第百三十六話・「いやです」フラグアゲイン
「なにをやっているのかしらねぇ、全く、バカ」
「油断しました……」
「帯刀はいつから天下人相手に油断が出来るほど偉くなったのかしらね。本っとうに、バカ」
「はい……」
翌日の安土城にて、俺は二人の姉貴分から馬鹿にされていた。
「余りにも父上が小さく見えまして、哀愁を誘ったものですから、少々手伝って差し上げるくらいの事をしても良いかと思ってしまいまして」
「「バカ」」
二人が声を重ねて俺の事を罵倒する。母の名代として長島の責任者の地位を固めつつある犬姉さんと、一乗谷を出で、安土にやって来た市姉さん。
「そんな腹芸、兄上がいつだってやって来たことでしょう。放っておけばいいのです。帯刀一人がいるいないで今更大勢が変わるでも無いのですから」
「その辺りは、兄上が持つ年の功と呼ぶべきかもしれないわね。いや、やっぱり違うかもしれないわ。単純に、このおバカがお人よし過ぎるわ」
たて続けにぶつけられる罵倒の言葉に、俺ははいはいと頷くしかなかった。
「本当にバカねぇ、そう思うわね六郎? そうねえバカよねえ」
「見なさいお江、あれがバカというものよ、はい、言ってごらんなさいバーカ。ねえ?」
二人が、膝に乗せている自分の子らを手で操って俺を指差させる。赤子二人は何を言われているのかよく分からないままに楽しそうに笑っている。そんな風にされて俺は益々小さくなり俺達の様子を見ている母と息子に助けを求めた。
「母上、姉上たちに虐められています。三郎四郎。助けてくれ。このままでは父は立ち直れなくなってしまう」
年明けすぐに生まれた三郎四郎は、数えで二歳だが月齢もそろそろ二十ヶ月で、よちよち歩きをするようにもなり、何かを伝えようと盛んに言葉を発する。恭の面影をありありと残す何とも愛らしい子供である。
「まあまあ、二人ともその辺りにして差し上げて下さいな。帯刀、そなたも、二人がただそなたを罵倒しているだけではないということを理解して差し上げなさい。ねえ?」
言葉の最後に、三郎四郎の顔を覗き込んで訊く。何を言われているのか理解していない三郎四郎はそれでもあい。と頷いて母を喜ばせた。
「全く、暫くゆっくりして、久しぶりに新著の執筆に入れると思って楽しみにしていたのに」
犬姉さんが憤りながら言う。宗教の坩堝となった長島においては表現というものに対しての規制もこれまたなく、女色だろうが男色だろうが自由に表現されている。そこまでならば単なる馬鹿な町だが、かつて鎌倉新仏教の創立者たちが行ったような、他宗派や別宗教の矛盾を突き、己の正しさを立証するような過激な思想本も多く発刊され、町は常に議論討論で賑わっているようだ。これまで織田家の一員として戦ってきた者達であるから、坊主や論客という存在が口だけで納得して帰るような連中ではない事はよく分かっている。現在の長島の町には常に織田の精兵が立番している。どのような理由があれど、思想や宗教のぶつかり合いで怪我人が出た場合は両者罰するということで、既に法を犯して首を切られた坊主が続出している。
そんな町の中で待望されているのが俺の書く戦記であるそうだ。金ヶ崎の戦いから佐和山城での籠城戦。伊勢長島殲滅戦。伊賀丸山城籠城戦。本能寺の変。そして中国九州戦役。これらを著し、その真実を知りたいと思うものは巷に溢れているそうだ。本能寺については論外として、その他の戦いにおいても本当の事を書くのには中々抵抗がいる。だが、例えば心月斎殿が鉄砲隊の前に躍り出て呵々大笑した武勇であるとか、絶望的な状況の中、それでも俺の首を求めて突進し、後に家臣となった大木弥介であるとか、九州は筑前における大友家の忠臣二名の見事なる死にざまであるとか、余人が好みそうで、それでいて広めて誰も困らない話も幾つかあるにはある。だが、それらの話も今は書いている場合ではない。書く代わりに、後の世の話題となるような戦に出向かなければならない。
「犬姉さんはともかく、市姉さんはこのような所にいて宜しいのですか? 父上の失言のせいで今微妙なお立場と聞いておりますが」
「微妙なお立場なればこそよ。この期に及んで立て続けに私が男子でも産んでしまえば浅井がさらに混乱するわ。万福丸殿が元服を済ませ、万寿丸殿も別の家を正式に継ぐというところまではこうして距離を置いて大人しくしておいた方が良いのよ」
さらりと答えた市姉さんはそんなことよりも、と俺に視線を向け、覗き込むようにして訊いてきた。
「勝算はあるの?」
「ないですね」
市姉さんの言葉に胸を張って答えると、犬姉さんに頭を叩かれた。自信満々に言うようなことかと。そんな風に言われたところで自信なんかないものはない。
「勝てそうにない理由ならいくらでも挙げられるのですがね」
