奥州筆頭
風雲急を告げるとは、正にこのことかと思わされる、それはあまりに突然の出兵であった。
「戦の発端は上山満兼なる地元領主であるとのこと。上山の要請を受ける形で伊達家は出兵。既に最上義光が惣無事令違反を犯したため、奥州探題職として織田家に代わり逆賊最上を討ち滅ぼすと内外に触れ回っております」
伊達最上の破綻と両家の出征。これらの話を聞き及んだ翌日の夜、俺たちは片倉家の一室にて、余人を省き3人にて話をしていた。
「倅の初陣にはせぬ様子であるな。米沢より北へ、わしもよく知らぬが天童なる土地の辺りで布陣する予定であるとのことじゃ。天童は、ほれ、四郎が調べておった天童なんとかという連中がおると言うていたではないか」
「天童八楯にございます」
久しぶりに、忍びらしい動きをして素早く経緯を調べ上げてきた四郎。その言葉を受け、俺は頷き、チラリと雲八爺さんを見た。
「わしが何かを知っていたのかと疑うかもしれぬが、誠に何一つ知ってはおらぬ。ただし、今になって思えば、輝宗殿にお会い出来たこと。そしてその話し振りが何となくきな臭かったようには思えるのう」
「きな臭いというのは?」
「話し振りについては戦人の勘という他はあるまい。言葉の端々から、何かを伺うておるように見え、伊達輝宗ほどの者が家臣に任せられず自ら伺うなにかというものが、わしには戦以外思いつかなんだ。そもそもが、今こそ万難を排して上様に御目見得せねばならぬ頃であろう」
確かにと、俺は頷いた。奥州探題職を得た経緯を鑑みても、伊達家は足利の権威を大いに利用してきた家である。そしてその足利を継いだ織田家に対しても同じかそれ以上の関係を築きたいはずである。まだ二代しか続いていない奥州探題職、これを御公儀に認めさせ、嫡男政宗に継がせるという仕事こそ、当代の伊達家当主輝宗公がなさるべき伊達百年の計であるはず。
「天童八楯は長らく最上義光と争っており、しかしながらその最上義光相手に敗北を重ね大いに追い詰められている。今や羽州において最上家と独力にて争える国衆はおらず、先の上山以外にも白鳥・寒河江・大宝寺といった勢力もまた、最上の圧力を受けている様子」
「洞の乱の影響が長引いておるのお」
「楽しそうに言わないでください」
確かに、洞の乱が起こる前の、最も勢いが盛んであった頃の伊達家であれば最上と天童八楯が争うなどということがそもそもなかった。奥州羽州、二州の探題職を取りまとめ、陸奥で並ぶもののない権勢を得ていたならば、最上家と天童八楯の争いが起こるより前に取りまとめていただろう。とはいえ、実際にそのように強大な伊達家が出来上がっていなかったことは織田家にとっては僥倖であった。奥州の南半分を制圧し、その力を持って北上して南部をはじめとした奥州北部、更に蝦夷地までもをまとめ上げ、後継問題に介入していた越後上杉家も膝下に組み込み、更に関東へ雪崩れ込んで……などということになれば、西国を一統した織田家と日ノ本を真っ二つに割った最後の決戦へ、となっていたかもしれない。体勢を立て直し奥州にて筆頭の地位を譲らなかったとはいえ、そのご意向には誰一人逆らうことは出来ぬ、というほどではない。それくらいの者たちが多く並び立っていてくれていた方が、その上に立とうとしている織田家にとっては都合が良い。
「しかし……自ら攻めたということではなく奥州探題として加勢に出たということであれば、これは最上義光の失策ということになりますかな」
織田に代わって逆賊を討伐する。そのような言い訳を予め用意している。雲八爺さんが言う通り当主自らが残っているわけであるから、輝宗公はこの状況を読み切っていたのであろう。どちらが勝ったとしても負けたとしても、最後には織田家という巨大な後ろ盾によって最上家は取り潰されることになる。
