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信長の庶子  作者: 壬生一郎
津田所司代編
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第百四十三話・泰平一年目

 天正三年冬の戦いを終えた後の話をしよう。川中島での戦闘を終えた後、俺は暫く善光寺に留まった。同地において上杉軍が春日山城に籠ったことを確認し、負傷兵を美濃へ返し、天正三年の間に信濃は完全に織田の手に落ちたのだという主張を内外に行なった。


 やがて、父が勅命講和を受け入れ戦争が終結する。天正三年の年の瀬に俺は美濃へと帰還した。そしてその後の織田や上杉の動きについて、俺は触れていない。いや、全く触れていないと言い切ってしまえば嘘になるが、しかしながら前面に出て取り仕切った訳ではないというのも確かだ。美濃で勘九郎、三介、三七郎の三人と再会した俺は兄弟で年を明かした。安土の父から顔を出せという手紙も来てはいたが、朝廷との交渉などに参加したくはないので戦後処理の名目で逃げさせて貰った。元々俺が必須だった話ではない。倅達が自分を除いて仲良くやっているのが気に食わないだけなのだから、頑張って頂こう。それが兄弟四人で出した結論だった。心月斎殿も五郎左殿もおられるのだ、父は父の世代で頑張ってくれたら宜しい。


 天正三年の冬から天正四年の春に至るまでの間に、最も忙しなく動き回った人物は近衛前久卿であったという見解は衆目の一致するところであろう。前久卿は盟友たる謙信公を、ひいては上杉家を救う為京都と安土、そして美濃を移動して回った。北陸程ではないとはいえ、雪が降り積もることもあったというのに、流石の前久卿であった。


 謙信公は年が明けてすぐ、僅かな近習を連れて雪深い春日山城を出で、安土へと向かった。和議の成立を言祝ぎ、上杉家が以降織田家に忠誠を誓うことを約し、そして己の隠居を宣言した。


 隠居した謙信公は『寒さが身に染みる』とそのまま安土で、或いは美濃で生活することの許可を父に求めた。明らかに、己の身を質とするその行為は屈服にほかならない。その他養子であり北条氏康の実子でもある上杉景虎を北条氏に帰すことなども決めた。上杉家の跡目は上杉景勝が継ぐ事となる。景勝殿に正室はいない。今後織田家の子女が嫁ぐのか、それとも織田家の男子が跡継ぎとして押し込まれるのかは分かっていない。だがその辺りについても暗黙の了解として講和の条件に組み込まれているようだ。


 上杉家は佐渡と信濃を失い、ほぼ失陥していた越中も没収となる。関東方面、上野に持っていた領土も併せ、百万石をゆうに超す領土を削られた形だ。だが越後一国と出羽の一部は安堵され、その領土は五十万石から六十万石程度残った。東北出兵に際して一万五千の軍役を課され、長期に渡る遠征を強いられるなど、これ以降も上杉家には辛い時間が続く。だが、それでも上杉家は戦国百年を生き残り、大大名として家を存続させる。最早戦争が無くなった世において越後平野の干拓に精を出し、これに成功することがあれば百万石やそれ以上も夢ではないだろう。関東平野や濃尾平野もまだまだ開拓する余地はある。そのようにして競い合う時代がくれば良い。などと良い話風に終わらせようとしてしまうのは勝った側に座る人間の身勝手な思いだろうか?


『終いにする、とは何を終いにするという意味で使われたのでしょうかな?』

 正月、俺は安土に滞留する謙信公とお会いした。謙信公はやはりあの日戦場でまみえた人物で、開口一番にそう質問してきた。


 『戦国乱世を、という意味で使いました』

 そう答えると、謙信公は口ひげを撫で、二度三度と頷いた後、俺は上杉家を、という意味で使ったと答えられた。


 その後の会話で、あの時戦場で謙信公が何を考えておられたのかを知った。謙信公はあの日、戦闘において俺を殺すことではなく、俺を攫うことを目的としていたのだそうだ。孫市が言った通り、俺を殺すことは却って上杉家の滅亡を招くこととなる。首尾良く攫うことが出来れば、人質を担保に上杉領二百万石を有したままの降伏が可能になるかもしれぬという謙信公の狙いであった。


