第百四十二話・決着の時
越後という国は、山国の多い日ノ本において珍しい開けた平地の多い土地であり、その上広い面積を持つ。
以前、信濃や甲斐について述べた時のようにもしもこの土地を真上から見下ろすことが出来たのならば、越後一国は他国に比べ肥沃であると思うだろう。恐らく、この国を征する事が出来た者は近隣諸国を圧倒して余りある力を持つと予想する筈だ。
だが、真上から見下ろした後、更に視線を近づけ越後の大地を見ることが出来たのならば、その土地に住む者の苦労や、越後という国の大地がどれだけ厳しいものであるのかを、恐らく知ることとなる。
大河の氾濫相次ぐ湿地帯は大の大人が飲み込まれてしまうような底なし沼続きであり、これらの土地を開拓し米の生産高を増やすことは困難、どころではなく不可能に近いことだった。米の収穫は疎か、雨が降れば周囲に水が広がり、全ての作物を流してしまう。湿地帯それだけであれば、尾張美濃に広がる濃尾平野や関八州の中心地関東平野でも同様なことではある。だが、他二つの大平野と違い、この越後平野と呼ばれる地帯は豪雪地帯でもあった。必然として、越後の中心的な都市は地理的な中心にある越後平野ではなく、それよりも遥か西の山間にある春日山城となっていった。
夏は雨に流され、冬は雪に覆われる。広い土地と厳しい気候は、この土地に住む人々を辛抱強くはしたが、しかしこの土地に住む人々を一つに纏めてはくれなかった。軍神、上杉謙信はそのような土地に産まれた。
長男として生まれたわけでもなく、又、父親に疎まれていたという謙信公は本来家督を継げる立場にはなかった。だが、謙信公は初陣にて反乱を鎮圧し、その武威を知らしめ、名をあげた。戦国の世において国を栄えさせてくれる主とは即ち強い主だ。今川氏真殿や三介が多くの才を持ち合わせていながら無能と呼ばれるのが偏に戦に弱いからであるように、あらゆる欠点は強いというただ一点によってかき消された。
周囲の家臣に担ぎ上げられて長尾家を継ぎ、越後の守護代となり、やがて国主の立場を得る。相次ぐ反乱を鎮圧し、そして南から攻め寄せて来た最強の侵略者、武田信玄との戦いに身を投じる。
軍事において右に出る者なし。ただそれだけの理由が、謙信公に人たることを許さなかった。越後の豪族達も、信濃から逃げて来た者達も、関白近衛前久卿や、関東管領たる上杉家ですらも、その圧倒的な光を頼りに越後へと集まった。仲違いの多い越後の国人衆が一つになった訳ではない。寄り合い所帯である他国からの者らが仲良くやれている訳でもない。ただ一人の圧倒的な個性が戦国最終盤において我の強い彼らを纏め上げた。関東管領上杉謙信は、人ならず龍であり、軍神であり、毘沙門天の化身である。その信頼あればこそ、上杉の兵は天下を向こうに回しての戦に身を投じることが出来たのだと俺は思う。
もし、上杉謙信という人物がもう少し弱ければ、北陸は誰かの手に落ち天下争いから脱落した筈だ。いや、果たして謙信公が天下人となる野心をどれだけ持っていたのかすら怪しい。天下に、即ち畿内に向けて謙信公は自ら赴くことはあっても兵を差し向けはしなかった。代わりに行なったのは己を頼って来た信濃の豪族の援助であり、反乱を繰り返す揚北衆の鎮圧であり、関東管領としての出兵であった。
ただただ助けてくれと縋る内外の者らを助け、戦い、勝ち、それを繰り返して大きくなってきた上杉家は今、戦国の世に最後まで残った二人の雄の内の一方とまで成長している。
そんな上杉謙信公が、最後の最後において選んだ戦場が宿命の地たる川中島。俺を最後の相手に選んだとまでは自惚れまい。それでも、本城である春日山城を抜け、俺の眼前にやって来た。
