終宴
「上首尾でしたな」
「誠に」
父上と三介の姿が完全に見えなくなってから、三七郎と忠三郎が続け様に言って、後ろで聞いているだけで疲れたと俺が言うとどっと笑い声が上がった。
「まあ、帯刀があちこち飛び回って行った根回しが効いたということよな」
誰に言うでもなく、静かに、茶を啜りながら呟く村井の親父殿。確かにそれはそうであろう。参加する人数が多くなればなるほど、話し合いなど事前の根回しの割合が増してゆくのだ。
「皆に動いてもらってこそですよ。もちろん親父殿にも」
「分かっておるのならば良い。ハルに頼んで韮饅頭を拵えてもろうた。焼いて食ってくれ」
そう言いながら、籠に入れられた韮饅頭を寄越す親父殿。見た目は丸めた餅のようだが当然中に韮が入っているのだろう。美味そうだ。後でハルにも礼を言わねばと考えながら親父殿に頭を下げる。村井の親父殿も含め、皆まだまだ死にそうにない良い顔をしていた。
「昨年は日ノ本の果てまで赴いて戦火の火種を消し、今年は十年、百年の大計を成す。流石我らが長兄。頭が上がらないな」
早速饅頭を載せようかと思っていると、勘九郎が空いた場所に鳥の串を乗せ始めた。やるとわかるがこの作業はとても楽しい。一度やり始めると自分はいいから自分で焼いたものを皆に食わせてやりたくなる。饅頭はまあ、いつでも良いだろう。ここだけに火がある訳でもない。
「そのように俺を祭り上げようとするな。親族周りをしただけだ」
「祭り上げられても致し方ない程度には此度暗躍されましたからな、兄上は」
三七郎が言い、然り然りと忠三郎が同意した。直接の接点はそこまでないが、この二人は武人気質が強く、気が合うのかもしれない。
「挨拶に来いと言うのでもなく、文で済ますのでもなく、自ら来られるのですから、相変わらず面倒見がよろしいですな。義兄上は」
「貴様に会いに行った訳ではない。可愛い妹に会いに行ったのだ」
茶化すような事を言う忠三郎に言い返してやると忠三郎はくつくつと笑った。京都での話し合いの結果、忠三郎には直接俺から話すのが最も分かりやすかろうと俺は近淡海を使って若狭へ。そのまま日本海に出て越後を目指した。上杉家の跡目を継ぎ、つい昨年源三郎と名乗りを改めた同腹の弟に会う為である。藤や三七郎と会った時もそうであるし、忠三郎に会いに行く時もそうであったが堂々と『弾正尹様が蘇ったぞ、出迎えよ』などとは当然言っていない。常に誰ぞの使者として手紙を携えて参りました。という体裁である。どうでも良い余談ではあるが案外越後春日山城から会津は遠かった。山越えもあったので今回最も歩いたのはここだったかもしれない。北国は大きい。
「九尾第二の尾、鯰尾の忠三郎は次なるご下命を待ち侘びておりますぞ。狐尾の帯刀殿、次なる狙いは一体何処にございましょうや」
言いながら忠三郎が大ぶりな茄子を一口で頬張った。皮は剥がれていてしんなりとしている。網の上でよく焼いて、破れた皮を剥いでから醤油を付けたものだろう。俺も大好きな食い方だ。自分もしようと思い茄子を一つ網に乗せた。無計画にこうやって食いたいものを次々乗せているせいで場所に空きがない。まあ良い、身内の食事などこれくらいが楽しくて良いのだ。
「狙いなどと大袈裟なことを言うな。俺が望むのは当然天下の安寧であって、その為に出来る限りのことをしたいと思っただけなのだが。後は昨年少々遊びが過ぎて冬場につまらん生活を強いられていたものでな。周りへの言い訳のために色々考えていたら筆が乗ってしまった。暇潰しだな」
冗談を言ってみると又も周囲がどっと笑った。どうも皆俺が来る前にかなり飲んでいる様子だ。澄み酒は美味いが飲みすぎると潰れるまでが早い。母と共に作っていた果実酒や炭酸割りだろう。
「皆そう笑わないでくれ。半分は冗談ではあるが、退屈ほど人の頭を活発にするものはなかろうとはここ一年で本当に思ったのだから」
同じく退屈な作業に従事させられていた母上からも多くの着想を得たのだ。お互い自業自得であったし、お互いがお互いを嵌めたようなものであったからまあまあ悪態もぶつけ合った。
「暇つぶしにこんなものを考えるとは、流石頼りになるなあ兄上は」
ニコニコと、本当に嬉しそうに返してくる勘九郎。気軽に会える立場ではない事は今に始まったことではなく、だからこそ会う度にその変化に驚かされてきた勘九郎だが、今日は何だか以前会った時より幼くなったような印象を受けた。以前は、会う度に精悍さが増し、覚悟が伴ってきているように思っていたのだが、このように頼られると悪い気はしない。というか素直に嬉しい。つい調子に乗って『織田信長の子は皆困った時には兄上助けてと言えばこの兄が全て解決してみせよう。故に何一つとして憂う必要はないのだ』などと、言いたくなってしまう。余りにも大風呂敷すぎるので言わないが。
