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信長の庶子  作者: 壬生一郎
九尾編
167/190

九尾裁き

混乱の最中にある静寂。そう表現するのが正しいと思える空間であり時間であった。俺たちが両軍の間に出てよりすぐ、伊達兵の一軍、300程が軍の前に出、俺たちを連れ戻そうとした。しかしそれと同時に最上軍から鉄砲部隊が前進し、俺たちを射程距離に入れた。30名にも満たぬ兵数であり、輿が3つもある一団を撃ち殺そうとした訳では無いだろう。両軍の中央に出てこられ、そのまま前進してこられれば機先を制されることとなる。それを阻止するための鉄砲部隊。だが結局その措置は伊達の進行を阻みはしたが同時に伊達も鉄砲部隊を前に押し出すことで、両軍睨み合いがより硬く危うく膠着(こうちゃく)する結果となった。


「……来たぞ」

どちらかの兵の中に粗忽者が一人でもいれば、誤って鉄砲が発射され、それに引きずられる形で全面衝突。そうなれば当然俺たちは誰一人生きては逃げられないだろう。そのような状態になってなお、いや、なったからこそその中央にて、織田木瓜の旗を掲げて馬上にある雲八爺さんは衆目の的となっていた。己は織田の使いであると主張しながらゆっくりと3つの輿の周りを歩いていた。


「どちらからです?」

「最上。一騎と馬の口取りが一人。馬上の男は先ほど見た最上の大将ではないな」


問うた俺に、馬上のまま雲八爺さんが答えた。隣の輿にいる義姫様にも聞こえただろう。僅かに2名ということで伊達家からも動きはない。もとより輝宗公は義姫様が何のためにここにいるのかを知っているのだ、これで話がまとまり最上が引けば、恐らく伊達も引く。というより、義姫様は夫が兵を完全に引き上げるまでここから動かぬであろうし、米沢城に戻るまで殿(しんがり)をつとめるであろう。


「兜と頬当てで顔までは分からぬが、どう来たものかのう」

不敵な笑みを浮かべつつ顎髭を撫でた雲八爺さんは、さっと馬首を返しやってくる者どもを迎えるべく向き直った。これより先のやり取りについては俺がいちいち指図することも出来ないので任せている。良きに計らえ。である。織田家100年の治世に対し、最も良き結果となるように計らえ。であるので中々の重荷であるが、さてどうなるか。


「馬上のお方にお伺い致す! (それがし)氏家尾張守守棟(もりむね)と申す者! そちらの輿に(おわ)すは義姫様にて相違なきや!? もし義姫様に候えば、如何なる所以にてこの場に参られたかお教え願いたし!」

最上家の家臣について詳しく知るはずもないので、氏家殿とやらがどれほどの人物であるのかについてはもちろん分からなかったが、しかし身なりといい立ち居振る舞いといい、明らかに一廉(ひとかど)の人物なのであろう。


「頭が高いぞ守棟!」

しかし、その一廉の人物に対し、雲八爺さんは一言目に(いみな)を叫んで一喝するという暴挙によって返した。


「この旗が如何なる家の旗と知らぬとは言わせぬ! 我は今上様の名代としてこの場におるものなるぞ! 貴様ごとき下郎が馬上にて誰何(すいか)するなど無礼千万! 直ちに下馬平伏せよ!」


先ほどの氏家殿の声が戦場にいて耳をすませば聞こえる程度の声であったのに対し、返した雲八爺さんの声は耳を塞いでも聞こえてきそうな大音声であった。流石の大喝であるし、流石のはったりであるし、流石の雲八爺さんである。


「既に天下の(まつりごと)は帝の意を賜った織田家によって取り仕切られることが決まっておる! 平大相国家による治世の始まりたる本年において、奥羽二州の(かなめ)たる両家が戦に及ばんとしておること、上様、御先代様共に心を痛め、そして大いにお怒りである! 幸にして両家とも織田への釈明をすませておるゆえ、謀反とはお思いではないが、ここで兵を引かねばその裁定も覆ろうぞ! 両家直ちに兵を引き上げ、当主自ら上様に拝謁し上意を賜るが良い! 出来ぬとあればこの老骨を先陣に、織田家百万の兵をもって奥羽二州を平定せん!」


