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信長の庶子  作者: 壬生一郎
九尾編
155/190

風の魔の正体見たり禿頭

くはははは、と、雲八爺さんが豪快に笑う声が室内に響いていた。


「風魔小太郎の正体は小田氏治であったか。成程道理で出会う者ども皆揃ってそこもとに一目置いておったわけじゃわ!」

「正体などではない。己から小太郎と名乗ったことも、風魔党の棟梁を自称したこともない。単に代々の幼名として親から付けられただけのこと。未だ鼻息荒く戦を求める儂に対し、関八洲の跳ねっ返りどもが頼んでもおらぬのに色々と知らせてきよるのも、この名のせいよ。こちらから忍びを放った覚えなどない」


人徳じゃのお。と、雲八爺さんが顎を撫で付けつつ答えた。俺もそう思う。『そんな大したものではありませんよ』とばかりに苦笑している周囲の者達が今こうしてそばに控えているところも合わせて、御人徳の賜物というやつだろう。


「おい。四郎とやら。隠しだては無くなったぞ。こちらが晒せるものは全て晒したのだ。そちらも腹蔵なく話すが筋というものであろう」

もっともなことを言われ、俺たち四人は顔を見合わせた。先ほどの発言によって、何となく四郎がこちらの真なる大将であると思われている様子だ。雲八爺さんが四郎を見、四郎も又見返して、二人ともがさり気なく俺に視線を送ってきた。俺はそれに対して『話しておくべきだろう』という意味を込めて頷き、それからお珠を見た。何だか楽しげに頷いたお珠を見て、不思議と安心した。


「ま、仕方あるまいの。儂らは原田直子様の手の者である」

「なんじゃい。結局織田家の間者ではないか」

原田直子の名が出てざわめく一同と、呆れるように返してきた小田殿。うちの母ちゃんは関東ではどのような扱いなのだろうかと少々気になった。少なくとも普通に知られてはいるようだ。


「間者と言われればその通りではあるがの。源鉄殿が言ったような目的のみではない。織田による日の本一統、その総仕上げの為、関東、そして東北をどう仕置くが最良であるのか、見聞しにきておるのよ」

「日の本一統の総仕上げ、言うてみたいものよな」

「然り然り」

小田殿の言葉に、源鉄殿を初めとした周囲の者が笑った。先ほどから、彼らはどうにも暗さがない。敗北によって領土を追われ、今も彼らにとっては危機であるだろうに、その明るさは矢張り、自分が領民であればこちらに付きたいと思わせるのに十分なものに見えた。


「場合によって、最悪の状況となれば織田の大軍が関東東北を蹂躙するということもあり得よう。しかしながら今の織田家は出来うることであれば数年がかりの遠征などはしたいと思うておらん」

「大殿様のご体調優れず、か? その割に何度となく回復しその度織田家は大きくなっている気がするが」

「結果そうなったというだけよ。誠に反抗的な者であれば叩き、従順かつ有能であれば織田の家臣として扱う。検地や人質によって、坂東の力は大いに削がれた。甲斐には織田家臣筆頭たる柴田修理大夫(しゅりたいふ)殿あり。関東には関東管領として滝川紀伊守(きいのかみ)殿が置かれた。いずれも大殿股肱の臣として名高い。だが今は良くとも必ず織田は代替わりをする。そして東国は遠く、関東は広い。その時に今こそ好機と反乱を企てるような不届き者が現れては困る」

「その、不届き者の筆頭と目されたのが我らが殿ということでございますか?」

「然りよ。しかしながら織田家の首脳や直子様がそう仰せになったわけではないぞ。血の気の多い老人に最もふさわしき場所はどこであるのか問うておったら自然とここに連れてこられたのじゃ」


どっと皆が笑った。確かに、少なくとも八王子に着いた時、俺たちの頭の中に小田氏治なる人物はいなかった。もしかすると勘九郎や父上は俺よりも詳しく関東の情勢について知っているのかもしれないが。


「百姓どもの考えは正しいと言わざるをえぬが、しかし貴殿が織田家の手の者とあれば話は異なる。儂は小田城を取り返すことが大事なのであって佐竹を滅ぼすことになど興味はない」