「今後について、であったな。まずは勿論我々の目が黒いうちに天下が再びひっくり返るようなことがあってはならない。その為に書いた天正偃武策である。勘九郎、三七郎は三介とは違い良く摂生している。故に数年のうちにその身に何かが起こるとは考えていない。つまり言いたい事はただ一つだ。分かるな」
少々照れ臭かったので、照れ隠しに必要以上に厳しい声を出した。仮に子が女子のみであったとしても、勘九郎自身が五十や六十まで生きれば下の弟妹であったり一門衆の特に優れた男子を後継とすることも出来ようし、七十や八十まで生きれば嫡孫を後継とも出来る。だがまずは男子を上げることが重要。そんな誰もが分かる事を今更言おうとしたのだ。しかし、
「側室の一人が懐妊した」
思わぬ返答に、つらつらとつまらぬことを言おうとしていた俺の方が黙らされた。
「実は、下の娘を産んだ際、松姫の肥立ちが悪かったのだ」
「う、うむ」
松姫殿が次女を出産してから既に一年以上が経過している。俺もそうであるし父も最愛の妻を産後の肥立ちの悪さで亡くしているので、そう聞くと非常に辛いものがあるのだが、勘九郎自身はそれほど深刻そうな様子ではなかった。
「父上や村井殿からも男子をあげるようには言われていたので、うんざりではあったがまあ、家臣筋の娘を何人か世話してもらって、塩川長満という、かつては三好や松永の家臣だった者の娘で、お鈴という名の女子との間に子が出来た。まだ腹も大きくなっていないので産まれるのは来年だろうと言われている」
「おお、おお、でかした勘九郎」
「まだ男子かは分からないし、今後松姫の体調次第ではそちらで男子が産まれるかも分からないけど」
それでも、とにかく多く子が産まれればそれだけ男子が産まれる公算も増す。手放しに喜んで良い吉報に、勘九郎の肩に伸ばした腕にも力が入った。
「という訳で俺は兄上に怒られないだけの勤めを果たしている。話の続きをしてくれ。あと、焦げそうだぞ」
ニコリ。と、晴れやかな笑顔の勘九郎。先ほどから、勘九郎が随分腑抜けた様子であると思っていたがその謎が解けた。なるほどこれは肩に乗っていた重荷もおりたことであろう。会う度に年上の親族から子供はいつだと言われるのは相当に鬱陶しいことだとは誰もが分かるところであるし。いや、そうだとすると俺は今随分嫌な兄であったな。反省だ。焦げそうだし。
「そうだな。うん。まあともかく織田の天下を前の平氏政権が如くにするわけにはいかない。その為にまず十年先までのことを考えた。内容は皆も読んでくれた通りだ」
炭火の直火は思いのほか強い。炎が上がっていないと騙されそうになるが保温だけしておけば良いと思っていたらいつの間にか真っ黒になっているということもままある。サッと串をひっくり返す。もう食えそうなものもちらほらある。
「俺は三介を通して織田家と天皇家は一体不可分である事を示そうとした。村井の親父殿は帝と距離の近い公家連中にあらぬ疑いを持たれぬように先手を打った。そして父上は太平の世にただ乗りする公家に掣肘を加えんとした。来年大地震で安土城が潰れるかもしれぬし、明朝が突如攻め寄せてくるかも分からぬが、とにかく人事は尽くしたい」
村井の親父殿をチラリと見た。親父殿は既に飲み食いも終えたのか、俺の言葉に何か答える事なく、周囲に座らせた男たちと共に何か書き付けている。左右には長男と次男の貞成殿と清次殿。その後ろに一門衆の清三殿もいる。京都の政を執り行う実質上の主席、文官の長たる地位を得ている村井家なればこそ、親父殿も着々と世代交代の準備を進めているようだ。
「内紛については此度三介が馬鹿をやらかしたが、災い転じて一歩前進させることが出来た。勘九郎が子を成したのは勿論これ以上ない慶事であるが、この場にいる父上の弟たち、息子たち皆が次代の支柱である。息災のまま長幼の順番通り、父上を見送らねばならぬ。天災については唯一人の手でなんとかなるものがあると書いた。治水だ。畿内。というよりも近江周辺においては近淡海の水運を、それ以外の地においても主要な山岳河川を基軸とした分水嶺をよく見極め、とにかく急ぎ水害にも日照りにも耐えられる治水を実現してもらいたい。これは天下太平であるからこそ出来ることである」
例えば長大なる信濃川であったとしても、今なら水源から海に流れる河口付近まで、一つの目的のもと工事することが出来る。
「それらはこれより先の我らがどれだけ手腕を発揮できるかというところでございますな。そうではなく、義兄上が義兄上として、己が目が黒いうちにやっておきたいことについて伺いたいのです」
「俺がしたいことなど、少しばかり大掛かりな遊びでしかないが」
苦笑と共に忠三郎に答えると、それを聞きたいのだと弟達が寄って来た。更に強く苦笑し、上の弟、下の弟、義理の弟に一本ずつネギマ串を手渡した。
