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信長の庶子  作者: 壬生一郎
津田所司代編
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第百三十七話・三者三様

「……来るなと言った筈だが?」

「残念だが、今の俺に命令を下せる人間は極限られている。座敷牢に閉じ込められた浪人に何と言われたところで行動を変えはしない……おっと」


言いながら、鈴木重秀に近付くとペッ、と唾を吐かれた。


「些かも意気消沈していない。流石は最後まで織田家に屈さず戦い続けた男。素晴らしいな」

俺が褒めると、鈴木重秀はヘッ、と吐き捨てるように笑った。


「この気概を持ったまま冥途に行くつもりだ。とっとと八つ裂きにでも釜茹でにでもしろ」


畿内の某所。捕えられた鈴木重秀は彼を奪還し、逃がそうとする者達の眼を晦ませる為、京都近郊のとある屋敷に閉じ込めてられている。外には出さないが運動はさせている。捕えた時に一緒にいたという女、そしてその子供にも一日に一刻会わせる。食事は女が作る物を、読みたいと言えば本も読ませ、外の様子も伝える。そのような状況下でひと月余り過ごさせた。


「いよいよ俺にも出兵命令が下った」

「そいつは良かった。手前(テメエ)は軍神に殺され、俺は斬首。次会う時には笑って会話も出来そうだ」


よく通る鈴木重秀の声が響いた。中肉中背で顔の彫りが深く、常に何か企んでいるかのような目をしている鈴木重秀。その眼は部下には頼もしさを与え、女の心を溶かすのだろう。話に聞く限り、鈴木重秀という男を匿い、逃がしたのは各地の女だ。天下の織田家を敵に回し戦っていることを隠しもせず、最後まで命を捨てて戦うと公言していた。この男を差し出せば金一封。それを知っていながら全ての女達は鈴木重秀を守ろうとした。


「冥途で再会する我々はまあ良いとして、そうなると、残された者達が可哀想だな。特に、鈴木重秀の助命嘆願を行う元雑賀衆の部下達が」

俺が言うと、鈴木重秀の顔色が変わった。趣のある瞳が俺の事を睨み付けて来る。怒りの籠った視線をしかし俺は適当に受け流した。


「手前、あいつらに何をしやがった!?」

「まだ何も」


まだ、というところをことさら強調しながら言うと、鈴木重秀が奥歯を噛みしめた。そのまま歯が折れてしまうのではないかと思うくらいにギリギリと奥歯が軋む。


「俺が扱う忍びに命じ調べさせたが、まだまだ鈴木重秀を慕う元雑賀衆は多いな。命令されたわけでもないだろうに、皆織田家に仕える事を憚って逼塞している。可哀想にな。鈴木殿、貴殿、自分の為に忠実に戦ってくれた子分達に、良い暮らしをさせてやりたいとは思わないか?」


微笑みながら言うと、悪魔か手前は。と言われた。そうとも。俺は九州で悪魔を名乗るようになったんだ。


「上杉攻めにかこつけて不穏分子の始末もしようってか?」

「賢いやり方だろう? 勝てば上杉の力が削げる。負けても元雑賀党の力が削げる」


言いながら、懐中より書状を取り出し、見せた。内容は戦後鈴木重秀を含めた雑賀衆を俺の直臣として取り立てるという話だ。花押もあるし、父や勘九郎からの許可も得ている。


「勝てば貴殿は万石取りだ。子分達も、仕事を失った元傭兵集団の暮らしから一気に家持ち屋敷持ちの裕福な暮らしになる。妻が身を売り子が口減らしに遭うなどということも無くなるぞ」

書状を読み終えた鈴木重秀は、その書状を手に掴みながら、視線だけでギョロリと俺を睨み付けた。


「裸同然で最前線に囮として置かれる。なんてことにはならねえだろうな?」

「今俺が用意出来る最高の種子島を使わせる。貴殿の直属部隊として揃いの鎧に旗印も用意してある。兵の采配についても、細かいところまで口を突っ込むことはしない。安心すると良い」


