黒釣鐘と才女
4月の20日に結城城を後にした俺たち一行が奥州の雄伊達家のお膝元米沢城に辿り着いたのはちょうど4月が終わる30日の昼過ぎであった。
「流石に遠い。これはお珠を連れて来なかったのは正解であったのう」
「左様ですな。上様による出兵もこの辺りまでで、これより北に向かったのは一部の兵であったとのことです。さすがに、挙兵に及ぶものがないのであればこの辺りで十分であると思える程度には時がかかったのでしょう」
雲八爺さんの言葉に四郎が答えた。確かにここまでの道行はなかなかに険しかった。一路北上する我らは、有名な白河の関の手前で進路を北北西に取り、奥羽山脈へと斜めに突き刺さってゆくような進路を取った。そこからは道行の大半がとても街道とは呼べず、獣道とも思えない場所も少なくはなかった。山伏が手に錫杖を持つように、皆山道用の杖を使い、俺もまた、左手の先に伊賀忍謹製の棒を装着した。左手に一度着ければ外れず、右手を使えば簡単に取り外せ、地面をしっかりと掴んでくれる優れものだ。南会津から会津、喜多方なる僅かな平地を通りそしてここ米沢もやはり山に囲まれた平地である。
「まあ、あの娘ならスイスイと歩いてついてきてしまいそうな気もしますが」
そんな大変な行軍を思い返しながらも、俺はそんな風に返した。歩き慣れている女子の健脚さを舐めてはいけない。元より目方が男よりも軽いのだ。同じ歩速で歩き続けるだけならば男よりも得意であるものは沢山いる。けれども連れて来なくて正解だったという点については異議なしである。色々と故あって道中足止めなどされたのだが、まともに湯浴みなどできる場所は少なく、むくつけき男どもが代わる代わる冷たい川に入って身を清める。などということもままあった。己の足で歩かせるだけならまだしも、野盗や浪人が如くに野で所用を済ませろというのは余りに酷い。
「しかしもう5月に差し掛かるというに、見よ山の上はまだ白い。流石に北国よのう」
「はい。越後の北の方はここから見ても南ではなく西であるとのことです。やはり陸奥出羽越後、これらの北国は皆大国と言えましょう」
かつて信濃路から更に北、川中島の辺りまで兵を進めたことがあったが、あの折俺は自分が遠征軍であり相手が迎え撃つ側という気持ちでいた。ざっくりと言い切ってしまえばそれでも正しいとは思うが、越後の北、所謂揚北衆と呼ばれる者たちからしてみればあの場所は十分遠征であったのだろう。
「大国と呼ぶは正しいかどうかわからぬのう。大国、というと盛況であり富裕と思えもするが、中華天下においても華北中原は多く国が立てられておったが江南や巴蜀の地となると中央の数倍もの広さを持つ土地が一国と見做されておった。これ即ち僻地を纏められた。即ちどうでも良い土地である。と見做されているとは思えぬか?」
「一理あるとは思います。実際日ノ本においては関東より北、中華においては長江より南は人の数が少なかったと聞き及びますので。ですがやはり、越後陸奥出羽の3国は大国と呼んで良いと思います。京都から遠きは九州とて同じ。しかし九州よりも東北の方が明らかに帝や幕府がなにするものぞ。という気風は強い。それは大国と呼ぶにふさわしい雄々しさだと、俺には思えます」
だからこそ、俺はまたぞろ東北へ数年がかりの遠征などという戦いにはなってほしくない。奥羽で起こった一領主や農民反乱の鎮圧であるならまだしも奥羽二州が一丸となって織田に抗う、という形になってしまえばかの坂上田村麻呂が行ったような数年がかりかつ国力を費やしての大遠征ともなりかねない。彼らは年の半分は雪に覆われるような厳しい土地で生き抜くことが出来る。それが出来ない者たちからの侵略にも耐えられるだけの猛々しさがあるのだ。
「なるほどそれでは孫呉が拠って立った江南や漢再興の地となった巴蜀においても、大国の気風はあったということであるのか?」