「それでも良いから言ってごらんなさい何か考えが纏まるかもしれなくてよ」
バカだバカだと言って来た割に、結局俺に対して協力的な姉さん達。そうだなあ、と言ってから思いついたことをつらつらと述べる。
「あの軍神の目の前で手の内を晒し過ぎたというのが一つですね。父上が考案成された先進的な戦法が全て看破されてしまった」
例えば鉄砲。大量の種子島を用意し一斉発射で馬の機動力を止め、一方的に攻撃するというやり方だが、これは謙信公に通用しなかった。織田鉄砲隊の前に現れた軍神は騎馬隊を前に出し、そして突撃。これ幸いにと、鉄砲隊は鉄砲の一斉発射を行ったが、武田騎馬隊とは異なり上杉騎馬隊はその動きを止めはしなかった。明らかに、銃声に慣れる訓練を施されていたのだ。弾があたらずとも轟音を聞かせるだけで勝利は確定すると思っていた織田鉄砲隊は、二射めを放つよりも先に騎馬隊の突進をくらい、そのまま乱戦となって敗退した。
それ以外にも、父は野戦において馬防柵を鉄砲隊や弓隊及び間隙を埋める槍隊などの諸部隊の前に置き、それぞれを連携させて一つの部隊、軍勢として動かすという戦術を編み出した。言わば野戦において城の役割を果たすこの戦い方についても、恐らく研究に研究を重ねたのだろう。上杉領は今や柵に土嚢、逆茂木の群れ群れまた群れだ。これらを至る所に用意することによって、倍以上の敵と常に互角に戦える状況を作っている。戦局が膠着し、決め手なしとなれば、軍神の化身が決定打となる一撃を加え、味方の武将数名の首を奪って去ってゆく。それの繰り返しだ。
もし、武田家や北条家などとの大規模な戦いが無ければ、これらの戦術戦法の最初の犠牲者は上杉家であった筈だ。流石の軍神であっても、初見で父が繰り出す突拍子もない手に対応できたとは思えない。強い武将は皆そうだが、謙信公も又運を味方に付けている。
「敵の士気は高く、味方の士気は低い。俺がそうですが、勝たずとも、すでに泰平の世を迎えられると思っている連中が、勝たなければ一族皆殺しすらあり得る状況の連中より高い士気など保っていられる筈もなし」
元々、父が行って来た金で兵を雇うというやり方では大量に兵は集められても皆低い士気の者にしかならない。大金を積まれたところで命の方が大事であるし、忠義など求められるわけがないのだ。
「何だか、話せば話すほど暗くなるわ。頑張りなさい帯刀。もう少しで最終巻なのだから」
市姉さんにバシッと背中を叩かれた。最終巻とは何ぞや?
「帯刀が書く『戦国太平記』の最終巻よ。全八十巻。今は丁度七十九巻の終わりごろね。最終巻は帯刀と軍神上杉謙信の決戦で終わるのよ『この戦いに勝利した者が泰平の世を手に入れるのだ!』と、こう帯刀が敵味方の中央で叫んで決戦と相成り」
「軍記物語の読み過ぎです。しかも八十巻とは長すぎるでしょう。本家の太平記の倍ではないですか」
「そりゃあ、太平記は五十年程の話でしょう? 戦国乱世は百年続いたのだから倍になるわ。頑張って書いて貰わないと」
犬姉さんが当たり前のように答えた。最終巻は軍神と織田家の長男が戦場で相打ちになり両者が龍となって天に昇ってゆく形で終わるそうだ。縁起でもない。
「簡単に言ってくれますが、そんな分量の物語を書くのに、一体どれだけの時がかかるとお思いです?」
太平記は筆者が少なくとも十名以上おり、完成までにかかった時間も十年どころではないと聞いている。そして俺が謙信公と相打ちになってしまったら筆者は俺ではない。
「十年でも二十年でも、三十年でも四十年でも、そなたには時がありますよ」
俺の言葉に、微笑みながら答えてくれたのは母であった。ねえ? と三郎四郎に顔を向ける。『あい』と、三郎四郎が答え、母がその体を優しく抱きしめる。
「勝てなくとも構いません。逃げ出しても良いですよ。母はそなたの無事な帰りだけを心待ちにしております。どうかご無事で」
帰ったら、何をしたいか考えておきなさいと言われ、俺はふうと息を吐いた。死にたくないという思いがまた一つ増えてしまった。
「死んで本望、と開き直れた人物は確かに強いですけれど、それ以上に生きたいという思いは何よりも強いですよ。そなたは父親になり、多くの家臣を抱え強くなりました。戦国最後の戦い、そなたほど相応しいものはおりません」
母に言われ、俺ははいと頷いた。
「ともあれ、出兵するとあれば色々と手は尽くしますよ」
そうして、大いなる失策をした安土城での話し合いを終え、俺は九州の後事は嘉兵衛らに任せ、京都へと帰還した。
