めでたしめで……
「何と……やってくれるではないかあの俗物集団め」
その報せを、俺は南進し、西上する三介たちよりもいくらか早く、相模国は三崎港に停泊していた時に報された。というのも、九戸兄弟とその僅かな供回りを連れた俺や四郎はそのまま忠三郎の手引きで海路ここ相模まで来ていたので、単純に先回りする事が出来ていたのだ。この時の寄港も、単に一旦休憩、そして必要な物資を詰め替えるというだけの予定で、そのまま東海道も船旅にて一気に帰ろうと予定していた。
「何か問題が起こりましたか?」
四郎に問われ、俺は頷いた。確かに、問題といえば問題であるが、しかしこれまでとはやや趣が違った。
「京都で公家衆と商人、そして一部寺社勢力が蠢動しておると、嘉兵衛からの文が届いた」
「公家に商人、それと寺社が蠢動? そのような者たちが集まって、何を行おうというのです?」
「大相国宣下をネタに、ひと財産稼ごうとしておる」
間も無く、戦国100年を生き抜いた武家どもによる天下分け目の面子合戦が行われるとは既に述べた通り。そして人が見栄を張るのに必要とするのは、すなわち物と銭であることも又述べた通り。その上で此度準備期間が存分とは言えない状況の大相国宣下。遠国なれば大領を有する者とて物の準備が間に合わぬであろう。近場なれども小領主であればそもそも家中に物がないということもあるであろう。そして何より連中は武家であるが故、宮中儀式において誠に必要であるものが何であるのか、作法が何であるのか、わかっていない者も多いはずだ。今こそ勝機、いや商機あり。そのような考えのもと、これまで日ノ本を支配せんと戦ってきた武士どもをネギを背負う鴨が如き獲物とみなした連中が動き出した。
必要な物、或いは銭。これらについては堺・近江・伊勢の商人たちがいち早く集めた。宮中作法など、足りていない知識については洛中洛外の公家衆が埃を被っていた先祖の日記を持ち出して、そこに記されている儀礼や慣習を纏めた。そして物と銭と知識、これらを安全かつ素早く移動させるための護衛、或いは知恵袋として大和を初めとした畿内近郊各地の荒法師が立ち上がった。商人連中は競合せぬよう上手く四方に散って商売をし、引っ越しすらもたついていたはずの公家衆は見事な健脚を見せ東西の上洛途上に姿を表した。門跡にある者達の中で荒事にも腕が立ち、知恵袋としても要を成せる人物はそうそういなかったようだがそれでも宗派ごとに国を跨いでの繋がりがある僧たちは大いに動き回ったという。最初に繋ぎをつけたのが誰であるのかは調べようもないが、ともかく自然発生的に3つの勢力は結びつき、動き出した。いや、伊勢と尾張の境にある長島に住まう嘉兵衛が話を掴んでいるということは、とうの昔に動き出しており、既に身の軽い公家衆が相模国にまで下向しているかもしれない。先手は既に取られていると見ていいだろう。
「確認しますが、織田家としてはこれはよろしくない。ということでよろしいのですか?」
「そうだな。よろしくはない。武家の富が商人たちの借金となってしまえば、領主が商人の顔色を窺って治世を行わねばならなくなる。これを機に、近衛前久卿と大浦為信のような中央公家と地方武家の繋がりが出来上がってしまうことも、可能な限り無くしたい。せっかく叩いた寺社勢力が復活してしまうことが危ういというのはまあ、誰にでもわかるであろう。だが、最もややこしいのは此度の仕儀については、誰一人として惣無事令にもその他如何なる発布にも違反はしていないという点であるな」
やっていることはなんら罪ではないので咎める事ができない。恐らく、こうなることについては父も村井の親父殿も勘九郎もわかっていなかったはずである。少なくとも俺には想像もつかなかった。そしてこの3人はこれらの動きに対応する余力はないと思って良い。単純に忙しい上に関東は遠い。