馬上にあった氏家殿は、雲八爺さんの演説が始まって早々に、転がるように馬から降り平伏した。そして雲八爺さんが言い終わるやいなや、話を聞いていた両軍将兵尽くがその場に座り、首を垂れた。何なら俺も頭を下げた、誰も見てないのに。


「近う」

一同平伏したことを見て、雲八爺さんが氏家殿を輿の近くへと招いた。3つの輿は近寄ってきた氏家殿を半円に囲むように並べられ、話をしても遠目にはどの輿と話をしているのかは分からないだろう。


「済まぬな氏家殿。詫びはいずれ」

そうポツリと言い置いて、雲八爺さんは俺たちから少し離れ、再び輿の周りを守るようにゆっくりと馬で歩き始めた。この僅かな言葉で、いや僅かな言葉であるからこそ、様々な理由があり此度は仕方なくこのような無礼に及んだのだということを想像させるような様子であった。


(おもて)を上げよ!」

そうしてもう一度、戦場に響き渡る大音声を発し、氏家殿を含む一同が顔を上げた。しかしながら先ほどと違い将兵が座ったままで、構えた銃も降ろしてある、多少は安全になったものと考えて良いだろう。


「お久しゅうございます、兄上」

「……兄上?」


そうして場が整ったのち、義姫様が切り出した一言を聞いて、俺は籠の中でひとり小首を傾げた。籠の隙間から密かに外を覗き見てはいるが、最上陣からこの場にやってきたのは二人しかいない。まさか替え玉を用意したのか。とそう俺が思った時、先ほどから馬の口取りをしていた雑兵が口を開いた。


「まさかこのような場所で会うとは、仰天したぞ」

(わらわ)も、まさか兄上が馬の口取りをしている様子を見られるとは思いもしませんでした」

そういってくつくつと笑う義姫様を見ながら、口取りをしていた男が呆れたように苦笑した。その表情からは確かに親類の情というか、慣れ親しんだものに対しての気安さがあった。


「兵をお引きくださいませ兄上。先ほど大島様が仰ったように、これ以上は御公儀への謀反と取られかねませんわ」

「否やはない。だが此度の戦、先に仕掛けてきたのは伊達である。なればこそ先に伊達が引かぬのであれば我らも引けぬ。後ろから槍を突かれ、討ち取られた後で最上こそ謀反人であると言われてはたまらぬ」

「ご心配には及びませぬ。既に夫は説得いたしました。妾は兄上と最上兵が引き上げるを見届け、その後伊達の兵が引き上げ米沢の城まで戻るまで目を離しませぬ」


義姫様の言葉に、兄義光公がふむと考えるそぶりを見せた。妹がやるといえばやる人物であることをよくわかっているのであろう。同時に、伊達家の歴代当主がどれほど抜け目なく戦国の世を生き抜いてきたのかを知っているはずでもある。故に判断には困るだろう。どちらが先でも良いので早く兵を引いてほしいと思っている我々からすれば、決断を願いたいところである。


「妾の子がもうじき伊達家を継ぎます。蘆名家への養子も決まりました。兄上は最上を伊達に劣らぬ名家に押し上げました。最上の血は奥羽二州にあまねく広がるのです。これよりは最上も伊達も蘆名も皆織田の家臣。それでよろしいではありませんか」


家名と血脈。個人より家が大事とされるこの国において、最も大切なものをこの兄妹は残し、乱世を生き抜いた。将軍家をはじめとした足利の名家が多く没落し、公家にすら家を絶やすようなものらが現れたことを思えばこれはもう大勝利と言って良いだろう。しかし誰もが喜ぶような現状を前に、兄である最上義光公はつまらなそうに一つ、フンと鼻を鳴らした。


