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信長の庶子  作者: 壬生一郎
津田所司代編
146/190

第百四十六話・信長の庶子

「孫市……?」

「おお、生きてるじゃねえか。手遅れかと思ってびっくりしたぜ」


視点が定まらない眼で、ぼんやりと男を見上げる。俺の家族を殺し、俺に家族を殺され、俺に生かされ、俺に仕えなかった男、雑賀孫市がいた。


「どうして」

「手前の嫁に追い出されたからだよ」


しゃべるんじゃねえ、と俺に言いつつ、孫市は俺の手首に布を巻いて止血をし、傷口に薬を塗った。肌に付ける、どころではなく全体に摺り込むかのように、一気に体全体に塗りたくる。


「孫市は……」

「俺らのところにも、当然来たぜ、信長に、信忠に、信正に、あの野郎どもをぶち殺さなけりゃ気が済まない。手伝ってくれ。ってな奴らがな。個人の怨恨から、誰が裏にいるのか調べても分からなかった奴まで、大量だ。まあ、織田家でも調べはしてるだろうけどな」


恐らくその時、孫市はなぜ自分がここにいるのかの説明をしていたのだと思う。襲われた後、最初にやってきた理由、用意周到に血止めの薬を大量に持っていた理由、孫市は既に天下にしがらみのない自由な男であるが、それでも自分が下手人だと思われれば織田家から再び追手が差し向けられる。自分だけでなく、かつての部下達も皆捕らえられ一族郎党皆悲惨な最期を遂げるだろう。だから、自分は違うぞと俺に伝えつつ、俺を助けた。尤も、この時瀕死だった俺はそのように先の先まで読むような思考は出来ていなかったが。


「一応、少しは世話になった仲だからな。ほとぼりが冷めるまでは多少警戒をしていたんだが、見事に出し抜かれて、大急ぎで駆け付けて、表の連中が死んでるのを見て、やってきたら爆発が起こって、今だ。後で俺の詮議はキッチリやってくれよ。折角助けに来たってのに、黒幕扱いされて打ち首なんてのは御免だぜ」


簡単な手当てを終えた孫市は、俺を一気に持ち上げその背に担いだ。


「野郎を担ぐ趣味なんてねえのに、すっかり慣れちまったよ」

「……ごめんな」


気にするんじゃねえよと言われ、俺は孫市の背に身体を預けた。片手が無く、体に力も入らないと背負われることすら楽ではないのだが、それすらも慣れている孫市は俺の身体を自分の身体に巻き付けるように手早く紐で結ぶ。


「左手が無くなってしまった。どうしよう」

その声は、殆ど呟くような、寧ろ囁くような、小さな小さな声であったが、背負われている関係上、孫市にだけはよく聞こえた。


「お前、新次郎の奴に字が書ければ剣術など必要ない。みたいな事を言ってたじゃねえかよ。どうせ左じゃあ字なんか書けやしねえんだから丁度いいだろ」


すぐにそう言い返され、そうかもしれないなと思った。


「おい、寝るなよ。でかい声でしゃべる必要はねえから」

俺の身体に力が入っていないことを危惧したのか、孫市が背をゆする。出血が多い時には眠ると死ぬ、と言うのは本当の事なのだろうか。先程から妙に喉が渇いている。


「織田の天下は……安泰か?」

「手前がいりゃあな。家臣共も軒並み手強い。次の当主も、兄貴ほどじゃないにしろ肝が据わってる。今更天下が転がったりはしないだろう」

「天下など、すぐに……転がるぞ」

「あん?」

「十兵衛殿はな」


十兵衛殿、という言葉を聞き、孫市が少し考え、あの若い爺さんかと答えた。そう。若々しすぎるが、十兵衛殿は既に老人と言って良い年齢の方だ。


「殆どの場合、十兵衛殿は織田の忠臣だ。滅ぶその瞬間まで忠義を尽くし、或いは小早川殿のように、鍋島殿のように、何とか織田の家名を存続させてくれる。だが、俺の知る限り一つだけ、織田家を、父を殺す事がある」