野戦において敵の大将を攫う。それは余りにも困難であり、およそ不可能な難事ではある。だが、それでも謙信公は敵大将の誘拐を狙い、武田軍を使って俺をおびき出そうとしていたらしい。ただ戦闘を避け、何事もないままに帰りたいと思っていた俺の浅薄な考えが、労せずして軍神の神算鬼謀を躱していたことになる。


 『その年で、天下泰平について考えておられたか、俺の負けですな』


 そう言って謙信公は頷いた。俺は首を横に振り、俺の負けだと言った。こちらは倍の兵を用意しており、俺は全力で殺しにかかったが向こうはそうでなかった。それでも終始防戦一方だった。勝てたとはとても思えない。


 『もし、帯刀を殺さんとしていたならば、可能でしたか?』


 俺の質問を、謙信公は『はは』と、軽く笑って誤魔化した。それは確かに、容易く答えられる話ではないだろう。だが、それで十分だ。俺は負けた。勝ったのは織田家。味方の戦死者は少なく天下は治まった。それで良い。


俺は謙信公に茶を点て、以降とりとめもない話をした。最早大戦はないであろうから何か趣味でも作ろうと言う謙信公に、琵琶湖で釣りなど如何ですと勧めたり、母君が面白い飯を出すらしいから是非食べさせてくれと頼まれたり、そんな一日だった。


四月、父が隠居した。安土城を引き払い岐阜城へ。入れ違うようにして勘九郎が安土城へ入城した。織田家の主は安土城を本城とする事を明言した形である。家臣一同が集まり、新しい当主である勘九郎に対して忠誠を誓った。京都どころか畿内すらも蚊帳の外に置いた跡目相続は朝廷にとっては面白くないものであっただろう。


父は上杉家と同様かそれ以上に武田家を恐れ、武田家滅亡後にも執拗に武田遺臣を攻撃していたが、隠居した以上後は自由にしろということであるのか、勘九郎が武田遺臣を家臣化することには文句を付けなかった。武田信盛に対しては一万石、最低限ではあるが大名格として遇し、家名の存続を許した。


結局、孫市は俺の家臣になってはくれなかった。『あの連中を頼む』と言って子分達を押し付けた後、全国を漫遊、するでもなく京都周辺を出歩いては度々俺にも会いに来る。『大将のような良い男はもっと女に情けをかけてやれ』と言っては女遊びをさせて来るものであるから、ハルからは蛇蝎の如くに嫌われている。あんまり、人や物に執着しないハルが『タテ様は私の旦那様です。商売女などにはあげませぬ』と言ってくれたのは少し、いやかなり嬉しかった。その後、ハルの機嫌を直すのに少々の時間はかかったが、それでも俺達夫婦は上手くやれていると思う。


鹿之助は尼子宗家の生き残り尼子義久殿を当主に迎え、近江に領地を得た。尼子氏の復活を果たし、そしてその家臣として生きる事になった鹿之助の京大坂での人気は留まるところを知らない。己が当主になるのであれば百万石を得られたのにも関わらずそれを蹴り、主の家臣となりその禄を食む忠臣鹿之助。そんな巷談話をしている者を俺も何度か見た。百万石は大袈裟だが、確かに鹿之助であれば、自分の手柄だけで大領の主になることは出来ただろう。


一命をとりとめながらも片足となった新次郎は一旦京都にて療養し、その間に算術や読み書きなどを勉強し直している。木で義足を作り、刀を振るい馬にも乗れるよう訓練をしているようで、心配はしていない。先は長いのでゆっくり療養しておけと伝えた。命があるのならば、全ては笑い話だ。


五月になると、勘九郎自らが十万の兵を率いて東北へと出兵した。代替わりした織田家当主の威信を知らしめる出兵は、戦闘らしい戦闘も殆ど行われず、上杉討伐や関東出兵の際に織田家に逆らっていた諸豪族の領地没収を行うだけで終了した。ひと月余りの行軍の後、織田家は又直轄地を増やすことになる。


