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信長の庶子  作者: 壬生一郎
津田所司代編
133/190

第百三十三話・織田家最後の敗北

 更に三ヶ月が経過した。その間俺は大半の時間を九州にて過ごし、統治に務めた。

 九州に来て学んだことは数多く、それらをキッチリと区分けして説明することは大変難しいが、まず単純に、九州に来て初めて知り、実感したことと言えば『本当にここは日ノ本の果てなのだな』ということだ。


 例えば対馬についてだが、俺はここが『朝鮮半島に最も近い日ノ本の一部』と認識していたのだが、実際には少々違った。対馬を支配する宗氏やその統治下に生活する者達は自分達を明確に日ノ本の人間とも思っておらず、同時に朝鮮の人間と思っていないようである。


 俺は今まで日ノ本という国の中での争いをしてきた。古書においては例えば唐国の、その範囲の中で戦をしている様子を見て来た。だが対馬は日ノ本という天下と朝鮮という天下、二つの天下の端、その両方に乗っている土地だ。三国志において考えてみれば、諸葛孔明に敗れて服属した南中王孟獲や、西涼の騎馬民族などがそれに近かったのかもしれない。


日ノ本の果てたる九州においてはそういう土地が幾つか存在した。例えば肥前長崎の更に西には五島列島という島々が存在し、更にその西には済州(さいしゅ)島なる島がある。この島は朝鮮の王朝たる李氏朝鮮の服属下にある島であるが、島民の独立意識甚だ盛んで、力に屈服させられはすれども自分達が李氏朝鮮の民衆であるとは認識していないという話である。


 北と西に目を向け、残る南、九州最南端の薩摩を更に南に出で、屋久島や種子島を超えた南西、そこには琉球王朝なる小さな島国の王朝がある。琉球王は形式上唐国の明王朝に朝貢してはいるものの、彼らも又、自身らが中華の民だとは思っていないようである。


 対馬に済州島、そして琉球。日ノ本の天下の果ての先には、これらの土地が存在し、更にその先には新しい天下がある。日ノ本は無限ではないなどということはとっくの昔に知っていた話ではあるが、こうして実感を伴い納得すると中々に感慨深いものであった。


 これらの島々を、俺は出来ることならば織田家に服属させてしまいたかった。即ち日ノ本という天下の中に組み込んでしまいたかった。その方が日ノ本という天下そのものが強く大きくなれるからだ。


対馬は朝鮮半島と九州の丁度中央にある。ここが明確に日ノ本であれば朝鮮との交易を行う際、確実に得をするだろうし、元寇の如きことがあった際に最初の防波堤として役立つ。済州島は直接唐国の王朝と交易をする際の中継地点として使うことが出来る。この地を掌握していれば、唐国で手に入れた物品の内、朝鮮で売れそうなものと日ノ本で売れそうなものとを、こちらで判断し仕分けて捌くということも出来る。琉球は唐国の南方や、それよりも更に南の島々との交易に使える。その島々を中継地点とし、ゆくゆくはルソンなどとも大々的な交易が出来ればと思う。


そんな十年がかり、或いは百年がかりの大きな夢のある話を紙にしたため父に送ってみたところ、ならば兵でもって攻め落とすべしとの答えが手紙で返って来た。相変わらず乱暴な御仁だ。そういうことは止めましょうと俺は返した。そんなことをしても得をしない。


李氏朝鮮について少しだけ教えてもらったところによると、彼の国は元王朝に支配を受けた後高麗という国として独立、そしてその後李氏朝鮮となり今に至る。その統治は既に百七十年程になるそうだ。鎌倉幕府転覆の大きな理由となった元に統治され、それでもその後立ち上がって独立を確保した民族だ。異民族からの支配に対しては極めて頑強に抵抗する者達と考えて然るべし。三万や五万といった兵で攻め寄せ一部領地を奪い取ることが出来たとしても、朝鮮という天下全てからの反発を受け結局追い出されることになる。十万や二十万で一気に攻め落としたとして、今の織田家ではその後の統治に金がかかるばかりであろう。李氏朝鮮を滅ぼすという行為には成功するかもしれないが同時に織田家も滅ぶ。琉球についても同じく。もし、ここを攻める事が中華という巨大な天下を敵に回す行為であるのならば手は出さない。仲良くやってゆこうではないかと話し合いを行うつもりである。尤も、明は琉球について全く独立した別の小国という認識をしているようだ。


