表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
信長の庶子  作者: 壬生一郎
津田所司代編
138/190

第百三十八話・北信川中島

 「『車懸かりの陣』等というものは元々が存在していない、架空のものであると考えて宜しいかと存じまする」

 断ずるような官兵衛の言葉に、俺を含めた周囲の者達がふむ。と頷いた。


 「陣を円形に配置し車輪の如く回転しながら攻撃を仕掛け、息つく暇もあたえずに一撃離脱を繰り返す。このような複雑な行動を兵一人一人が大過なくこなせる筈も無し。ましてやそれを行ったとされるのは武を生業とする者達ではなく、普段は鍬をもって土を耕す者達が大半にござる。三国志における八門金鎖の陣や祈祷により東南の風を吹かせた。等という伝説に近いようなものであるかと」

 「なれば、実際に山本勘助や武田典厩らの武将が討ち取られたあの戦いにおいて、かの軍神はどのような攻撃を行ったものとお考えか?」


 滔々と言葉を紡ぐ官兵衛に対し、鹿之助が質問した。頷いた官兵衛が然らば私見を、と言い話を続ける。


 「当時の川中島には濃い霧が立ち込め、人一人分前も見えるか見えないかであったと聞き及んでおりまする。そこまで濃い霧がはたして発生しうるのかという疑問もございますが、しかしながら霧が発生していたということは確かなようです。この霧のお陰で両軍は最前線の兵同士だけでなく全軍が近づきすぎてしまい結果戦国の世においてもまれな多大なる両軍の死者に繋がり申した。このような状況において、将が下せる命令というものは極めて単純なものとなるは必定。例えば、『目の前にいる味方の後をついて行け』というような」


 官兵衛の言葉に、それまで銃を抱えるようにして座っていた孫市がなるほどなあ。と呟いた。


 「濃い霧の中ともかく前の味方に遅れないよう前進を続ける上杉軍と、その上杉軍と戦う武田軍。武田軍にとってしても、霧のせいで敵が何をしているのかは分かりませぬ。前の兵を追いかけながら戦う敵を、『一撃離脱を繰り返す極めて練度の高い精兵集団』と見紛うても、それは無理なき事」


 外は雨の音が鳴り響いていた。十一月の冷たい雨。冷たく体温を奪うものであるが、まだ、雨であった。


 ここまでの対上杉戦、織田家の諸将が上杉領を寸土として落とすことが出来ていないのかと問われれば流石にそのようなことはなく、能登から出兵し佐渡に至った水軍衆はこの地を実質的に支配していた本間一族を降している。この佐渡ヶ島においては古来より鶴子(つるし)銀山が有名であり、又、近年では金も採掘出来ると噂されている。本間氏を服属させていた上杉家がここまで頑強に戦って来たその資金源であるとも言われていたことから、この地を放棄したことによりやはり上杉家とて今年までの抵抗が限界であると見做されている。


 佐渡が陥落したことで織田家は海岸線からも上杉領を攻撃することが可能となり、いよいよをもって四方八方から取り囲むように上杉領を攻撃している。全ての戦線において、前線は確実に春日山城へと近づいている。そして当然北信濃方面の前線も北上し、現在俺は北信濃の善光寺を占領し、この地を野営地とした。


 五次に渡る川中島の戦いは善光寺周辺の利権を巡る争いであると言われる。物の流れ人の流れの集積地である寺と、その周辺の豪族達の帰属が上杉武田のどちらにあるのか、決戦にて雌雄を決さんとしたのが謙信公。そして、それをのらりくらりとかわしつつ少しずつ前線を北上させていったのが信玄公。


 誰もが、川中島の戦いと言えば最大の激戦となった第四次を想像する。千曲川と犀川の間に挟まれた土地であり、第一次及び第五次川中島も大体その辺りでの睨み合いが続いた。善光寺を占領している現状は第三次川中島、上野原の戦いと呼ばれた合戦場に近い位置にいる。決戦は行われなかったが、ここ善光寺の少々北側で睨み合いが続いたとされる。