孫市は、俺の言葉に答えなかった。続けろとも辞めろとも言わず、俺はそのまま思ったことをただ口にする。


「斉天大聖は悲しい奴なんだ。不幸になればなるほど、孤独になればなるほど出世する。親友であった筈の家臣や子供を失って、たった一人になった寂しさを埋めるように天下を目指し、母や弟も亡くしてしまう。そして、そうなったあの男を誰一人として止められない。鬼になった斉天大聖は全てを手に入れるけれど、自ら家族を殺してしまう悲しい老人になる。手に入れたものが大きければ大きい程、その滅びも壮絶で、悲しいものになる」


今の斉天大聖は幸せなはずだ。竹中半兵衛があの出来人兄弟を激励し、子供も元気に育っている。幸せであれば斉天大聖が埋めなければならない孤独は存在しえない。ならば、羽柴家は織田家を支え続けてくれるはずだ。


「織田家の、どの家臣らにも、どの大名にも天下を得る機会はあったんだ。農民上がりの天下人など珍しいことでもない。この乱世に立った全ての男子に、等しく天の時はあったんだ」

「さっきから、何の話をしてるのか、分かるようでよく分かんねえな」


孫市が答えた。そうだなと言い、笑う。天下など、簡単にその形を変えるという話だ。


「それらの天下に、俺は悉く存在していなかったよ。敵としても、味方としても、誰一人、俺の名前すら知らなかった」


有名であったり無名であったりという者は何人もいた。だが、悉く、誰もが知らぬというのは俺だけだった。織田信長の長男は勘九郎信忠。その兄などいない。誰もが口を揃えた。


「聞いた話だ、全て、母の腕の中でな」

「おい大将、嫁が見えたぞ」


自分がどこにいるのか、既によく分かっていなかったが、そう言って孫市が肩で俺の肩を押し上げた時、『タテ様!』という声が聞こえた。村井屋敷から来たのだろう。親父殿の姿も見える。


「大将?」


返事が出来なかった。眠い。遠くで、大将、と叫ぶ声が聞こえ、俺は目を閉じた。





「織田信正 天文23(1554)年~天正4(1576)年

織田信長の庶子にして長男。呼び名は帯刀。母は原田直子。


天下所司代という名で後世広くその名が流布されるが、当時においても現在においても『天下所司代』という役職があったことはなく、誤りである。又、天下という単語から、彼が弟である織田信忠よりも上位に格付けされており、織田信忠が織田家の家督を得、征夷大将軍平氏長者となったのは彼の死によるものであると誤認している者は多いが、これもまた誤りである。平氏長者を除き、織田家の家督を得たのも征夷大将軍職を得たのも信正存命中のことであり、少なくとも父信長や家臣団の中では織田家の跡目は信正ではなく信忠にという共通認識があったことは間違いない。天下所司代と呼ばれるようになった所以は、信正が養父である村井貞勝の後任として京都所司代になった事と、彼が五畿内(大和・山城・河内・和泉・摂津)の五ヶ国を領有していたことに所以する。当時、天下という言葉は『日本全国』というよりも寧ろ『五畿内』という意味合いが強くあり、これが後世の誤認に繋がったものと思われる。


羽柴秀吉家臣の竹中重治の日記には度々姿を現し、その中において『我が恩人』『我が友』と幾度となく書かれていることから竹中家、ないしは羽柴家との深い交友が伺われる。又、森家家臣各務元正が纏めた軍略本『元正覚書』には当代有数の賢人にして、種子島が戦場を支配せんとする世において、これに対抗する策を模索する勇敢なる御仁。と評されている。浅井家家臣藤堂高虎は『若い日の弾正尹様から一食の恩を賜った事がある』と、その情け深さを語っている。奥村助右ヱ門の名で後世広く親しまれている奥村永福(ながとみ)と両者共通の友人である前田利益の三人とで諸国を漫遊したという話は後世の創作であるが、少年時代に南紀を船で回ったという事実はあるとのことで、子供の頃から好奇心旺盛、かつ広い交友関係を持つ人物であったと知られる。


