仕合わせお家計画
「京都では、全ての一揆の鎮圧の後、天正偃武を宣言し、その後大殿の太政大臣職就任が認められると公に知らしめられました」
「ああうん、重畳至極」
5月も半ばを過ぎ、伊達家最上家の諍いも解決し、伊達家の予定も全て終えた上で、更に北に所用が出来てしまった俺たちは夜叉九郎の実家戸沢家の居城、角館城を拠点とすべく進み、天童を過ぎたあたりで追ってきた30騎ほどの兵に捕まり、そのまま馬上で話を聞いていた。
「武家官位の創設により、公家と武家にて職が重複することについても、帝はお認めになられました。しかし太政大臣・左大臣・右大臣の三公及び内大臣については重複のなきように致すと。加えて藤氏長者による家職、五摂家持ち回りとなっている関白について。有事の際に織田家の当主、すなわち太政大臣職にある者が一条家を推薦することはあっても、基本はこれまでの慣習を重視し、介入は避ける方針」
「ああ、一条家は歴とした五摂家であるから、妥当ではあるのかな」
チラと、わからないように周囲を伺った、やってきた時の30からは数を減らしたが、それでもまだ残っている武者たちが、この男は何者だという顔で俺を見ているのが分かった。左の手首を曲げ伸ばししてみる。うん、今日も調子は良い。一人で馬の乗り降りが出来る程度には。
「北畠家は内大臣、一条家は准大臣。太政大臣職の本家織田家と併せ、この御三家の血統を承認されることでもって、偃武は成るとのことです」
「源氏長者と征夷大将軍職は?」
「時期を待つと仰せです。今は足利家に返すために返上しているという体を取る様子。足利一門については今後家臣家ではなく織田家の客将身分となされるおつもりです。関東公方家の生き残りも同様に」
「大体のところは京都所司代様がお考えになられたのであろうか?」
「御意」
村井の親父殿と言いそうになったがグッと堪えた。建前としては帝から大政を委任されているのが織田家である。同様に足利家から北畠家に対し源氏長者と征夷大将軍職を委任するという平和的な譲り渡しが成ってくれれば波風が立たなくて大変よろしい。
「所司代様も、働きを考えれば高位高官を得るべきであるのだがなあ」
「ご本人が辞しておられますので。因みにですが本来であればどれ程の職が妥当と思っておるのです」
「関白かな」
ほくそ笑みながら言うと、同じように笑いが返ってきた。無理なことはわかっているが大袈裟とは思っていない。漢の三傑で言えば名宰相蕭何と同じような働きだ。漢の高祖劉邦は字が名軍師の代名詞となった張良や国士無双韓信を差し置いて建国の功績第一としたほどなのだが、悲しいかな、内政手腕に優れた人物というのはどうしても地味になってしまう。
「既に織田家では大事を決める際、先に村井に関り白す。となっているではないか。どうにかあのお方を五摂家にねじ込めないものか」
「はっはっは、霍光が如きになってしまえば後に族滅もあり得ますのでな。やはり名宰相にして政治を壟断することなく太平を生き抜いた蕭何の如き立ち位置であるのが、村井様らしいのですよ。後世にもその優れたお力が分かる者はおりましょう」
その返答には大いに得心した。もう少し報われてほしいお人だが、本人はきっと満足なのだろう。俺は己の目が黒い間はその子孫に対し出来うる限りのことをしてやりたい。
「大体のところは分かった。忙しい身分の御身にご足労願い忝いのだが、忠三郎、お前はどこまでついてくるつもりか?」
いかに四郎であっても俺に張りつきながら京都の現状を具に伝えることは不可能であろうから、こうして馬を飛ばして追ってきてくれること自体はありがたいのだ。だが、そもそも俺は京都についてそこまで心配はしていないので、そこまで逐一報告してもらう必要もない。
「それは勿論、九尾衆第二位、鯰尾の忠三郎としては狐尾の帯刀殿の向かう先まで。此度は貴殿の力添えが不可欠にございますれば」
「いやいや、そんなはずはない」
そもそも村井の親父殿がいるのだ。俺が一年半寝ていても織田の天下は小揺らぎすらしていない。西国の仕置きについても見事であったし、東国であっても俺がいなかったら乱世がまだ数年続いたなどとは毛程も思っていない。ただ、俺が何もしなければ多少多くの血が流れたであろう。俺は今を生きる者たちのため、同時に100年先の世の人々のため、少しでも出来ることはないかと法度を集めたり、人を説得したりしてきたのだ。まあそれをやり過ぎたせいで今どうしようもない無茶振りをされているのだが。