ゆくゆくは李氏朝鮮どころか明を、そして大秦国をも攻め落とし、元王朝すらも超越する大帝国を築き上げることを夢とする父。そしてその父を茶釜とすれば、茶入れの蓋程の器しか持ち合わせていない息子。両者の意見のすり合わせとして、『ともかく九州を富ませなければならない』という結論に達した。


第一に、絶対に言えることは海賊や山賊の類は絶滅させなければならない。村上水軍と松浦党という、日ノ本・朝鮮・唐国の天下を悩ませる海賊働きを行える者達は先だっての戦で駆逐した。だが、倭寇と呼ばれる歴史的悪名を持つ略奪者達が彼らだけであった筈もなく、九州西岸に無数に存在する島々には尚略奪することで生活を営んでいる者どもが幾らも存在した。これを虱潰しにしつつ、これからは安全になるので貿易をしましょうと大陸の王朝には伝える。対馬の宗氏には、というより島民には日ノ本と朝鮮と、両方の言葉を扱えるものがそこそこにいたので案内をして貰いつつ話を伝えに行った。相手方はそこまで乗り気ではなかったそうだが、それでも一つ大きく進展したのは両国が合同で倭寇を取り締まるということについてだ。対馬や済州島の帰属については、李氏朝鮮側には明確に自分達の領土であるという認識があることが分かった。了解した。無理に両島の所有権を欲してしまえば戦争になるということだ。ならば俺は玉虫色のまま話を進め、利益だけを求める。両島の住民に対しては色々と物を贈り、これからは宜しくという話をしておいた。少しずつ、気持ちの上で日ノ本寄りの民衆になってくれれば良い。


当たり前の話だが貿易そのものについての問題もあった。そもそも、西国に行けば行く程鐚銭が増え、物々交換も多く、貿易がし辛い。そして、李氏朝鮮との貿易を行うとなれば両国で使用出来る共通の銭が事実上なかった。


考えてみれば当たり前の話で、日ノ本はかつて皇朝十二銭という独自の通貨を作りこれを流通させた。唐国でもそれぞれの王朝がそれぞれの王朝の通貨を作った。日ノ本と朝鮮と中華と、全ての天下を統一した者がいない以上、全ての国で統一されて使用できる銭貨などないのが道理だ。足利義満公が行っておられた朝貢貿易においても、銭で何かを買ったのではなく、別の物品で『銭』という品物を(あがな)ったのだ。今、朝鮮で使われている通貨と言える物は第一に『布』であるそうだ。そして第二に『朝鮮通宝』というものがある。余り流通はしていないようだが端から永楽銭を使って独自通貨を作ろうとしなかった俺よりは向上心があって大変宜しい。李氏朝鮮では白磁が盛んに作られているようであるし、銭自体を作る技術であれば決して日ノ本に劣りはしないだろう。


そんな風に博多の商人達と話し合いをした俺であるが、大まかな筋道を立てた後は、現場について口出しをしてはいない。いつだか、対馬から来た人間から『朝鮮の者は日ノ本を弟のように見ている』と聞いた時の話だ。


大陸の儒教的な考えは長幼の序が日ノ本よりもはっきりしている。故にその対馬の者は『子分のいうことを親分は簡単に受け入れない』くらいの意味で言ったのだが、俺は俺の感覚で『成程、可愛がってくれているのだな』と理解してしまった。


弟の言うことであれば相手も多少甘く見てくれよう。そんな風に俺が言ったところ、その対馬の者はポカンとした表情を浮かべた。新次郎が『仲の悪い御兄弟とお考え下さい』と解説してくれたのでその意図は察した。成程そういうことかと。


だから、その後に俺が言った言葉は少し場を和ませたかっただけの、完全なる冗談であり、本気で言った訳ではない。『弟と仲が悪い兄などこの世に一人もおらんであろう』などと、本気で思っている筈はない。古今東西、多くの血を流した兄弟喧嘩など枚挙に暇がないのだ。


