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信長の庶子  作者: 壬生一郎
九尾編
166/190

戦場の輿

久しぶりの強行軍であった。俺たちが出立した米沢から、目的地たる上山城まで、歩けばおよそ4刻程であるらしい。俺たちは代わる代わる籠を背負い、その道のりを2刻半で駆け抜けた。集まってくれた兵はほぼ100名ほど。しかしその少ない兵数としてみれば極めて多い事に、馬を10頭用意することが出来た。ひとえに義姫様の力によるものである。更に万が一義姫様の身に何かがあった時のため、輿は3つも用意された。100名の兵に10頭の馬、3つの輿と極めて異色の軍はしかし、士気高く弱音を吐かず、2刻半の道のりを走り切った。平地でなかったらこうは行かなかったであろうし義姫様とそれについてきた女中たちが道をよく知っていたことも行軍がうまく行った所以であろう。ちなみに義姫様やそれについてこようとする女中たちには、場合によっては既に戦場は乱戦になっており、仮にどちらかが敗走となっていた場合、潰走する兵たち、あるいは追撃する兵たちに巻き込まれ我々は飲み込まれかねない。そうなった場合、姫君たちの身の安全を保障することは全く出来ず、或いは命を失うよりも屈辱的な辱めをうけるやもしれない。という話はしっかりとしたのだが、義姫様以下女中たちも皆『そのようなことはわかっております』ととうに覚悟を決めている様子で懐に自決用の小刀を持っていた。やはり大将たる義姫様が女傑であると、その周りの女性たちもそうなっていくものなのであろうか。我が母とそれを取り巻くものたちを見ても、明らかに彼女たちは母の影響を色濃く受け、己の楽しみに対して忠実な生き方をしている。


「た、対陣は……終わっているようですね」

「うむ、そうであるな。ざっと見てきたが数に勝る伊達の連合軍が平地に布陣し、最上軍は山裾の高所を取った様子じゃ」

「恐らく伊達の兵が3000余り。木々に隠れて最上がどれほどいるかは分かりませんが、伊達よりは少ないと考えれば2000が精々かと」


地面にへたばっている俺を尻目に、雲八爺さんも四郎もさっさと周囲の様子を確認し、そして俺が立ち上がってヘロヘロと歩けるようになった頃には一仕事終えて戻ってきた。馬に乗ってきた雲八爺さんはともかくとして、俺と同じように走ってきた四郎が朝の散歩を終えたに過ぎない。といった感じにケロリとしているのは素直にすごいと思う。


「伊達や最上の底力を考えれば、全力を振り絞ったという感じではない。ですかね?」

「わからんのう。伊達はそうかもしれんが聞く限り最上は四方に敵を持つ。それらの群雄に睨みを効かせた上で兵を絞り出してきたのやもしれん」


なるほどそうかもしれない。しかし四方の敵、という考え方をしてしまえば伊達とて四方を見れば伊達から独立を果たしたいと思っている属国や、獅子身中の虫たちが多くいるはずだ。そうやって考えるとこの戦いも双方全力であるのかもしれない。いや、双方織田に己の正当を主張しての出兵であるのだから本当に戦うつもりはないのかもしれない。いやいや……


「駄目だ。疲れていて頭がうまく回らない」

奥州までよく歩いてこれたものだと思っていたが、これでは有事の際は役に立たない。もう少し体力をつけねばと決める俺であった。


「ともあれ今は待つしかあるまいよ。義姫様が輿に乗ったまま本陣に切り込んだからのう。女上杉謙信じゃの」

「でしたら夫君が武田信玄ですか? 切り込みに行ったわけでなく話をしに行ったのですよ」

「それでも早馬より早く輿に乗った妻が戦場に乗り込んできたのだ、仰天具合では変わらんではないか」


米沢城を出立する折、義姫様はその押しの強さでもってして良馬を10頭ほど強奪した。流石に米沢城の馬がそれで全てとは思わないが行軍を始めてから馬に追い越されることはなかったので、確かに輝宗公にとっては寝耳に水だろう。


「あの方も丈夫ですな」

四郎が言った。お前ほどではなかろうよ。と言い返したかったが言っている事には同意出来る。伊達陣中に着くやいなや、米沢からついてきたわずかな伊達兵と、女中たちのみ引き連れてさっさと本陣へと突っ込んでいった。お陰で陣中は今騒然としてる。