改めて天下統一を果たしたことを宣言した勘九郎は、父の悲願であった朝鮮出兵、ひいては大陸征服について西国の者らに話を聞いた。聞いた話は『どう攻めるか?』ではない。『攻めた領地を日ノ本の領土とすることは可能か?』である。


意見は様々に出たが、小早川隆景殿が行った元寇の話が結果として出兵の是非を決定付けた。かつて元寇の折に、朝鮮半島に存在した高麗国はモンゴル帝国に対し完全に屈服するまでに四十年余り抵抗を続けた。この先例を見るに、大陸侵略の足掛かりとなる朝鮮人民の抵抗は激しいことが予想され、少なくとも十万の兵を、短くとも十年派兵することが必要となる。


軍同士の戦闘に勝つことは恐らく難しい話ではない。だが、根本的に日ノ本を格下と見ている彼らが日ノ本に心服することも無い。長引けば宗主国たる明が援軍を出して来る。その辺りまでの予想が立ったところで勘九郎が『そんなに面倒ならばやめておこう』と言い、少なくとも当代における大陸出兵は中止となった。代わりに、蝦夷地や琉球へと手を伸ばすそうだ。蝦夷地には強力な王朝はない。琉球王朝は例え攻めたとしても明からの援軍が来るとは考え辛い。上手くやれば、俺達の眼が黒い間に日ノ本と呼ばれる土地が一回り二回り大きくなる。首尾良く成功したならば更に先に領地と出来る土地がないか、交易出来る国がないかを探すのだそうだ。とりあえず俺に出来ることは対馬や済州島辺りを含め、日ノ本の土地をねぐらとする海賊を完全に駆逐することだ。大陸や朝鮮の海賊が大半となった倭寇であっても、日ノ本の土地を使わないという訳ではないだろう。




天正四年六月、安土。




「くっころせ!」

「違うわ誾千代ちゃん。そんなに力強く言っては意味がないのよ。後ろ手に縛られて不安を感じつつ、それでも強がる感じで『くっ、殺せ……!!』と言わないと。誾千代ちゃんの言い方じゃあ手下のならず者達にくっ殺す事を命令するみたいだわ」

「私は囚われないし、不安も感じません!」

「えー、でもそれじゃあ誾千代ちゃんのくっころ感が無駄になってしまうわ。於国ちゃん、ちょっとやってみて」

「はい、直子様」

「……一体何を仕込んでおられるのです?」


安土城の城下、家臣らの屋敷が立ち並ぶ一角で、母が子供らと遊んでいた。


「ええと、敵に捕らえられた時の練習を」

「そんな練習はしないで宜しい。既に世は泰平、そして誾千代は女です」

「でも於国ちゃんのくっころはとっても上手ですよ。思わず『グヘヘ、可愛がってやるぜ』と言いかけてしまうくらいに」


ちょっとやってごらんなさい、と言って母が指示を出すと、於国がはいと頷き、手を後ろ手にする。よしなさい。


「そんな悪ふざけをする余裕があるのでしたらうちの子供らに良い縁談を考えて下さい。折角可愛い子らが増えたのですし、ご近所も増えたのですから」


今、京都の二条御所には俺が引き取った子供らや妻子はいない。勘九郎が家臣らに三年間妻子を安土に住まわせるよう命じたからだ。俺や三介、三七郎辺りは頼めば免除されたかもしれないが俺は寧ろいの一番に家族を安土へと送り込んだ。一度でも俺が特別扱いされてしまえばいつそれが当たり前になるか分からない。俺にとっても勘九郎にとってもそれは悪いことでしかないのだ。単身京都に残ることになったのは辛いが仕方がない。


「ハルは?」

「ついさっき孫市君が来られて」

「それはそれは」


『いやらしい人が跨ぐ敷居は我が家にはありません』と、箒を持ったハルに追い掛け回されている孫市を見たことがある。孫市は楽しそうにしていた。子供達には人気であるそうだ。警備の兵達とも仲が良いし母は来たら通して良いと言っているので侵入を防ぐのは難しい。そのうち悪い遊びも教えるのだろう。子供にとってみればああいう悪い大人は魅力的に映るものだ。


