大相国
天正6(1578)年4月15日
「去る4月12日、武田信玄公ご逝去の6周忌にあたる日に、恵林寺にて盛大なる葬儀が執り行われましてございます。ご予定に従い、大導師は快川紹喜上人。喪主は上様にございます」
長逗留していた結城城の一室にて使者からの報告と共に文を受け取った俺は鷹揚に頷いていた。
「うん。東国、陸奥、あるいは西国の遠国からの出席に滞りは?」
「関東諸勢力皆こぞって恵林寺へ来着し、上様、大殿に拝謁なされました。陸奥諸勢力のうち、奥羽二州の盟主たる地位にある伊達最上は共に名代を寄越しつつご当主は参られませんでした。しかしながら必ずや上洛すると申しておるそうです。更に、陸奥北部においては南部家当主南部晴政殿が来られず、養嗣子の信直殿が来られたとのこと。更に同じ南部支族や家臣筋であるはずの九戸、大浦、戸沢といった者たちが当主として人を寄越している様子です。出羽北部においては安東家を中心とした諸大名が越後上杉氏を頼って甲斐に向かうも、間に合わぬ者もちらほらおるとか」
朗々と流れるような説明を受けた俺は、重畳至極と答え、自分からも上様と大殿、即ち勘九郎と父に対して文を書くことを伝えた。何となく、不穏な様子が見え隠れするものの俺がどうこう出来ることでもあるまい。俺の手元には、目の前ですぐに読むようにと使者から手渡された文。これ以外に、後で一人で読むように言われた文は懐に入れてある。また、俺に対しては本日中にも文が届くであろうことも伝えられた。心当たりはある。母上がおとなしくしているかどうかの経過報告と、臨月を迎えていたハルについてだ。
「伺いたいところは数多くあるが、まずは何を置いても大殿についてか。大殿は既に甲斐を引き払いご上洛の途上であると。文には仔細は使者に聞くよう書かれているが」
「はっ、朝廷においては兼ねてより大殿が散位となられたことを問題視されておられます。これに対し返答をすべく急ぎ御上洛なさりました」
「三職推任であるな」
即ち太政大臣・関白・征夷大将軍の三職である。天下人織田信長はかつて朝廷より右大臣及び右近衛大将の官職を得ていた。武家において右大臣を超える官職に登ったものは平清盛公をはじめ四名しかいない。右近衛大将は常設武官の最高位であり、この地位に就いた人物で史上最も著名な人物は誰あろう源頼朝公であり『幕府』とは近衛大将の唐名である。即ちこの時点で、織田信長という人物は日の本における武家身分として、史上有数の地位を得ている。その時点と今とを比べれば当然、織田信長及び織田家の勢力は増し続けており、更なる官職を得るとすればそれ以上でなければあり得ない。事実、嫡子である勘九郎は征夷大将軍に就任し、朝廷もこれを認めた。更に自身も平氏長者として氏長者に上り詰めた。しかし父は官職としての右大臣や右近衛大将といった職は既に辞し、今は正二位という官位のみを持つ、即ち散位の身だ。
「武家伝奏、勧修寺晴豊様と京都所司代、村井貞勝様を代表とした入念なる話し合いにより、大殿は近く、大相国へとお登りあそばされるご意志を固めました」
「太政大臣か」
思わずため息が漏れた。相国、あるいは大相国という呼び名もまた、唐名である。父が、そして織田家が更に強い権威を手に入れた。これにより天下は更に戦乱より離れるであろう。
「して、その真意は」
「詳しくは大相国様に伺うほかはございませんが、まずもっては平大相国に倣うということ。更には太政大臣職は則闕の官であり、現在空位であること。関白職は五摂家の、征夷大将軍職は事実上足利家の家職となっていること」
「妥当である」