日の出と共に出立し、まだ日は中天には差し掛かっていない。もしかするとこのまま伊達家撤兵となり、戦はしまいかと思いかけた頃、近くにいた兵が左右に分かれた。奥から現れたのは輿。実に壮観な眺めであった。


「お戻りあそばされましたな。首尾は如何に?」

馬を降り平伏した雲八爺さんが女中に問うた。女中は輿の中の義姫様にそれを伝え、それから再び雲八爺さんへ。どうやら輝宗公は義姫様の嘆願を一旦受け入れ、撤兵すると決めたようだ。ただし、今も山裾に布陣している最上兵が引き上げるまではこちらも引き上げるわけにはいかぬとのこと。まあそれは確かにそうだろうと思うが、同じことを相手方でも言いそうなものではある。体良く撤兵を断られたのかもしれない。


「急ぎ文でもこしらえて持って行きますかな?」

雲八爺さんが、輿の中に届くか届かぬかという程度の声で呟いた。女中は輿の方に向かい、俺たちは四郎に目配せをした。四郎であれば、文を携えて密かに敵陣へ赴くということも出来よう。


「皆様、おそばへ」

義姫様と話をしていた女中が小さく手招きをし、俺たちを近づけた。雲八爺さんだけでなく、3人纏めて側により、その周囲を戸沢家の者たちが固めて様子を伺えないようにする。


「旗をお貸しいただきとうございます」

「旗、とな?」

「はい。これより(わらわ)は輿に乗って最上陣前まで向かいます。そこで織田様の旗、織田の大殿様が掲げた天下布武の旗、これらをお貸し頂き、掲げながら進みとう存じます」

「……両軍の中央を進むと仰せか?」

もとより義姫様は戦場の只中に輿を運び入れて欲しいと俺たちに頼んだ。しかしながら伊達家の撤兵は取り付けることが出来たのだ。


「伊達が引くというのであればあえて火中の栗を取りに行くような真似をせずとも良いのではござらぬか?」

俺と同じようなことを雲八爺さんも思ったらしく、解せぬとばかりに問うたがしかし、義姫様はそう考えてはいなかった。


「最上が兵を引けば伊達も兵を引く。話をしたのはそこまでにございます。兄上が引かねば、夫は決して兵を引き上げようとはしませぬ。なれば妾は是が非でも最上の兵を引かせましょう。兄は妾の話であれば聞いて下さるはずです。その為には妾が前に出ねばなりませぬ。出来うることであれば織田の御旗があれば」

「確かに、その方が双方を黙らせる力にはなりましょうが……むう」


さしもの雲八爺さんもこれには黙った。額を掻くようなそぶりで視線を隠し、そしてチラリと俺を見る。米沢城においては自分だけでも行くと勇ましいことを言い、実際この場で己が戦場の露と消えるかもしれないとしても、それを恐れ慄くような御仁ではない。しかし実際のところ、今雲八爺さんが守らなければならないものは己の命ではなく俺の命だ。


「あいわかった。しかし旗だけ勝手に使い織田の兵は後ろで震えておったとあっては末代までの恥にござる。万が一のことがあった時のため、弟子どもは本陣で控えさせ、もし(それがし)が討死となったならば直子様にことの次第を伝えさせ申す」

「畏まりました」

「又、このような戦場ではたとえ大将が戦いを避けようとしても、功に逸ったものどもが勝手に抜け駆けすることも十分に考えられ申す。そのようなことがあった場合、ご無礼ながらこの老骨、義姫様を直接背負ってでも伊達本陣へと帰陣する所存。その際の狼藉は平にご容赦」

「狼藉とはとんでもない事にございます。大島様のご温情に感謝いたします」

「されば、今この場におる者たちのなかでも、流石に両軍のど真ん中に向かうは恐ろしいと怖気付く者がおりましょう。勇士を募りますゆえしばしお待ちを。某の他に3名おれば良いですが」