「所詮我も婚姻にて家を残す詰まらぬ男か。伊達が起こした愚にもつかぬ大乱とそう変わらぬな」

「そのようなことを仰らないでくださいまし。妾は既に伊達の家の者。夫は妾に良くして下さいます」

「それには感謝せぬでもないが。武ではなく搦手で勝敗を決することの小賢しさよ。それに比べて見よ。あの織田家の老将の威風見事なこと。大島殿と言ったか?」

「大島光義様。白雲を穿(うが)つような働きと織田の大殿様から称賛され、雲八と通称を改めたと聞きましたわ」

「何とも素晴らしきことではないか。あの御年にあっておいぼれた様子もまるでなく背筋も伸びておられる。戦国の世において男に生まれたからにはそうありたいものである。あれ程の武者がひしめきあう程の家であるのなら、織田に降りその走狗となるは何ら屈辱ではない」


そう言いながら、義光公は眩しいものを見るかのように目を細め、雲八爺さんの後ろ姿を追った。


「先に兵を引き上げる我らの後ろより槍が伸びてこぬことは、大島殿が承知しておるのだな?」

「もちろんでございます。大島様は妾が輿にてこの場まで来ようとした折、真っ先に合力すると申し出て下さいましたわ」

「成る程。最上のじゃじゃ馬を上手く扱ってくれたのだな。それについても後に礼を言わねばなるまい」

そう言って、義光公と氏家殿が戦国武将らしい低く豪快な笑い声をあげた。


「大島様は先ほど(それがし)に詫びをと仰せでしたのでな。何処かで一献交える機会も得られるかと」

「おおそうであったな。尾張守には恥をかかせてしもうた。我からも詫びておこう」

「滅相もございませぬ。西国の良き武士を近場にて見させて頂きました」


雲八爺さんがあっという間に名を上げてしまった。先ほどの一喝の際にはヒヤヒヤしたが、こうして上手い具合にまとまるのであるから雲八爺さんはやはりすごい。俺にはないもので、ちょっと羨ましい。


「大島様」

最上が兵を引く。その確約が取れたところで、義姫様が雲八爺さんに声をかけた。雲八爺さんは颯爽と輿の前まで戻り、そうして初めて馬から降りた。


「こちら、我が兄最上源五郎義光にございます」

「お初にお目にかかる大島殿」

「出羽守様にございますな。(それがし)大島光義と申す木端武者にて、雲八を名乗っており申すので、どうぞ雲八とお呼びくだされ。先ほど申し上げました通り、織田の旗を背負っております故頭を低くすることが出来ませぬ。氏家殿共々、御無礼の詫びはいずれ。ことが終いとなればこの皺首(しわくび)、いつでも差し出します故」


遠目からは大威張りしているように見えるであろう立ち居振る舞いの中でそのように言い切る雲八爺さん。最上家主従はその様子を見て感心したように目を見合わせて笑っていた。この人たち、さては豪傑好きだな。俺も好きだけれど。外に出て少し話がしたい。何とかならないものだろうか。


「織田の命に従い我らはこれより兵を引き上げまする。我が懸念するはその後ろより伊達が追撃をかけぬかどうか。そうならぬよう雲八殿が目付けをして下さるのか?」

「無論にござる。万一伊達が追撃をかけるようなことがあらば、この雲八攻め寄せる伊達と戦い切り死に致しましょうぞ。また、我が手の者も陣中に潜ませておりますれば、最上が兵を引き、約を違えて追い討ちをかけた伊達の様子も必ずや上様にお伝え致す」

「なれば我ら安心して兵を引くことが出来申す。雲八殿、御礼仕る。我ら貴殿に隔意はあり申さず、ただ勇者と知遇を得ることが叶ったことを喜んでおる故、いずれ酒宴にでも招きたく」

(かたじけの)う存ずる。先に兵を引いたは最上、それに追従したが伊達。このことについても必ずやお伝えいたしましょうぞ」


そうして話がまとまった時、不意に雲八爺さんが俺のいる輿の前に立った。


「政所様、これにて宜しゅうございますか?」

何を言われているのか、よく分からず首を傾げた。政所様? 母上のことか? 確かに俺はこの道中の黒幕が母であるというていでここまでやってきたが、言ってみればそういうお遊びなのであってあの出不精な母は陸奥はおろか美濃や近江にすら中々出てこないのだ。