上杉攻めにおいて、最上策は単純に西国勢十数万を率いて数の暴力で押しつぶすというやり方だろう。織田家の総力を挙げて、二十万を超す大軍でただただ呑み込んでゆけば、いかな軍神といえど打てる手立てはただ一つだけ。各地での籠城戦だ。最初から城に籠られれば、春日山城が雪の頃までに落城するということはない。又、支城の者達もともかく三ヶ月、短ければ二ヶ月余り耐えれば良いのだと決死の覚悟で抵抗するだろう。上杉領二百万石の内どれだけのものが切り取れるかは定かではない。
それでもそれが単純かつ最上の手であることは間違いない。他に相手に打てる手がなくなるわけであるから。それをしないのは俺を含めた織田家首脳部が既に戦後の統治について考え、動いてしまっているから。織田家が包囲網を敷かれていた時であればそのような考えをする者はいなかった。ともかくその場の全員が今を生き延び目の前の敵を討伐することに全力をあげた。数年前までの、最大勢力となりつつも日ノ本の東西で戦線を抱えていた頃もそうだった。織田家が大きくなるにしたがって同様に大きくなってゆく敵勢力を駆逐する為に、ともかく全力を尽くし、最大動員数を絞り出した。
今はそうではない。徳川や北条、降伏した関東勢といった、敗れても織田本家が傷つかない外様の味方に攻めかからせ、その後もまずは彦右衛門殿の軍が、次いで織田家からは信包叔父上が率いる分隊、三介の率いる一方面軍が、そして権六殿の手勢がと、それぞれ戦力を適宜追加している。今更の結果論であるが、九州が平定された段階で一旦兵を全て戻し、そのまま織田家の全力でもって東へ攻め登り、一気呵成に東北まで攻め入った方が早く戦闘は決着が着き、結果戦費も安く済んだであろう。
勝ち戦というものには自分でも何故勝てたのか分からない不思議な勝ちが沢山あるが、負け戦というものは本当に、後から考えてみれば負けるべくして負けているのだということがよく分かる。これだけの事を理解しておきながら俺は九州中国四国そして五畿にて大動員令を発する思い切りが出来なかった。日々復興し活力を取り戻してゆく西国の様子を見聞きするにつけ、再びの戦役を躊躇ったのだ。
結局俺は俺にお呼びがかかった際、現状既に上杉家を攻めている東国勢に対しての与力という形で参加することを決めた。少数精鋭と言えば聞こえはいいが、優柔不断のそしりは免れまい。率いる兵は一万。予め攻め口も決めておく。美濃から信濃、そしてそこを北上し、目的地は信濃北部川中島。五次に渡る戦いの場となった川中島に織田家の長男が出兵するとなれば、それなりに周囲も納得するだろう。尤も、四方八方から攻め寄せる織田軍への対応で既に手いっぱいになっている上杉軍が俺を迎え撃つかは分からない。というか恐らくは撤退するだろう。第六次川中島決戦とはならず、津田信正による北信濃占領とだけ言われると思う。
そんな中、思い切りの悪い俺は三名の男に声をかけた。戦国最後の戦、共に戦って欲しいと。
一人めは山中鹿之助幸盛。その半生を尼子氏再興に捧げ、そして夢破れた男。まだ三十代半ばの若い英雄は、西国にての人気これ以上はなしというほど、一部狂信的な支持を受けている。しかし、当の本人は丹波や但馬から最終的に薩摩大隅に至るまで戦い抜いたかいなく尼子再興の神輿となる主君を失い失意の日々を送っていた。
二人めは鈴木重秀。雑賀衆の棟梁としての呼び名である孫市という名が知られ、雑賀孫市と呼ばれることの多いこの男は、畿内から逃亡の後四国中国と転戦し、更に九州まで屈することなく戦い続け、九州平定後は人が多い場所の方が却って良かろうと大坂に潜伏。この程漸く捕縛された。山中鹿之助がお家再興についての不屈の男であるのならば、この男も又反織田家における執念は正に不屈であった。
最後の一人は黒田官兵衛孝高。既に羽柴家に仕えている身の上なれば、羽柴殿にまず話を通してからの頼みだった。羽柴殿は本人の存念次第であるといつも通り大器で鷹揚な態度を見せた。黒田官兵衛は、羽柴殿が密かに匿っていた家族らと再会し、今では竹中半兵衛と並ぶ羽柴家の知恵者として名を挙げつつある。
三者三様に、それぞれが俺に恨みを持っているであろう者達。別に、俺の事を嫌っているからと言って彼らに声をかけたわけではない。戦国最後の戦に出向くにあたり、相応しい男達だと思ったからだ。父上からは『貴様も思い切りの良い男だ』と言われた。自己評価とは全く逆だ。
山中鹿之助には尼子遺臣を俺の直臣とする約束と引き換えに、鈴木重秀には共に捕らえられた仲間達の命と引き換えに、黒田官兵衛には旧主小寺家の名誉回復を約束し、誘った。
三人にはそれぞれ直接会ったが、その場では全員に断られた。そして、去り際に俺は出兵の命令が下ったならばもう一度来ると伝えた。その言葉に、牢に入った鈴木重秀のみは『来なくて良い』と答えたが、残りの二人は無言だった。
天正三年十一月のはじめ、俺に出兵の命令が下る。




