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信長の庶子  作者: 壬生一郎
九尾編
179/190

天正偃武策

実際のところ十年考にはまだまだ続きがあり、更に十年考そのものの続編というべきものについても俺はほぼ執筆を終えていたのだが、しかしながらそれらについては今後俺の口から直接忘れたくとも忘れられぬようみっちりと伝授してやれば良いことであるので後に回し、此度喫緊かつ三介こそが適任である事案について語ることとした。


「今しがた貴様が言ったように、十年考は一部(おおやけ)にすることが憚られる内容が含まれておる。分かるな?」

「そりゃ、帝は織田にとって都合の良い看板であり風避けです。とは言えないだろう。不敬とか、(まつりごと)壟断(ろうだん)だと言われて仕方がない」

「その通りだ。だがこの理屈は不敬であり壟断であったとしても簒奪(さんだつ)には決して繋がらぬ。ここがミソだ。その余人よりも幾分か小ぶりな頭にしっかりと刻みつけよ」


織田家がどれだけ戦に強かろうと暖冬や冷夏を防ぐことは出来ず、災害を未然に防ぐなどということも不可能であるという事実については既に書き、述べた通りである。都合の良い看板や風除けとして使うことは成る程確かに不敬であり壟断なのかもしれぬ。しかしその看板は替えが効かず、一度取り外してしまえば二度と取り付けることは出来ない。ならばこそ織田家は万難を排して天皇家を保護しなければならない。その時々の権力者が気分によって取り替える事が出来る帝ではなく、お互いがお互いの庇護者としてなくてはならない協力関係であること、即ち現在の関係こそが両家において最も利があるものであるという事実はしっかりと確認しておかねばならない。


「幸いにして今上天皇にてあらせられる正親町の帝は父上によって皇室の危機的状況が回復されたことに強く恩を感じて下さっている。逆に織田家が追い詰められた際には積極的に勅命を下し講和周旋して下さった。十年考に書きつけたことなどとうにご理解しておられるであろう。我らが父上はそれを理解していながらなお天皇の名に恐れを抱かぬ気宇壮大な人物であるが、今更ちゃぶ台をひっくり返すような真似はせず、今は自身の引退に向け勘九郎への権力の移譲を着々と進めておられる。当然、織田家と天皇家の関係がどうあるべきかについても分かっておられるはずだ。故に懸念は織田家の次代たる勘九郎、そして天皇家の次代たるお方がそれを理解しておられるかどうかである。そしてこれまた幸いなことに、勘九郎は父よりもなお天皇家に対して穏健派である。父上や村井の親父殿らとともに、対天皇家に対しての方針は定まっておる」

「ち、父上とか兄上とかの前にも化けて出たのか?」


話に熱が入りすぎてしまい、必要のないことまで述べてしまった。俺は咳払いをすることで一旦話を区切り、改めて話を進める。


「良いか三介、この十年考については貴様も含め、両家の中枢たる者の公然の秘密として共有しておかねばならない。残念なことに今我が目の前に、考えが浅はかで愚かな大うつけ者がおる。お陰でこの兄が化けて出ねばならなくなってしまった。哀れであるとは思わぬか? いじらしく健気な兄であろう?」

「そ、そういうか弱い感じが帯刀からは微塵も……あ、すいませんごめんなさい。思います兄上可哀想ですすみません」


納得してもらえたところで俺はうむと頷き、であるのならば貴様も織田家の男子として協力せよと申し渡す。


「先程から話している通り、この十年考は公にするには憚られる内容が一部あることが否めぬ。だが、同時に十年考は天下泰平が十年の短きに終わらぬよう、今身近にある危機を憂え、それを避けんがため著された書である。多少体面は悪くとも、認識を共有する事が結局天下のためにも、織田家のためにも、天皇家のためにもなる。ではさて、この不敬なれども誰かが発さねばならぬこの意見書、一体いずれのどなた様が著し、御前にて発表するのが相応しいであろうか? ここまでの話で、貴様にはすぐわかるはずだ。適任者の名を挙げてみせよ」