だが、この俺の冗談は冗談として受け取られず、その場にいた嘉兵衛が『このお方、日ノ本始まって以来随一の弟御、妹御を可愛がるお方にて、話は以降某がお受け致しまする』と、真面目腐った表情で言い、それで皆納得してしまった。『貨幣については嘉兵衛にお任せを』という冗談が周囲を大いに笑わせていた事には納得がいかない。


除け者にされた俺はそれでも博多に身を置き、何かあった場合にはすぐに話を聞くぞという態度を取り続けた。こちらにも窯場を用意し、鐚銭を集めては溶かして固めて綺麗な永楽銭に変えるという技をこなし、少しずつ鐚銭や私鋳銭を駆逐してゆく。大坂湾から博多までの海路は即座に整備が図られ、更に四国の西岸を下って日向や大隅、そして鹿児島湾から薩摩内城までの海路も迅速に結ばれる。最早九州の南半分は惟任家が差配するものであるから、風通しは以前より格段に良くなったはずだ。


一方で陸路は中々腐心した。北九州はそれでも何とかなったが九州中央部から南部にかけては山また山であり、内陸に住んでいる者達にとっては不便が続くことになる。地道に山を切り拓き、石畳を敷き、街道を整備してゆく以外にはないが、時はかかりそうだ。

そんな七月が、直に八月に差し掛かろうという頃合いの小倉の港にて。




「凄まじい力戦ぶりだな」

「勝てばお家存続の可能性、それも複数の国持という可能性が出ましたからな。必死にもなるようで」

統治と発展に力を注ぐ俺から遥か東、北陸において、軍神がその軍神たる所以をいかんなく発揮していた。


「三介と三十郎叔父上が負け、北条と徳川も負け、彦右衛門殿も負け、そして権六殿も負けか」

「柴田様は形勢不利にて撤退したのみで、多くの被害を出した訳ではなく、再戦をと右府様に言上しておられるようですが」


安土と九州との繋ぎを務め、何度となく瀬戸内の海を行き来してくれている助右ヱ門が説明をしてくれる。今年の安土大茶会、御馬揃えの後に下知された北陸は上杉征伐。これが全く進展していない。大軍をもって攻め入った織田の兵が、悉く寡兵の上杉勢に手痛い反撃を食らって帰って来る。


「軍神上杉謙信に、生き残った武田家臣、鬼に金棒、軍神に虎の子だな」


父上からの書状も読みつつ、溜息を吐く。心配は要らないのでお前は九州の統治に専心しろ。と書かれているが、前の月にもらった手紙では、上杉が最後の抵抗をしておる。と笑い飛ばすような内容だった。苛立っているのだろう。


「言っては何だが、父上の失点も大きいな」


俺の言葉に助右ヱ門は答えない。だが、首を横に振ることも無かった。太刀持ちをしている新次郎は、周囲に目がない限りは遠慮がない人間であるので、左様ですなと答えた。


父が朝廷に対し、禁中並公家諸法度きんちゅうならびにくげしょはっとを突きつけた。これは明確に武家たる織田家が公家衆を膝下に跪かせようという類のものであり、今後公家衆は父から、後には勘九郎から禄を食みつつ生活することを強いられるようになる。これに対して反発する公家衆は多く、同時に家臣の中でもそれはどうかという声も上がった。これは公家衆や朝廷のみならず、天皇に対しての干渉でもあるからだ。せめて帝だけは法に縛られず、その外に、上に戴いておくべきではないかという考えは根強い。だがそれでも、父は断行せんとした。


 父の決定に対し、反発できる程の気骨がある人間は既にいないだろう。ましてや公家衆に。そんな風に思っていた。俺も思っていた。だが、それがいた。父に対抗出来る程の地位を持ち、父相手に一泡吹かせるだけの覚悟を持ち、そしてそれを実現させられる伝手を持つ男がいた。


 従一位関白太政大臣、藤長者(とうのちょうじゃ)近衛前久(さきひさ)。彼が密かに越後へと向かっていたのは安土大茶会と御馬揃えが行われているさ中であった。思えば、日ノ本において最大の催しごとを京都でなく安土でやったという事実は既に前久卿にとって許しがたいものであったのだろう。俺や勘九郎が行った事は天下平定に必要なことであったが、父が行った事はその限りではない。前久卿は海路を使わず自ら馬を駆り、越後まで向かい、そして話を纏めた。纏めた話は勅命講和だ。