 「鉄砲騎馬隊も、さほど怯えるような代物ではございませぬ。鉄砲騎馬と言われてしまえば数千の騎馬兵がそれぞれに種子島を持ち、全速力で突進をしながら一斉発射と想像してしまいますが、まずそもそも騎兵を数千も揃えられる力が上杉家にはありませぬ。まして疾駆する馬にまたがりながら両手を離し射撃し、狙い通り的に命中させるなどという離れ業を出来る者など、いたとして十人や二十人。一つの部隊が練度の高い騎馬鉄砲部隊となり攻めかかって来ることなどなく、もしそのような者があったとして、我らは冷静にこれを迎え撃てば宜しいのです。轟音ではなく実際の鉛玉で被害を与え、肉薄する敵には槍衾で対応する。これで勝てまする」


 官兵衛の言葉に、今度は俺が頷いた。父が考案し、謙信公が更に昇華させつつある野戦築陣。この度善光寺を占領したのにあたり、俺もこれに倣った。上杉家の本城春日山城は、経済的には越後の中心だが、位置的には中央ではなく、かなり西寄りにある。ここ善光寺からは山道を超えつつ北に二十里程だ。ここを起点に北上し春日山城を攻撃し、攻略する。名目上はそれが俺の最終的な目的である。


 ならばなぜ、この地を守るようなことをしているのかと言えばここからだと北東、越後中央部に向けての道も開けているからだ。春日山城へ向けて一万の兵を北上させた時、その後方から攻撃を受け退路を断たれるということを俺は恐れている。正しくは官兵衛に教わった事であるが。だが聞いてみれば確かに、寡兵でもって大軍を撃退するのには適しているような気がする。如何にも軍神が行いそうな方法だとも思える。


 「じゃあ、上杉の馬には鉄砲の轟音が通用しないってのもまやかしか?」

 「半分はまやかし、半分は事実であるかと」


 孫市の質問に、官兵衛が答えた。どういう意味かと孫市が重ねて問う。


 「実際に鉄砲の音が通用しない馬がいることは確かでございましょう。それにより織田家は苦杯を飲まされておりまする。ですが、『上杉家の馬全て』がそのような訓練を積んだ馬であるとは思えませぬ。恐らく上杉謙信は訓練を積み、鉄砲の音にも驚かぬようになった馬のみを連れて戦場へと出たのでございます。そして、織田家の将兵が見ている前で織田の鉄砲隊を蹴散らし、『上杉騎馬兵に種子島は通用せず』との印象を持たせました」

 「正しい……ように思えます」


 官兵衛の言葉に、鹿之助が言う。布で槍を磨きながらだ。


 今こうして善光寺において軍の首脳とも言える者達が軍略談議に及んでいることに、大きな意味はない。俺にとっては意味のあることだが、少なくとも三人にとってはない。毎日一度、今日何があったのかを報告するようにと俺が命じた。三人が同じ時間に直接来るというのも俺が言った事だ。指揮官三人が同時に自分の隊を離れるのは危険ではないかと鹿之助からは言われたが、敵軍が現れてまでも続けるつもりはないと答えたので一応は納得してくれたようだ。孫市からはもっと直截に『何故手前と毎日顔を合わせねばならんのだ』と言われた。俺が大将であり、その大将の命令であるからだと答えた。


 三人とも、それ程饒舌な方ではない。いや、雑賀孫市についていえば饒舌なのかもしれないが少なくとも俺の前では無口だ。鹿之助も、半生を懸けた尼子再興の望みが断たれた為に本来の山中鹿之助とは違う様子を見せているようだ。しかし、官兵衛も含めて三人とも軍略や戦について語ることは嫌いではないようで、俺が話を振るといつの間にか語っている。今回は第四次川中島について質問をした。