平大相国とは先述した平清盛公のこと。同じく平姓である父が太政大臣となり、後に勘九郎が跡を継ぐ。こうすれば太政大臣職を織田家の家職とし、やや無理筋であった征夷大将軍職は実権のない足利家傍流の者に引き渡すこともできる。現在空位という点においても、今年の初めに太政大臣に就任したばかりの近衛前久様が先だって同職を辞したという話を聞いている。ここに父の太政大臣就任を加えて考えてみれば、父の太政大臣就任は朝廷よりの御膳立てということも出来よう。加えて言えば、先例に倣うという行為はある意味で大義であり、筋違いや掟破りとの非難をおおよそ躱せる。武家としての立場を鑑みても、生前義昭公に忠義を尽くし、現在も足利一門の保護を進めている織田家が征夷大将軍職を担ったのは義昭公亡くその次代としてふさわしいものがなかった為の一時の仕儀であった。ということになる。奪うことなく返還するのであれば、最後まで足利を立て、室町の府を尊重したとして後世からの評価も高くなろう。その上で、平氏織田の家格が源氏足利の家格を超える。簒奪でもなく禅譲とも違う。帝の位を奪い合う唐国ではなし得ない仕儀だ。このそつのなさは恐らく父の意志よりも村井の親父殿による判断が色濃いと思われる。
「上様は平氏長者の地位を受け継ぎ、正二位右大臣となられます。それを以て平氏長者から大相国へと昇る先例を作らんとのこと。足利家の家職たる征夷大将軍、それと源氏長者につきましては亡き義昭公のご嫡男がいずれお継ぎになるとのことですが、今はまだ幼少であることを理由に延期とし、正三位権大納言であらせられる三介様、従三位権中納言であらせられる三七郎様についてですが、北畠家はかつて北畠親房公が准大臣、源氏長者の位にあった先例あり。一条家は二代前の房通公が関白、左大臣、内覧を歴任しており従一位にてもあらせられました。この先例にならうべしと」
「先例、か」
かつて『先例が何ほどのものぞ』と荒れる父とやりあったことを思い出し、皮肉げな笑みが溢れた。源氏長者を北畠家、実質的に織田家の分家が手にしてしまえば足利家の誰を征夷大将軍としたところで織田家中において高位の武将に過ぎなくなる。先例は敵とすると厄介だが上手く扱えれば勝手に追い風となってくれるものだ。
「大相国様はこれまで官位を自称していた者たちについても順次改めて任官をさせるおつもりでございます。しかしながら公家衆より奪うのではなく、員外官として武家官位を創設し、その官位については大相国様の推薦により帝からの許可をいただく。という形を取るとのこと」
「なるほど。しかし太政大臣職も武家と公家で並び立つことになるのであろうか?」
「いえ、太政大臣のみは織田家当主の極官とし、これをもって織田家は武家・公家の頂点の家柄となりまする」
よく出来ていると、感心しながら頷いた。父は可能な限り早く太政大臣職を勘九郎に譲り今度こそ本当に隠居するであろう。准大臣も、現状は参内の席における席次や待遇を表すものでしかなく、これから正式に官職とするのであれば公家の叙爵を妨げないどころか席を一つ増やしたことになる。氏長者に至っては、藤氏長者以外の3長者ならば今更公家衆の興味は集めないはずだ。
「大相国様には急ぎ言祝ぎの文を認めよう。それとこちらより一つ報告を。関東は中国、四国ほど静謐ならざれども九州ほど波風は立たぬ。と」
「中国四国よりは悪し、九州よりは善し」
俺の言葉を、使者が繰り返した。何が善し悪しであるのかと言えば、当然織田の仕置きに対しての反応である。小田殿が小田城奪還の戦を諦め、検地や国替えといった沙汰を受け入れたことで、関東において大規模な戦の火種は無くなったと言える。百姓達においても、織田支配に殊更の不満はないことは複数名の風魔小太郎から聞いた話から確実である。さりとて不満を持つ者が全くいないのかと問われればそのようなことはない。
