがさあこれから話の続き、というわけにもいかなくなってしまったのだ。


「分かった。大船に乗ったつもりで安心するとしよう」

「つもり、ではございませんぞ。実際大船にございます」

俺の冗談に、彦八が笑う。元々船乗りというわけではなかったであろうにまるで長年海の上で過ごして来たかのように様になっていた。


「しかし、こうして呑気に考え事をしていられるほど、この船はでかいな。多少の波ではビクともしない。まるで地上にいるようだ」

「長さはざっと60間(約96m)。幅25間(約40m)。百艇立ての大型鉄鋼船の倍の大きさにございますれば、これ一隻に二百人乗ったとて問題ございません。しかしながら、()の大提督、鄭和(ていわ)の大船団こそ狐尾の帯刀様が目指す頂きであると仰せでありましたので、それにはまだまだ至りませぬ。伝え聞くところによれば『宝船』と呼ばれた船団の数は六十隻、一隻当たり五百人程は乗り込んでおり、乗船した総人数ざっと三万。さらにそれら一隻の大きさも、百間(約160m)、幅40間(約64m)あったと言われておりますれば」

「まあ、鄭和に遠征を命じたのはあの永楽帝だ。それに中華は何をさせたところで桁違いでもある。追いかけるべき相手がでかいということを喜ぶくらいで良いだろう」


忠三郎伝いに我が大望を聞いて以来、やたらと遠洋航海に乗り気な男九戸政実こと彦八は、満足げでありながらもやや悔しそうな、やりがいに満ち満ちた表情で語る。雄弁な表情や言葉も(むべ)なるかな。この船、一部では帯刀丸と言われ、俺は決してそう呼ぶつもりのない船を建造するのに最も骨を折り、最も汗を流したのは間違いなくこの男であった。九尾なる謎の組織に自ら名を連ねようという酔狂な連中から金の無心をし、造船するにあたって必要な造船所を確保する為母や嘉兵衛に交渉を重ね、船造りの技術者を集める為九鬼、或いは旧村上水軍や毛利、長宗我部、里見などの水軍衆を扱ったことで名を挙げた者たちの元へ出向いては造船の得意はいないのかと話を聞いた。時には穴太(あのう)衆、或いは雑賀衆といった一見門外漢とも思える連中の元にも出向いた。その熱心さに感心しつつも、九尾などという謎の集団が古今例を見ない巨大な船を建造しているなどと知られてしまえば天下の災いの元になりかねぬと懸念を漏らせば即座に忠三郎の元へ向かい、対策を練った。そういっていつの間にやら父、勘九郎の名において貿易や外交を行う船の建造が命じられ、総奉行に忠三郎が据えられるという事が決まり今に至る。


「まずは本州より蝦夷地まで渡ることに何ら問題はないと分かりました。これならば少なくとも朝鮮へは渡れそうですな」

「あの辺りは台風、元寇の折に多くの船を沈めた暴風雨が吹く事がある故、油断は出来まいがそうでないのならば間違いなく渡れる」

現在、長島を出港したこの船は一日で関東、二日目に東北南部、三日目に東北の北端まで到達した後、海峡を渡って今正に蝦夷地にまで辿り着かんとするところだ。船のみならず我々乗組員としても経験を稼ぎたかったこの航海は、慣らし運転としては最適なことに極めて天候に恵まれたまま今日まで来ていた。


「元寇の頃にはこれほど大きな船はなかったはずにございます。沈めても良い覚悟で挑めるのならば一度その台風、暴風雨とやらにも挑みこの船がどれほど強いのかも知りたいところですが、そうもいきませんな」

「自然は手心を加えてはくれぬからな。だが、そのような悪天さえなければ琉球からその南、高山国(台湾)を経由して明、或いはさらに南のルソンもいけると踏んでいる。これよりも小さな船で日ノ本にたどり着いた外国船はいくらもあるからな」

「今はこれを五隻建造しております。いずれは十隻二十隻、更にはより大型の船を!」


夢が広がりに広がり声が大きくなってゆく彦八。さすがは大勢決した天下を向こうに回して一戦交えんとした剛の者なだけあってでかい話は好きなようだ。以前、可能なら長安やら洛陽やらで戦をしたいとか話をしていたような気もする。