「つまり?」

「大島殿、いや大島様。我らどのような労苦も惜しまず織田家への忠誠を誓いますゆえに、小田城への復帰を上様に上申して頂きたく存じます」

言うが早いか、小田氏治初めとしたその場の男達が頭を下げた。それは礼と言うべきものでもなく、紛れもない土下座というものであった。


「おい待て待て」

「左衛門、酒を持て。又五郎に言って良い肴を持ってくるようにと」

「大島様、この源鉄めが肩をお揉みさせて頂きましょうぞ。若い女子を連れてきてもよろしゅうございますが、残念ながらそちらの姫君より見目麗しい女子がおりませんな」

「あら、お上手ですね。恐れ入りますわ」

「お若いお二方。(それがし)平塚弥四郎と申しまする。今某が薪を割って風呂を沸かせますので、少々こちらへ」


なにやら集団芸が始まってしまい、流れが一気に変わった。お構いなくと言っても向こうには構わないという選択肢はないようだ。念願の旧領復帰への糸口を見つけたとあって、この場にいる男達皆がゴマをすることに躊躇(ためら)いがない。思い切りが良いな。こういう人たちはいざとなると強い。


「喝!」


立ち上がらされ、そのまま別室に連れていかれそうになったところを、言葉通り一喝したのは雲八爺さん。馬鹿でかい声に一瞬その場の皆が動きを止め、その一瞬の間に雲八爺さんがどかりと座った。俺と四郎もその場にて座り、立ち上がっていなかったお珠はススっと音もなく移動してきて俺と四郎の間に収まった。


「話を聞けい。二つばかり言っておくことがある。先にも言った通り儂らは原田直子様の手の者であって上様のご下命によってここに来た訳ではない。故に儂から直接上申などは出来ぬ。そしてもう一つ。小田家と領地争いをしている佐竹は、北条、上杉、武田らが織田と戦戈を交えておる頃に早々と織田家に臣従し、此度の検地においても服従の姿勢を見せ、所領安堵を得ておる。他の土地であるのならいざ知らず、小田城周辺を譲れなどという命を下せば佐竹氏以外の者らにも疑心が広がり、織田の屋台骨を揺るがす結果となりかねぬ。故に、織田家に乞うことによって旧領を回復させることはほぼ無理筋と心得よ」


はっきりと言い切った雲八爺さんの言葉は確かに伝わったようで、小田家の連中があからさまに肩を落とした。


「例えば、佐竹が北条や里見辺りと結んで織田家転覆を狙っている証拠を見つけ、討伐の先鋒として其処もとらが活躍した、ということにでもなれば話は変わるであろうが、これまで見聞きしてきたところでは、関東諸勢力皆戦乱に倦んでおろう?」

「……大きな家であればあるほど、織田の庇護下に収まりたいと思っておるな」

忌々しげに、しかし自信を持って小田殿が答えた。まあ、我が織田家程でないにせよ、戦乱に勝って大きくなった家というのは多く恨みも買っている。このまま勝って戦国の世から上がってしまいたい気持ちも、さもありなんといったところだ。


「なればどうする? 北条も佐竹と戦うつもりはないのだ。佐竹とて小田から攻められれば守りに徹し、惣無事令違反を織田家に訴え出ようぞ。天下を向こうに回して勝つ手立てはあるのか?」

「あればとっくに戦っておりますなあ」

当たり前の問いに、源鉄殿が当たり前の答えを返した。そりゃそうでしょうなと、誰もが思った。思ったのだが、


「嫌じゃ嫌じゃ! 儂は諦めんぞ!」

それを認めず、板の間に仰向けに転がり両手両足を振り回す禿頭が一人。目には涙を浮かべすでに鼻水も垂れている。みっともない。みっともないがその姿はどこか面白おかしく、憎めない。


「これは申し訳ない」

「風呂は後で沸かします故、少々失礼」

みっともない様子の主人を見て、先ほど又五郎と呼ばれた男、同じく弥四郎と名乗った男が立ち上がり、脚と腕とを持ち上げてその場から運び出した。妙に手慣れた手つきであった。『離せえ!』と暴れる小太郎殿の様子はまるで童であった。禿げてるのに。すごい禿げてるのに。