「平和なことですね」

「後で怒られるのは俺なのですがね」


言いながら、今日は努めてハルの機嫌を取ろうと思った。祝言を挙げるまでには何の苦労もなかったというのに、共に暮らし、子が出来、今に至るまでの間には随分と苦労をしてきたように思う。男女の仲は結ばれて終わりではなく、結ばれてからが始まりなのだ。という言葉は本当だなと心から思う。


「きっとこれからが大変なのでしょうね」


これからも沢山の苦労をするのだろうな。等と考えていると母がポツリと呟いた。まさか頭の中を覗かれていたのかと思い、男女の話ですか? と問うと泰平の話です。との返答。


「男女の仲が、結ばれてからが本番であるように、恐らく天下というものも、泰平となってからが本番なのですよ。家臣は主に、主は家臣に、民に、同僚に、仲の良き者に、悪き者に、それぞれ気を配り合って、放っておけばすぐに転覆してしまう天下船の舵取りをしなければなりません。明確に敵がいて、越えなければならない壁がある戦国の世と違い、敵も問題も、分かり易い形で表れてくれたりはしません。分かり易い形で現れた時にはすでに手遅れであったりもするのです」


真面目な話だった。そうですねと答える。誰がどう聞いても、そうですねと思うような内容ではないだろうか。


「気を配り合うというのは、簡単なようでいてなかなか難しいことです」


勘九郎が朝廷に対して何か過激な事を言っていた記憶はない。今後も勘九郎が帝に対し無茶な要求を突き付けることはないだろう。朝廷は織田家を認め、その庇護下にある。当然気配りは欠かさないが、織田家とて、日ノ本の権威の頂点を蔑ろには出来ない。衝突は避けられたのだ。両者は今後も権威の頂点と実力の頂点という立場にて互いに気配りをしあってゆくだろう。そこに、最後まで負けず戦国を駆け抜けた上杉家がどう絡んでくるかによって、また天下が揺らぐかもしれない。


「殿は最近、関白様や謙信様と仲が宜しいようですよ」

難しいなと思っていると、母が微笑み、俺の事を悪戯っぽく見ながら言った。


「まさか、あのお二人と」

「鷹狩と、戦場においての武勇譚で盛り上がったそうです」


首を傾げながら聞くと、成程と思える答えが返された。三人とも確かに好きそうだ。


「上杉家との事があるまで殿と関白様の仲は良好でしたからね。関白様が間を取り持ち、謙信様とも知遇を得たそうです」


頷く。あの三名の仲が良い。それは天下を確実に安定に近付けるだろう。


「仲が良ければ上手くゆく。それもまた、天下であろうと夫婦であろうと変わりませんね」

「何とも単純な見解です」


そうですねと母がまた笑う。いつも楽しそうにしている人ではあるが、今日はいつもより一層楽し気だ。そんな母を見ていると気持ちが安らいだ。


「安土の桜も散ってしまいましたね」

「当たり前でしょう。もう六月ですよ」


京都では満開の桜を見た。安土でも、一度も見なかったわけではない。だが安土の津田屋敷の中で家族と共に桜を見る機会は逸した。構わない、また来年見よう。俺には来年も、十年後もある。五十年後があってもおかしくはない。


「母上、ありがとうございます」

「あらあらまあまあ」


唐突に礼を言うと、母がちょっと驚いたように俺を見た。


「何についてのお礼でしょうね? 心当たりがないようでもあり、沢山あるようでもあり」


言われてみれば、一体何に対しての礼であるのか分からなかった。少し考えて、それから丁度良いものを見つけて、言う。



「帯刀を産んで頂いて、ありがとうございます」



母の顔を見て、それから深く頭を下げながらそう言った。

その日俺は母を大泣きさせてしまい、それを見つけたハルに叱られ、事情を説明し、そして皆で夕食を共にした。平和であった。


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