言うと、鈴木重秀は諦めたように大きく溜息を吐き、そして言った。


「雑賀孫市だ」

「ん?」

「俺は、雑賀党の大将孫市。雑賀孫市だ。そう呼べ」

「宜しく。雑賀孫市。我が家臣」

「ああ、宜しく頼むぜ、クソッタレの御主人様」




「矢張り、山中鹿之助には馬上が良く似合う。相変わらず見事な武者ぶりだ」


馬で並びかけつつ俺が言うと、山中鹿之助が寂しげに微笑んだ。まだ三十そこそこの、これから最も脂が乗って来る武士としても男としても盛りの男であるはずだが、その表情から身に纏う空気から、全てが冬の木々の如くに寂しい。雑賀孫市の雄々しく深い男ぶりと異なり、その愁いを帯びた雰囲気は又どこか人を惹き付けるようだ。


「今一度、この私に死に場所を賜った事、感謝致します。我が同志達も皆同じ気持ちにて」


戦って戦って戦い抜き、名をあげ武功をあげ、そして夢破れた男達、旧尼子家臣。天から七難八苦を与えられ過ぎた者達は、最早七難も八苦もなく、戦も無くなった世においてどう生きてゆけば良いのか分からないように見えた。


「繰り返しますが、貴殿らを死なせに行くつもりではありません。信濃方面なれば、上杉謙信が出て来ずとも武田遺臣の仁科や山県、或いは真田辺りが出てくる可能性は高い。それが故に、歴戦の勇士に一隊を率いて貰いたく、勝ちに行くつもりです」

「しかも、負けたところで織田家に痛みがない兵である。都合が良いのでございましょう?」


怒りの色など毛程も見せず、山中鹿之助が当然のように呟いた。小早川隆景殿殿に、そして俺に、言いたいこともぶつけたい恨み言もあるだろう。質問の体を取ってはいるが、気持ちとしては確認されているようであった。そうですか? ではなくそうですね? と。


「否定は出来ませぬ。ですが」

「結構にござる。最早日ノ本に大戦など望めませぬからな。弾正尹様に、最後の最後で大舞台を用意して頂けたと考えることに致しましょう」


俺の言葉を遮り、山中鹿之助が言う。かつて僅か千人で五千の籠る城を落城せしめた尼子再興軍。九州戦役でも、同数の島津兵と戦って唯一互角以上に戦えていたのが彼らだった。


「軍神殿は、騎兵と種子島とを組み合わせた軍を組織するようになったとか」


頷く。騎馬鉄砲隊。組み合わせた名前だけでも恐ろしさに総毛立つ。大地を揺るがしながら疾走する上杉の騎兵隊が、鉄砲の銃口をこちらに向けながらこちらに近付いて来る。見てしまえば暫く夢に出てきそうだ。父が編み出した戦術をよく調べ、それを発展させた。最早戦術や戦法という点において織田と上杉は互角ではなく、上杉が有利と見るべきかもしれない。


「誠、最強の名にふさわしき御仁ですな。尤も、(はかりごと)はそこまで得意という訳でもないようですが」


それについても、俺は黙って頷いた。上杉謙信公がただ戦が強いだけの男でないことは誰もが知っているが、しかしそれでも、調略や謀略について、謙信公は常に亡き武田信玄公に後れを取って来た。二方面三方面と、不必要に敵を増やしてしまい、結果として勝ちきれなかったこともある。ましてや謀聖と呼ばれた毛利元就公を知る山中鹿之助からしてみれば不得手にすら見えているかもしれない。又、領内を富ます、という能力においては我が父織田信長と比べれば一枚も二枚も劣るだろう。しかし、それらを全て覆すほどに、戦が強い。戦国の世において、ただただ最強であるという理由で、圧倒的な国力となった織田家に対し最後の壁として立ち塞がっている。