 「そういえば、鉄砲三段なる戦法についても、実際には不可能と聞いたことがありますな。何でもどれだけ大きな声を出したところで千人も二千人も横に並んでいては指示を出す事が出来ず、一斉発射が不可能になると」


 鹿之助が質問をした。これまで車懸かりや鉄砲騎馬隊について恐れるなかれと自説を語っていた官兵衛であるが、この問いについては首を横に振った。


 「天下で最も、この問いを答えるに相応しき御仁がおります」

 そう言って、孫市を見る。確かにその通りだ。鉄砲と言えば雑賀衆、雑賀衆と言えば雑賀孫市。これ以上の適任はいない。話を振られた孫市は面倒臭そうに頭を掻き、答える。


 「まあ、織田の鉄砲三段が脚色された話だってのは確かだが、別に出来ない事ではない。一斉発射させるのに、何も馬鹿正直に大将が『放て』だなんて叫ぶ必要はない。周囲に聞こえるくらいでかい音が鳴れば良いんだ」

 「でかい音?」


 思わず呟いた。鹿之助と官兵衛も、ふむと考えるようなそぶりを見せ、そして孫市に笑われる。


 「お前ら全員馬鹿かよ。今何の話してると思ってんだ?」

 言いながら、手に持った鉄砲を掲げる。三人が同時にあっ、と声を漏らした。


 「予め、鉄砲の銃声が聞こえたら放つようにと命令しておけば良いだけだ。その音を聞いた各持ち場の大将が放てだの撃てだの叫べば一斉発射になるだろう。万一端の部隊に聞こえてなかったとしても、隣の部隊の一斉発射が聞こえないわけがねえ。後追いで銃撃させたところで大局に影響はない」


 頷く。大量の鉄砲隊を直接指揮した経験などないからその程度の事にも気が付けなかった。


 「しかし、敵方に鉄砲隊がいた場合、これは使えない方法となりますな」


 だが、賢い官兵衛はすぐさま疑問を抱き口に出した。本当だな。と俺が相槌を入れるまでも無く孫市が答える。


 「その時は狼煙でもあげれば良い。織田が武田を破った時に限って言うなら、確か武田は騎馬で突っ込んだんだろう? 騎馬鉄砲隊なんてもんはまだなかったんだ。相手方が鉄砲を撃って来ることはないともわかっていた筈だ」

 「確かに、やり方は幾らでも工夫の余地がありますな。鉄砲三段、なる戦術についてももとはと言えば孫市殿が考案したものだと聞いた覚えがありますが、あれは誠の事で?」


 好奇心旺盛な官兵衛はよく質問をする。どちらかと言えば鹿之助に対して質問することの方が多いのだが、今日は話が鉄砲についてであるのでどうやら孫市に質問することに決めたようだ。


 「鉄砲三段、なんて名前を付けた覚えはねえし、仮に俺達がやっていたことが鉄砲三段だったとしても、俺が編み出した、ってことじゃあねえさ。雑賀衆皆で考えたんだ。鉄砲一丁作るのに、一つずつネジ作って、銃身拵えて、撃鉄をどうこう、なんて風に一人が全部をやったりはしねえ。誰かが一つの工程を一気に終わらせて、別の誰かが一気に組み立てて、各工程を別々にやってく。鉄砲を撃つのにも幾つか工程がある。だったらそれぞれ分担してやった方が速く撃てるんじゃねえのか? 誰かがそう言ったんだよ。それなら、役に立てねえ。って嘆いてる爺にも仕事が回るだろう。って、別の誰かが言って、じゃあやってみろって、俺が言ってな」


 その時、孫市の表情は酷く懐かしそうで、その表情を眺める官兵衛と鹿之助の表情は酷く寂しそうだった。孫市はそれからほんの少し話をし、それからハッと気が付いて、バツが悪そうに話を終えた。


 「まあ、鉄砲ってもんは常に改良されていくもんだ。『種子島』って呼ばれていた頃のものと今のものじゃ殆ど別もんになりつつある。そのうち槍も刀も駆逐されて、戦ってもんはどれだけ良い鉄砲をどれだけ大量に集められるかによって決まる。そんな時代になる。まあ」



