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信長の庶子  作者: 壬生一郎
九尾編
154/190

関東最後の火種

八王子より土浦へと至る道について、大した苦労があったわけではない。既に織田領となった土地もちらほらとあり、安全な道行と言えた。しかし語るべきこと、までもが何もないというわけではなかった。八王子より土浦までの道のりは、京都より岐阜までと同程度の距離と言って差し支えないであろう。その間、峻険な山や谷、或いは極端な隘路などはかなり少なかった。道のりで言えば道中の7割から8割ほどを過ぎた頃にようやく山々を見るようになったが、それでもそこまで大きく回り道させられはしなかった。広い広いと聞いていた関東平野であるが、実際にそれを突っ切るように歩いてみれば成る程これは濃尾平野よりもはるかに広いものだと、何となく悔しい思いを抱かされた。


「しかし流石に、これは近淡海(琵琶湖)の方が大きいで良いかな?」

「何を張り合っておりますの?」

そんな土浦より見渡せる内海、霞ヶ浦を見渡しながら呟いてみると、お珠がキョトンとした顔で小首を傾げた。


「かっはっは! 気にするなお珠! 大きさを比べたくなるのは男児の(さが)というものよ」

「あらまあ」

「いやそういうことでは」


言いかけて、なくもないのかもしれないなと反論を取りやめた。取りやめたがしかし、まだ幼さすら残る娘の前でそんな開けっぴろげなことは言わないで欲しい。たとえ本人が満更でもない顔で笑っているとしてもだ。


「道は開けてても、ちょいと前までは真っ直ぐにここを進むってことは中々出来やしないことだったんだぜ」

そんな俺たちに対して、少々感慨深げな様子で言ったのは小太郎殿だ。風魔の頭領は裏の顔、と言うよりは昔馴染みからのあだ名に近いものであって本当の名も勿論あるのだが、もうここまで来たら小太郎と呼んでくれたら良い、と言うので俺たちは遠慮なく小太郎殿と呼ばせて頂いている。


「土地に区切りらしい区切りなどなくとも、ここからあそこまでは誰ぞの領地、その向こうはまた別の誰かが治めている。通るためには関銭を支払え。と、人は勝手に区切りを作るもんですからねえ」

「んだなぁ。つっても俺らはそんな金も支払わねえで夜中に関所を通ったりわざわざ山中を突っ切ったりしてたけどな。領民がそんなだから、領主はどうにかして税を取って銭を集めてたんだ。銭がなけりゃあ戦はできぬ、ってばかりになあ」

ふむふむと頷き、また一つ心の中に書きつける。小太郎殿の話を聞いて分かったのだが、この辺りでも銭による大規模な商いは十分に行われていたらしい。そういえば飯を食わしてもらった時にも銭を支払っていたなと思い出す。


「それじゃあな、俺の案内はここまでだ」

そう言って、俺たちを近場の宿にまで連れて行った小太郎殿は、宿の人間としばらく話をしてからあっさりと去って行った。道中からいなくなるまでの間、誰かから尾けられていた様子はなかったというのは四郎の言葉だが、きっと小太郎殿は己の目で俺たちを観察していったのだろう。俺たちの素性まで全てがわかったとは思わないが、薄々勘付いているとしても不思議ではない。彼が仲間達の元に戻った時語る言葉が『織田家恐るるに足りず』でないことを切に願う。


「さても此度の客人は逆転の鬼札たるか、はたまた破滅への使者か」

翌日の朝、そんな意味深な言葉と共に僧形の男が現れた時、相変わらず味付けの濃い人物によく出会う人生だなと、俺は俺の巡り合わせを少々嘆息しつつ笑った。継ぎ接ぎだらけの衣服は文字通り、本来の意味においての『袈裟』のようであり、その割にしっかりと丸く剃られた頭や堂々とした立ち居振る舞いはどこか清潔感があった。痩せ型でひょろりと背が高い。よく見ると肩口に刃によるものと思われる古傷があり、いくさの匂いも感じさせられるものだ。恐らく壮年から初老の年頃だろう。


「うーむ。聞いていた通り、随分とクセの強そうなご老人と一団だ。こうも変わり者と出会うのは、拙僧が背負った業というものか?」

「お互い様じゃ」


どうも、俺が思っているのとそう変わらない感想を抱いたらしい僧形の男が言うと、雲八爺さんもまた笑いながら言い返した。それを聞いて相手も笑い、味付けの濃い、ないしはクセの強い老人ふたりが声を合わせて笑った後で、俺たちは自己紹介をすることとした。


