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信長の庶子  作者: 壬生一郎
九尾編
163/190

奥羽二州

「随分悩んでいるじゃないか、兄弟子」

伊達家の嫡男、藤次郎政宗殿より中々の無茶振りを受けた2日後、俺は紙と硯を前に、筆を弄びながら悩んでいた。左手と右耳を文鎮がわりにして紙を睨み付ける俺の姿はさぞかし不気味であるだろうが、見慣れている四郎はサッと部屋に入ると襖を閉じた。


「四郎か、ああ、ありがとう」

盆に餅を入れて持ってきてくれた四郎に礼を言いつつ、俺は何も書かれないまま時ばかり経ってしまった紙を睨みつけることを止め、まだ湯気の立つ餅に向かった。


「兄弟子ならささっと考えついてしまうように思っていたのだが」

「適当にでっちあげるのならなんとでもなる。例えば、本朝においてはかの毛利元就公がご子息を三本の矢に見立てたとの風説がある。事実とは異なるがな。同じ三本の矢を用いて、『敵を討て』と言った李克用。『束ねれば強し』と言った元就公。同じものを使って、全く違う話をなされた二人の英雄を知ると、少々思うところもございますな。などと言って」


言いながら箸を伸ばし、餅を食った。まだ青いままの大豆を潰し、それに砂糖を混ぜたものがかかっており実に甘い。手づかみでも食えそうだが、あえて箸を持ってきてくれたのは、筆を持っている俺が手を汚さないようにとの心遣いだろう。


「思うところとはこれいかに? と問われそうだが」

「うん。されば、李克用は矢を真っ当に敵を討つ為のものとして扱いました。対して元就公は竹束のように、いわば真っ当ではない扱い方をしたわけですな。これに同じく、独眼竜という言葉も、扱い方は自由なのではないでしょうか。などと言ってみたらどうだろうか?」

「うーむ、何だか分かるような分からぬような。兄弟子や伊達の御曹司様のような賢き方々はそれで分かるものかな?」

正直な四郎の言葉に、俺はいやいやと首を横に振った。四郎は十分に賢い男だ。その四郎がわかるような分からんようなと言ったということは、本当に分かりそうでよく分からん話であるというだけのこと。何となくわかったような気になってくれる相手も中にはおろうが、あの実直な師弟はその意はなんぞやと問いを重ねてくるだろう。


「竜は強き生き物。それは何処であっても何時であっても同じ。さればこそ、強きが故に竜と呼ばれた李克用は真っ当な竜であった。しかしやたらめったら暴れ回るだけが竜ではない。その壮大な威風と英邁さをもって竜と呼ばれても、必ずしも間違いとは言えぬ。などと」

「成る程」


ポンと膝を打ち、納得してくれた四郎。空のまま盆に乗せられていた椀に茶を注ぎ、差し出してくれた。


「伊達と何のゆかりもない俺が言うのも何であるが、あの御曹司様は李克用が如くではいかんということかもしれないな。少なくとも我らはこれより今一度の大乱を起こさせるつもりはないわけであるのだから。戦ではなく、内治の才を持って竜と成す。これぞ本朝の独眼竜である。という捉え方でよいかな?」

「流石四郎。李克用も李存勗も結局国を富ませることにはしくじっておる。恐れながら、稙宗公も強きお方であったと伝え聞いておりまするが、肝心要の家臣の心を掴めずにおられました。彼らは皆、強すぎた竜にございまする」


最後は四郎を藤次郎殿に見立て、ははあと平伏してみせた。四郎は笑いつつ頷き、『良いと思う』と褒めてくれたが、俺としてはこれだけの話でしっかりと話の意味を汲み取ってくれる四郎もまた、一角の文人として育ちつつあるなと感心しきりである。母上は少なくとも女子として当代随一の文化人であるし、吏僚(りりょう)として村井の親父殿の能は織田家の中にあっても群を抜いている。そしてはばかりながらこの俺も含め、多くの文人と誼を通じてきたからこそだろう。当然、四郎の真面目さというものがなければここまでにはならなかっただろうが。


「うむ。良いんではないかな。兄弟子らしくて、少なくとも俺は成る程そういうふうにも考えられるのか、と思った」

「ふうむ」

「何だか納得していないな」

図星を突かれ、苦笑した。確かに、納得していない。


「何を納得していないのかと言えば、これくらいのことは既に知っている、と思われてしまわないかと懸念があってな。藤次郎殿は知らぬことを知りたいのだというご要望であったからして」