 そこで、孫市は嘲るような表情で俺を見た。



 「時勢が見えずに弓兵を鍛えようとした馬鹿もいるらしいがな」

 憎まれ口を叩く孫市。腹は立たなかった。バツの悪さを誤魔化そうとしているのが分かったので、寧ろ愛らしいとすら思えた。そんな事を言われればふざけるなと本人は怒るであろうが。


 「そうだな。流石に、時勢に逆らって織田家と戦い続けた男の言葉は違うな」

 だから、俺は慰めや同調の言葉など述べず、そうやって憎まれ口を返した。孫市は大きく舌打ちをし、立ち上がる。


 「もう良いだろ。報告はした。本日も異常無しだ。行くぜ」

 そうして、立ち上がった孫市は大股に歩き出て行った。外の雨はまだ強い。笠があるぞとその後ろ姿に伝えたが、返事も無く行ってしまった。


 「ならば、我らも」

 「失礼致します」


 官兵衛と鹿之助が、続け様に言って立ち上がった。俺はなるべく兵の身体を冷やさないように伝えた。斥候さえしっかりと出しているのならば火は幾ら焚いても構わない。火が多ければ多い程、こちらの数を多く見せることが出来る。


 「雨の日は酒が振舞われるので、皆雨が続いてもそこまで士気を落とさずにいられます」

 鹿之助が微笑みながら言った。体を冷やさない為、雨の日には一人椀に一杯ずつの酒を飲ませている。酩酊するような量ではなく、体が内側から温まる。


 「長対陣の大敵は厭戦気分であるからな。もし、今年の雪が遅くなるようなことがあればもうひと月程度ここに留まることになるのだ。何とか士気を維持しておきたい。その為に必要な物があれば言ってくれ。出来る限り用意しよう」


 俺の言葉に、二人が続けざまに頭を下げ、去って行った。

 



 敵兵の姿あり。という報告が入ったのは十一月の十五日の事だった。その日も、パラパラと冷たい雨が降っており、俺は孫市の鉄砲隊に銃身を決してぬらさぬようにと厳命した。いわれるまでも無く分かっていると、孫市は吐き捨てていることだろう。


 鹿之助からは攻撃するかと伝令がやって来た。敵の総数や部隊の内容について完全に分かるまでは手を控えるべしと答えた。馬防柵や坂を利用した簡易な防衛施設などを作っているのだ。恐らく敵が一万を超すことはないであろうしまずは様子見だ。


 「敵は武田。その数三千余り」

 「ならば、武田盛信か」


 かつて高遠城の城主であり、仁科家の名跡を継いでいた武田信玄公の五男、武田五郎盛信。兄勝頼の死後、武田姓に復し、甲斐源氏武田氏の再興を唱えて戦っている。


 「赤備えの姿も見えます。山県昌景もおります」

 「真田は?」

 「おりまする」


 於国達の伯父だ。寝返るように書状を出してある。三姉弟の保護者である加津野昌春にも手紙を書かせた。効果は期待していない。元々、どう転がっても良いようにと、片方は織田に、片方は上杉にその身を委ねたのだ。上杉家に勝ち目がなかったとしても、最後まで可能性は捨てないであろうしまして今ここで上杉家が勝てば真田の血は織田にも上杉にも残るということになる。今更武名を落とすような真似をするくらいであれば討ち死にした方が幾らもマシであろう。


 「軍神がどのような策を授けているのか分からぬ。むやみに手を出すことなく、専守防衛に務めるべし」


 幾つかの部隊から攻撃を進言する声も上がって来たが、俺はそれらの声を全て跳ね除け、対陣を続けた。あたかも、謙信公を相手に決戦を避けた信玄公が如くに。それを武田家相手にするというのは少々皮肉が効いている。


 そのまま対陣は五日続き、そして、十一月二十日、信濃に初雪が降った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