車懸かりの陣形が完成して一刻余り。戦況は膠着した。俺は軍を回転させ続け、同時にこちらから攻めかかることをさせなかった。鉄砲隊が新しい戦術を確立し、騎馬隊が戦場の顔であり続ける世において、それでも戦場において最も多い兵は足軽兵である。その足軽兵には槍を持たせている。槍を構えながら回転させ続ければ、それは動く槍衾だ。そう簡単に突破出来るものではあるまい。
勝てる。そう確信に近い思いを持ち続けられた時間は、しかしながら短かった。最初は、このまま敵をはじき返し続けることが出来ると考え、次いで、上杉軍の攻撃が弱まってきたことに気が付き、そして、それ程の時をおかずして、様子を見られているのではというところに考えが至った。
「敵弓隊による射撃!」
伝令がやって来る。遠距離攻撃でこちらを削るつもりか? いや違う。一万の兵を削り切る程の矢など持ってこられる筈もない。何かを試している。
「官兵衛!」
「弾正尹様!」
果たして謙信公は何を狙っているのか、それが分かる知恵者は黒田官兵衛を置いて他になしと、伝令を出さんとしたその直後、当の官兵衛が俺の目の前に現れた。
「狙われておりまする!」
俺よりも一足早く謙信公が何かを狙っていると気が付き、そして即座にその狙いを看破した官兵衛が、己が率いて来た兵で俺の周りを囲む。釣られる形で、新次郎や五右衛門らが俺の周囲を固めた。
「上杉軍は織田軍の包囲殲滅を諦め、弾正尹様お一人のお命を狙ってございます」
そうして官兵衛が言うには、車懸かりの陣形は攻守に優れ、それでいて高い練度も必要ないがそれは優れた指揮官が円の各地に分散し指揮を執っていればこそであるという。指揮を執る為には円の外側か、精々中央部にいる必要があり、通常の、前方の敵にのみ備えるような陣形と比べて指揮官に対しての防御力は低い。
「先程の弓や、散発的に行われる攻撃により弾正尹様の位置を把握し、上杉武田の全力でもって御首ただ一つを奪い取ろうとの策にございまする」
「桶狭間か」
思わず声が漏れた。桶狭間の折にも、雹が混じった豪雨であったと聞く。横殴りの雪と条件は似ている。
「殿、陣の中央に」
「いや、どこから攻めて来るにせよ上杉軍はこの軍の中央を突破し断ち割ろうとする筈。中央にいては、却ってどこから敵が来たとしても攻撃を受けてしまいます」
新次郎の言葉に、官兵衛が首を横に振った。ならば自分が影武者になると、兜や馬の交換を求めて来る。
「不要だ」
雪の向こう側、真っ白く覆われて何も見えないその先を見据えながら俺は会話を遮った。
「官兵衛、よく教えてくれた。お陰で心構えをする時間が出来た」
地響きが近づいて来る。これまでで最も大きい。一方で、周囲の戦闘は完全に止まっているようだ。この雪の中で手早く部隊を纏め、一斉突撃の軍に加えた謙信公。最早流石という言葉すら無礼に当たるのではと思えてしまう程熟達した指揮官ぶりである。
「足を止めさせよ。左翼には鹿之助、右翼には孫市と弥介がいる筈だ。期せずして、敵は一つに纏まった。元々、三方からの攻撃に辟易して行った車懸かりの陣だ。相手が一つに纏まってくれているというのであれば是非も無し。正面から押し包み、敵を倒す」
地響きが大きくなってくる。前方だけではない、左右からも歓声があがった。俺が疑問を持ち、官兵衛が看過したことを、左右の部隊でも読み切ったのだろうか。左右の味方が車懸かりの陣形を捨て、前に出ようとしている。
「味方に恵まれている」
「家臣の力は主の力にございます」
新次郎が、控えめに、だが確かに俺を褒めた。世辞を言う男ではない。ありがとうと答える。頷き、そして俺の前に出た。
「敵を近づけるな! 掛かれ!」
そうして、新次郎が見えない敵に突っ込んでいった。俺は思わず、待ってくれと言いかけ、伸ばしかけた腕を、虚空で握った。
「殿」
近衛の新次郎には新次郎の、大将の俺には俺の仕事がある。五右衛門が冷静な声音で俺に話しかけ、後方へ引かせようとした。だが。
「ここからは退かん。最後の守りはお前達だ」