「わ、わからん! 俺には何もわからん!!」


非常に優しく問いかけてやったというのに、三介は何故だか大きく首を横に振って逃げ出そうとした。立ち上がって一歩踏み出そうとする三介の足を引っ掛けて転ばせ、うつ伏せになったその背中を踏んづけてから話を続ける。


「成る程分からぬか。では分かるまでとくと話をして進ぜよう」

「いや無理だよ俺には無理無理! むりむりむりむりカタツムリだから!」

面白いことを言って誤魔化そうとする三介の言葉を無視無視無視無視デンデンムシしつつ、俺は三介の背中に座った。


「まず、このような大それた提言は当主たる父上や勘九郎が言うのではなく家臣筋の人間が言うのが作法というべきであろう。当主たる者はその意見の不敬たるを帝に詫び、家臣を叱責しつつこの者も天下のために愚策を献じ奉ったのでございます。と、このような形を整えたい」

「いやいや、作法も何も書いたのは帯刀なんだから帯刀が言えば良いだけだろ。今の天下で帯刀が国策を献じて誰が文句言うってんだ」

「これは異なことを申されますなあ。御本所様。死者がどのようにして献策すると仰せか」

「さ、三七郎がいるだろう。奴も一条家当主で中納言だ。家格も官職も申し分ない。俺と違って武にも秀でた一門の雄だ!」

ここまで噛んで含めるような話をし人払いもした上でここまで来たのだ。流石に俺が誰の名を挙げたいのか分からないはずもないだろうが、それでも無駄に足掻く三介は別の名を挙げた。


「一条中納言様とは(それがし)も幼き頃より知遇を得てございますが、彼のお方は文よりも武に秀でており、このような文書を(したた)められるかどうかとなりますと些か疑問が残り申す。それよりは、幼き頃より学にも芸にも秀でた北畠家の御当主様にして、後には准大臣の座に就かれるお方が自らお作りになられたとするほうが天下諸侯も納得されましょうぞ」

「されないされない! 俺が父上や兄上からのお叱りを受けない程度に遊び呆けていることなど皆知ってる!」

「そんなことはない。遊びとはいえ昨晩の創意工夫は中々のものであった。興が乗って筆が走りすぎた。などと言えばわりあい理解してもらえるはずだ」

特に雅楽と音曲のくだりなどは成る程一理あると思わず感心させられた。とにかく戦に弱いという一点を除けば、優秀であると言える部分とていくつもあるのだ。そして今、二度と戦などしないで良い時代がやってきた。となればこやつを活かせる場面は多い。


「源五郎叔父上とか、父上には弟が沢山いるんだから、そっちじゃ駄目なのか?」

「いけなくはないが京都に近い場所に大領を持つ一門という意味で貴様に勝るものはおらぬ」

「じゃあ、准一門の」

「諦めよ。三介」


まだ何とか逃げ出せないものかと足掻く三介に、俺は切り捨てるような声をかけた。


「貴様は昨日心を入れ替え政に精を出し、大相国殿下ならびに上様、帝、百姓の為に、つまりは天下万民のために一所懸命働きますと誓ったではないか。この兄、だけにではない。閻魔大王様にも」

相違ないな。と、確認を取ると三介の体からフッと力が抜けた。ようやく諦めたのだろう。俺は立ち上がり、三介を座らせた。正座して俯く三介に対し、改めて伝える。


「今から貴様に一冊の書をくれてやる。内容はその文と大体は同じだ。ただ多くの注意書きやそこに書ききれなかった続きなどが書いてある。お珠」

俺が一声かけると、ずっと後ろに控えて俺たちの話を聞いていたお珠が音もなく走ってきて、綺麗に製本された一冊の書を俺に渡した。表紙に銘を入れたその一冊を見て深く頷く。


「これは貴様の手による書であり、貴様が天下の中枢たる者らに伝えるべき内容である。当然、知るべき人間と知るべきでない人間についての吟味も、作者たる貴様がしなければならない。良いな?」