「尋常ならざる面構えの老将、美しき姫君、忍びを思わせる若者、そっちのもう一人は、手はいかがした? 耳もか?」

「ええ、ちょっと昔戦で色々と」

「色々と眺めるばかりで、己語りはせんのかお主は」

一見にて俺の手も耳も見破られ、少なからず驚いていると話を遮るように雲八爺さんが言葉をさし挟んだ。


「風魔党に連れてこられたわけであるからして、一応拙僧も風魔党のひとりであると名乗らせてもらおうか。まあ、そのうち誰だかは分かる。実は拙僧こそお目当ての小田讃岐守氏治である。などというオチがついたりはせんので安心されよ」

などと言いながら、彼はとっとと俺たちを朝餉の場へと誘い、さも当然のことであるかのように共に飯を食った。食い終わればさっさと立ち上がり、俺たちを連れて(くだん)の土浦城へ。気負ったところがなく、飄々としていた。


「城へは向かわないので?」

「殿は、ああいや小田殿は今北条の客将身分まで落ちぶれておるゆえ、普段よりそこの屋敷で穀を潰しつつ悪巧みをしておられる」

今完全に殿(との)って言ったし、殿に対してなんだとしたら中々に無礼な物言いでしたね。などという突っ込みは入れず、俺たちはそのまま屋敷へと進んだ。まあ土地は有り余っているのだろうと思わせる程度には広い屋敷は、それ以上に広い庭が柵で囲まれており、その庭には色々と物が積まれ、更にはそれらの物を城へと運び込もうという人足が多く働いていた。どうも北の方から荷車や馬を使って遠路はるばるこの屋敷へ荷を届けに来ているようだ。八王子城のあたりだけでなく、この広い関東平野ではいつ何時いずれの場所であっても人足が動き回っている様子だ。おそらくこの広い土地を使ってこれまでに数倍する人々を養おうとしているのだろう。頑張れ彦右衛門殿。滝川一益という御仁が、正直既に乱世に疲れつつあった人物で、出来れば大領をえずとも京都(みやこ)周辺で安穏たる余生を送りたいと考えてきたことを知りつつ、俺は心の中で応援の言葉を送った。


「小太郎殿」

人足達にあれこれと指図している禿頭の男に、俺たちを案内してきた僧形の男が話しかけた。ぎょろりとした眼を持つその男は案内人の男に対し、源鉄。と返した。


「ふむ……客人か」

「また小太郎が現れたか。この辺りでは人に指図する者は皆小太郎を名乗るものなのかのう?」


ジロジロと、遠慮せず値踏みしつつ言う男に、雲八爺さんもまた遠慮のない答えを返した。言い方や態度が気に食わないという理由ですぐに刃傷沙汰を起こす武士という生き物を多く見てきた俺としては少しヒヤヒヤしたが、両者は互いにふふふ、と不穏な笑みを送り、軽く会釈をした。そうしてしばし見合ったのち、最初に話を始めたのは雲八爺さんだった。


「西国は全て強い方のオダに食われてしもうた。坂東武者もほぼほぼ牙を抜かれたようであるが、この辺りにおる弱い方のオダがそれでも牙は折れてないと聞き及んでおる。話は出来ぬか?」

「くっ……はっはっは。随分と気が強いジジイが来たものだ。源鉄。奥で茶でも振る舞ってくれ。まだこちらの荷運びの手配が終わっておらん」

「荷運びであるのなら儂らも手伝おう。何をどこまで持って行こうと言うのだ?」

「要らん。手配と言うたであろう。春刈りの作物をな、年貢として届けに来た者らがおる。土浦城まで運び込みたい」


小太郎の言葉に、おや、と首を傾げた。確かに秋に納められるばかりが年貢ではない。税の代わりに労働を以て代える場合も多い。しかしながら。

「あの荷物は、北の方から届けられたのだと思いましたが」


俺が思っていた通りの疑問をお珠が口にした。そう、その通りだ。ここ土浦よりも北には小田氏治が佐竹氏に奪い取られた小田城がある。土浦城と小田城、北条の後ろ盾を得る小田氏と、それに対する佐竹氏との勢力の境界がどこに存在するのかは知らないが、少なくとも小田城下やそれよりも北に住む者達からすれば年貢の届け先は小田城、佐竹氏になるであろう。今は小康状態とは言え、敵対する北条方に年貢が届くはずがない。