五右衛門の言葉に、首を横に振って答えた。地響きは大きくなっている。だが、その動きは止まったようにも感じられる。
それからの短い時間に、敵味方の武将が戦死したという報告がたて続けに入る。最初に新次郎。続けて弥介。ほぼ同時に武田信盛の首を獲ったという報が入り、そして直江景綱戦死という報せが舞い込んだ。俺はそれらの報せに一喜一憂することなく、全てを受け入れた。戦場においての誤報はよくある。今名が挙がった誰が死んでいて、誰が死んでいなくてもおかしくはない。又、名が挙げられていない武将が既に屍を晒しているという可能性も十分にあり得る。それらの真実は、この戦いが終れば嫌でも分かる。分かるまでは、ただただ、勝利を信じて立っていたかった。
「……来られたか」
そうして待っている俺に、待ち人たる方が近づいて来る。分かっていたような気がした。そうならねば終わらなかったようにすら思えた。雪の中でうっすらとだが、それでも見間違いようもない。小柄な体で馬を駆り、真っすぐにこちらに向かって来る男。その眼光は、龍と言っても毘沙門天と言っても軍神と言っても差し支えない程度には鋭く、そして口元にはうっすらと笑みすら浮かべている。
「通すなあ!」
五右衛門の指示により、俺の前に槍衾が出来る。槍を構え、謙信公を睨み付ける。俺も、口元に笑みが張り付くのを抑えられなかった。
「漸く会えたわ!」
「二度とお会いしたくありませんでしたがな!」
謙信公が口を開き、俺はそれに答えた。軍神とそれに付き従う最精鋭達の気合を間近に浴びながらも、槍衾を構える兵達は逃げることなく立ち向かう。
「討ち取れ!」
「押し返せ!」
五右衛門が言い、敵方のいずれかが言い返した。あれが或いは養子の喜平次景勝か、或いは三郎景虎か。
槍衾は確実に、謙信公の動きを止めた。俺に届かず歯噛みする謙信公。後ろからは上杉軍の後続がやってくるが、左右からは織田軍の部隊が続々と詰めかけて来る。突破出来ず孤立した突撃は全員討ち死にの未来しか待っていない。
そして俺は、構えていた槍の握りを変え、群がる織田兵と戦う謙信公を見据えた。
「ふっ」
小さく息を吐き、馬を前進させる。その勢いと共に、構えた槍を、投擲した。謙信公に向けて。
謙信公は、自分に飛んできた槍を伏せるようにして躱したが、その動きのせいで馬上にて体勢を乱した。そこに、俺が馬ごとぶつかる。手には槍ではなく刀。首筋に突き刺すように、押し込んだ。
「全て終いにさせて頂く!」
ぶつかった勢いのまま、俺は謙信公に跳びかかる。地面に押し倒し、そのまま首筋を掻っ切ろうという構えだ。
獲った! 確信を持って思えた。さしもの上杉軍も味方に倍する敵との戦いに疲労が溜まり、突然の奇襲に反応出来ていない。のしかかり、勢いのまま首を奪う。上杉家と共に、これで全てが、戦国乱世が終る。
「???」
だがその時、大地がぐるりと半回転した。
「終いとするわけにはいかんのだ!」
恐らく体術の類だろう。俺に飛びつかれた謙信公は、その勢いを受け止めることなく投げ技にし、俺を放った。何が起きているのか分かっていない俺はそのまま空中へと舞い、そして受け身も取れず地面に落ちそうになったところを、五右衛門に受け止められた。
「退け!」
俺を投げ飛ばした謙信公は、次の瞬間には既に下知を出していた。その日最後に聞いた謙信公の声は、尚雄々しく、それでいて悔しげであった。
「逃したか……」
「肝を冷やしました。何を突然単騎にて駆け出すなどと」
五右衛門に体を抑えられ、地面に身体を投げ出す俺は、追撃の指示を出すのも忘れ、暫くその場で惚けていた。