「知っている? 今の考えは文献由来ではなく、兄弟子が捻り出した教訓であろう?」

「そうだが、虎哉和尚は(れっき)とした臨済宗の僧だ。五山に登ったかどうかは聞いておらぬが快川紹喜和尚から直接学んだ人物である。その虎哉和尚が伊達家に招かれた折、既に藤次郎殿の片目は(めし)いておられたという。隻眼の猛将李克用(りこくよう)についてまず学ばせ、目玉の一つがないくらい如何程のものかと自信をつけさせたのは想像に難くない」

だからこそ、それ以降も虎哉和尚は李克用について多く学ばせたのだと思う。当然、虎哉和尚自身も文献をひっくり返して予習しただろう。僧が数年がかりで身につけ、たたき込んだ知見を、俺が数日考えた教訓一つで容易く超えられるものであろうか。


「十分であるように思えるけれどな」

「折角己の智能を頼られたのだからな。期待通り、いや、期待以上の働きがしたいと思うのは人情であろう」

「分かるが、虎哉和尚はともかく、藤次郎殿がそこまで学んでいるかな? 確かに賢い子供ではあったがそれでも子供ではあるのだから」

「俺もそう思っていたが考え直した。あれは賢い子供ではなく、まだ体の小さな大人というべきだ」


家を継ぐ嫡男としての覚悟が既に固まっているし、話に聞くと片目を失った時、命の危険にも晒されていたらしい。一時は己が死ぬものと覚悟し、それでも何とか快復し今に至る。俺もかつて勝ち戦の中で友を失い、『人は死ぬものである』と強烈に思い知らされたことがある。思い返せばあれは俺を否応なく大人に、武将にしてくれたのだと思う。ましてや『己は明日死ぬかもしれぬ』との実感を得た子供はもう子供ではいられまい。少々可哀想な気もするが、片目の代わりに、本来誰しもが身につけられるわけではないものを得たのだろうなとも思う。


というわけで、思い切って違う時代の故事などを引っ張り出してみるか、いっそのこと父の戦について見聞きしたことを語ってみようかなどと考えていると、何だか意味ありげに微笑んでいる四郎の顔が視界の端に見えた。どうしたのだという意味を込めて顔を向けると、四郎は笑顔を苦笑に変えた。


「この四郎めは、兄弟子を尊敬しておるし、兄弟子より賢い者などおらんとも思っておる。問うは一旦、問わぬは末代の恥ということもわかったが、出された問いに対し、己の力を全て使って良き答えを出そうとする姿勢は、何と言えば良いのか、誇らしいというか、家中の誉れ。であるように思えて」

「四郎……」


思わず抱きしめてしまいそうになった。体が大きくなりきってしまうと、ただ頑張っているということについて褒めてもらえることは少ない。ましてや誉れであるなどと言ってもらえるのは、単純に嬉しい。


「ただまあそんな兄弟子にはすまないが伊達家のご次男がもう間も無く来られよう。一旦紙と硯をしまわせてもらいたい」

そのように言われ、もうそんな時間であるのかと気がついた俺は残りの餅をさっと食い、程よく冷めた茶を飲んだ。その間に四郎は手早く紙と硯をしまい、折良く喜多殿から客人が来られたと知らされた。


「伊達家の長男次男を相手に連日講義とは、兄弟子は織田の名前などなくとも一廉(ひとかど)の人物だな」

「からかうな。単に上方から来た者が珍しいだけであろうよ」


2日前に伊達家の嫡男藤次郎殿がやってきた翌日、即ち昨日、俺たちは片倉家にて伊達家の次男、小次郎殿とお会いした。年子の弟であり、母親も同じくしている。まあ兄弟なのだろうなと思える顔立ちの少年であった。