「阿呆」
しかしその俺の考えは、雲八爺さんの言葉によって即座に否定された。
「ことはそれほど単純ではない。伊達最上、今のところ双方互角と言って差し支えない」
「何故です? 伊達家は織田に服属し、当主自らが出陣して」
「最上家も当主義光が自ら出陣しておる」
その一言で俺は黙らされた。
「先年、最上優勢のうちに終わった天童八楯との戦いにおいて、講和の仲裁を行ったのは伊達家である。その時既に伊達輝宗は天下の趨勢は織田に傾き、そしてこの戦の火種は燻り続けていると考えていたのであろう。同時に、全く同じところまで読み切っていたのが最上義光である。故に、此度最上は羽州探題職として甲斐に名代を出し、織田に忠誠を誓っておる。最上義光が上様にどのような文を書き、使者に何を言わせたかは分からぬが、最上家からすれば先年の講和はあくまで己と天童八楯がした講和。これに従わずわざわざ首を突っ込んで兵を繰り出したる伊達家こそが逆賊であるという理屈を作っても間違いとは言えぬであろう」
なるほどと呟いた俺に、雲八爺さんは続けて厳しい言葉を投げかけた。
「この戦、正しく裁定することは極めて困難なるぞ。双方共に前もって根回しをし、双方共に織田に対し恭順の意思を示しておる。つまりどちらを滅ぼしたとて、織田家が己を頼りにした家を取り潰したという先例を作ることになりかねぬ。舵取りを間違えれば、織田家そのものが権威を落とすかもしれぬ。まして代替わりしたばかりの上様は戦においての実績が大殿に比べて乏しいのだ。織田の天下を磐石せしめるため、極めて重大事であると心得よ」
頷いた。雲八爺さんは普段の好々爺とした表情を引っ込め、抜き身の刃のような鋭い目で虚空を見据えている。
「織田家にとっては、どう転ぶことが最も良いのでしょうか?」
こういう時には必要な話だけをし、黙っていることが多い四郎が珍しく問いを投げかけた。雲八爺さんは虚空を眺めたまま、唸るように喉を鳴らし、髭を撫でた。
「わしのような戦人であれば、双方あい争わせた上で『共に探題職を全うできず、その資格なし』として取り上げ、大軍を持って伊達最上両家を滅ぼす。その上で更に北へ出陣し、両家への討伐軍に従わなかったものらも根切りとする。と考えるが、帯刀の考える太平の世にはそぐわぬのであろう?」
「はい」
頷いた。それでは人が死にすぎる。織田家以外の勢力の力を削ぐと言っても、結局のところ父や勘九郎が一人で直接日の本全てを差配することなど出来はしないのだ。少しでも落ち度があれば皆殺しという乱暴なやり方を取っていれば、いつかは斉天大聖や十兵衛殿のような股肱の臣であっても、僅かな落ち度を恐れ、やられる前にやれとばかりに謀反に走るようになってしまう。地元との繋がりが強すぎる者たちをその土地から引き剥がすことは必要であろう。しかし同時に、地元と強いつながりを持つ者たちをうまく配置することもまた必要なことであるはずだ。
「であるのならば……帯刀よ、お題目や根回しはともかくとして、此度の戦伊達と最上は、本当のところ何を得ようとして兵を興したのかわかるか?」
「伊達はかつてのごとく奥羽二州において並ぶもののない勢力を得んとしておるのでしょう。逆に最上は羽州において覇を唱え、伊達の手を完全に払い除けたい。上山や天童八楯もまた、最上に服属することを潔しとせずといったところでしょうか」
俺の言葉を受けて、雲八爺さんは返事をするでもなくただ己の顎髭を撫で、しばらく思案に耽った。そうして部屋の蝋燭が風に揺れること数度。
「詰まるところ、未だ天下を欲する者どもは絶えておらぬということであろうな」