今俺たち一行が世話になっている結城氏は、近隣に三つの小領主を従えている。即ち下館の水谷氏・下妻の多賀谷氏・綾戸の山川氏である。彼らは結城氏に従属的な立場ではあるものの家臣とは言えず、独力でことを起こすほどの力はないが集まってそっぽを向けば結城氏とて蔑ろには出来ない程度の痛し痒しな地元名族である。先の結城氏新法度が作られた所以たる者たちだ。そしてそのような有象無象は関東のみならず日の本中にごまんといる。彼らは検地だ国替えだ刀狩りだ人質だと言えばこれまでそうしてきたのと同様にまずは不満を露わにし、寄り親たる勢力に従わぬ構えを見せるだろう。結城政勝殿が生涯頭を悩ませてきたのはあるいはこういった者たちであるのかもしれない。だが此度ばかりはそのような条件闘争は意味をなさない。織田家は武家の棟梁であり、まもなくその家職は太政大臣となるのだ。従わないのであれば改易。例え当地の小領主が結城・佐竹・北条などの寄り親に対しての不満を見せただけのつもりであっても、実情御公儀に対しての謀反である。寄り親たる者たちも不満ばかり言い募り時勢の読めぬ連中を処理出来るとあれば却って喜ばしかろう。領地を奪い取り、織田家が関東において領する直轄地が膨れ上がる。理想的とすら言える。のちに残る問題は増えた浪人の扱いであろうが、まずは織田の力を関東において強固とする。とはいえすでに室町の時代よりはよほど硬いとは思うが。
「その九州については今どのように?」
丁度口にした九州という言葉が気になって俺は問うた。これから関東にて起こるであろう領地の没収、それが先だって行われ、検地、刀狩りにより在地勢力の支配が行なわれつつあるのが九州である。土地や力を奪われた地侍たちはそのまま雲散霧消したわけではない。不満を抱えながら百姓仕事に身をやつし、織田家打倒の機会を伺う者が少なからずいる。その機会とは例えば天下の指導者たちが軒並み遥か東国、甲斐にまで出かけている時などである。あえて隙を見せ、適度に暴発させて後顧の憂いを断つ。これにより関東・九州にも纏まった織田の直轄地が用意出来る。尾張の一部を領しているに過ぎなかった頃の織田家がそれでも一端の勢力たり得た所以はひとえに港、商いの力にある。唐国討ち入りを諦めた父とはいえ明や朝鮮との交易は大々的に行いたいであろう。だからこそ九州の抑えには十兵衛殿がおり、四国にも三七郎がいる。
「佐々成政様は肥後に。惟任日向守様は甲斐に至らず大坂にて西国に目を光らせております。九州勢は言うに及ばず、四国・中国勢も有事には十日を待たずして九州に兵を送れるように待機を命じ、場合によっては大相国の出陣もあり得ると」
「盤石だな」
文を懐に仕舞った。そうしてこの場において必ずせねばならぬ話は一旦終わりはした。したのだが、そちらも疲れているであろう。しばらくゆるりと休まれるが良かろうとは言えなかった。又、文を持ち、わずかな供回りのみを連れて結城城までやってきた使者もまた、これで話が終わりだと思ってはいない様子であった。
「なれば先ほどから、本来であれば何よりも先に問いたかったことであるが、どうして貴殿が今ここに来ておるのか?」
そうして俺から問われた小柄な中年男、猿顔にて人好きのする笑顔を湛えた男はあえて惚けるように首を傾げて見せた。
「帯刀殿と旧知の間柄にある拙者がこの場にいることがそれ程おかしなことにございますかな?」
「それはそうであろう。貴殿ほどの……」
と、そこで一旦俺は言い淀んだ。男の後ろに控えるものどものうち、見知らぬ顔がいくつかあったからだ。話して良いものかどうか、名を呼んで良いものかどうか、それを逡巡していると、構いませぬ。と正面より声をかけられた。
「織田家の重臣たる、羽柴筑前守殿程の方が、このような時、このような場所に来られるはおよそ相応しからずと存ずるが」