「この辺りの領民は律儀者でな。この土地の主人(あるじ)は小田氏であると言って、わざわざ届けにくる」

「なんと」

思わず声が漏れた。そんなことがあるはずもない。と思っていたことが起こっていた。戦の勝敗によっては一晩で領主が変わるのが戦国の世というものだが、そんな当代だからこそ生え抜きの領主というのは強く、民からも慕われる。織田家が勢力を伸ばそうという時いつも手こずったのは土着の国人領主や地侍であったし、ここ関東で言えば『他国の賊徒』と忌み嫌われた伊勢氏は幾度となく周囲を敵に囲まれてきた。北条に名を変え、寺社に多くの寄進をし、他の領主よりも低い税率としたのはそうやって地元の民との関係を良くしたかったからでもある。それでも尚歯向かってくる者どもは後を絶たなかったのだ。だが、


「慕われておるのお。小田城を奪われたのが正しく何年前であるのかまでは覚えておらぬが、去年や一昨年ではあるまい」

雲八爺さんの言葉に頷き、同意した。一致団結した農民が新しい領主に歯向かうことはままあることだ。追い出された旧領主がすぐ隣にいるとなれば、統治が上手くいかないこともあり得る。新領主の佐竹氏にしても、新しく領民となった小田城周辺の農民達を力で押さえつけ、それが却って北条氏が付け入る隙となってしまわぬよう暫くは黙認していた。と言うことであればわからないでもない。しかし小田氏治という人物が小田城を奪われてより既に5年が経っている。実際小田氏治が独力で以て小田城を奪還するのはかなりの難事であると言わざるを得ない。となればこの辺りの農民達にとって、こんなことをして得られるものなど全くない。わざわざ苦労をして佐竹氏から睨まれようとしているのだ。そんな不合理な行為であるにもかかわらず、今もって土浦城まで年貢を納めにくる小田城周辺の農民は後を絶たないのだそうだ。


「時勢が読めぬ頑固者が多くての。そこのそいつも含めて」

「小太郎殿には敵いませんよ」


互いに憎まれ口を叩きながら、源鉄と小太郎がニヤリと笑った。そうして立ち上がった男がこちらへと近づいてくる。ここまで俺たちを案内してくれた小太郎殿は身なり良く、棟梁といった風情であったが此度の小太郎はギョロリと眼光鋭く、禿げているのに立派な口髭を蓄えていた。当然のごとく、又も味付けは濃いめの人物と思われる。


「まあ、急ぐ理由も無し。元よりここに届けられた年貢だ。文句も言われまい」

「そのようなことを言うては小田原の御本城様に叱られましょう」

「構わん。いっそ我らなど出ていって欲しいと思っているであろう」

それから二言三言二人は話し、結局禿頭の小太郎に招かれ、俺たちは屋敷へと案内された。


「さてご老人。単刀直入に聞くが。貴殿らは何者か」

屋敷の奥には恐らくそれなりの立場を持つのであろうという者達が四名程待っていた。我々の一行も四人。それに案内してくれた二人を含め、その場にいたのは都合十名。


「はて、そう言えば儂としたことがそこもとらに身分を明かしておらんかったか」

「大概のことは聞き及んでおる。美濃斎藤家に仕え織田と戦った弓大将大島光義。戦場で立てた武功は数知れず、今は雲八を名乗っている。旧主の仇である織田に降るを潔しとせず、遥か東国、ここ坂東くんだりまで戦を求めてやってきた。大概は正しかろう」


禿頭の小太郎殿の言葉に雲八爺さんがうむと頷く。俺としては少々意外な事の運びだなと首を傾げたい気持ちであった。そこまで分かっていて、迷惑であると思うのであれば追い出すかこの場に兵を引き入れて取り押さえるであろう。逆に数少ない味方を得たと喜ぶのであれば何者かなどとは聞かぬであろうし、俺たち三人は人払いし、別室にて今後の話などをする筈である。


「それが誠であるのか嘘であるのか、誠であったとしてもそれが全てであるのか、嘘であるのなら本当の目的はどこにあるのか、それがわからぬ故に何者かと問うておる。のう、小僧」