「……はい」

「声が小さい。そのようなしみったれた声が貴様にとっての一所懸命か?」

「はい、分かりました」

俺に詰められ、二度目の返事をした三介の声はやや投げやりであった。まあ今はそれで良かろうと頷き、改めて書を手渡した。


「納得したところで、今後の予定について申し渡す。近く、そうだな……今年の、夏が終わるまでの間に、京都にて小御所会議を執り行う。昨年は陸奥や九州にて些かの乱があった。幸い即座に鎮圧され織田の支配はより盤石なものとはなったが、父上が平大相国となり、織田宗家、北畠一条両家をはじめとした新たな天下における家格が定まったのはその後のことである。今後の天下の差配について、帝が知りたがっておられる。故に、父上をはじめとした織田一門衆と、五摂家を中心とする公家衆が、帝の御前で話し合いを行う」


ここまでは良いな。と、一旦言葉を区切ろうかと思ったが、三介の顔を見て止めた。ここまででも良くなさそうに、盛大に視線を左右に泳がしていたからである。まあ、それならそれでいいのでとりあえず話せるところまで話してしまおう。


「貴様はその場において今日の話を皆に伝えよ。どのような言葉を使うかは貴様の才次第で良い。看板や風避けという言葉がいかにも聞こえが悪いと思うのであれば、同じ意味合いでありながら歯が浮くような美辞麗句をでっちあげ、以て天下の支柱たる者らから同意を勝ち取れ」

「ちょ、ちょちょちょちょ」


ひきつけを起こしたような言葉に、俺の言葉が遮られた。何か言いたい事がある様子であるのは明白だったので話を止め、どうしたと問いかける。


「こ、小御所会議とかもまだついていけてないんだけど、この書、間違えてないか?」

「間違えてなどいない。開いて少し読んでみればわかる。最初はまるっきり同じ事が書かれているぞ」

「それはそうなのかもしれないけど、表紙が、これ、百年考って」

「うむ。よく読めているではないか。その通りだがどうかしたか?」

「さっきまでの話の十倍じゃないか!」

「当たり前であろうが。貴様は我が織田家の天下がたかが十年ぽっちで終わるものであると考えておるのか? 平大相国家だからといって短命政権であることまで平清盛に倣ってどうする」

「そんな話じゃなくて、さっきまでと話が違うじゃないか」

「違ってなどいない。俺は百年考を手渡す前に内容は大体同じで注意書きや続きがあると伝えた。十年の続きは十一年。その先に百年が存在することは自明ではないか」


毅然と言い返した俺の言葉に、三介が今日何度目かのため息を吐き肩を落とした。


「作者なるが故に、貴様はその書と矛盾せぬ説明を行い、質問や詰問、時に非難的な声に晒されたとしても負けぬよう論陣を張らねばならぬ。となればまずはその中身を頭に叩き込むことから始めよ。兄がこの世にある間は解らぬ場所については直接指南して進ぜよう。また、この兄とてまだまだ未熟なる身。書き損じや言い間違い、解釈が複数になり何が言いたいのか判然とせぬような箇所がないとは言い切れぬ。そのような箇所を見つけ次第教えよ。より天下による総覧に耐えうる文章とせねばならぬ。更には、この書において投げかけられている問いに対して、三介なりの答えがあればそれも大いに語るが良い。己の信念に基づくものであるのなら、小御所会議にても大いに語ることをこの兄は望んでおる」

「夏が終わるまでに……か。帯刀、その小御所会議、日時が決まった翌日に知らせもなく攫われて帝の御前に放り出されるなんてことはないだろうな?」

「あろうはずもない。貴様だけならともかく帝や五摂家のご当主様も会するのだ。古式ゆかしく、形式に則った会合になるだろう。雅楽の用意も要るやもしれんぞ」

軽快極まる俺の冗談に、三介は反応を示すことなく先ほどよりもさらに大きなため息を一つ。そうして呼吸十回分も黙っていたが、その後、観念したように顔を上げ、そして頭を下げた。


「畏まりました、お役目承ります」

「うむ。最後には随分素直ではないか」

「ゴネるだけ無駄と分かっただけだよ」

「ようやく分かってくれたか。重畳重畳」


ようやく、俺が三介にしておきたかった話が全て伝わり、俺は満足と共に手を二度ほど打ち鳴らした。すぐに、部屋の外で控えていた侍供が数人部屋に入ってきて、今も座っている三介と、その前に立っている俺に対して平伏した。