そう、重々しく呟いた。
「それは伊達や最上の話ですか?」
「全員よ。天童八楯に上山、それ以外にもいくつか名が挙がっておったろう。皆、天下を争う虎どもよ」
「伊達や最上はともかくとして、他の者たちは天下などという大それたものは考えておらぬと思いますが」
「余りに遠くにあるがため、見えておらぬだけで突き詰めればそこになる。天童八楯やその他の連中は、最上を払い除けあわよくばそれに取って代わろうとしておる。最上は伊達から離れ、その伊達の立場を得ようとしておる。伊達は奥羽二州を得たのち、織田さえおらねば更に領地を増やそうとしたであろう。皆同じよ。詰まるところ、わしらの生きた世は誰もが『天下は強きものが奪い取るもの』と教えられた。時代というものにな。『足利が、落とし蹴飛ばす天下餅、拾うは三好、食らいしは織田』と余人は謳っておるではないか」
「さしたる苦労もなく、ただ落ちてきたものを手に取ったかのような物言いは受け入れ難いものがありますが」
しかしながら謳われていること自体は事実である。大いに不満を抱きながら言った俺を見て、雲八爺さんは皮肉げにふっと笑った。
「気に食わぬと申したところで仕方があるまい。仮にあと100年戦国の世が続いたとすれば、最後に天下を掴むものが何者であったとしても驚きはせぬ。これまでの旅で出会った取るに足りぬ国人領主であるやもしれぬし、織田の一家臣に過ぎぬものが掻っ攫っていくやもしれぬ」
「それはそうでしょうが」
「とはいえ」
そこで雲八爺さんは声色を変え、伸びやかに明るく言い放った。
「戦国の世はあと100年続くことはなく、既に織田の天下で定まっておる。それを陸奥の奥の奥まで知らしめることこそが肝要である。帯刀の望む新しき世の法度もその役に立つものであろう。天下は奪い取れるもの、と考えておる世代は、そうさな、伊達の若君連中が最後とすることは出来よう。逆に太平の世が100年も続けば、その時の者たちは世を再び天下の奪い合いに、などとは考えまい。その100年続く太平の少なくとも50年ほどは、お主らが陰日向に支え、本朝に先例のない繁栄を築くべし。わしも草葉の陰でニヤつきながら高みの見物をさせてもらうぞ」
「はは、草葉の陰でニヤついている様子が目に浮かびます」
「墓石には毎度良い酒をかけ、美味い肴を備えましょう」
真面目な表情で言った四郎の冗談に俺たち3人は暫し笑った。
「話を戻そうぞ。此度の戦、どう転ぶことが織田にとって都合が良いか。まあ、双方共倒れ、というのが上の上であろうな。逆に問うが、仮に此度の戦で伊達最上が激戦となり、両当主並びに後継も討死の上将兵死者甚大となったならば、織田はどう動く?」
「両家取り潰し……いや、下の弟達に信頼のおける家臣をつけて伊達最上両家を継がせる。さすれば奥羽二州の探題職すら織田のものです」
「成る程。伊達が蘆名にしているのと同じことじゃな。つまりは織田もやろうとすることは変わらぬ。日の本の中央にある天下は手にした。北の果てにある天下の残りについても、取り込めるのであれば取り込みたい」
頷いた。先ほどまで東北の諸勢力が天下を狙う話を聞いていた時には心にささくれ立つものを感じていたというのに、織田が東北を狙う話については嬉々として語ってしまった。実に手前勝手である。自戒し、反省せねば。
「であるとするのならば、伊達にせよ最上にせよ、どちらかが大勝ちしてあっという間に相手の領土を飲み込み、織田の手が入るよりも前に決着というのが最も都合が悪いと見てよかろうな」
「よいと思います」