「いや見苦しいものをお見せし申した」

「あれでは勝てる戦にも勝てんのお」

「いやいや全く」

「しかし、あれには付いて行きたいと思わされても仕方があるまいのお」

「お分かりになりますか? 噛めば噛むほど味が出る、飽きのこない主人にて」

「さしずめくさやか納豆か」


その冗談は面白かったので一同再びどっと笑ったが、しかしながら話は元の鞘だ。強い方と弱い方、二つのオダの考えは一つに纏まらない。纏まらないということだけが、しっかりと確認されてしまった。


「まあ、源鉄殿がおれば迂闊(うかつ)に兵を起こすこともあるまい。儂らとしては一応の用は済ませられたが、どうする? 其処もとらは儂らを斬ろうとはせぬのか?」

「滅相もない。そのようなことをして得られるものが何もありませぬ」

「織田は佐竹を守ると言うたぞ。なれば小田としては敵であろう?」

「今御一行を害せば我ら或いは朝敵ともされかねませぬ。我らの下へ御一行がやってきたことは調べればすぐにわかること。なれば賓客(ひんきゃく)として遇し、何としても我らが領地を無事に御出立していただかなければ。上様の覚えめでたければいつか気まぐれに小田城をくれてやると言われることも、万が一にはあり得ます」


殺してしまえば万が一もない。と。どうもこの源鉄という人物、斉天大聖にとっての竹中半兵衛が如き立ち位置のようだ。


「儂としても、あの小僧は憎めぬでな。織田の天下に甘んじてもらえた方が良いのだが」

「殿を説得して下されば、我ら家臣一同直ちに佐竹殿と和すのですが。我ら家臣どもが何を言うても聞き入れてはくれませぬ」


そんな会話をして、その日は本当に客として歓待された。俺は本当にわざわざ沸かしてもらった風呂に入り、存分に汗を流した。




「結城城まで行かれるのですか?」

翌朝、朝餉を頂戴しながら述べた雲八爺さんの言葉に、源鉄殿が少々驚いていた。無論昨晩のうちに俺が決めた話を伝えてくれているのだが、こうする理由は二つある。一つは元々俺が抱いていた関東下向の目的、各地において現存する武家法度を見てみたいという理由だ。俺が知る限り戦国において最も優れた法度は今川かな目録であり、甲州法度次第はその模造品である。西国にあるものは収集を始めているしいくつかは見た。早雲寺殿廿一ヶ条を手に入れるのは難しくはない。しかし関東の小領主にすぎない人物が作った結城氏新法度というものは未だその内容を見たことがない。その内容は如何なるものか興味が尽きない。


もう一つの理由、それは身の安全の為だ。佐竹氏は早くから織田家に従うと明言し、それ以前から関東において北条に対抗できる唯一の勢力という位置付けになりつつあった。だがしかし、だからこそ今ここ土浦から直接佐竹領に向かうのは危険である。昨日の会話の中で源鉄殿は『自分達の領地で死なせるわけにはいかない』と言った。それは即ち、他領であれば構わないということでもあり、さらに深く読み解けば『佐竹領でならば死んでもらったほうが都合が良い』とも取れる。佐竹が織田の使者を殺害した。織田に忠誠を誓う小田氏治とその家臣達は直ちに小田城を攻め、忠義を示した。ついては逆賊討伐の功として旧領小田城とその周辺を賜りたい。という流れにもなりかねない。つまり俺たちが佐竹領に向かうと言った瞬間、小田氏治は俺たちに対しての暗殺者となりかねない。それを考えすぎと思えるほど俺はまだ太平慣れしていない。ならばこのような危険な旅をするなと言われれば返す言葉はない。


「思うところがあっての。結城に小山に宇都宮。あの辺りの連中も曲者揃いと聞く。昨日源鉄が言っておったように、小田の者達が旅路を助けてくれるというのであれば、それは確実に直子様にお伝えしておく」