「父上が切った鶏肉とお珠が切った葱を、この兄が串打ちし、母上が作ったタレを塗ったものだ。これ以上ない縁起物であるゆえ味わって食らうが良い」
大仰なことを言いつつ、自分は雑に口に咥えた。三人ともわざとらしくははっ、と頭を下げ、忠三郎と三七郎はどこからともなく椅子を持って来た。周りの大人達はそれぞれに話をしている様子で、この場はとりあえず俺たちの場としてくれている様子だ。食材も適宜持って来られるし、俺以外の者たちは既に色々としなければならない話は終えていたのだろう。それならそれで良い。俺がこれからしたい遊びを天下の大計と同列に扱われても困る。
「今俺がしたいのは有体に言えば旅行であるかな。日ノ本は九州から陸奥まで一応歩き回った。今は大型の船を作り蝦夷地に行ってみたい。そういえば忠三郎、貴様船の名前に帯刀丸などとつけようとしているらしいが辞めておけ」
「何故にございます。妻もそれは素晴らしい名だと言ってくれましたぞ」
「……むう」
「はっはっは、兄上を黙らせるには妹の名を出せば良いから楽だな」
話の腰を折られてしまったが、気を取り直して続けた。以前忠三郎や彦八には言ったことがあったが、南蛮人、イスパニアやポルトガルの商人からすればここは東の終着点である。だが、四方を海に囲まれた俺たちからすれば航路が西側にしか広がっていない訳ではない。朝鮮半島は九州から見れば北であろうし、その更に北東沿海州と呼ばれる土地もある。そして蝦夷地は更に先に何があるのかまだ分かっていない。もっと言えば日ノ本より東に全く土地がないとは言い切れないのだ。それらの土地に、いつでも打って出られるようにしたい。そのためにまず、本朝において頻繁に戦など起こってもらっては困るし、これから十年程度で織田家がひっくり返ってもらっても困る。琉球やその先にあるという高山国など、近場の海を制することが出来れば、南蛮の商人達がやって来た航路をそのまま辿って日ノ本の商人や使節が遙か西域にたどり着くことも出来る。
「大明帝国に鄭和なる者がいたという話を以前したであろう」
「ああ、阿弗利加なる、肌の色が炭のように黒い人間が暮らす土地ですな」
「そのような人が本当にいるのか疑わしいな」
もぐもぐと、思い思いに串を焼いては食い、食っては焼きしながら会話をしていると、予想通り時折冷たい果実酒などが持って来られた。その、酒を持ってくる女中などを取り仕切っているのはハルだった。ハルはこの場もそうであるし、別の場所でたらふく飯を食らっている彦六らの世話もしているようで、随分と忙しいらしい。そんなハルとの会話も途中で挟まったりしたものであるから、問いに対しての話は随分とっ散らかり、やがて大明帝国と戦をしたら勝てるのか、イスパニアの船と水上で戦うとしたらどのようにすべきか、などとやや物騒な話になっていった。
「ああ不味いな。いや、韮饅頭は美味いが何を話しているのかよくわからなくなって来た。さっき食おうと思って焼いた茄子もいつの間にかなくなっているし」
「ありますわよ、タテ様が食べたいのだと思って皮も剥いておきましたわ」
「ああありがとう、ハル。話の収拾がつかなくなって来た。酔いを覚ましたいが、三介を呼んでもらえないか? 茶を所望したい」
流石に父からのお褒めの言葉も説教も終わっているだろうと思っての頼みだったが、ハルは困りましたわねえ。とあまり困ってなさそうな愛らしい様子で首を傾げた。
「まだ父上に叱られているのか?」
「いいえ。お話が終わってから御義父様と、直子様をはじめとする奥方様の為にお茶を淹れたり面白い踊りを踊らさせられたりしてますわ」
「なんと」
向こうは向こうで酔っ払って収拾がつかなくなっているのかもしれない。
「義姉上。彦の字、彦八はまだおりますか?」
「はい。お仲間の皆様と楽しく過ごされておりますし、今日は泊まってゆかれると思いますわ。呼んできましょうか?」
「いえ結構にございます。あれもそれなりに茶を点てられますれば、某が捕まえて参ります。しばしお待ちを」
言うが早いか立ち上がった忠三郎を、待て待てと止めようとしたがその時には既に立ち上がってから三歩は進んでしまっていた。
「皆にあったら話しておきたかったことが、まだあるような気もするしないような気もするのだが、参ったな」
「来るのが少し遅かったですわね」
「兄上、水を飲んでおいた方が宜しいかと」
ふらつきそうな俺の体をしっかりと掴みつつ、三七郎が椀に入れた水を差し出してくれた。うん、美味い。
「まあ、話したいことはまだあるが、会いたい者たちにはここ数ヶ月で大体会えた。それでよしとしておこう」
言って三七郎の体をわしわしと撫でくりまわした後、俺たちは彦八が淹れてくれた茶を飲み、酔いを覚ました。故にこの日の俺は大河内城の時とは違い記憶をなくさずには済んだのだと、我が身の成長を実感するものなり。