「いやいや。直子様第一の腹心『狐尾の帯刀』殿に人を遣わすのです。こちらもそれなりの立場にある者が向かわねば機嫌を損なわれてしまうと、大相国も上様も同じように仰せでございました」
苦笑し、左様かと答えると、暫くぶりであるというのにまるで老いた様子も疲れた様子もない斉天大聖が膝を立て、ずいとにじり寄ってきた。一応、左手は分からぬよう腕を組んだりしているのだが、この男の前にいるとその辺りも全て知られているような気がしてならない。
「九尾衆次席『鯰尾の忠三郎』殿、並びに当地にて配下とした『鳥尾の小太郎』殿より話も伺っており申す。御一行はこれより陸奥へと向かい、更なる法度・式目・分国法を蒐集するとのこと」
頷いた。鳥尾の小太郎。というのは言うまでもなく小田氏治殿のことだ。急ぎ甲斐へと向かう直前に自分も九尾衆に入れてくれと言ってきた。小太郎殿の優秀な家臣たちは直ちに関東中へと散らばり、集めた情報でもって織田家に利することで己たちが役立つことを証明せんとしている。あわよくばその功をもって小田城周辺を加増されまいか、とも話していたのであの家は主従皆しぶとく逞しいと感心しきりである。
「ここまでの成果は如何程でございましょうや?」
「多少本筋とはズレたところもあるものの、上々吉と言って憚りはないものと存ずる」
恐らく甲斐に戻り次第見聞きした内容を勘九郎に伝えるのであろう斉天大聖に、腹蔵なく本当のことを伝えた。結城氏新法度という余りに洗練されていない名著についても、そしてこのほど手に入れた早雲寺殿廿一ヵ条についても。
「伺っていた通り、早雲寺殿は家訓、ないしは遺言のつもりで子孫、家臣に対して標を残したのであろう。説教好きなご老人であったのやもしれぬ。説教好きな老人といえば西には毛利陸奥守殿がある。毛利家の家訓もいずれ見させていただいて、己の遺言の手本とさせて頂きたいと思っている」
冗談めかして言ってみたが、言ってみると中々いい考えな気がしてきた。毛利陸奥守即ち毛利元就公と言えば、三子教訓条を初め直筆の文が多く残っている。そして三子がうちのひとり、小早川隆景殿とは知らぬ仲ではない。いつか機会があればあるものを色々と書き写させて頂きたい。
「流石にござる。なればこれよりも先、陸奥へもまだ見知らぬ式目を求め進まれるご所存か?」
「無論。簡単に命を捨てるつもりは毛頭ごさらぬが、雪が降るまではまだまだ時間がござる。どこぞで案内人などを探し、行ける限りは進む所存」
問いに答えると、斉天大聖がニヤリと笑った。何だかこういう話をするように誘導されたような気もするが、まあ嫌ではない。
「なればようござった。御一行の道行の助けにせんと、某案内役を連れて参った次第」
そう言って、斉天大聖は後ろに控えていた男たちに視線を向けた。それまでおとなしく話を聞いていた男たちが一斉に頭を下げ、そしてその中から、まだまだ少年と言った様子の男がにじり出てきた。歳の頃は12か3か、幼げながら同じ頃の忠三郎を彷彿とさせるような、良い面構えをした少年であった。
「で、出羽角館城、戸沢氏が18代当主、九郎盛安にござりまする! 桓武平氏を祖とする我ら戸沢氏、これより織田家に無二の忠誠を誓いまする故、帯刀様におかれましても、ごっ、ご入魂によろしくお願いいたしまする」
若者らしく元気に、しかし緊張を隠せぬ様子で挨拶した戸沢九郎。その口上を後ろでハラハラしながら聞いている年嵩の男どもを見て、俺は微笑ましさに口元を歪めた。
「これはありがたい。拙者大相国の愛妾が一人、原田直子様が手の者にて、九尾衆において一役を担っておりまする。帯刀とお呼びいただければ結構。大した身分ではござらぬが、そちらの羽柴殿を始め知遇を得ている織田家臣も多い故、頼ってくださればお応え致します。羽柴殿、お気遣いいただき誠に忝い」