自分が担ぐ事は既に決めている雲八爺さんの言葉で話はまとまり、輿の担ぎ手を探すべく話をさらに進めると、すぐさま戸沢家の者たちが我こそはと手を挙げた。


「話は聞いておったと思うが、何が起こるかはわからんぞ」

「なればこそ、この夜叉九郎めが武功を立てるべき時。織田家の助けとして死地に赴いたとあらば、上様の覚えもめでたくございます」

「死んでは家が絶えようぞ。(わし)のように既に倅に家を押し付けた老耄(おいぼれ)とは違う」

「体が弱いというだけで兄上もおります。伊達の藤次郎様が仰った通り、お家を盛えさせる好機は既に限られておりますれば、ましてや出羽の小領主に過ぎぬ我ら戸沢家、今を逃せば次はないやもしれませぬ」


瞳を輝かせながら言い切った夜叉九郎に、戸沢家の者たちもよくぞ言ったと囃し立てた。戸沢家の面々が皆加わるとなれば輿についてはこれで人手が足りる。あとは誰がどう持ち、どう運ぶかという話になるが。


「しかし夜叉九郎は剣の腕こそ確かであるがまだ上背がない。幸い輿は3つある。夜叉九郎はそのうちの一つに乗るがよかろう。髪を下ろしておき、空の輿に入れておいた小袖を一枚羽織っておけば外からは分かるまい。いざの際には輿より飛び出し、義姫様が避難する時を稼ぐべし」


そこで俺は一つ案を出した。兄がおり、今が好機と言ったところでやはり夜叉九郎に死なれては困るであろう戸沢家の者たちはなるほど妙案であるとそれに頷き、夜叉九郎も同意した。更に義姫様が連れてきた女中達や丁度戦場にいた彼女らの夫達が加わる事で、一つの輿につき持ち手が4人。加えて露払いとなる兵2人、女中2人、という9人一騎という形にまとまった。ただし雲八爺さんは騎馬のまま、織田木瓜の旗を背にして走る。


「28名。他に連れてきた者達にはとりあえず陣中で立っていてもらいましょう。走り出すまでの間に他の者達に気がつかれたくはない。あとは、ん?」

「兄弟子、ちょっと」

「どうした?」


良い具合に話を進めていると四郎が俺の袖を掴み、人垣から離れた場所へと連れていった。


「どうした四郎、今は一刻を争う時であるというのに」

「石川五右衛門として殿にお聞きしますが、もしや一行に加わろうとしておりませんか?」


舌打ちをしてしまいそうになり、なんとか堪えた。バレたか、勢いで行けると思っていたのに。雲八爺さんもチラとこちらを窺っている。やはり最終的には二人とも家臣なのだなあ。


「危険は承知である。しかし義を見てせざるは勇なきなりというではないか」

「織田の勇は我らが見せますので、どうぞお控え下さい」

「俺は股肱の臣たる五右衛門を信じておる。大丈夫だ」

「その五右衛門が、御身を守りきれぬと言っております」

「これは場合によっては織田家の行く末を左右しかねぬ大事なるぞ。その場におったこの織田信正が、大相国様の庶長子にして弾正尹、天下所司代の大役を務めたる我がつぶさに見聞せず如何する」

「そういう大袈裟なことをいう時の殿は大概誤魔化そうとする時です。本当はどう思っているのです?」

「こんな面白そうな場面見逃すのってなくない?」

なくなくない? 大体俺の表も裏も縦も横も知っている五右衛門を誤魔化し切ることが出来ず、うふふと笑って見せると、五右衛門は呆れて物も言えませぬ。みたいな表情を浮かべた。


「呆れて物も言えませぬ」

「本当に言うじゃん」

いつの間にか俺も相手の顔から気持ちを読むことが出来るようになったのかもしれない。頭を抱える五右衛門に、何とかなるだろうと声をかけると、目を細めて睨まれた。


「承知しました……わかった、兄弟子。しかし兄弟子も輿に乗れ。師匠と俺が運ぶ。兄弟子は容姿端麗で直子様にもよく似ている。夜叉九郎と同じように髪を下ろして小袖をかけておけば、遠目に中がチラリと見えたところで、多少は誤魔化すことが出来よう」