「さん……ざんに歩いてきたものではあるが、そこもとは我らと違い軽々に出歩くことなど出来まいよ。北畠大納言様の先駆けとして3000の兵を率いて来られるのではなかったのか?」
三介と言いかけて改めた。村井の親父殿に尊称を付けることは何も差し障りないが三介に同じことをするのは随分と大きな違和感がある。一応、周囲には聞こえない声で話しているつもりではあるが。
「当家も随分と多くの加増を受け、有能の士を迎えましたれば、率いてくるだけならば可能な者は幾らでもおります。幸い主家を失って新しい働き口を求めている武士は多くおります。これからも増えましょう」
「ほう。そういえば蒲生家は今土佐に領地を得ていたな。統治の調子はいかがか」
「長宗我部家からの引き継ぎも上手く行き、悪くはございません。しかしまた国替えとなりましたので一からやり直しですな」
「ほうほう。何処へ」
「陸奥国は会津」
ほうほうほう。阿呆のように頷いた。陸奥国会津といえばしかし、先頃出立した伊達家のご次男小次郎殿が後継となる蘆名家の領地である。
「蘆名家は伊達の次男坊を入れる代わりに西国へと国替えになるようですな」
「交換か?」
「どうでしょうな。中納言様の一条家は元々土佐一条家でありますので。空いた土佐に中納言様が入られるのでは? さすれば四国は全て一条家になります。石高としても100万石といったところで家格にはふさわしいでしょう。禄で北畠を越えるのがまずいとなれば、残った一部に蘆名が入る、であるとか」
「石高か、そうだな。貴殿の石高は上がるのか?」
「検地が済んでおりませんのでなんとも申し上げられませぬが、減りはせず、倍ほどにはなると義父上が仰せでありました」
「それはめでたい」
父も、頼りになる準一門を東北に配しておきたかったのだろう。後の話にはなるが検地によって蒲生家の石高は42万石となり、後に改易や減転封を受けた他領を組み込む形で90万石を超す大領を得るに至る。にも関わらず、後の蒲生家は家臣連中に惜しみなく土地を与えてしまい、蔵入地が極めて少ない、尋常ならざる家となってしまう。そんな義弟に苦笑しながらああしろこうしろと指図するようになるのはもう少し先のことだ。
「津田家の復興も考えられているようですぞ」
「我が……津田家がどうしたと?」
これまであえて触れずにきた話を振られて、思わず我が家と言いそうになった。亡き妻恭、そして亡き信広伯父上を祖とし、名目上俺を二代目とする津田家。その名跡を継ぐとされているのは恭が産んでくれた唯一の子、勝若丸だ。天正2年、1月の9日生まれ。当年とって5歳。満4歳を超えて健康に育ってくれている。翌天正3年の4月にハルが産んでくれた亀千代は村井家を、そしてこの程父の子として産まれた子は原田家を継ぐこととなった。何も言っていないのに中々優遇されているではないか。
「勝若丸殿元服の後には、尾張か美濃辺りが与えられるのではと家中では噂されています」
「本当にそんなことになってしまったら俺は反対するがな」
吉報として話をしてくれた忠三郎に対し、俺は跳ね除けるようなことを言った。俺を喜ばせるためにわざわざ教えてくれたのだろう。その心には感謝するが長い目で見れば決して良いことではない。
「どうして反対するのか、という顔をしているので教えてしんぜよう。2代続けて当主の兄を戴いた家など、織田の世が続けば続くほど扱いに面倒なたんこぶになっていくからだ。足利家のように、いずれは力を持たぬ客将身分にでもすると言うのであれば文句はない。役割を与えるとするのなら、禄は3000石だが家格は100万石相当。極官は一条・北畠に次ぐ家柄で、御三家の後継が絶えた時にはこの家から迎える。これくらいであれば万が一の時の代替品として使い道もある」
スラスラと言葉が出てきた。たまにこういうことがある。今まで誰かと話してきたわけでもないことが、悩むことなく頭の中から滑り出てくる。こういう時、言葉にしてから気がつくものだ。ああ、俺はずっとこのことについて思い悩んできたのだなと。
「相変わらず欲がありませんな。弟君たちはともかくとして、某如きに知行で遅れをとって宜しいのですか?」