(かたじけの)うございます」

「上様の覚えがどれだけめでたくなるのかは定かでないぞ」

「わかっておりますとも」


昨日のやりとりで、すっかり小田家中の皆を従えてしまった雲八爺さん。一方で、昨日忍びに相応しい眼力を披露して見せた四郎は小田殿から只者でないと見込まれたようだ。どうして小太郎殿が小田殿であると分かったのか聞いてみたが、言動でわかりますと、参考にならない答えを返されてしまった。その見た目の美しさから、お珠はどこに行っても一目置かれるし、何だかこの一行の中で最もどうでも良い存在と思われているのは俺である気がする。そうあることこそ好都合なのだが、何だか悔しい。


「それこそ件の小田城を巡って源鉄らも戦ったと聞いておる。元が敵であった者の所へ向かおうというのだ、無理に案内せよとは言わぬが」


関東の北に勢力を持つ者達は大体が反北条として戦ったことがある。そして今の小田家は北条の客将身分まで落ちている。佐竹氏はどうかと言えば常陸統一を目指していたことから当然常陸やその近隣に存在する諸勢力とは険悪であった。非常にざっくりとした認識ではあるが、大間違いではない。


「いえ、ご案内はさせて頂きます。しかしながらどのように取り次ぐべきかと少々思案が」

「儂も行く」


つい最近まで殴り合っていたような連中のところから来た相手が『法度を見せて下さい』と言って頷いてくれるものかどうか、と考えていたところ、何と小田殿が名乗りを上げた。紹介のための文を認めるという訳でもなく、付いてきてくださるそうだ。


「惣無事令が出た後も、儂は彼奴等に挨拶もしておらなんだからな。先触れを出し、今後は入魂(じっこん)にと伝え、ついでに、あの憎いジジイの墓参りでもさせてくれと伝えれば、話くらいは聞いてくれようぞ。それで問題はなかろう。四郎」

「痛み入ります」


やはり小田殿に見込まれ、意味ありげな会話を短く交わしたりなどしている四郎にまあまあの嫉妬を抱きつつ、俺たちは結城城を目指した。八王子より土浦までは北東に、此度は北西に。全体としては順調に北へと進み、陸奥ももう間近である。到着するまでの間、小田殿は8年ほど前にあった平塚原の戦いについて話をしてくれた。攻め寄せたのは結城。数が多かったのも結城。しかし勝ったのは小田。そしてそれ以降結城氏は北条からの攻撃に防戦一方であったらしい。勝った側よりも負けた側の方が恨みが深いのは世の常である。


「結城家の当主、晴朝(はるとも)が会うと言っておる。儂が口を開けば戦になってしまうかも知れぬ故、黙っておるのでな。後は良きようにせい」

先駆けの使者を出し、簡単に要件を伝えてくれていたが為、到着の前日には既に話は纏まっていた。小田殿は自身も含めて20名程の供をつけてくれたし、お珠は久方ぶりに籠に乗せて貰えた。源鉄殿の言葉通り、覚えめでたくするための努力を惜しまずにいてくれるのは大層ありがたいことであった。


「結城家の御当主は甲斐に出向かず宜しいのですかな?」

「先んじて行っておったようだ。一度戻り、また出向くと聞いた」

「そう言えば小田様は宜しいので?」

「儂は危険物扱いであるからな。北条の者達が小田殿の分の挨拶は我らがしておきます。などと言ってきよったわ」


お互い饒舌なほうではないのにすっかり打ち解けた様子の小田殿と四郎の会話を聞いて、なるほどと俺は頷いた。


「さて、ようやく旅の目的が一つ達せられるかも知れんのう」

雲八爺さんが言った。季節は夏の訪れを今か今かと待ち侘びるような頃合いであった。

当時の日本を歩き回れば、下向した公家や五山僧がこしらえた分国法もどきのようなものも、

きっと沢山あったんだろうなあと思います。戦火によって失われてしまったこと、非常に残念です。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 小田氏治いいキャラですね。 警戒心が強いのに脇が甘い。プライドが高いのにあっさり掌返しして媚びへつらう。そしてなにより往生際が悪すぎるのに人徳がある。自分の中の小田氏治像とピッタリ重なりま…
[良い点] 面白い。
[一言] 公家と書くと貴族で雅なイメージありますが ぶっちゃけ公務員ですもんね 下向した公家は地方公務員か、監査役か
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