安土宗論
己が考えた天正偃武策の十年考、そして百年考。これらにつき、絶対に語り漏らしたことがあるなと思ってはいた。いや、百年考については良いのだ。百年の後、すなわち子孫の代の為に出来ることが何であるのかを考えて執筆した箇所であるから。問題は十年考だ。これは道を過てば或いは十年以内に織田の天下がひっくり返ってしまうぞと思えることについて執筆した箇所であるから会った際に全員に遺漏なく伝えたかった。そして失念したことというのは得てして遅れて思い出すものである。
「旦那様が憂える十年考に残るは外患。特に耶蘇会についてということでございますね」
「まあ、そうなるな」
小御所会議が終わり、その後の家族団欒も終わり、それでもまだまた暑さの天辺がようやく過ぎたかどうかという頃、俺はまだまだ腰も落ち着かないうちに長島へととんぼ返りを果たしていた。
「単刀直入にお聞きしますけれど、旦那様はこのままデウス様の教えを日ノ本から追放するおつもりでございますか?」
「半端な返しになるが、今この時においては『なくはない』としか言えぬな」
苦笑と共にそのように返答した。お珠も熱心な信者であるし、気になるであろう。我が義弟忠三郎も同様に傾倒著しい人物であり、その妻にして我が妹である相姫も同じである。完全に無関係である者の方が少ないのだ。
「九州では特に、本朝の人間を商品として売り捌くことが半ば公然となされていた。中には宣教師として海を渡って来た者もおったと聞く」
「今は父上がそのようなことをさせまいと頑張っております」
「そう。今はそなたの父惟任日向守殿を中心とした九州諸大名がこれを抑え込んでいる。が、イスパニアからすると本朝は東の果ての終点である。商品として日本人は珍しく、高値で売れるとのことである。とにかくこれは完全に駆逐し、販路も断ち切る。断ち切った販路はそのまま我らが外海に打って出る道とする。戦ではないぞ、こちらから物を売り買いするための航路を拡大するのだ」
「宣教師と奴隷商人は、同じイスパニアの人間であったとしても全く異なる者にございます」
「それを我らが見分けることは出来ぬ。ルイス・フロイスを侵略者と言うつもりはない。フランシスコ・ザビエルが日ノ本の民を売り捌く為にわざわざやってきたとも思わぬ。だが、彼らとて気が付かぬうちに利用されていると誰が言い切れようか。宣教師が教えを説き、警戒されぬようになってから奴隷商人が現れ、最後に兵を積み込んだ船が襲って来る。などという事態は、万が一にも億が一にも起こしてはならぬ」
「それは、そうだと思いますけれど……」
言い返す言葉がなくなって来たお珠が、しゅんと項垂れてしまった。そのように落ち込まれてしまうとこちらも心が痛い。納得できないのは分かる。どのように言葉を尽くされても心の問題であるのだ。無理やり押さえつけて完全になくすことは出来ない。まして、例えば忠三郎ほどの大物が強硬に反対の立場を取れば多少の方針転換はせざるを得ない。十兵衛殿ほどのお方が娘の言葉一つで立場を変えるとは思わないが、仮に今の織田家の方針に異議ありと言われれば耳を傾けざるを得ない。やはり難しい問題であるなあと、内心ビク付きつつ次お珠が何というか言葉を待っていると、俺とお珠とに一杯ずつ椀が置かれた。井戸から汲んできたのであろうか、中には冷たい水が注がれている。
「今はまだそういう時期なのですよ。お珠さん。心配せずとも、優しいタテ様がお珠さんの信じる教えを無下にしたりはしません。信じて差し上げなくては」
「……それもそうですね」
そのような言葉で引き下がってくれるものであろうかと首を傾げかけたが、しかしお珠は言われてみれば確かにその通りだとでも言わんばかりの態度で、あっという間にいつも通りの明るい表情に戻った。
「二人が俺に信を置いてくれることは嬉しい。又、此度弟達も、或いは父上や村井の親父殿も俺の言葉を重く見てくれたことはありがたい。だがこの俺は既に領地領民を持たぬ身だ。織田家にとって俺は困った時の奥の手くらいに思っておいて、それぞれがそれぞれに考えてくれ。と伝えた。公家衆とて今回の事で皆納得して家業に打ち込むとは限らぬ。俺は、武家には武家の、公家には公家のありようというものがあるので、此度の父や忠三郎の強引なやり方にも反対はしなかった。だが、公家の中にはそもそも公家のありようについて武家が言及することが既におかしいのだと考えるものがあってもおかしくない。そういう連中が多くいればまた一悶着あるかも知れぬ」
「そういうお公家様たちは、多いどころか大半でありましょうねえ」
「ですがそのような方達に何が出来ましょう? 家業についても、こと学問に関することであれば大半は旦那様に敵わないでしょう。家や名を失ったとしても、私たちの旦那様の総身の知恵と勇気は今も失われてはおりません」