「ああ、それは疲れなくて良い」

輿で運ばれるというのは実のところ揺れが酷くて慣れるまでは辛いものがあるのだが、初めてのことではないし大した距離でもない。近くで見聞も出来るであろうし文句なしだ。


「それで行こう、四郎、苦労をかけるな」

「そう思うなら思い直して欲しいのだが」

「これからもたくさん苦労をかけるぞ」

「…………わかった」


よし、実に円満に話はまとまった。あとはいざ死地へと向かうばかり。俺は急ぎ皆の元に戻り、影武者ならぬ影姫として夜叉九郎と俺が輿に乗り込んだ。最も危険と思える一番前の輿には夜叉九郎が志願し、2番目に義姫様が、そして最後に俺が乗った輿が進み、一列となって伊達陣の前、最上が兵を敷く山裾の麓までを駆け抜ける。


「お東の方様が戦の見聞を致します。道をお開けなさい」

女中がそのように言い放って兵達を退かし、ほんの寸刻歩くとなるほど山裾に最上の家紋である丸に二つ引きが描かれた旗が見えた。まずはあれに近づいていく。なんの前触れもなく、先頭を進んでいた夜叉九郎の輿が走り出し、すぐにそれを先導するかのように雲八爺さんの騎馬が前に出た。続いて義姫様の輿も駆け出し、間をおかずして俺が乗る輿も激しく揺れた。余りに予想外であったせいか、後ろから追ってくるような様子はおろか、騒ぎすら起こらず、瞬く間に俺たちは伊達本陣から離れ、両軍の中央へと躍り出た。両軍、何が起こったのか分からず唖然としている様子であった。


「いやこれはもう、両軍が兵を進めたらひとたまりもない」

輿の隙間から目だけで周囲を見回し、前後をしっかりと挟まれているのを確認し、俺はやや興奮気味に呟いた。直後、四郎が何か呟いた気がしたが多分、わかってるなら来るんじゃない。とでも言ったのだろう。正直に言って、俺はワクワクしていた。


「四郎、旗を」

俺が言うのとほぼ同時に、輿3つと騎馬武者一騎、僅か28名が固まる一団が次々と旗を掲げた。俺が描いた織田家の旗だけでなく、伊達家最上家の家紋を大書した旗もあり、遠目から見るとさぞかし異様であっただろう。来し方、後方を眺めると大慌てで先陣にやってきたのであろう身なりの良い男性が愕然としていた。顔だけは見たことがある。伊達家の御当主輝宗公である。妻が戦場に現れただけでも頭が痛いであろうに、あろうことか先陣を超えて両軍の間に居座っている。恐らくであるが、義姫様の狙いはわかっているのではなかろうか。わかっているからこそ、余計に頭も痛そうだが。


一方で、前方の山裾からも騎馬の一団が降りてきて、その中で同様に身なりの良い男がこちらを窺っている。あれは恐らく最上家当主最上義光公であろう。伊達家に比して、明らかに国力の劣る最上家を盛り立て独立独歩を勝ち取った英傑だ。その英傑は今、遠眼鏡を使ってこちらの様子を、本当に妹がこの場にいるのかを確認し、そして三つの輿の前に立つ女中達を見て瞠目した。本人が目の前に現れなければ本当にそこに義姫様がいるのかは分からないはずだが、実兄たる義光公にはそれだけで十分であるのかもしれない。


ともあれ両軍の大将は共に、これで軽々には兵を動かせなくなった。義姫様は兵を引かせたい。その意向を輝宗公はご存じであるが義光公は知らない。となれば一度は誰か使者がやってくるであろう。その時に、織田家としての意向を使者に伝え、そして両者兵を引き上げ織田の沙汰に従うよう命ずる。ともあれ俺たちは、交渉の場、というものを用意することには成功した。

輿と言っても、飛脚が前後一人ずつで背負っているやつか、お祭りみたいに何十人で持ち上げるやつか、何が正しいのか分からなかったので、とりあえずベーシックな四人で持ち上げるやつという設定にしました。

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[良い点] あの母狐にしてこの子狐あり……!! [一言] 義姫様カッコいいですね。風評に騙されてごめんなさい、ってなりました。 この時代の輿って色々説があって難しいですよね。守護代以上、屋形号、昇…
[良い点] 史実よりかなり豪華な一行にw [気になる点] 信正くんって容姿端麗だけど、かなり大男じゃなかったっけ? 輿ならある程度隠れるのかな?
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