「お褒めに預かりまして光栄至極。つきましては、戸沢の話よりも先に、拙者の願いを聞き入れて頂きたく」
首を傾げた。交渉ごとにかけても無類の強さを誇る斉天大聖であるが、このようにわかりやすく何かをねだってくることは珍しい。また、今の俺には斉天大聖に対して褒美と言えるほどのものを贈れるような力はない。
「此度、拙者非才の身に鞭打ち取り急ぎ帯刀殿の元へ馳せ参じました。直子様および帯刀殿に対し、多少は使える者であると示すことができたやもしれぬと、図々しくも自負しております」
「いや勿論。知遇を得てから今まで、御身の有能さは骨身に染みているが」
「で、ありますれば拙者のことを『猿尾の藤吉郎』として九尾の末席に置いて頂きたく」
「いやいやいや」
いやいやいやいや、である。そのような組織はそもそも存在しておらず俺が吹いた大ボラ話に過ぎぬというのに、その末席に織田家の重臣を組み込むなど、いかにもよろしくない。忠三郎はまあ、身内であるし冗談を解してくれていたからいいのだ。
「筑前殿程の方をこのような怪しき組織に、それも末席などには入れられぬ。筆頭にしたところでまだ足りぬほどであるのに」
「いえいえ。筆頭などこのサルめには相応しからず。藤吉郎は直子様と帯刀殿の壮挙をお手伝いさせて頂きたい。ただその一心にござりますれば。旅先の路銀もお出しいたしますし、人探し、物探しにも得手がございます」
「配下にそのような世話をさせる主人などおるまいよ」
金を出し、人や物の援助をする。それは配下ではなく支援者だ。
「それでもようございます」
「それでよいなら、まあ、よいのかな?」
母や俺が行いたい遊びに対し、何くれとなく世話をしてくれる支援者の一人が斉天大聖というのならば、案外悪くないというか寧ろ一緒に遊べて楽しいと思う俺がいた。一つ問題があるとすれば、斉天大聖を加えると既に4尾にまで達したこの謎一味について、総大将たる母は未だ何もわかっていないということだ。お遊びが過ぎてその折檻で書き写しなどをさせられている母が、それを命じた息子の遊びを見たら流石に怒るかもしれない。
「まあ、であれば元々我らの間には知遇もあり、拙者の勘違いでなければ友誼もある。よろしくお願い致す。遊びによって得られた成果は貴殿も含めた仲間たちに伝えることを約束しよう」
「帯刀殿の作品についても、頂戴出来ますかな?」
「……まあ、あのような物でよければ別段隠し立てするつもりもない。此度は時間が足りぬが長島に戻ってより清書してお渡しすることを約そう」
俺の作品、という言葉が指しているものが決して今俺が蒐集し、纏め、そして改めようとしている式目や法度ではなく、それ以前に時折俺が書いていた滑稽譚のことだとわかった俺は、苦笑しつつ頷いた。その程度で羽柴秀吉とその配下の者らから協力を得られるのであればどう考えても得るものの方が大きい。
「それを聞き安心いたしました。帯刀殿よりの文を賜ったのち、拙者は再び恵林寺へと戻り、東西に謀反の兆しあればどちらへでも出兵できるよう準備を進める所存」
「忝い。三日以内には書き上がるよう急ぐ故皆はできる限り旅の疲れを癒してもらいたい。結城殿にも話はしてあるのでそう不便なことはないはずだ」
関東においては想像以上の成果を得られた。次なる目的地は奥州の雄、伊達領である。
この頃使われている旧暦は現在の暦と一月あまり違いがあり、加えて
ものによっては既に現在の暦においての月日であらわされており、判別がつきませんでした。
どちらの暦でも何とか整合性がつくような季節感で描くことで誤魔化しておりますが、
季節感に矛盾が出た場合につきましては「エンタメ小説だから」と、ハードルを低くして
読んでいただけましたら幸いです。