ちょっと持ち上げすぎなくらいお珠に持ち上げられてしまった。だが、俺を持ち上げる一方で聞くものが聞けば結構な波風が立ちそうなことも言っている。言ったお珠は何も間違ったことは言っていないとばかりの態度である。
「まあ、公家衆はまだ良いのだ。今後、父上と勘九郎の連名で、帝には学問に打ち込むことを奨励申し上げるそうだ。波風が立ったとしても、知れていよう」
公家を公家らしくさせ、武家は武家らしく領地領民を治める。帝には学問を薦める。そして学問と言えば、である。元来学問というものは宗教と結びつきやすいものである。教えを広めるためには聖典や教書というものが必要であり、その為には字の読み書きが必須であるからだ。耶蘇会ももちろん例外ではない。
「まあ、神の教えについては少々我慢してくれ。ハルの言った通りで、悪いようにしたいなどとは全く考えておらぬ。ただ、今は神よりも仏が重要でな。その為に、取り急ぎここまで戻って来たのだ」
そのようなことを俺が言ったのを合図にしたわけではなかろうが、俺たちが会話をしている外、大通りが俄に騒がしくなって来た。ここ長島において最も大きな通りは即ち原田直子屋敷前であり、その二階から見下ろすようにすれば表通りの喧騒は全て見聞き出来る。障子は当然閉め、僅かな隙間から外の様子を眺めれば、知った顔もちらほらと散見出来る。
「偽りの造り問答にて法華宗は貶められたのだ! これは武家による弾圧に他ならぬ!」
「そう息巻いているのは法華宗以外にないではないか、現に貴様ら法華宗は浄土宗からの問いに答えられなかった」
「その問いがそもそも造り問答であると言うのだ。浄土宗が如きにはわかるまいが。良いかそもそも釈迦仏はその生涯において五時八教の説法を行い」
「あー、待て待て待ってくれやあ」
並み居る群衆の中で一際熱を帯びて語ろうとしていた一団を押さえ込むように、高座に鎮座していた年若い僧侶が言った。言われた方の僧侶はまだまだ言いたりなさそうな様子であったが、鷹揚として威圧感のないその僧侶と異なり、周囲に居並ぶ僧兵のその異風たるや武蔵坊弁慶もかくやと見て、仕方なくその言を飲み込んだ様子だ。特に左右に並ぶ二人は強そうで、片方は袈裟を深く被って顔が分からないが、もう片方は文武両道にして高徳をも持ち合わせた、当代における清流派筆頭、下間頼廉その人である。
「始まるなあ」
「事の次第を知りたいのならそれこそ私の父でも、タテ様のお父様でも直接伺えばよろしかったのではないですか?」
「良いんだ、辻々でどのように語られるのかを知りたいのだ。ここはなんといっても長島だからな」
かつて凄惨な虐殺行為が行われた悲劇の島長島。現在我が母原田直子という人物が持つ具体的な『力』はとりも直さずこの島が生み出すものである。この農業に向かぬ島を母はどのような島としたかったのかと言えば彼女やその手下、友人達が好む有象無象の書物が全て手に入る夢の如き島にしたかったのである。それらは現状良きにしろ悪しきにしろそれなり以上に達成されており、この島には他の領地であれば悪書と呼ばれるような書籍も平気で置かれているし、他の領地であればたちまちひっ捕らえられるような話も平気で街角にて行われる。此度も浄土真宗の僧侶に頼まれ、刻限を区切り間貸ししている。
「よく見たら四郎さんや彦八さんもおりますね」
障子の隙間から外を眺めるお珠が言った。非常に不本意ながらも、母が持つ力のもう一方としてはこの俺が生み出してしまい、餌を与えた覚えもないのにすくすくと育ってしまった九尾なる者ども。そしてその配下に収まろうとする者達から次々に寄越される金子に物品、或いは情報というものがある。本来そのようなものはお遊びに過ぎず、あくまで彼女は天下人織田信長の妻筆頭と目される立場であり、いずれは譲り渡されることを前提に事実上領主として治めている長島という土地、そこから派生する力がのみが源泉であるはずだったのだ。だが逞しい母は『そなたのせいで謎組織の元締め扱いされているのでしたら、使わないと損です』と言い、長島のみならずその周辺の治安維持に九尾の者を大いに利用している。
「今日はウチらの辻説法をしたかっただけでなぁ。よそさんとことやりあうつもりなんざ、こちとら毛程も思っておらんねんけどなあ。しゃあない。こうなったら尋常に辻説法してもつまらんやろし、一つ今話題の安土宗論ちゅうもんについて話してみようやないか。そちらさん! ウチらは別に浄土宗にも法華宗にもケチつけたいわけちゃうからな、恨みっこなしで頼むで!」
小気味良い司会進行により、群衆が湧き、不満げだった者達もまあそれならばと一旦言葉を飲み込んだ。