「良い。雲八、大儀であった」

どういうことであるのかと黙っていると、女の声がした。俺は当然何も話していない。しかし声は俺の直近から聞こえた。俺以外のものからすれば輿の中から、つまり輿の中の人物から発せられたと思ったはずである。


「な、直子様?」

「まさか……」

氏家殿が狼狽(うろた)え、義光公が義姫様を見た。義姫様もまた、自分は何も知らないとばかりに首を横に振っている。そして俺は輿の脇に控えていた四郎を見た。この男ならそういうことも出来るだろう。


「義光、これより先御公儀への忠勤、期待しておる。義姫。輝宗に同様のことを伝えよ。雲八、妾はもう帰るぞ」

「畏まり申した」


その、短い会話ののち、雲八爺さんは輿から離れ、己が乗っていた馬に近づいた。

「雲八殿、今のは」

「出羽守様、ご他言は無用にござる。我らは所詮、政所様のご意向によってここまで参っただけのこと」

「しかし、直子様……政所様は長島に座すと」

「伊賀忍、甲賀忍、武田忍び、更には西国、そして此度風魔衆、尽く政所様の差配する九尾に組み込まれるか敗北し申した。その目は百里四方を見通しその耳は千里の彼方の言葉を聞く。ほんのひととき、この場に参られることなど、あのお方には雑作もなきこと」


そんなわけがあるかい。と思ったが、これまでのはったりのお陰もあってかその場の3人、そして輿を負ってきた者たちが皆一様に(おのの)いている様子が、輿の中にあっても良くわかった。


「今、政所様は?」

「既におり申さぬ」

言ってから雲八爺さんが俺が乗る籠の戸を開けた。当然その中にいるのは小袖を羽織った男である俺だ。一応名を名乗り、声も男であることを分からせると、一同はっきりと顔色を青ざめさせている様子が見えた。


「……我らは、美濃尾張より遠き地にあって幸いであったのだと思うべきであるな」

そう一つ言い置いて、義光公は再び馬の口取りとして最上陣へと引き上げていった。それより半刻も経たずして、最上軍に動きがあり、言葉通り、整然と最上兵は引き上げていった。それを見た伊達がどう動くかが最後の懸念であったが、やがて伊達の旗も次々と戦場から離脱してゆき、最後に残った輝宗公とその供回りたちが義姫様、そして俺たちを回収した辺りで日が沈み、結局翌日の昼前に、俺たちは1日ぶりの米沢城へと帰還し、伊達最上という奥羽の二大巨頭が相対するという変事は、未然に防ぐことが出来た。




「四郎らしくもなく、随分と芝居がかったことをしたじゃないか」

帰城したのち、俺は四郎に問うた。別に怒っていたわけではない。言葉通り四郎らしくないことをしたと思ったのだ。大芝居を打っている雲八爺さんはらしいと思うが。


「また何か余計なことをしそうな気配がしたので、あらかじめ師匠に話をしておいたのだ。兄弟子は気がついていないかもしれないが兄弟子が我らの大将であると気がつきかねぬ者もこれまでにいた。あえて直子様を出しておいた方が、所詮我らの中での大将が誰かなどということは瑣末(さまつ)と思ってもらえる」

成る程そういうことかと思いつつ、これでまた我が母によく分からない街談巷説の類が増えてしまったなと、多少なり申し訳ない気持ちになるのであった。

実際の義姫様は80日ほど軍の中央にいたそうで、

食事、排泄、睡眠等どうしていたのか非常に気になります。

『わたしも輿に乗って戦場の真ん中で80日過ごしたことありまぁす!』

って人がいたらどうだったか教えてください。

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― 新着の感想 ―
[一言] これで、直子さんの名前は忍者というか漫画的なNINJAの元締めとしても後世に伝わりそうですね。親子揃って逸話の多い人生ですなあ
[一言] これは初期忍術技術レベル⭐︎(レベル5)ですね、俺は詳しいんだ。
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