「1000年以上昔の、それも海の向こうの話ですので分かりませんが、まあ徐州や青州と比べれば江南の地に住まう民は漢の臣民という気持ちは薄かったとは思います」
「なればこそ、孫呉も蜀漢も独立を保ち得たのじゃな?」
「そこまで単純ではない筈です。山越族や南蛮の民は呉や蜀にも従いませんでしたので。孫仲謀は魏王曹操に降伏したこともあり、劉備は漢中王という名を最大限利用した。2国ともまともに戦えば勝てぬことは承知の上でなりふり構わず生き残ろうとしたのですよ」
「漢中王の名を利用とな?」
「漢の祖たる高祖劉邦は西楚の覇王項羽による18王封建において漢中王に列せられました。漢の世が500年続いた当時、この漢中王を劉姓の者が再び名乗るということは中華天下の万民に漢の復活を強く意識させたでしょう。同時に曹操を項羽になぞらえ、孫権を英布辺りになぞらえたものもいるかもしれません」
本朝の人間もそうだが、学があったり賢かったりする人間ほど案外先例に弱いのだ。
「ということであるそうだが、どうじゃ?」
まだ何か聞いてくるのかと思っていると、雲八爺さんは突然脇に歩かせていた少年の頭を撫でた。
「本当に詳しいのですね」
雲八爺さんに頭を撫でられた少年、夜叉九郎こと戸沢九郎盛安はややはにかみながら頷いた。それを見て、俺は納得し、少し笑った。
「なんだ、藪から棒に三国志の話を振ってくるものだなと思っていたら夜叉九郎に聴かせていたのですか」
「武家の子らしく、そういう話が好きであると聞いたものでな。のう」
そう言って夜叉九郎の家臣連中に話を振ると、彼らもまた少し恥ずかしそうにしながらも頷いた。尾張や美濃の出である俺たちとは違い、ここ米沢ですら故郷より遥か南に位置する戸沢家の者たちからすれば、まだまだ帰路の前半といったところらしい。行きの道中は此度の参着が遅れれば家名が絶える恐れもあると気が気でなかったようだが、大仕事を終えたこの帰りの道中は色々と刺激に飢えていたようだ。
「言ってもらえれば、道中貞観政要の講義でもしてやれたというのに」
俺が言うと、夜叉九郎のみならず周囲のもの達もぜひにと言ってきた。まだ数え12歳でしかないこの盛安は、病弱な兄を支え、此度も名代として甲斐まで出向いたとのことで、武にも優れ周囲からは夜叉九郎と呼ばれている。実際、野営の折寝込みを襲われかけた際には誰よりも早く気がつき、盗人を撃退した。今では俺たちも親しみを込めて夜叉九郎と呼ばせてもらっている。そんな勇猛な戸沢家の若武者であるが、美濃や尾張に生まれたものと比べれば些か学が劣ってしまうのは致し方ないことである。地頭が悪いのではなく、場所に恵まれなかったのだ。学べば十分なものを得られるであろう。
「よしよし。では、道中は夜叉九郎の案内と奮戦もあり、さしたる苦労もなかった。この功に報い我が弟子帯刀よりの講義を進ぜよう。帯刀よ、こやつらが京の公家連中と話をしても馬鹿にされぬように教養を叩き込むべし」
「そは余りにご無体な難題というもの。公家衆など己ら以外は皆須く下に見ねばならぬと教わって育つような生き物なのですから」
きっと俺や父も、言葉尻や僅かな所作をあげつらって影で笑われているのであろうことは想像に難くない。そんな俺の言葉に、さもありなんと雲八爺さんが笑った。
「夜叉九郎殿。三国志などが好きであるようだが、拙者は三国志演義の読物にのみ傾注することは好かぬ。武家の子なればまずは武経七書、に四書五経。公家衆や京都側に領地を持つ武家に馬鹿にされぬためには当然庭訓往来は誦じ、何も見ずとも書き写せるくらいでなければならぬ。それすらままならぬうちは童子教と実語教を学ぶべし。そして先に述べた貞観政要。これには戸沢家当主の名代として必要な心構えがたっぷりと詰め込まれておる。本朝の武士なればもちろん貞永式目は必須であることは言うに及ばず。また、これよりは武よりも文の時代が来るは必至ゆえ、これまで以上に源氏物語や伊勢物語に通暁せねばならぬ。何故ならば百韻を嗜むにあたり、これら本朝における古典を過不足なく己の頭から取り出せなければそれこそ京都の者共から物笑いの種とされるは必定であるからだ。これら過去の叡智をしかと学んでこそ多くの有能の士と知遇を得ることが出来、先行きも明るくなり、子孫の代へ価値ある者を残してやることが出来る。例えば当代においては明に張居正なる宰相がおり、かのお方は帝のために新しき教科書をお作りになり、政においては一条鞭法なる」