このような快活かつ親しみのある人間性を知らしめるものと共に、一方で父信長以上の残虐性や気性の荒さを知らしめる挿話にも事欠かない。当時の織田家筆頭家老である林秀貞とその一族に侮辱されたとして討論に及びこれを論破。織田家から追い出したという話と、それを見て父信長が息子を恐れ、家督相続権を奪ったという筋の物語は古今多く描かれている。しかし実際にはこの問答と林家の追放は同時期ではなく、林秀貞が信正との問答において家中での立場を落としたことは事実であったとしても、追放と直接の関係はない。妹相姫の婿である蒲生氏郷は後年家臣に対し、義兄には事あるごとに虐められ、大変な苦労をした。と語っており、父信長が見初めた蒲生家を、九州の辺境に追いやったという事実からしても、仲の悪い相手に対しては容赦のない人物であったことが伺える。西国攻めに際しても、長宗我部家は加増移封、毛利家は減移封、龍造寺も減移封、大友は追放、そして島津は殲滅と、露骨な対応の差を見せつけている。


『帯刀仮名』『帯刀問答』『帯刀造』など、その諱が使われた言葉が後世に伝わる。仮名については九州の名族原田家の娘である原田直子の指導であったとされ、一部では帯刀仮名ではなく直子仮名と呼ぶのが正しいとの意見もある。仮に仮名文字の編纂が帯刀のものでなかったにせよ、元服前から文字を嗜み文章も達者であったということは事実であり、直筆の竹簡や書簡は多く残っている。帯刀問答に関しては京都室町小路において行われた宗教問答を指してこう呼ぶ。この問答は、当時宗教勢力、とりわけ信者の数において群を抜いていた浄土真宗大坂本願寺派との戦いに辟易していた織田家の勢力拡大を大いに助けたものとして評価されている。小説や漫画、ドラマの中では信正が本願寺顕如や延暦寺、基督教の重鎮らを次々と問答で打ちのめし、ひれ伏させるというものから、逆に言い負かされ、その理を認めるという内容まで多岐に渡る。記録によれば信正は織田家の代表の一人として専任されてはいたものの、その問答は南光坊天海が行ったものであり、織田信正が他勢力を弁舌で打ち破ったという事実はない。しかし、歴史的事実として、この問答の後織田家は最大の強敵であった浄土真宗を味方に付け、天下統一までの道筋を大いに縮めた。そしてこの問答の場を用意したのは当時織田家一門衆として確固たる地位を築きつつあった信正であることに間違いはない。帯刀造、に関しては家臣古田織部や織田有楽斎、高山右近らが信正の意を受け、己好みの物を大いに創出せよと命じた結果の産物であり、そこに信正が多く関与した記録はない。だが、これらの名物品が織田幕府統治期を通して作り続けられ、今も尚その伝統を伝えていることから、文化の発信者として、パトロンとしての評価は高い。


父信長との関係は良好であったとも、険悪であったとも伝えられる。織田家が畿内を掌中に収めた後、東は信忠に、西は信正に大将を務めさせたことから、信長はこの時においてもまだ後継者を決めかねていたという指摘もある。一方で原田家の子であり、血筋で言えば信忠よりも良く、その上で兄でもある信正をこの時において尚後継争いに置いていた事が既に両者の関係が悪かったことの証左であるという意見もある。織田家の本領である尾張・美濃・安土を信忠に任せたのに対し、信正は京都を含めた五畿=天下を抑えていたこともあり、信正に対しての父信長の仕置きが信正優遇策であるのか、信正敬遠策であるのか、議論は今もって決着していない。