小御所会議に先立ち、安土にて一つの宗論、公開問答が行われた。とは言ってもそれはかつて俺も参加した京都室町小路で行われたような大きなものではなく浄土宗と法華宗による一対一のものである。これを、どういうわけか天下人が、父信長が仲裁し、そうして行われた公開問答にて法華宗が敗北、責任者斬首という厳しい沙汰が降った。これこそ今巷では早くも安土宗論と呼ばれるようになった事件である。
「こっから先は嘘なしやで! ウチらもぎょうさん方便いう名の嘘こいて、頭の悪い門徒から金巻き上げてますけどやな」
「あはは」
「面白いですわね、相変わらず」
浄土真宗、かつて織田家と大いに争い、織田の兵、織田の将、織田の一門衆その全てにおいてどの武家よりも多くを屠った集団。その次期法主と目される男、教如。石山本願寺に生を受け、最も激しく戦った男が、こともあろうに己の支持者達を頭の悪いと評価し、金を巻き上げていると嘯けば、悪口を言われた聴衆達はどっと笑った。そうして笑い混じりの罵声が幾つも飛び交えば、堪忍堪忍、と言いながら教如も笑い、その左右に控えた者達が袋に入れた餅を投げる。食いながら軽く話そう。ということだろう。
「ことの発端からいこかいな。お話の始まりは五月中旬、浄土宗浄運寺の霊誉玉念はんという偉いお方、ま、長老さんやな。その方が上方に登って、安土城下で辻説法しとった、てなところからや。ここには誰もなんの文句もないやろな」
「うん。ない」
思わず返事をすると、お珠がクスリと笑った。ハルはなんだかわからないが俺の頭を一度なでなでとしてから外へ行ってしまった。多分だが、軽く摘めるものを持って来てくれるのだと思う。揚げ餅だといいな。
「そこにやってきたのが若い法華宗信徒の二人や。建部なにがしと大脇なんやらが辻説法中の長老さんに議論をふっかけた。霊誉長老が応じて曰く!『年若い方々に申し開きを致しましても、仏法の奥深いところは御理解出来ますまい』なんや。それなら拙僧も分からんいうことやんけ」
「俺もやんけ」
「わたしもやんけ」
教如の言葉に頷く俺たちの返答が、部屋の中に小さく響いた。二人で視線を合わせ、にっこり。やはり教如の言葉は暗いところがなくて良い。
「えー、何何。『お二人がこれぞと思う法華宗のお坊様をお連れ下されば、返答致しましょう』と。なるほどなあ。一旦この場で話すことは止めといて、上の人連れて来てくれたら話し合うで。ってことやな。なんや法華宗も浄土宗も来とるみたいやけど、ここまでは間違っとらへんな!?」
「相違ござらぬ! 問答の一つも出来ぬ浄土宗の腑抜けぶり、天下以って嘲笑うことは必定!」
「黙らっしゃい! 天文法華の災禍を忘れたか! 新しき世の都たる安土を万が一にも戦場とせぬよう、その場は引いたに過ぎず!」
「天文法華の災禍とは小癪なり! 天文法難は法華宗に問答で破れし延暦寺の逆恨みにて京都を焼いたものなり! 責められるべきは延暦寺の僧兵どもにて我らは被害者なるぞ!」
「そこまでやそこまでや」
パンパンと教如が手を打ち、居並ぶ僧兵達が黙って一歩前に出る。俄に殺気立ち始めた法華、浄土双方がもし刀でも抜こうものならいつでも手打ちにすると、無言のうちに主張されたその動きは頭に血が登りかけた者共を冷静にさせるのには十分であったようだ。
「まだまだ問答に辿り着かへんのに随分と盛り上がっとるな。こんなに盛り上がるんなら毎日どこぞで宗論起きてくれへんかな」
暴れるようならこちらも力づくで抑えると武力をちらつかせつつ、軽い冗談で殺伐とした空気を引きずらぬように努める教如。やはり、こう言う話し方が上手だ。俺も弟達に話をする時もう少し軽妙に行いたい。
「かっか。ま、ここまでの話については両者相違なしというところやろう。法華宗は何逃げてんねんと、浄土宗は逃げたんちゃうわ、皆んなのために引いただけやんと。ウチの見解を述べさせてもらうとやな。これは逃げたんかも知れへんけど、でもしゃあないやん。ってことや。何故かと言うとこの浄運寺の霊誉玉念はん、浄運寺、浄運寺やで。これがどこにあるか言うと関東の上野や。わざわざそんな遠くから天下人のお膝元まで来て辻説法しとんのや、一世一代やったかもしれん。地元におる浄土宗の僧にも挨拶しとったやろう。まだしも己の寺でならともかく、旅先で間借りしとるような時に他宗派の若者にふっかけられて揉め事起こしましたってのはちょっとお仲間に顔向け出来へんくなるな」
ほほお、と、誰がともなく納得する唸り声が漏れた。俺の口からも漏れた。お珠は唸ることなく。確かにそうですねと呟き、そしてカラリと障子を開き、盆に揚げ餅を乗せたハルがやって来た。さすがハル。最高。
「小休止や。皆ちょいと餅食って水飲んだりしや」
言いながら己も竹の水筒を傾けクイと一口煽ったその額からは大粒の汗が流れていた。
問答とか宗論とかになると全っ然文字数を節約できないすねえ。
あと教如が好きすぎんねんな。ワイ。




