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信長の庶子  作者: 壬生一郎
九尾編
181/190

炊事場端会議

「それで、どことなく慌てていらっしゃるのですねえ、皆様」

お珠と二人、横並びに腰掛けながら、俺は一仕事終えた気楽さの中で話をしていた。


「そうだなあ、特に公家衆はおおわらわだ」

「父上が(こと)を貸してほしい、茶道具を見させてほしいと、懇意にしているお公家様から言われておられましたわ」

はっはっは、と思わず声を上げて笑ってしまった。並んで座りながら、街並みが少しずつ後ろにずれてゆく。荷車の後ろに乗せてもらいながらの、のんびりとした会話である。


「そのように言ってくる公家衆はまだ可愛げがあるな」

京都御所内における小御所にて行われた会議から三日が経ち、京都は表向き、何事の変わりもなく太平を謳歌していた。どれほど紛糾した話し合いであろうとも話し合いで街並みは焼けない。人死にもなく、それだけで俺としては大変結構だという気持ちだ。


「会津の忠三郎様は御公家様がお嫌いですか? 家業や奥義が失伝した家など沢山ありますよ。大きな箏や家伝の書なども、その時に燃えてしまったのでは? それでお家取りつぶしはお可哀想です」

「まあ、問答無用とは言わぬであろうよ。あのやりとりで必死になって稽古を始めるような家であれば目溢しくらいはして下さろう。血も流さずにいたのだから汗くらいかけということだ」

小御所会議の最終盤に忠三郎が放り込んだ一言は場を、特に公家衆を騒然とさせた。当然であろう。帝であっても織田であっても、まず大事なのはお家である。そしてそれは当然公家衆とて同じだ。その公家衆に対して取り潰したほうが良い。などと言ったわけであるから、今頃公家の、特に羽林家以下の家の者達はこの先一体どうなるのかと不安な夜を過ごしているであろう。幸い取り潰すか取り潰さぬかという話にはならず、それまで沈黙を保っていた当主、勘九郎信忠が諌めてくれたので心配する必要はない。と考えている呑気なものもいるかもしれない。


「汗なら、沢山冷や汗をかいたと思います」

「違いない」

左手に見えるは二条御所。かつては公方義昭公が、その後短い間ではあるが俺が住んでいたこともあり、今は父や勘九郎が御座所としている、畿内の統治者が住むに相応しい広大な屋敷である。


「だから、お珠のお父上、十兵衛殿に道具を貸してくれ、見せてくれと言った公家衆は可愛げがあるし目溢しはしてくれるという話だ。ともかく、血も汗も流さなかった連中が太平の世にただ乗りすることが気に食わぬと仰せであったのだ。父上がな」

「義父上様、大相国様が、ですか?」

「そう。大相国様が。だ」


日が長くなったなと、西の空を見る。南を向いているので顔は右だ。左側に座るお珠が俺の腕にぎゅっとしがみついてきた。甘えているように見えるかも知れないが違う。左手がない俺が体勢を崩さないよう支えてくれている。優しい娘であるし、気遣いもできる娘だ。ただ、とうとう自分で歩くどころかこのような荷車の後ろに乗せられて荷物が如くに運ばれることすら楽しむ姫君になってしまった。大体は俺のせいだろう。


「此度のお話し合い、大体のことは旦那様が考えられたのではありませんでしたか?」

「初めはそうだったが、色々と皆の考えが盛り込まれたのだ」

此度の小御所会議、誰の言葉にどのような後ろ盾がついていたのかと言えば、三介は当然、俺が原案を考えて話をさせた。三七郎については村井の親父殿が誰かに必要な反論をさせるべきと言って話が通った。そして忠三郎については天正偃武策を読んだ父の肝入りであった。父は公家達に対しても帝と同じように存在するだけでの価値は認めていない。あくまで家業や技能でもって、今後天子様や天下を支えると言ったのに過ぎない。もしそれらを散逸、失伝した家はどうなるのかという点については何ら答えていない。そのようなことがあるはずがないと決めつけ、話を打ち切ったのだ。今後武家と公家の逢瀬が密になるにしたがって、彼らが家業を披露することも出てくるだろう。その時、その家の当主達の技能が未熟でとても家業などと言える代物でなかったらどうなるのか。そのような話には至っていない。決して取り潰す事はない。などとは言っていないのだ。