「戦後の褒美については、これに」

鈴木重秀にしたのと同じように、戦後直臣として取り立てるという内容の手紙を渡す。手紙の内容を数度読んでから、山中鹿之助がふふっ、と、これまでで最も寂し気に笑った。


「毛利は九州、尼子遺臣は畿内。どちらも中国から離れ、これ以降争うことも無し。なるべくしてこうなったのかもしれませぬ」

そう言った山中鹿之助が、馬上のまま、俺に頭を下げた。


「畏まりました。殿。これよりは鹿之助とお呼び下さい」

「武働きを期待している。鹿之助」




「来てくれたか」

俺が言うと、黒田官兵衛が黙って頭を下げた。


「羽柴殿は何と?」

「以前仰っていたことと変わりませぬ。官兵衛の好きにせよと。そして、戦場へ出向くのであれば必ず役に立って来いと」


朗らかにそう言う羽柴殿の顔が目に浮かぶようで、俺は束の間表情を緩めた。


「先に一つ、申し上げておきたき儀がございまする」

「うむ」


頭を下げたままであった黒田官兵衛は、俺の返事に合わせて頭を上げ、挑むような表情を作ったまま、恨んではおりませぬと言った。


「中国攻めの折、某は何とか実家の者どもを説き伏せ、小寺家、黒田家の家禄を増やさんと考えておりました。しかし、大局を読めず織田家と戦うことを選んだ主家の顛末を見るに、某が説得をしたところで恐らく裏切者として殺されていたか、或いは捕らえられていたかが関の山であったかと考えます。明晰なる弾正尹様はそれを読み、身内びいきにて目がくらんでいた某はそれが分かっていなかった。故に、弾正尹様はあのような方法を取ったのであると」

「それは、羽柴殿から?」

「後に教えられました。殿も小一郎様も半兵衛殿も、皆口を揃えて『弾正尹様は軽々に無体を働くような方ではない』と仰せになっておりますれば。しかし、教わらずとも己で考え辿り着いたことでもありまする。弾正尹様」


感謝致します。と、官兵衛に頭を下げられた。前二人とは様子が違うなと、逆に戸惑う。寧ろ前の二人よりもより厳しく批難してくるのではと思っていたというのに。


「某、恩ある弾正尹様に対して御恩返しをする為、一時羽柴家を離れて参りました。然りながら、我が身を助けられた弾正尹様に恩があるように、家族を匿い救って下さった羽柴様には大恩がございまする。故に、弾正尹様から頂戴した戦後加増のお墨付きにつきましては、主羽柴筑前守の手柄と見做し、そちらにお与え頂きますよう宜しくお願いいたしまする」


三人の中で、唯一華々しい雰囲気を纏わぬ男。敗戦の中にあってどこか痛快な雑賀孫市とも、絶望的な状況にあって唯一の希望であり続けた山中鹿之助とも違う。俺とも勿論異なるし、同じ知恵者の竹中半兵衛とも小早川隆景殿とも違う。僅かではあるが天海には似ている部分がある。しかしそれもやはりどこか違う。今までに傍に置いたことがない男だ。腹芸など、見破れたためしとてないが、この男の言葉が真実であるかどうかは見破れない。見破れないのならば、俺は信じる。


「我らが目指すのは北信濃、川中島だ。よもや第六次決戦や第二次八幡原ということも無いとは思うが、戦故、何が起こるか分からぬ。黒田官兵衛ほどの知恵者がいれば安心である。宜しく頼む」


俺が言うと、官兵衛が再び平伏した。




「雑賀孫市の鉄砲隊、山中鹿之助の騎馬隊、軍師に黒田官兵衛がおり、五右衛門達伊賀忍を中心に忍びを百五十という大所帯。中核には津田家直臣が。いやはや。最初は寄せ集めかと思っておりましたが、意外や意外と堅い陣容かもしれませぬな」


大木兼能。かつて長島の戦いで俺と敵対した男が笑って言う。景連亡き後、新次郎と並んで武に長けた家臣だ。


「であろう? 槍隊は弥介、お前が指揮を執れ。近衛の部隊には新次郎」

「源五様や古左殿は居残り組ですか?」

「腹心を全員連れて行くわけにもいかないからな。叔父上は大喜びであった。あのような戦馬鹿相手に槍など振るっていられぬからと。全く同意見であるがハッキリ言わないで貰いたかったな」