「そのように一気に詰め込もうとしては何も身に付かんぞ。見よ、夜叉九郎の目付け役までもが目を泳がしておろうが」
ベシンと肩を叩かれ、意識を引き戻された。見れば確かに雲八爺さんの言う通り、戸沢家の者達が少々引き気味だ。しまった。養い子達への教化においても、俺は身を入れすぎて子供らを置いてきぼりにしてしまうことがあったのだ。学問が険しく、己にはとても身につけられるものではない。などと思われてしまっては元も子もないというのに。
「……ことほど左様に、我が兄弟子の頭の中には小難しい話がみっちりと詰まっておるゆえ、便利な本棚があると思って気軽に扱うと良い。兄弟子、貞観政要において創業と守成、創業の方が難きと答えたは誰であったか?」
「ん? ああ、房玄齢だ。太宗李世民が若い頃から従い、創業の難しさを体感してきた人物であるからそのような答えになるのも当然と思える」
「うむ。誠に便利、精進致せ」
そう言って四郎が普段にない偉そうな態度を取ると、周囲のものどもがドッと笑った。俺は四郎を叩くようなふりをし、四郎も笑った。良かった、四郎のお陰で重くなりかけた空気が見事軽くなった。
「と言ったところで、話がまとまって何よりですが師匠。兄弟子も。本日は如何いたしますか? 既に鯰尾様が伊達と蘆名には話をしてあると文を寄越してこられましたが、さりとて旅路の汚れも落とさずご当主に御目通りを願うのも如何かと」
「なるほどのう」
忠三郎や斉天大聖を九尾なる謎の一味に加えてより、四郎は彼らとの取り継ぎをしてくれるようになった。彼ら高い地位を持つものらに加え、虚無僧や商人に姿を変えて散った伊賀忍や、このほど知遇を得た風魔衆、という名の百姓たちから活きの良い報せを得ているのであろう。
「ここのところ帯刀としては不発続きであったからの。お主としては一刻も早く城へ、と言ったところか?」
「いやいや、そこまで慌ててはおりませんよ。宇都宮に田村に二階堂に……確かに良い物を見つけられなかったけれど、しかし此度は名門伊達。奥州探題に洞の乱、花嫁強奪と面白い話も沢山ある。何か成果を得られると期待しています」
「3つ出てきたもののうち2つが物騒なものに聞こえたのう」
「いかにもその通りですな」
カッカと笑いながらそう答えつつ皆を見回した。出来うる限り身綺麗にしてきたつもりではあるが、若い夜叉九郎以外皆無精髭が生え、ところどころ服がほつれているところも見受けられる。城に入るは明日が良いとは、皆思うところであるようだ。そうして誰がともなく頷き合うと、四郎が委細承知とばかりにスッと一行の先頭へと歩みを進めた。恐らく忠三郎辺りからの指示で、米沢に着いたならばここに泊まれと言われているのであろう。誠に頼りになるは四郎である。
「宿場、ではないな。成る程、家臣の屋敷に厄介となるか」
そうして城の側背を舐めるように進んだ俺たちは武家屋敷の並ぶ通りに辿り着き、垣根のそばをゾロゾロと連れ立って歩いた。
「こうやって似たような屋敷ばかりが見えていると目的の場所がわからないな、四郎」
「黒い釣鐘が垣根の外からでも見えると言われたのだが」
「であれば、あれではないのか?」
一同あたりを見回すと、誰よりも先に雲八爺さんが黒い釣鐘を見つけた。流石に名のある弓大将だ。鷹の目の如き遠見である。