「委細構わぬ。貴様も可愛い義弟である。欲がない訳でもない。恭は亡くなる前、大領など得なくとも幸福な生涯を送らせて欲しいと言っていた。真田家から引き取った三姉弟、毛利家から迎えた藤四郎、高橋紹運殿の遺児彌七郎と千若丸。戸次道雪殿の遺児誾千代。皆俺の愛する養い子である。あの川中島を共に戦った者たちの中にも、長島にて母上の手伝いをしてくれているものが多くおる。信頼の置ける者たちと、時に机を並べ、時に轡を並べ、共に困難に立ち向かい、共に喜びを分かち合う。それが出来れば大領など得ずとも人は幸福に生きてゆける。それを誰よりも深く理解していた亡き妻の願いを、俺は生涯かけて叶えねばならぬ。故に鯰尾よ、もし勝若丸こそが織田家を継ぐに相応しいなどという妄言を吐いてみよ。この手でその首切り飛ばすぞ」
明確に殺気を込めて睨みつけると、忠三郎はそんな俺の殺気など意に介さぬというような、何とも言えない表情を見せた。何だ。睨みつけているのだから睨み返すくらいのことはしてみせたらどうだ。
「可愛い義弟などと言われたことの照れが勝って、首を斬り飛ばされても良いような気分になってしまいましたな」
そうして笑った忠三郎の言葉を受けて、俺は勢いで余計なことを言ってしまったと頭を掻いた。
「ま、お気持ちはよく分かりました。御三家の予備、という他の家では出来ぬ家柄にすることも、なるほど確かにらしいと思えます。それに、目の上の瘤というような言い方をよくなされますが、御三家より血筋が良く、もし当主が暗愚であればいつでも交換できるような家があれば、子孫やその先の代の者どもも背筋を正しましょう」
「口煩い嫌われ役の家であるな」
「そうとも言えますな」
二人で苦笑した。派手や贅沢を好む我が織田家に、目付け役の家が一つあるというのは役割としては面白い。
「家格は高く、しかし禄高は低く、面白いお考えです。それでも某は、津田家は家格に見合った禄高を得るべきと思いますし、美濃や尾張が良くないというのであれば、南北の抑えとして何処かの要地を守らせるべきと思いますが」
「北には貴様がおるではないか」
「まあとにかく、義父上にお会いしたらお伝えしておきましょう」
「そうか、それなら頼んだ」
「因みに伺いますが、勝若丸殿や亀千代殿には父親として接しているのですか?」
「ああ。ただ、俺が何者であるかは知らぬ。母はハルであることにしている。先ほど名前を挙げた子らと共に遊んだりもしているし、手習いも俺が自ら行っている。母も、孫の手習いの時は真面目であるし子供でも楽しめるような工夫をするのだ。俺の後学にもなる」
「ふーむ……しかしそれで万が一、本当に仕方のない理由で御三家を継ぐとなった時、人の上に立つことが出来ますかな?」
「問題はない。漢に宣帝の例がある。巫蠱の獄により赤子の頃に牢に入れられ、庶民として育ったが、長じては先の霍氏を退けて親政し、前漢中興の祖と言われた名君である。教育はしっかりと受けていた様子であるから、正しい政や必要な教養というものを俺が教えてやれば良い。後は信頼できる友を得られれば、織田家に役立つ人材にはなる」
「素質はありそうですか?」
「親の欲目でなければ、かなり筋は良い方であるように見える。二人ともな。武芸についてはよく分からんが、まあこれからだ」
「可愛いのでしょうな」
「それについては親の欲目が入りすぎていることを承知しているので何とも言えぬ」
はっはっはと、忠三郎が景気よく笑った。
「前漢の人物の名が随分出てこられますな。調べましたか?」
「今申した人物は皆有名なので、調べるまでもなかったが、まあ、調べたな。だが、漢についてではない。中華の史書を片っ端から読み漁り今に学べるところがないか、子らに伝えられるところがないか考えた。今なら五胡十六国や五代十国の短期で滅んだ国についてでも、その国の人物についてでも語れるぞ。何か問いたいところはないか?」
「それはまた酒でも飲みながら伺うとして、学問の師がお二人というのは贅沢な話ですな」
「村井の親父殿が来てくれることもある。今長島には僧が米粒のように沢山いるので、招くこともあるぞ」
「ますます結構ですな」
機嫌良さげに、つるりと顎を撫でた忠三郎が俺を見た。