嘉兵衛から寄越された文は、これまでの動き、そして今後の善後策が認められていた。具体的に言えば、嘉兵衛は既に林新次郎、前田蔵人、大木兼能ら、留守を任せていた者たちに指示を出し目を永楽通宝印に変えて東に向かおうという僧人や見覚えのない貴人、商人は適当な理由をつけて留め置き、そして長島にある物品については西進する武家に限り格安で売り払い、適当に茶会などを開いて作法を広め、近隣に住まう織田家臣にも同様のことをするよう協力を求め、以て蠢動する者どもの商機を未然に潰すべく動いていると報告してきている。もとより留守居の一切は嘉兵衛に任せてあり、取り急ぐ必要ありと嘉兵衛が判断した事柄については俺に対して許しを得ることもいらぬと言ってある。であるが故に、この部分について嘉兵衛への返答は簡単であった。即ち『良きに計らえ』である。
俺がどう動くべきか、については一旦長島に戻るか、或いは現在俺たちがいる現場にて動くか、どちらにする存念かを訊かれた。それについては、俺はこの場に残って現場の差配を取ると返した。というのも、嘉兵衛はこの報せを届けた船にもそうだがそれ以降に関東に送る船についても多く銭や物を載せていたのだ。初めて所領を得た頃から密造していた永楽通宝に、日用品から贅沢品まで作り倒した焼き物。既に誰も覚えてはいないだろうがかつて作っていた茶道具や大日向小日向といった大小の刀。或いは西から仕入れた織物などについても、収支が利にも損にもならない程度の値で売り捌く予定である。欲しているところに欲しているものを格安で売るのであるから、当然売れるだろう。だが、値を付けて実際に売るということは長島に出入りする収支を、大袈裟に言えば今後の原田家の力を操作するということでもあるので、それこそ嘉兵衛か俺か、或いは母でなければなかなか思い切ったことは出来ない。
『良きに計らえ』と『こちらのことは任せろ』。この2点に加えて一つだけ嘉兵衛に指示を出したのは、母の処置である。先の乱痴気騒ぎの責任をとって、母は今も腹心の二人と共に書写に従事していることであろう。この文の到着をもってそれらを終わらせ、書き写した書を各寺に持ってゆかせるべし。その際、諸宗派が今どのように動いているのかをそれとなく探らせ、出来そうならその足を引っ張る。何をどうすれば足を引っ張れるのかは分からないが、母の地頭は俺など及びもつかぬ程度には良い。気がつけば全身に回っている遅効性の猛毒が如き動きを期待したい。
「彦八、彦九」
俺が声をかけると九戸兄弟が揃って返事をし、近づいてきた。同時に四郎に目配せをすれば、すぐに四郎が紙と筆を持ってきてくれる。俺はそこにサラサラと手早く書きつけ、そうして出来上がった文を兄の彦八に手渡した。
「二人のことは既に伝えてある、手の者と共に、以後松下嘉兵衛という男の差配に従って動くべし。四郎は取り急ぎ、小太郎殿に協力を仰いでもらいたい。表向きあくまで四郎や狐尾の帯刀として話をせよ」
「畏まりました。滝川様に御目通りはなさいますか?」
九戸兄の方が恭しく文を受け取り、四郎に問われた。そうか、俺はあくまで裏から動こうと考えていたが、既に九尾は原田直子の、即ち今後織田家一門衆として復活する原田家の手の者となっている。挨拶はした方が良いかもしれない。
「だが……いや、今回はいい。俺の存在について薄々分かっている者は多くいるだろうが、あくまで裏方で動ければ良い。関東は彦右衛門殿、甲信は権六殿、東海は、徳川殿がおられるのだ。あの方々も手は打つであろうし、その後押しが出来ればそれで十分。もし我らの動きが謀反や一揆と勘違いされるような事があればその時は俺が直接話をしに行こう」