「あとは、天下の大道、秩序をもってなすべき、秩序すなわちお家の本義を見失わぬことこそ肝要。と、勘九郎が言ったので、それを見失わぬよう、皆で考えたのだ」

その考えも元々は俺が天正偃武策の百年考に書いたものではあった。しかしながら、俺は場合によっては公家など滅ぼしてしまえとは書いていないし、逆に何がなんでも守るべきとも書いていない。天皇家・大相国家・公家・武家といった身分秩序がゆるがせになれば下剋上などという弱肉強食の理論が罷り通ってしまう。公家の者が弓を嗜もうと、武家の者が蹴鞠を嗜もうと構わないが、少なくともそれぞれの家についての本義は何であるのかという点についてははっきりさせておかなければならない。であるので俺は、いずれ帝には学問を奨励奉り、公家衆には家業を疎かにせぬようにと伝えるつもりであった。家業を失っているような家など存在する意味がないと言い切るのは流石の父上であるし、それをこれ以上ない形で言い切ったのも流石の忠三郎である。


「間も無く着くぞ」

暫く、雲に隠れつつ柔らかな灯りを届けてくれる夕日を二人で見ていると、四郎が近づいてきて、降りるよう促してきた。


「ああ、もうこの辺りか」

「ありがとうございます。四郎さん」

その会話が聞こえていたのか、荷車が一旦止まり、それまで前に向かってわずかに傾いていた荷台が、地面と並行な角度になった。俺たちは荷台の一番後ろに、足を投げ出す形で座っていたのでそのままストンと地面に降り立ち、荷を引いている男たちに感謝の言葉を述べる。四郎は周囲への指示出しもあり、すぐに俺たちから離れて行ってしまった。


「色々と動き回ってくれて助かった。彦八たちにも食事が用意されているとのことであるから、荷物を運び入れた後みんなで食ってくれ」

荷車を引いていた大柄な男に話しかける。へいと一言返事をくれてから、物珍しそうに周囲を見回す。


「何か違ったか?」

「何もかも違いますが、一番は暑さですな。こんな蒸し風呂のような土地によくもまあ長いこと帝がお住まいになるもんだ」

「誰が聞いているかわかりませんから、そういうことを言うのはメッ、ですよ、彦八さん」

「こりゃあお姫様。申し訳ございません」

豪傑然とした彦八、かつて九戸政実という名で奥州の覇者南部家を支えた男が頭を下げる。歳もはるかに下で、当然体も小さなお珠の言葉を、なぜだかこの男に限らず我が配下の者たちはよく聞く。まあ、お珠の出自を知ってしまえば当然ではあるのかも知れないが、面白いのは皆、お珠に何か言われても楽しそうにしていることだ。見ている分には大変微笑ましい。


「はは、陸奥の出からすればさぞ辛かったろう。まだ暑さの盛りは続く。これまで忙しくて行動を共に出来なんだが、本年中にもう一度蝦夷地まで向かう。今度は俺も行くぞ」

「私も行きたいです」

「ならば忠の字に会って話をしておかねばなりませんな。今日はこれから来られるので?」

「ああ、というか既にいるのではないかな。昨日一昨日は皆色々と所用を片付け、本日夕刻に集合という話であった」


昨年の東北征伐において織田家の大将として出陣した蒲生忠三郎氏郷とこの彦八は、同じ武辺者として気が合ったのか、敵として会ったその日から既に友誼を得て今では合力して色々と俺の考える計画の手伝いをしてくれている。忠の字、彦の字と呼び合っている様子もよく見る。


「新型の船は間も無く出来上がるのであろう?」

「もう出来上がっている頃かも知れません。ご注文通り人も物もたっぷり乗せられるデカい船に仕上がっているはずです。忠の字は帯刀丸と名付けたがっていましたが」

「そんな名はいらん。貿易船や航海船であることがわかればいい」

「唐国に渡っていけるような丈夫で安定した船ってのには出来ましたが、喫水が深すぎて、整備された港じゃないと留められないかもしれません」

「致し方ない。日ノ本であれば整備された港に困ることはあるまいし、蝦夷地においても先ずは停泊可能な場所をいくつか見繕うところから始めよう」

「私も連れて行ってくださいますよね?」

「ま、まあどうしてもというのならば否とは言わんが」


会話の合間にズイ、と身を割り込ませてくるお珠。その勢いに押されて頷くと、お珠は小さな体をピョンと跳び上がらせながらやった、と小さく腕を振った。日が地面に着くまで、まだそれなりに時間は残されているだろう。重たい荷物を頑張って持とうとするお珠を周りの男どもが慌てて止めつつ、俺たちは二条御所、ではなくその向かいにある屋敷、通称村井屋敷へと足を進めた。