後に、『第六次川中島』或いは『川中島決戦』と呼ばれるようになる戦いにおいて、俺が誇らしいと思う点を一つだけ挙げろと言われたならば、間違いなく戦死者の少なさを挙げる。激しい戦闘は追撃側の指揮官が無能であった為撤退戦が行われなかった。又、第四次川中島の戦いに比べ戦闘時間も短く、雪の降る時期であったため傷を即時に冷やすことが可能であった。その結果、この戦いにおいて戦死の報が流れた全ての武将を含め、名のある武者に死者は出なかった。およそ現実的ですらない奇跡的な事実だ。これまでの、むやみやたらと人が死んでいった戦いを思えば、併せて丁度良いと言えるのかもしれない。
「怪我人を全員収容し、そのまま善光寺へ向かうぞ」
戦闘の後二刻をかけ、織田軍は敵味方の怪我人を収容しそしてそのまま来た道を戻った。最も近くにある陣地がそこにあるからだ。何しろつい昨日まで野戦築陣を行っていた。一万を収め切れるように作った陣であるわけであるから、そこに怪我人が幾らか加わってもそれなりに扱うことが出来る。
「味方の戦傷者は車懸かりの陣形の内側におりましたからな、手当てが間に合いました」
「お前は、戦傷どころか無傷ではないか」
戦後、漸く惚けるのをやめて動き出した俺のところに、笑顔の弥介がやって来た。どうやら弥介の戦死は敵方が流した虚報であったと分かり、まずは一つ安心した。続けて、新次郎の戦死も誤報であったことが分かった。こちらは嘘ではない、間違いだ。戦死と間違われて仕方がない程度の怪我は負っていた。
「これでは……戦場にて殿のお役に立てませんな」
深く足を切り裂かれ、重傷であった新次郎は善光寺にてそう言った。後に右脚の膝から下を切り落とすことになる新次郎であり、この時はまだ生きるか死ぬかの瀬戸際にあったが、俺はこの男は死なぬと信じた。
「何、これ以降戦場などという場所はなくなる。読み書きと計算が出来る家臣はいつでも欲している故、勉強しておけば良い」
言うと、新次郎は力なく笑い、そして眠った。死んだのか? と思うくらい、本当に力ない動きであった。
敵方についてはあれが誤報だったのか、誤報でなかったのかはこの時は分からなかった。一つ確かであった事実は、捕えた敵兵の中に、加津野昌春の兄昌輝がいたことだ。勿論降伏したという訳ではない。倒れ意識を失っていたところを拾って治療したのだ。起き上がって事情を聞き、取り敢えず俺が身柄を預かることにした。
「武田殿は亜相様の妻の弟、即ち義弟にござる。勅命講和なれば、その関係も加味し斬首とはならぬことと存ずる」
であるから、早まった真似をするなという意味の言葉を伝えると、真田昌輝は複雑そうに頷いた。武田勝頼とて同じ立場であったのだが、それでも滅ぼされ、武田遺臣は執拗な残党狩りに遭った。今更自分達を救うのであれば死んでいった彼らは何故。という気分になるだろう。めぐり合わせ、としか言いようはない。ともかく俺は一人でも死者を減らすことを目標にして動いた。
この戦いの後間もなく、北陸の雪は街道を封鎖し戦闘を不可能のものとする。俺は父に対し川中島において謙信公と一戦交えた事、謙信公は春日山城まで撤退し、自分達はこのまま善光寺に留まる事、故に、北信濃は既に上杉家より織田家が奪い取った領地である事、を伝えた。自分の勝ちを殊更に主張する行為は得意ではないが、それで父の溜飲が少しでも下がってくれるのであれば、俺は今後の人生で川中島の戦いに勝利したと言い続けよう。
北陸に本格的な雪が降るようになってすぐ、父は朝廷の使者と会い、上杉家の降伏を認め、織田家の家臣とする事を了承した。降伏の条件は細かくそして多岐に渡ったが、『既存の上杉本領』をどれだけ没収するかという話になった際、その既存の上杉領には北信濃は含まれていなかった。恐らく二十万石程度、今回の一戦が持った意味の一つである。
この後、年が明けて天正四年と五年に、それぞれ一度ずつの東北出兵は行われるがこれらの出兵はいずれも大規模な戦いはなく、ただ織田家が東北諸豪族に力を見せつけるだけの遠征となる。故に、一般的には、広く人口に膾炙するところによれば、この日
戦国が、終わった。