「西国の雄大内氏はかつて貿易によって幕府に勝るとも劣らぬ権勢を築いた。日ノ本の力を結集し、大内氏とは比べ物にならぬ規模で貿易を行う事が出来れば、少なくとも数十年の隆盛は約束されよう」

戦用の船ではないが故、この船には鉄板を貼り付けて鉄鋼船にはしていないし大砲を乗せてもいない。それでもここに兵を大量に乗せ移動させればたちまち移動要塞と化してしまうので、恐らく近いうちに大型船建造には大相国の許可が必要となるだろう。大相国すなわちその時の織田家棟梁ということであるので、日ノ本の外交・貿易は織田が一手に担うという事だ。


「風を受けて進む帆船であるが故、漕ぎ手は必要ないのであろうが、そうなった場合、一船につき乗船する人は何名程を考えている?」

「百五十から二百程」

頷く。十隻二十隻と船団を組めば平気で数千の人足が必要となるということだ。鄭和の大航海が三万という話なのだから驚くことはないのだろうが、やはりやろうとしていることの規模が個人の遊びではなく(まつりごと)の大きさだ。


「兄者。話が盛り上がっているようだが、間も無く江差(えさし)に着くという話はしてくれたのか?」

百隻二百隻の大艦隊に十万の大軍を乗せ、などという楽しい想像を二人でしていると、彦八によく似た男から話しかけられた。やや呆れたようなその口ぶりに、問われた方の彦八が少々照れ臭そうに頭を掻く。


「はあ……帯刀様。蠣崎(かきざき)氏の港である江差に間も無く到着します」

言われて水平線を見ると、先ほどうっすらと見えていた島が既に随分大きくなっていた。そしてその島は、島という言葉には似つかわしくない大きな陸地であることも見て分かった。


「蠣崎氏の御当主がぜひ目通りをと願っておりますれば、帯刀様もご一緒にいかがでございましょうか?」

彦八より少し線が細く少し背が高い、彦九が報告を入れてくれたので、俺はぜひそうしようと頷いた。


「二人は船で留守番か?」

「そうですな。直接顔を合わせたことはございませんが、我ら兄弟やその手の者の顔を知っている者が一人もいないとも限りませぬ」

彦九の言葉に、そうだなと頷く。目通りというのも、織田信長の息子である俺に、では当然ない。この船の責任者は東北行脚の際にも名を挙げ、九尾の中でも中核を担う実力者と目されるようになった雲八爺さんだ。その側近の僧侶という名目で付き従っているのが今の俺である。


「大体分かった。到着したら急ぎ荷を積み込んでくれ。売り買い出来る物についても可能なら調べておいてほしい。これほどの大型船であるゆえ、十全に使うことが出来るかの調査も行いたいな。明日は最初の蝦夷地探索だ。順調であれば蝦夷地をグルリと一周してしまいたいが、目的は寄港地となりうる土地を見つけることであるから無理はしないようにとは前々から言っている通りである。失敗を恐れず、寧ろ今回の航海で多くの失敗と気付きを得るのだと皆には伝えておくように」

「御意」


気心の知れた四郎ら伊賀衆。雲八爺さんを初めとした狐尾と呼ばれる集団の仲間たち。その狐尾の一員である彦八が集めて来てくれた技術者たちと、乗組員に不安はない。船そのものの運用であれば既に彦八を信じて任せる以上のやり方はあるまいと考えているので、今発した指示の細部については口出ししない。知らせを受け取るのには時間がかかってしまった俺であったが、身支度にかかる時間などはあってないようなものであったので、それからすぐ、船が着港する頃にはすっかり下船の準備を済ませることができた。


「もう宜しいのですか?」

「ああ、出航までの準備は彦八達に任せた」

船を降りると四郎、雲八爺さんと共にお珠が待っていた。大将役の雲八爺さん。陰日向(かげひなた)に頼もしい働きを見せてくれる四郎。すっかり旅の紅一点として紛れ込むようになってしまったお珠と、本州を飛び出してなお変わらない一行を見て思わず笑みが溢れた。