「兄弟子、すまないが調理場へ向かってくれないか?」

屋敷の裏から入るとすぐに、四郎からそのようなことを言われた。同時に毛をむしられた丸鳥を一羽手渡される。


「調理場?」

「人手が足りていないようでな。少々滞っている」

「人手などここに山ほどあると思うが」

「まあ、行けばわかる。俺もこちらが片付き次第向かう。余り気は進まないが」

釈然としない物言いに首を傾げつつ、まあ慣れた村井屋敷であるが故、構わないと歩き出す。お珠にも籠に盛られたナスやネギなど、夏野菜を一つ持ってもらい、二人並んで調理場へと向かった。


「わあ」

「これは……確かに」

炊事場に入ると、先ほど四郎が言っていた言葉の意味はすぐに分かった。なるほどこれは人手が足りない。人手があっても、手伝うことが出来ない。


「鶏肉が足りんな。吉兵衛、まだ届かぬか?」

「今しがた裏に届いたとのことで、おお」

「お二人ともお久しぶりです、鶏肉を届けに参りましたぞ」

「夏野菜もお届けにあがりました。ピカピカで美味しそうです」


その炊事場で包丁を振るっていたのは我が父織田信長と義父である村井貞勝。天下人と天下所司代様が揃って楽しげに飯作りに勤しんでいた。これは恐れ多くて手伝おうにも話しかけることも出来ず恐れをなしてしまって当然だろう。


「来たか、思ったより早かったではないか!」

細切れにした肉を串に通していた父がざっと手を洗い近づいてきた。そのままワシワシと乱暴に頭を撫でられる。


「此度は随分と骨を折らせたが、万事上首尾に終わり何より。全て貴様の(たなごころ)か帯刀?」

「そのような増上慢に陥った覚えはございませんよ。大局を俯瞰して見なければ目的を達成することは出来ませぬ。絵図を描いた者が誰よりも冷静たらねば」

「うむ。貴様としてはどうであった? 満足のゆく出来であったか」

「皆が良くやってくれたお陰で、理想とも言えるべき出来でありました。流石は天下人の子らでありますな」

「わざとらしくおだてよって」


言いながら機嫌良く俺を肘で小突いてきた。見えすいた(おもね)りは大嫌いな御仁であるが、冗談で言っている分にはその限りではないらしい。


「それで、どうしてお二人が揃ってこのようなところで包丁捌きを披露しておられるのです。引退したからと言って第二の人生を料理人として過ごすわけではありますまいに」

「吉兵衛が飯を振舞ってくれるというのでな。中庭で肉や魚を各々で焼いて食おうという話になったのだが、この時期魚が美味くない」

「まあ、そうですね」

色々あるだろうが魚はおおむね冬だ。秋や春はまだしも夏の盛りが最も美味い魚を俺は知らない。探せばあるのだろうが。


「ならば焼き鳥だと思い、串を打ってタレや塩で食おうと思ったのだ。だが皆焼き鳥のなんたるかを分かっておらぬ。仕方ないので俺が自ら腕を振るってやろうと思ってな」

「三郎くん、タレ出来たわよ」

「ええ、母上まで」


器に何やら黒い液体を持って、髪を後ろにまとめた割烹着姿の母上が現れたのは、父や村井の親父殿がここにいる以上に驚いた。そもそもここは村井の親父殿の家なわけであるし、父としてもご近所さんな訳であるし。


「んん、美味い! さすが直子よ。焼き鳥によく合う。これと塩があればそれだけで無限に焼き鳥が食えるな」

「本当? 三郎くんにそんなふうに褒めてもらえるなんて嬉しいわ」

チョンチョンとタレに指をつけ、その指先を父の口に当てて舐めさせた母は、明るい声音で父と会話しながら止まることなく俺に駆け寄り、そのまま全力で俺の頭を抱き締めてきた。