 その話を聞いた父は激怒し、俺達は唖然とした。そもそも俺達が知る前久卿は太閤殿下であって関白太政大臣ではない。かつて足利義輝公暗殺の黒幕であると義昭公に疑われ、京を逃げ出した際にはく奪されているのだ。だが、朝廷は織田家に許可を取らず、一足飛びにこのお方の関白太政大臣就任を認めた。

 更に、前久卿はかつて上杉謙信公と共に関東出兵を行った事もあるお方であり、謙信公のみならず関東諸豪族とも知遇を得ている。領地没収となった関東武士に対して、お家再興の芽があることをほのめかすことで上杉家に兵を集めた。更に、このまま織田家に降伏すれば領地没収か良くて転封だが、上杉と共に勅命講和すれば領地が守れると、東北の武士が上杉攻めに参加せず、寧ろ上杉家を後押しする状況を作った。


 上杉家としては渡りに船どころか地獄で仏だったであろう。越後と越中に、北信濃、更に東北と北関東の一部に領土を持つ上杉家の石高は都合で二百万石に迫るが、だがその程度なのだ。九州が二百万石を超し、四国が百万石を超し、中国は旧毛利領だけで二百万石程、東部を入れれば三百万石に達した。織田家の勢力は既に百万二百万という単位ではない。即座に織田家に対して講和の使者を送り、同時に残る関東、そして東北の諸豪族らと共に織田家に降ることを約した。


 父上からすれば、そして織田家からすればとんでもない話だ。西国に比べ、東国の平定の速度が遅れている理由はまずもって毛利家の、小早川隆景殿の奮闘があったからである。東が遅いのではなく、西が早すぎた。と誰もが理解している。そしてもう一つ遅くなった理由として鎌倉幕府御家人の末裔にして、室町幕府成立期において徹頭徹尾高い独立性を守った関東武士を完全に駆逐する為にという事柄が挙げられる。西国と違って年の半分近くは雪に覆われてしまうこの土地を、勘九郎は丁寧に攻めることでようやく征した。関八州、二百五十万石とも四百万石とも呼ばれる地域を平らげたのだ、あと一年あれば東北など造作もないところまで来ている。そこで突然関東東北北陸はそのまま降伏します。等という話を持ってこられて肯んじられる筈もない。潜在的に織田家に対して反抗的な者どもを、日ノ本の東側半分で飼いながらの統治。政権基盤の弱い室町幕府の如くになってしまう。


 父は当初、使者が来たことに気が付かなかったであるとか、自分は講和することに乗り気であったのに部下が勝手に攻めたとか、既に自分は隠居した身であるから話は勘九郎にとか、果ては帯刀に話を聞く時間が必要であるとか、無理やりに時間を稼ぎながら攻撃を継続させた。しかしそのような拙攻は軍神相手に通じるものではなく、織田家が敗北を重ねたのは前述の通りだ。


 最早、大局という意味では決着はついている。織田家の、織田信長の負け、そして上杉謙信及び近衛前久の勝ち。最早ここで織田家が一戦しどのような大勝利を挙げたところで、二百万石という大領を持つ上杉家が一瞬で滅ぶようなことはない。だが、父上はそれでも最後の最後で上杉謙信公に対し一泡吹かせてやりたいらしく、何が何でも今年の雪までは戦いを継続させるつもりのようだ。今は病気のせいで身動きが取れず返事が出せないと、苦しすぎる言い訳を使っている。上杉家の人間が祈っているのは父の病気平癒か、それとも今年の初雪か。


 「次は、三七郎に、惟住家、森家、蒲生家が駆り出されるか」

 五万や十万の出兵を見ても、既に驚かなくなった自分がいる。そして、その五万十万の兵ですら、討伐出来そうな気配のしない軍神がいる。


 もし、この討伐軍が敗北したら、次に駆り出されるのは誰であるのか、俺は余り想像したくなかった。


第百二十五話に地図を追加しました。九州での戦いが多少読みやすくなったと思います。

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