弟信忠との関係は、父信長との関係以上に議論の的となる。後世『野心家』『策謀家』の印象が強くもたれている織田信正であるが、記録上彼が弟信忠に対して反旗を翻したことは一度も無く、それどころか時によっては四男である信孝よりも下の立場として名を連ねていることもある。又、生涯を通じて信正の行動は織田家の利益を求めたものとして一貫しており、弟に対してはともかく、織田家に対しての忠節には疑いがない。一方で、信正存命中には信正に織田家の家督をという意見が常に存在していた。又、九州戦役の折、信正は自ら自分の事を『悪魔』と称している。これは『第六天魔王』と自身を称した父信長の跡を継ぐものであるという明確な意思表示であり、この時こそ、信正が弟信忠に対し明確に対決の意思表示を示したものであるという説も存在する。


もし、信長死後まで信正が存命であった場合、織田家はどうなっていたのか。古今東西で議論されてきたもしもであるが、これが現実のものとなるよりも先に、信正は天正四年七月の二条御所失火により落命する。事故説、暗殺説、自殺説いずれもが取りざたされているが、真偽のほどは明らかでない。現実のものとして、この時点で弟信忠に対抗しうる後継者は存在しなくなり、この時をもって織田家の天下が真に盤石のものとなったという、皮肉な結果をもたらしている。暗殺であった場合、朝廷説、幕府遺臣説、上杉謙信説、武田遺臣説、島津遺臣説、織田家臣説、寺社勢力説、等々枚挙に暇がない程容疑者がおり、そしてどの説も決定打に欠ける。決定打に欠ける理由は、この二条御所失火の後、前述したいずれの勢力も咎めを受けた形跡がないことに起因する。更に言えば、この後、織田信正の子孫らは津田家・原田家・村井家の後継として、いずれも大領を有することとなり、被害者である織田信正も含め、この二条御所失火による大きな勢力変動は一つもなかったということになる。その為、この失火の黒幕は信正の両親即ち信長と直子であり、その後の信正一族の繁栄はその詫びであるという奇説も存在する。


奇説としてもう一つ、存命説にも触れておきたい。織田信正見性軒説である。信忠以降の織田四代に仕え、将軍相談役として天下を差配したともされる人物でもあるが、彼の前半生は謎に包まれており、常に被り物をしていた事、隻腕であったことから、彼こそが、二条御所失火の後生き残って名を変えた織田信正ではないのかという……」




「タテ様」

「ん……」


眼を開けると、顔が逆さまになったハルがいた。どうしたことかと思い、膝枕をして貰ってそのまま寝ていたことを思い出す。


「いやすまない、熟睡してしまった。もう食事か?」

「はい、良い夢を見ているようでしたので、もう少し眠らせて差し上げたかったのですけれど」


構わないと答え、上体を起こす。確かに面白い夢だった。続きが惜しいと思いつつ、しかし、続きはこれから分かるとも思う。


「事実とは、事実のまま伝わらないものだなあ」

「どうしました?」


伸びをしながら言うと、又何か変な事を言っているなという様子のハルの声が聞こえた。そのハルに振り返り、質問をする。


「ハルは、俺と父上や、勘九郎の仲が悪いと思うか?」

「御三方の仲が悪いようでしたら、仲が良い方々とはどんな方々ですの?」


コロコロと笑いながら言うハルに、そうだなと答える。ぐぅと腹が鳴った。腹が減った。生きているのだ、当然である。


「今日の飯は何だ?」

「最近、タテ様が太り気味ですからね、お魚と煮物ですよ。お肉と甘味は我慢して下さいまし」

「肉は我慢できるが、甘いものは耐えられんな」


駄目ですわ。と、ハルに言われ、はいはいと俺は答える。


「長生きして下さいまし」

笑顔で、しかし切実に言われ、俺は頷く。そうだな。生きねばな。


「もう少し、待っていてくれ」

誰にともなく、俺は呟き、ハルの後を追った。


「俺は、生きることにする」

寂しいが、辛くはない。世は、これ程までに愛に満ちているのだ。

この物語はフィクションであり、織田信正という人物が実在したかは定かではありませんが、その名が、筆者と皆様を繋いでくださったことは真実です。

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戦国大河ホームドラマやな
この作品は、ほんとに最高でした。
[一言] 一人の人生を見たような気持ちになる小説でした。 最初からずっと面白かったです!
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