「ちょっと母上、父上と会話するならするで、俺のことを抱きしめるなら抱きしめるで、別個に行ってください」

「嫌よ。私は夫に褒められて嬉しい気持ちそのままに息子を全力でギュッてするわ。あとお珠ちゃんもこんにちわ」

「ご無沙汰しております、御義母様」

「随分遠くまで来られましたね。出歩くのはお好きではないでしょうに」

「今は長島から船で大坂まで来られるしとても楽なのよ。本気出せば六畳間くらいの籠を作ってもらって、私は一歩もそこから出ることなく二条御所に引っ越すことも出来るわ」

「それは、贅沢というより怠惰の極みでしかありませんので、是非本気出さないでもらいたいですな」


親子の再会を果たし挨拶をしている間、お珠はさっと袖をまくり早くも夏野菜を洗い始めている。村井の親父殿も、当たり前のようにそれを受け入れているし、どこに行っても馴染むのが早いなと感心しきりだ。


「よし、貴様は串打ちだ。急げよ」

そう言われて、父から竹串の束と切り身にされた鶏肉を渡された。内臓に皮に手羽にと、既に串打ちしやすいよう綺麗に切り分けられている。見たところ切り分けたのは父上自身であるようだ。俺よりも上手で少し悔しい。


「身はネギと交互に刺せ。手羽の場合は串は二本。刺したらその皿に乗せてゆけ」

バシンと背を叩かれ、直ちに串打ちを始めた。始めてすぐに四郎もやってきて二人並んで串打ち。親父殿は野菜の仕込みを行い、暫くするとお珠は中庭の様子を見てきてほしいと親父殿から頼まれ、今串を刺したばかりの鶏肉や野菜を持って出て行った。


「三郎殿、米が炊けましたぞ!」

「うむ。そこに置いてくれ。雲八、帯刀も来たぞ」


お珠と入れ違いになるように現れたのは東北道中の際俺たちの師匠として大いに働いてくれた弓大将、大島義光、通称雲八爺さん。一升や二升はゆうに入っているだろう米をたらいに入れて持ってきた。まだホカホカと湯気がたっており、炊き立ての米特有の香りが辺りに広がった。


「おうおう、久しい。というほどでもないな。四郎も。いつもいつも突然よくわからんことをさせられて大変であろうな」

「何、四郎もおるのか?」


四郎やお珠、あるいは九戸兄弟と同じく九尾の一員として色々動き回ってくれている雲八爺さんとは割としょっちゅう会っている。そんな雲八爺さんの言葉のせいで父から存在を気づかれてしまった四郎がビクリと肩を震わせた。


「気がつかなんだわ。それにいつの間にか手伝いもさせていたようであるな」

「ご、ご挨拶もなく大変申し訳ございませぬ大相国様」

声をかけられてすぐ、四郎がべちゃりと地面に平伏した。最近知り合った人物が豪傑揃いであるから感覚が狂うが、本来こうなって当然であるよなと納得する。雲八爺さんにしてもいつの間にか三郎殿、などと呼んでいるし、殆どの人間は恐れ多くてこの炊事場に近づくことも出来ずにいるのだろう。


「よい。面をあげよ。それに雲八の申す通りだ。いつもいつも、帯刀のするよくわからんことに付き合わされておると聞いている。父親として感謝の言葉を述べたいと思っておったのだ。雲八にも合わせて、貴様らがおるからこそ、身分を無くした倅が今もこうして楽しく過ごせておる。衷心より、感謝する」

平伏する四郎の背に手を当て、己もその場に跪いたのち、父は四郎と雲八爺さん二人に向けてしっかりと頭を下げた。


「朽ちてゆくばかりの爺に生きがいを頂戴しておりますれば、こちらこそ衷心よりの感謝を申し上げますぞ」

「…………あ、勿体なく……お言葉……ははあ」


普段冷静沈着な四郎が慌てふためいて何も言えずにいる様子は、可哀想だが面白いものだった。

皆様から沢山の新年のお祝いならびに新刊発売のお祝いを頂戴しまして誠にありがたく思っております。

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