「向こうにも目の良いものがおるのう。見よ。黒釣鐘の屋敷前に女子が跪いておる。年の頃からして奥方かもしれん。これから世話になる家の奥方にあのような真似を長くさせるは道義にもとる。皆駆け足せい」
言うが早いか、雲八爺さんは誰よりも早く駆け出し、そして俺たちは慌ててそれを追いかけた。本当に全力で走ったのだが、雲八爺さんは最後まで誰にも追い付かれることはなかった。
「出迎え忝く存ずる。羽柴筑前守様、或いは蒲生飛騨守様から話を聞いておるやもしれぬが、拙者織田家家臣大島雲八という者にござる。うら若き女性に跪かせたまま話をする趣味は御座らぬゆえ、まずはお顔を上げていただきたい」
追い縋る俺たちが息を切らせて追いついた頃には、雲八爺さんは片膝をついてその女性と視線を合わせ、立ち上がらせようとするところであった。
「齢40を越えた老女にございますれば、うら若きなどと言われたのはいつぶりにございましょう。大島様、お供の方々、主君より皆様をお迎えするよう命じられております、片倉家当主小十郎景綱が姉、喜多と申します」
「なんと、40にはとても見えぬ美しさよ。それに儂からすれば40の女子は十分に若い」
言って、カラカラと笑う雲八爺さんに釣られ、喜多殿も口元を押さえつつフフフと笑った。その笑顔を見ると確かに40過ぎには見えなかった。居住まいに老いと呼べるようなものが感じられない。そうして控えめに俺たち皆を見回す喜多殿の視線に
「????」
「どうした兄弟子?」
「いや、何でもない」
喜多殿の視線が、一瞬俺の前で止まったような気がした。それと同時に何となく薄ら寒いものが背筋に走った。
「夕餉には少々早うございますが食事の支度が出来ております。湯も間も無く沸きますれば、皆様におかれましてはまず旅路の疲れを癒して頂きたく」
「何とも有難い。しかしながら我らが本日この時に到着することまでは分かっておらなかったであろう。ここ数日常に用意をさせていたのであれば苦労をかけた」
「いいえ、家の者を城下に放って、南の街道より来られる御一行があればすぐに知らせるようにと伝えておりました」
「ほほう。しかし南から来たる旅人などいくらでもいようが」
「この辺りにはない方言を話し、長旅にて肌は日に焼け、その上で商人でもお坊様でもない方々、と申し付けておりました」
喜多殿の言葉に、俺は成る程賢い女性だと思いつつ、四郎に視線を向けた。誰ぞに見られていたことに気がついていたのかという視線だ。四郎は何も言わず小さく頷いた。そうだろうなあ。
「その中に、喜多殿のご子息はおられたか?」
「いいえ?」
「では歳の頃は20程で手や顔に火傷の跡が見られる精悍な男子はおられたか?」
雲八爺さんがよくわからない問いかけをすると、喜多殿が目を丸くして驚いた。四郎はもうすでに成る程、というような顔をしている。どういうことだか教えて欲しい。ちなみに戸沢家の面々も何が何だかという顔をしていたので、俺は軽く微笑み、勿論拙者も全てわかっておりますよ。という様子を装った。
「弟の、小十郎にございます。お話などされたのでしょうか?」
「いいや、ただ儂の弟子が唐国や武士の教養などについて語っていた折に、随分と熱心に耳を傾けていた様子であったのでな」
雲八爺さんの言葉を聞いて、驚いていた喜多殿の顔色が赤く染まった。それは確かに、そっと忍んで客人の様子を窺っていたというのに、当の客人に全て見透かされていたとなれば恥ずかしかろう。しかしながらそんなことを全て見透かしてしまう雲八爺さんの五感の冴えが人並外れているだけであり、そう恥ずべきことでもないように思えた。実際、ペラペラと調子に乗って辻講義などを行っていた俺は何も気が付かなかったのだ。
「大島様に当家の恥を晒してしまい、面目次第もございませんわ」
「さにあらず。向学の志高き有望な若者の姿を見せて頂いてこの老骨も若返る気持ちであった」
そうして喜多殿は俺たちに先んじて屋敷へと入り、家人に対し足を洗う湯を用意させるのであった。