苦笑しながら言うと、古左殿は? と聞かれた。あいつは、流石に神妙な表情をしていた。身内ではないからな。だが、助かった、という表情が顕著に表れていた。


「いつも通り留守は親父殿に、九州については嘉兵衛、それと前田蔵人に任せる。叔父上と古左には嫌がらせに大量の仕事を置いていってやろう」

言うと、弥介がケラケラと笑って、それが宜しゅうございますと頭を下げた。


「最も信頼出来る古渡時代からの家臣達は助右ヱ門が率いる」

「成程、助右ヱ門殿がですか。あの方は文官ではありますが、武働きも出来ますからな」

 「違うな。助右ヱ門も、上役の蔵人も、前田家の者らの中に武官でない者などおらん。槍の又左や慶次殿がいたせいで一段低く見られておるがな。助右ヱ門は何でも器用にこなす。周囲の者達に計算や物書きの得意が少ないのでやらされているだけだ」


 羨ましい限りですなあと弥介が笑う。かく言うこの男も計算は得意だ。そしてどのような所でも順応出来る男でもある。伊賀から京都へ、京都から播磨や四国へと出向いた後九州へ、色々と転戦しながら常に馴染みの女を作り、子が出来てしまうと素早く金を用意し、事を収めていた。いつかこの男の珍道中も書かせて長島で売ってやろう。物書き仕事を嫌がるであろうが、売れたら金が手に入ると言えば渋々ながらも書くであろう。


 「雑賀衆も尼子の遺臣も集まって、軍容も整いました。結構ですなあ」

 「評判は極めて悪いがな」


 笑いながら言う弥介に、こちらも笑いながら言った。巷では『使い潰した尼子衆、叩き潰した雑賀衆、今度は黄泉の道連れに、毘沙門天の生贄に、率いてゆくは魔王の子』などと言われている。俺も聞いた。仰る通りで言い訳もない。


 「言わせておけば宜しいのですよ。判官贔屓は源平の頃から変わりませぬ。負けた方には同情が集まる。勝った者には嫉妬が集まる。そんなものでございましょう」

 「まあ、そうかもしれないな。新次郎には少々悪いことをしたと思わないでもないが」


 言うと、黙って話を聞いていた新次郎がゆるゆると首を横に振った。


 「悪意のある、(いわ)れなき誹謗中傷にございます。お気になさる必要とてないかと」

 珍しく新次郎が意見を述べる。怒っているようだ。


 公方様の遺骨の一部を二条御所の一室に安置してより、俺は心ならずもこの手にかけた敵の遺骨を一部貰っては骨壺に入れ、日々祈っている。その遺骨の中には新次郎の義父、林秀貞のものもある。他ならぬ新次郎からほんの少し頂戴したものだ。


その行為は何かの教えという訳ではなく、御霊を慰めているという訳でもない。自分がしてきた非道を忘れず、自分がこれからすべきことを見つめていたかったから、自然と行うようになった。そうして俺の行いが広まるにつれ、『織田の息子は討伐した敵大将の頭蓋骨を並べ、自分に逆らった者は皆こうなるのだと嗤っている』という噂に変貌していった。


 「まあ、武家の男としては、それくらいの噂が立つ方が箔も付く」

 気分の悪い噂であるので、そんな風に嘯き、強がる。流石は殿にございます。と、弥介が笑ってくれた。笑ってくれた方がこちらも気持ちが軽くなるというものだ。


 「此度の戦、俺は一部隊の将ということになる。三七郎や権六殿の与力として、では少々体裁が悪い故、攻め方の総大将は亜相様ということになる。だが、亜相様は岐阜城をお出にはならぬ。俺達は俺達の戦場にて、独力で戦うという形だ」

 「目標は?」

 状況を伝えると、弥介が初めて戦人らしい表情を作り、聞いてきた。


 「まずは北信濃の接収。これが成功すればさらに北上し、最終的には春日山城へと向かい、雪が積もるよりも先に落城せしめることが出来れば満点だ」


 まあそれは無理であろうけれども、それでも戦の目標としてはそうなる。信濃を奪って、春日山城を見学することが出来れば御の字だ。


 「畏まりました。大木弥介、見事手柄を立てて御覧に入れまする」

 期待していると俺は答えた。本心として期待しているのは、手柄を立てることなど出来ない状況のまま、雪の季節を迎える事だ。


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