そのように述べると、俺の指示に従い人が散っていった。港に残り、今後打てる手が何かあるのかを考える俺は、改めて嘉兵衛からの手紙を読む。楽市楽座は織田家の基本方針であるが、元より商売を得意とする織田弾正忠家が、商いにおいて二番手以下に甘んじることは断じて許し難し。天下統一の戦に協力せず、時に邪魔だてしたような者どもが今更になって利を得ようとは恥を知らぬ行いなり。などと書かれている部分を見て俺は笑った。確かに俺もそう思うが、嘉兵衛がそのような熱い事を文に書きつけるということが少し面白かった。
「嘉兵衛に見つかってしまったのが、連中の運の尽きだな」
そんな事を呟きつつ、俺はこれまでよりは幾分か気楽な心持ちで伸びをした。商人・公家・寺社。確かに先ほど四郎に伝えた言葉は本当であるが、これより先は武で制するのではなく土地を耕し山河を切り拓き、そして国内のみならず海の外に商いを行う世が来る。ならばどのみち商人に銭を借りる者は出てくるであろう。同じように、今後中央の公家と地方の武家が知遇を得る機会は必ず増え、これを全て織田家の思うままにすることなど出来はしない。寺社勢力にしても、基本的に上に立つ者たちは屈服しているのだ。遊び銭が欲しい連中がそれなりに儲ける程度ならばそうそう問題にはなるまい。その上で、今更出しゃばるなと憤る嘉兵衛が動くのだ、多分勝てるだろうし、仮にそこそこ負けたとしても直接の戦と違い、それですぐさま天下がひっくり返るようなことはない。
「とはいえ、織田家1000年の太平を目指す者として、もうしばらく面倒が続くのは我慢しなければな」
楽観と、今後への決意。その両方の気持ちを固めた俺はこの後関東に居座り嘉兵衛の思う通りに動いた。とはいえこの日は皆の動きを待ちつつ、この時は後回しにした家族への文などを書きつけ、物売り、銭貸しなどを行ったのは翌日以降である。出した文は市姉さん宛てや犬姉さん宛てもあり、市姉さんや犬姉さんも夫の家に文を出してくれたことを後から知った。もっとも、浅井家などは北近江に長らく領地を持っていた家なだけあり、京都も安土も近いことから既に事情はわかっていたようであるし、徳川殿も必要ならば理由は問わず利子もつけず銭を貸すという豪胆な手を打っておられた。やがて三介たち上洛軍が関東へなだれ込むと、商いはいよいよ激しさを増し、その頃になると織田家からはあの懐かしきひょうけもの、古田左介や長益叔父上が寄越され、東海や甲信を動き回っていた。俺は多くの報せを中継しながら小太郎殿と風魔衆、即ち『鳥の尾』に協力してもらい当地において宮中作法などを広められるだけ広めた。
諸侯が関東を通過するにあたり、東海道の西の果てともいうべき長島を本拠とする俺たちは、この頃になると甲信越から安土を目指す諸侯までは網羅できないと見切りをつけ、船で情報や物を手早く動かせる東海筋を通る諸侯に狙いをつけた。因みに、西については初めから何も分かってはいない。要衝播磨と摂津には斉天大聖がおり、大将は三七郎であるのだから何とかしてくれたと信ずる他ない。俺はそこそこに目端は利く男と自負しているが万能には程遠いのだ。
船を使わせてもらえたとはいえ、東海・関東・東北の辺りを行ったり来たりしながら、まるで土竜の穴を潰すように足りぬ物を売り買いする。そんな日々が終わり、永遠のように続いた大名行列を見なくなった時は既に7月も終わりのこと。関東東海から最後には三河尾張の対岸、伊勢志摩に入った。鳥羽から伊勢、伊勢から松坂、松坂から津と、ここまで来ると近江は目前、この辺りで長島に入ってしまっても良かったのかもしれないが、俺の場合は変に顔見知りと会ってしまうことの方が問題かと思ったので、養い子たちも含めた子らを送っていた古渡へと向かった。