三好・毛利・大友・龍造寺・島津・武田・上杉・北条。これまで織田は複数の国に跨るような大勢力については悉くその勢力を削ぐか場合によっては完全に滅ぼしてきた。徳川・浅井・長宗我部といった織田に協力し、あるいは初めから従う形で共に力を伸ばした者たちに対しても強い縁組でもって準一門としている。仮に奥羽を独力で切り取った勢力が現れれば織田家にとって無視出来ない目の上のコブとなるだろう。仮にそれが伊達であれば、伊達家は藤原氏の名門であり、かつての奥州藤原氏が如き独立した一大勢力ともなりかねない。
「現実にありうることを考えるのであれば、短期にてどちらかが滅ぶことも、双方共倒れということもありえぬとは思います。既に、嫡男の藤次郎殿は出陣せずという話も聞き及んでおります」
「うむ。初陣にはちと早い年の頃であるというのもあるやもしれぬが、先に述べた共倒れを恐れたのかもしれぬな。仮に当主が死にある程度の領地が奪われようとも、嫡男がおり織田の庇護を求めれば伊達の家名は残せるであろう」
その辺りの配慮も、伊達輝宗という人物が乱世において強かに生き抜いてきた人物であることを窺わせる。
「であるのならば、あり得べきこととして都合が悪いのは伊達が優勢のうちに戦が終わることです」
「最上ではなく伊達である所以は?」
「現状最も国力が高い。この上勝利を重ねられてしまえば東北において対抗出来るもののない強さをえてしまいます。逆に最上が少々の勝ちを得て伊達の領地を切り取ってくれるのであれば、仲違いをした二つの拮抗した勢力が並び立つこととなり織田としては好都合。とはいえその場合は双方の言い分を織田が聞き取りどちらかに対して総無事令違反の咎を求めなければならず、先ほど師匠が仰ったように難しい舵取りになりましょう」
「実際に戦いとなってしまうことが既に、あまり好ましくはないということですな」
纏めるように言った四郎の言葉が正しく、俺たちは頷き合った。
「大筋はわかりました。師匠。大島光義の名をもって一軍を率い、急ぎ伊達軍を追うことは出来ましょうか?」
「うん? どういうことであろうか」
「おそらく双方共に、相手こそが惣無事令違反であると話をしているはずです。師匠は双方の話を聞き、その上で両軍一旦兵を引くようにと大殿及び上様のご下命があると言って頂きたい。二人の筆跡はわかりますので、適当にでっちあげます。嘘であろうと一旦兵を引いてしまえば、もう一度対陣に至るよりも先に本当の織田家よりの使者も来るでしょう」
元々、どちらに勝って欲しいと加勢に及んだとして、今の俺たちの戦力で戦の趨勢をひっくり返すことなど出来はしない。しかし織田の使者として話を聞くように促すのであれば、その巨大な後ろ盾をもって時間稼ぎをすることくらいはできるはずだ。
「成る程のう。四郎。お主の手のものをかき集めればどれほどの数になるであろうか?」
「近場にいる者をすべてかき集めて、精々20といったところ」
「うむ。夜叉九郎たちにも加勢させ、取り急ぎ鳥の尾の小太郎めにも人か金を寄越すように人をやるべし。米沢城下においても可能な限り人を雇い入れ、何とか100程の兵を捻り出そうぞ」
「その間に俺は『天下布武』の旗指物でも拵えましょう。父上と勘九郎の書状も書いておきます」
そうして話が纏まった翌日の朝、片倉屋敷の前を伊達の兵が固めた。曰く、『逆賊最上の手がこちらに及ぶ恐れあり。最上討伐が成るまでの間客人方は皆米沢城において保護仕る』とのことであったが、これは明らかに俺たちの動きを封じようとする動きであった。俺たちがこのような結論に至ることまで全て読みどおりであったとまでは思わないが、ともあれ織田の手の者に余計なことをさせまいとする伊達輝宗公の差配が、俺たちの動きに先んじたことは事実と言えた。