「本日も母親同伴であるとのことだが」

「そうか、まあいいさ。子供には親がついてくるものだ」

「年子の兄は大人で、弟は子供か?」

「……そうだな。確かに、小次郎殿はまだ年相応に子供だと言えるな」


おそらく一年後になっても小次郎殿は子供であろう。と思った。それはどちらが優れているとかどちらが劣っているということではなく、育ちの差によるものだ。小次郎殿は己が死ぬかもしれぬというような大病をしたこともない様子であるし、当然伊達家を継ぐこともない。しかしながら小次郎殿はこの程奥州の名族が一つ、蘆名(あしな)家を継ぐことが決まった。蘆名家の当主が子を失い、当主の血脈が絶えることがすでに確定している。その上で今の当主蘆名盛氏殿は体調も優れず、親戚筋にあたる伊達家の次男を次の当主に欲したとのことである。


「蘆名領は伊達領よりも南にある。上方もその分近い。一人家を出て別家をつがされる次男坊に少しでも何かしてやりたいという親心なのだろうな。結果母親離れできていないとも言えるが」

「それでは逆効果なのでは?」

「そんなことはない。小次郎殿は確かにまだ子供であるが、わがままで愚かな子供ではない。利発で賢い子供だ。育つべくして育っているのだから子供でいられるうちは子供でいて良い。(ないがし)ろにされてきたわけではないだろうがどうしても家中の者どもは兄の方に目を向ける。実の母親が隣にいて『そなたのことも大切に思っている』と信じさせてやるのは人として間違っていないだろう」

言いながら、そう考えてみれば四六時中同じ場所にいて、寂しいなどとは片時も思うことなく片親で育った俺も、随分長いこと子供であったのだなと気がついた。母は俺に対して暑苦しいほどの愛情をジャブジャブと注ぎ込んだし、父を父と認識してからの日々は激動であった。弟たちと比べての己の立場に対して思うところがないでもなかったが、父に疎まれている、とまで思ったことはない。


「小次郎殿の講義には予習はいらないのか?」

「いらん。贔屓(ひいき)をしているわけではないぞ。向こうが勝手に教科書を持参してくれるから必要ないのだ。誰々はこれをこう解釈した。この者は後世このように言われている。などと答えれば良い。俺にもわからぬことであれば素直に分かりませぬと申し上げれば良い」


誤魔化しが効かないという意味では厳しいが、わからぬことをわからぬと言える正直さがあるのならば楽であると言うこともできる。そう気軽に考えながら廊下を進んだが、中庭の前を通った時、俺たちを呼びに来て、一足早く伊達の奥方のところへ向かっていたはずの喜多殿が戻ってきていた。


「おっと、のんびりが過ぎましたか?」

とっとと来い。などと怒られはしないと思っていたが、貴人を待たせてしまったとあればよろしくはない。急ぎ向かい詫びを入れねばと足を早めかけたところで、喜多殿が首を横に振った。


「いえ、お通ししようとしたのですが、お二人が」

「何かありましたか?」

「大島様に」

その一言、名前一つを聞いて俺と四郎は早めかけた足を止めた。ならば急ぐ必要はない。何なら戻って先ほどの続きを(おこな)っても良い。


「師匠に捕まってしまいましたか」

「はい」

「弓の鍛錬でもしていましたか?」

「遠当てであると、屋敷の向こう側から的に当て」

「ああ、あれは誰もが一度は足を止めますな」


遠当てと言えば普通、読んで字の如く遠くからの的当てだが、雲八爺さんは障害物を用意させた上でそれを超えて的を射抜く。なぜ見えもしないところから的の真ん中を射抜けるのかと驚くが、それこそが弓の真骨頂であると雲八爺さんは言う。


「やってみろと弓を渡され、小次郎様は人を待たせていると仰ったのですが」

「弟子を待たせたところで何憚るところもありますまい」

「雲八様もそのように」


申し訳なさそうに頭を下げた喜多殿を見て、俺は四郎と共に笑った。そうして俺たちは行先を少々変え、黒釣鐘の見える玄関口へと向かった。井戸があり、その横に黒釣鐘が掲げられた物見櫓があり、矢が突き刺さった的がある。そして片倉家の人々、身なりの良い女性と、藤次郎殿によく似た少年が居られた。人々は一様に少しばかり興奮した様子だ。