「松前と呼ばれていた土地よりも随分と広い。こちらの方が拠点としては良いように思うが」

「それを申すのであれば、土地の広さといい本州への近さといい、函館なる土地が最も良いように思えましたが」


蠣崎氏のご当主が待つという館へ向かう道中でそのような会話になった。雲八爺さんが言う通り、松前よりも江差の方が遥かに平野が広い。松前は本州の対岸、最も近い場所にあり、ここ江差は半島をぐるりと回って西側に位置する。そして四郎が言った函館は東にある。松前は出羽の向かいで函館は陸奥の向かい。そして広さは江差よりも更に函館の方が大きい。港として使うにしても、本拠地として住まうにしても、函館が最も良いことは明らかであるように思えた。


「あの場所はアイヌさんたちが多く住んでいらっしゃるからではないですか?」

「あるかもしれないな。歴代の蠣崎家当主らはアイヌとの交易や猟場の棲み分けなどに気遣っておられたようだし。当代の御当主も時に戦い時に和を結びと中々ご苦労をされているようだ」

「かなりのやり手であるようじゃな」

頷く。どれほどの名族であっても阿呆な当主が現れたりするように、どれほどの僻地であっても名うての名人は現れるものだ。当代の蠣崎家当主は正に海千山千の達人、(まつりごと)の達人と言って良いだろう。陸奥北側に住む者どもの大半が南部氏の従属下にあったように、出羽北部において支配的な力を持っていたのは安東氏である。蠣崎家が平地の小さな松前を本拠としている理由の一つには出羽安東家に従う家であるからという意味もあるのではないかと俺は思っている。もとより安東氏は室町の頃より蝦夷管領に任じられていた家であるのだ。アイヌとの戦いが不利になった折に頼れる宗主として安東家を頼らざるを得なかったのだろう。だが、当代の蠣崎家当主、蠣崎季広(かきざきすえひろ)殿はその安東家から独立し対等の関係を得ようとした。婚姻政策で多くの家と繋がりを持ち、アイヌの酋長達と和を結び更に独占的な交易を行うことで国力を高めた。蝦夷地、特にアイヌの間では彼ら蠣崎家は松前家とも呼ばれているらしく、それは元々松前という言葉がアイヌ語のマトマエという言葉に由来するからであるそうだ。アイヌの者達からしても、遠くよくわからぬ地の相手より、自分達の言葉を使う松前との貿易の方が心情的にやりやすいだろう。名をうまく使う辺りはまるで徳川殿のような周到さである。


「官位も要らぬので朱印状をくれと言ったらしいの」

「蝦夷地における徴税権を欲したようです」

「蝦夷地における、か」


俺の言葉を雲八爺さんが繰り返した。蝦夷地がどれだけ広い土地なのかは未だ分かっていないが、この文言は蝦夷地支配を認めたのと変わりない。何しろこの土地に繋がる場所全て蝦夷地なわけであるから。朱印状を手にした蠣崎季広はその内容を広く領民に知らしめると共にアイヌ語に翻訳し、自分に逆らえば織田家が十万の兵を以て攻めてくるぞと言ったらしい。実際昨年に都合四万程度の兵は陸奥までやって来たわけであるから、決してこけ脅しとは言い切れまい。


「名前など要らぬから直轄地をくれ。まるで公方様に対しての先代様のようじゃな」

「確かに」

言われるまで気が付かなかったが、まさしくその通りであると驚いた。管領や副将軍にしてやると言われた父はそれを一顧だにせず、堺と大津を直轄地にして欲しいと言った。徳川殿のような老獪さに加え、父のような合理的な考えも持ち合わせている人物となると、これは思っていた以上の大物かもしれない。


「鶏口となるも牛後となるなかれ。()の者は安東家の家臣でい続けることを潔しとせず、独立を果たし今この蝦夷という天下において筆頭たる地位を得た。即ちいま一人の天下人と呼ぶことも出来よう。我らもそれなりに覚悟を決めて会う必要があるのかもしれぬな」

まさにその通りだと思い、大きく頷いた。俺の大望は日ノ本を中心とした巨大な交易路の構築だ。蠣崎氏とは上辺だけでなく強い協力体制を結びたい。田舎大名と侮らず、その本質を見極めなければ。


「此度も楽しめそうじゃな」

いつも通り子供じみた感想を述べながらのしのしと歩いてゆく雲八爺さんの背中は、いつも通り頼もしかった。

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