「津田家村井家原田家、今のところ3人のお子は皆継ぐべき家が決まっておるようで、先行き明るく大変結構。しかし先ほどの話から考えれば、御三家の代わりとなる子をもっと作らなければ。予定はないのですか?」
「ない……でもないな」
この旅で妻を一人増やしてしまったし、ハルもまだまだ老け込むような年ではない。
「もし今後子の数が増える時があったならば、一人二人当家に頂きたい」
「何を言っている。己がまず子を作れ」
「中々出来ませんでな」
「そんなことを言って、養子に差し出した数年後に男児が生まれたりするのだ。どこぞの南部家とやらがそれで今家中を割っておる」
「いやいや、すぐにとは申しませぬし、今後も子が出来ぬとは思っておりませぬ。当家寄り合い所帯ゆえ、信頼の置ける身内がもう少し欲しいと思っていた次第。子や孫に苦労をかけたくないのは誰もが同じ。大領を得ずとも幸多き生涯を、というのであれば、数千石数万石で文句はありますまい。先ほどの、口煩い嫌われ役を当家にも欲しいのです。我が妻は可愛がりますぞ、何しろ大好きな兄上の子ですからな。某より先に関り白すようになるかもしれませんな」
「ふむ……」
そう言われると悪くはない気がしてきた。織田の柱石たる蒲生家。その蒲生の家臣として陸奥の要として働く。それに見合うだけの能があるのであれば、やりがいもあり生涯をかけるに不足ないであろう。
「考えておく。場合によってはこちらから頼むことも有り得よう。お互い胸に秘めておこうではないか」
「妻には伝えても?」
「良い」
「重畳。こちらとしても場合によっては本当に養子ということも有り得ますからな」
「そうはならぬことを期待している」
よしと満足した忠三郎が頷き、それから突然、忘れるところであったと懐から文を取り出した。
「妻で思い出しました。兄上にと」
「なぜそれを先に言わんのだ」
お前などとの話より100倍大切であろうがと思い、文をふんだくったが、義弟の100倍可愛い実妹の文を、落ち着かぬ馬上にて読むのも都合が良くない。仕方がないので後で読むこととして大切にしまった。
「何か言うておらんかったか? というか、会えたのか?」
「今安土におりますので、取り急ぎ会って参りました。言うていた言葉は多すぎて何が何やらですが、九尾については笑っていましたな。自分も狐尾に入りたいそうですが、今後蒲生家当主は鯰尾の官を頂けたと伝えたらでかしたと言われました」
「そんなふうにしたつもりはないし、貴様はまだ当主ではない」
「それと聞きましたが、随分と尾が増えましたな。末尾に入るあの方はらしいですが、鳥の尾は、九尾がよりらしくなってしまわれた。それに伊達家の小僧も竜の尾などと言い出したそうではないですか」
「断れなかったのだ」
伊達家の御曹子にお願い致しますと言われては断れない。蒲生家を差し置くことは出来ないと思い、一応3尾ということにした。勝手に降格させられた小太郎殿には申し訳ない。
「あの小僧とは少し話をしましたが、よくありませんぞ。あれは伊達の血も最上の血も濃い。隙あらば織田の天下をひっくり返そうとしてきます」
「そこまでは思わなかったが、まあ、大物になりそうではあったな」
「であるので、『未だ初陣をあげざる者が誉ある九尾の第三位を名乗るは烏滸がましい。まずは末席に座り、今後武功と伊達家の威勢をもって順位を上げるべし』と伝えておきました」
「なんだそれは」
九尾などという謎の集団のどこに誉があったのだ。
「それと、先ほど話をした戸沢家の小僧は中々見込みがありましたので同じことを言って加えておきましたぞ。夜叉は天竺において伝わるところ、北方を守る鬼とのことでしたので、鬼の尾の夜叉九郎にござる。これで関東東北は制覇。伊賀忍を主軸とした狐尾、そして直子様が指揮する長島勢の本体を加えて、日ノ本の東半分は九尾の掌となりましたな」
「止めろ、勝手に増やすんじゃない」
このままいくと9どころではなく際限なく増えていく気がしてならない。そんな苦情を忠三郎に申し立てつつ、予想通り際限なく増えてゆく尾っぽを、俺は必ず全て母に押し付ける決意を固めた。
御三家=尾張家・紀伊家・水戸家 というのが我々が習った歴史と思いますが、当時は
御三家=本家・尾張家・紀伊家 だったという話を少し前に知りました。
とりあえず後者のシステムで書いていきますのでご了承ください。