「おう、出てきたか弟子どもよ。部屋に篭り過ぎて青白くなってはおるまいかと思っていたが」

ドシンドシンと音を鳴らして近づいてきた足音、振り返ると弓を片手に満足げな雲八爺さんの姿があった。恐らく中庭から狙い、射抜いたのであろう。


「中庭から射たのですか? よくそういうことができますね」

「大した距離でもあるまい。足場も平地であったしな」

「いや、そういうことではなく」


万が一にも外したら伊達家の建物や、最悪人に当ててしまい大事になるということも有り得るのに、よくそんなことをする気になりますね。と言ったつもりであった。だが、見物人の様子からすると、よく見ておけと伝えた上で見事射抜いたのであろう。外したらどうなるのか、などと考えることはないのかもしれない。


「このように、敵味方の間にどれほどの隔たりがあるのかを良く分かっておれば見える見えないなどは問題になりもうさん! また、誰もが必中を目指す必要とてなし。しっかりと組まれた槍衾(やりぶすま)があれば、槍の名手などおらずとも馬ごと将を突き倒すこともできるように、同じ向きへ心を一つとした者どもが矢を放てば、そのうちの幾らかは必ず敵を射抜く。故に弓兵のキモは遠くへ、とにかく遠くへと射ることが出来る力があるかどうかである!」

「成る程その通りだ」


名人を一人育てるよりも上手を100名揃える方が強いというのは考えてみれば当たり前の話である。感心しつつ、俺は遠目より目の合った女性に会釈をした。凛として背筋もしっかりしている女性は俺たちを待たせていたことを思い出したのかハッと目を開き、側の者に何か指示を出そうとしているようだったが、俺はゆっくりと手を振り気遣いは不要であることを示した。伊達輝宗公の奥方義姫様。出羽最上家より輿入れをした姫であり、今は米沢城東館に住んでおられることから最上御前やお東の方と呼ばれている。近隣に名の聞こえた美姫とのことであったがなるほど確かに、10を超える息子が二人もいるとは思えない美しさだ。気の強そうなところも含めて、我が家の姉さん方に近い。


「小次郎殿、(わし)の如き木っ端侍とは違い、御身は名門蘆名(あしな)家を継ぐお方。ご自身で敵の首級を奪うことなどしてはなりませんが、しかし己らが従う殿が柔弱とあれば味方の士気を下げるは必定。刀も槍も馬も弓も、扱う必要がないので扱わぬだけであり、いずれも家中において一番の達者は己である。と言えるようになるくらいの気概を持って扱われよ」


小次郎殿の背中を掴み、グラグラと揺らしながら雲八爺さんは言い、そしてその場にいた者どもも集めて弓稽古を始めた。この旅の中で幾度も見せつけられた雲八爺さんの人当たりの良さが、この日も大いに炸裂しているようであった。そうしてその日は俺や四郎も交えて弓の稽古を行うこととなった。俺は弓拾い役に終始したが、どんな形であれ体を動かすことは俺にとっても良い気晴らしになった。良い1日であったのだ。この時は。


「弟子どもよ。今更になって問うが、今この地において、危急の戦はないというのが両名の考えるところなのであるな?」

稽古を終え、客人も皆帰り、それまで機嫌良さそうにしていた雲八爺さんが、藪から棒に問うてきた。どういう意図の問いであろうかと首を傾げつつ、四郎と俺とは一度目を見合わせ、そうして頷きあった。


「ならばそれで良い。老いぼれの勘などより、織田が誇る手練どものことを信じる方が遥かに正しかろう」

「どういうことだい師匠」

「いやなに、伊達領に入ってよりどうも、いくさの匂いがすると思っておっての。言うておくが何一つ裏付けなどないぞ。ジジイの戯言じゃ」

そう言ってから、雲八爺さんは先ほどから口元に浮かべている笑みを深くして、短くハッ、と笑い、夕食(ゆうげ)ができたと俺たちを呼ぶ喜多殿に従い歩を進めた。


「……石川五右衛門としてはどう思う?」

「……とても戯言であると笑い飛ばす気にはなれませんな」

囁くように呟き合いつつ、俺たちも急ぎ雲八爺さんの後ろを追うのであった。まるでこの話を聞いていたかのように、翌日伊達家は突如として戦支度を始めた。相手は義姫様のご実家、最上家であった。

公・様・殿・卿などの敬称についてはこれで正しいのかはわかりませんが、

一応作者なりに基準を設けて付けているつもりです。

表記に揺れや不自然さがあれば教えてください。

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[気になる点] 隻腕の人物の弓の稽古は、どの様に行うのか?
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