父が従一位太政大臣に、勘九郎が平氏長者正二位右大臣に叙任されたのは、織田家の人間がどいつもこいつも忙しなく動き回った7月が明けて、8月1日のことであったそうだ。この日に遅参した大小名らはほぼ例外なくのちに改易処分の憂き目を受け、それらによって浮いた土地についてさらに転、減封を行った結果、蒲生家の領地が92万石になるなど、小さくない動きが起こるがそれはまたのちの話である。蠢動した者共がどうなったのかと聞かれると、嘉兵衛率いる原田家の狙い通りとなったかは分からない。戦と違って勝ち負けが分かりやすく出るものでもないからだ。一応、東海道筋まで確認した時に、此度の上洛で大儲けした商人の話は見つからなかったので、それが戦果と言えよう。いつの日か蝦夷地で仕入れ担当をしてくれればと考えている九戸兄弟にも商売というものを見せることができたので、それも成果といえば成果である。
そしてそれから更に半月後。
「タテ様。そんなにずっと顔を見ていて飽きませんか?」
「飽きない。ずっと見ているとずっと可愛い。見れば見るほど新しい発見がある」
俺は生まれたばかりの我が子を、産んだばかりの母親であるハルと共に抱きしめ、顔を覗き込んでいた。
「この子と私ばかり可愛がっていては珠姫様が寂しがりますよ」
「心配はいらない。父上のように5人も10人も愛妾を囲っている訳ではないのだ。ちゃんと2人とも大切にする。今はハルとの時間だ。それにお珠はまだ背も伸びるであろう。身体が出来上がりきっていない間はまだまだ大人ではない。お珠と子を成すつもりはしばらくないと伝えてある」
「12や13で子を成した女はいくらもおりますよ」
「それは、月のものがあれば孕むことは出来よう。それで産んでも平気な娘もいるであろう。だが、そうではない娘もいる。お珠がどちらかは分からぬ。ならば今は急いで子を成す必要は全くない。俺は幾久しく、家族で暮らしたいのだ」
言って、胸元に頭を預けると、ハルは呆れたようにため息を吐いてから、それでも頭を撫でてくれた。
「それにしても可愛いな。勝若丸も亀千代も、可愛がってくれているようではないか」
「そうですね、ふたりとも、タテ様に似て優しく育っていると思います。タテ様に似ず、助平に育たなければ良いのですけれど」
「それは似るか似ないかの話ではない。男は皆助平だ」
言って更に胸元へ顔を押し付けると、ペシンと頭を叩かれた。
「どなたか来られましたよ。四郎さんでは?」
「あいたた……四郎か、昨日は姿が見えなかったが、そうだな。茶でも淹れるか」
「もう入っていますので、湯呑みはそちらに」
「はいはい」
言って、淹れて暫く経ち温くなった茶を湯呑みに注いだ。ハルに視線を向けると、自分はいらないと首を横に振られたので、俺の分と合わせて2つ用意する。
「家族団欒のところ済まない兄弟子」
「いやいや、四郎が急いで来たんだ。何かあったんだろう?」
「うむ。長島のことだ」
そう言って四郎が懐から取り出したのは、原田家筆頭家老として此度八面六臂の大活躍を見せた松下嘉兵衛からの文と、母からの文であった。俺は諸侯揃って帰宅した後、ゆるりと長島に戻ろうと考えているため、大名行列が収まったら呼んでくれと言っていたのだが。因みにだが、俺が『狐尾の帯刀』としている間は四郎も五右衛門ではなく四郎として振る舞う事がこの程決まった。『四郎さんの方が呼びやすいですわね』『そうですね。四郎さんは五右衛門顔よりは四郎顔をしていますし』と言ったハルとお珠のせいである。
「まずどちらから?」
「松下様から」
言われて文を開く。最初に目に入ってきた文字を読む。『天下諸侯悉く名代、或いは当主自らが長島へ参陣しつつあり。嘉兵衛如きでは収拾付け難し。以て取り急ぎ、九尾筆頭狐尾の帯刀様の御来着あるべし』文を閉じた。
「四郎……お主は今長島がどうなっているのか詳しいのか?」
「今朝方直接文を頂戴し、駆け抜けて参った」
とりあえず文は置き、俺は四郎の話を直接聞くこととした。