黙って話を聞きながら考えを纏めていると、不意に小太郎殿が俺に話を向けた。同時に俺は合点がいった。言葉通り、今俺たちの目の前にいる風魔党一派は、俺達から本当のところを知ろうとしているのだ。たとえ雲八爺さんから目新しい話を聞き出せずとも、俺たち小僧小娘の顔色や声音、その一挙手一投足から。


「ほら爺さま。爺さまが言うことがあんまり無茶だから、こんな風に深読みされてしまうんだよ」

「もし土浦のお殿様が織田家に降伏すると決めていたら俺たち皆首を打たれて運ばれていますよ」

「お話を聞いて下さる方がいらっしゃるうちに、早くお家に帰りましょう」


とはいえ、こちらとて腹を探られるくらいのことは予想していた。予め決めていた通り『無茶なことを言う師匠に振り回される孫弟子』という体裁を保って言葉を投げかけてみれば四郎もお珠もそれに続いてくれた。それに対して雲八爺さんからは帰りたければ貴様らだけでとっとと帰れ。との返答。雲八爺さんだけは演技ではなく本当に戦を楽しみにしている様子がちらほらと見られるので少々怖いが。


「この三人が何を考えておるかまでは知ったことではないが、儂はこの通り単に戦に目がなく、少しばかり弓に覚えのあるジジイじゃ」

「……まあ、こちらもそうは聞き及んでおるが」

「因みに先ほどそこもとが言った通りの話が嘘なのだとしたら、一体儂らが何者であると考えておるのじゃ?」

「まずもっては織田家よりの間者。関東に織田家へ反旗を翻しかねぬ者はおらぬかを調べ、もしそのようなものがおれば焚き付け、大軍でもって叩き潰さんという計略ではと」


雲八爺さんの問いには源鉄が答えた。うん。まあそれはそう考えるであろう。実際間違いではない。


「或いは大島殿は大将ではなく、お連れの内いずれかが誠の大将。真なる目的は又別にあり。などとも考えられ申す」

続けての言葉で正解を出された。賢い御仁だな、この源鉄という僧は。


「であるとすれば、私はどのような真の目的を持っているとお考えでしょう?」

賢いついでに尋ねてみた。流石にそのような切り返しは考えていなかったのか、源鉄が初めて口籠った。そこまで分かる筈はないので仕方ないのだが、賢い御仁なのだから何かそれらしい理由の一つもあって欲しかったなと少々残念に思った。


「私であれば耶蘇会の布教などが真の目的として宜しいのではないでしょうか?」

突拍子もない切り返しをした俺のせいで話の腰が折れかけたところで、今度はお珠がさらに突拍子もないことを言い出した。突拍子もないが、しかしそれは確かにそれらしい理由だと思い深く頷いた。雲八爺さんもそれは面白いと同意し、四郎一人が何とも言えぬ顔で俺たちを見ていた。


「私の連れは皆浮世離れしておりますので腹の探り合いは不毛と存じます。なれば小太郎様。不躾ではございますがせめて名を頂戴出来ますまいか?」


何だか悟ったような口調で四郎が言うと、なぜだか周囲の者達が頷き、同時に四郎に対して同情的な視線を向けた。その意味深な口振りも気になったが、何故ため息混じりに言葉を紡いだのか。その言い方ではまるで俺も変わり者の側にいるようではないか。味付けの濃い人物の渦中にあってこの帯刀ただ一人は椎茸で出汁を取り軽く塩を振ったが如く上品かつ薄味の人物であると自負しておるというに。


「名を偽ったつもりはないがな、四郎とやら」

「であるにせよ、我らはこれまで『小太郎』という名は全て『風魔党』なる有名無実な一団の頭として聞き及んで参りました。相手が勘違いをすると分かっていながら説明を怠るというのは、騙していると大差なきことかと」


んん? という声が、老いと若きと娘と、三つの声音で響いた。腹の探り合いに終始し進んでいなかった話が一気に核心に迫っている感じがする。


「道理であるわ」

「ご無礼は平にご容赦」

「よいよい……大島殿」


そうして居住まいを正し雲八爺さんに視線を向けた小太郎が、すっと目を細め咳払いを一つして口を開いた。


(わし)の本姓は藤原。宇都宮氏の流れを汲み、足利公方家よりは関東八屋形が一家に列せられ、そして今、居城を奪われ、北条の客将にまで落ちぶれた。幼名は小太郎。此度の道中にて幾度となく名を聞いたであろう小田氏治とは、この身のことよ」

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[一言] 帯刀の味付けはどて煮か味噌おでんだと思うの。
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