「勝三郎! 御本所様との話は纏まった。来たる小御所会議の日までに貴殿ら北畠の重臣においても百年考の内容を吟味、精査し遺漏なく理解することに努めよ」

「承知仕りました!」

「小御所会議の日取りは未だ解らぬ。日述べとなったならば勿論のこと、仮に思いがけず早まったとしても、内容の理解に不備があることは許されぬ」

「北畠家あげての大戦と思い、一切の油断なく努めることを、(それがし)、天地神明に、閻魔大王様に、政所様にお誓い申し上げます!」


力強い言葉に、納得してうんと頷く。従兄弟の津田勝三郎信糺(のぶただ)を筆頭に、三介が自身の嫡子を三法師と名乗らせることを危ぶんでいた者たちだ。共に学び、共に教えあうことも出来るだろう。天地神明や閻魔大王に我が母の名を連ねて誓うのは少々解せないが。


「であれば、俺は一時冥府に戻る。心配せずとも小御所会議の間は折を見てまた戻る故、百年考に解らぬ場所などがあれば書きつけておくが良い」

「ははっ!」

俺の言葉に、勝三郎だけでなく家臣連中が揃って返答したのを聞き、もう一度深く頷いた。三介には見張りか、最悪首輪でもつけておいた方が良いのではと思いもしたが、すっかり諦めた様子の当人を見てそれは言わずにおいた。地頭の良さで言えば或いは兄弟で一番ではないかという切れを見せることもあるのだ。諦めて前向きに取り組めば大して時間をかけることもなくものに出来るだろう。


「港までお送りいたしますが」

「いやいい。勝三郎、三介をよろしく頼む」

伊勢の海岸沿いではなく内陸に位置する大河内城を出る際、大仰に見送りをされそうになったがそれは辞し、来た際と同じ一行で帰路に着く。人数分の馬はあえて用意しておらず、乗る人間も持ち回りだ。お珠の為に駕籠は用意してあるがその持ち手に俺が加わることもある。そうすることで全員が影武者になり、襲われた際の目眩しになる。と言ってそうさせたのだが、別にそんなことは思っておらず、ずっと馬の上に座っているのが退屈だからそのようなことにした。そのせいでなのか、時々お珠が歩きたいと言う。今更ではあるし俺が言ったところで説得力がないこともわかるが、本来姫君が己の足で歩かされるなど侮辱でしかないのだが良いのだろうか。そのような娘の方が俺は面白くて好きだが。


「兄弟子。このまま長島か古渡に戻るか?」

北畠家の者の姿が完全に見えなくなってから四郎に話しかけられた。最大の目的は達した。戻ったところで問題はないだろう。だが俺は少し考えてから首を横に振った。


「母上が弟妹の様子を気にされておられた。越後の源三郎は遠すぎるが藤は大和だ。皆にはすまぬが少々付き合ってもらいたい。お珠、お珠は」

「行きます。私も」


港から船で送ってもらっても良いと言おうとした途中で遮られた。弟妹の多さでは余人に負けることのない俺であるが、同腹の弟妹は一人ずつしかいない。妹の藤は大和の筒井家に嫁いだ。


「また山歩きで苦労をかけるが」

「いや、それならば急ぎ港へ出て、紀伊半島を回って大坂まで向かってから歩く方が早い。顔を知る者に会うことを避けたいというのなら少し南の堺や大津で降りても良い」

「成る程、そうなってくると四国も目と鼻の先だな」


このようにして、結局俺は古渡にも長島にも殆ど帰ることなく各地を飛び回り、小御所会議の日を迎えるのであった。

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― 新着の感想 ―
6.7巻発売おめでとうございます 続きが読めて嬉しいことしきり
あけましておめでとうございます。 奮戦丸山城で、滂沱の涙を流したのが はるか昔に思えます。 名作、信長の庶子の続きが読めるとは、 新年早々、有難いことです。 首を長くして、更新をお待ちしています。
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