第百三十二話・何が違うのか
天正三年四月、京都二条御所。
「全く、面倒臭い催しごとだった」
赤子を腕に抱き、その寝顔を見ながら俺は言った。すやすやと眠る赤子、まだ生まれて半月も経っていない。寝る事と泣く事が仕事の、誰憚ることの無い赤子だ。
「天下に織田家の威を知らしめる為の壮挙であったのでしょう?」
「違うな、父親の力を息子達に見せつけたいが為の我儘だ」
安土で、茶会と馬揃えが行われた。主催したのは父だ。いずれも先年に日ノ本の東西にて行われた茶会よりも馬揃えよりも規模が大きなものであった。茶会には先年の者に加えて東国攻めに参加した者らが参加し、馬揃えには先年の者に加えて西国攻めに参加した者らが参加した。しかし、空前にして恐らく絶後となるであろう催し事に、俺は冷めた態度で参加し、そして最低限の出席を終えるととっとと京へ戻って来た。
「自分抜きで息子らが仲良くしているのが嫌なだけだ。全くいつまで経っても子供で困る」
俺が行った茶会には三七郎が、勘九郎が行った馬揃えには三介がそれぞれ出席している。『正室の子らと愛妾の子らがいよいよ対立し始めた』などという街談巷説は気にする必要すらないが、どちらにも参加していない父からの言葉は無視し切れない。お前達は自分を抜きにして面白そうなことをしているではないかと女々しい手紙を送って来たものだ。自分も茶会や馬揃えが持つ意味を知った上でやらせたくせに。
「まるで二十年後のタテ様を見るようですわねえ」
楽し気に、幸せそうにハルが言った。その言葉には異議ありだと、俺は父上程子供ではないと言い返す。子供達が己の考えのみで行動を起こす。成長の証ではないか。喜ぶことこそあれど、拗ねるようなことはない。
「亀千代と、勝若丸様が二人で面白そうなことをして、タテ様が仲間外れにされたら、タテ様は拗ねてしまうでしょう?」
「……俺の子供達は、俺の事を仲間外れになどしない」
ハルが嫌な事を言うものだから、眉をしかめながらの返答になってしまった。声を出してハルが笑う。
ハルが男子を産んでくれた。四月に入ってすぐの事だ。これで村井家の行く末は明るいと親父殿は大喜びだった。その頃俺はまだ九州にいて、悔しいことに我が子の顔は父や母に先に見られてしまった。産後の肥立ちが悪かった吉乃様や、恭の例もあるので皆ハルの体調を心配したのだが、出産後間もなくハルは立ち上がり、十日も経たずしてそれまでにしていた仕事をするようになったそうだ。すっかり身体は元気で飯もよく食べる。俺よりも食べる。乳も出過ぎて着物がすぐ汚れてしまうと言っているし、非常に心強い。安心だ。
安土大茶会と馬揃え。この催しは、天正になり既に天下は織田家のものであることを示す為に必要なことであると父の口から説明がなされた。だが、実際には先に俺が言った通り、俺の方が倅達よりも凄いことが出来るのだぞという子供のような見栄によって開かれた催しである。当然俺と勘九郎も呼ばれ、御馬揃えにおいて勘九郎は父に次いで二番目に、そして俺が三番目に並んだ。己が持つ最も良い馬と、格好を付けた衣装でやってこいと言われたので、交易によって仕入れた馬に乗った。唐国と大秦国とを結ぶ国々固有のその馬は日ノ本の馬よりも二回りは大きく、頭の位置が俺よりも高い。背が高ければ目立ち、商品の宣伝にもなるだろうと、俺は太刀から衣装から何から何まで己の領地で作った品物を着込み、場面が変わるごとに衣装替えをして過ごした。大日向の太刀や新しく作り始めた染め物など、中々の宣伝になった筈だ。長益叔父上ら家臣一同にも無料で貸与する代わりにと、津田領で出来上がったものを使わせた。
続けて行われた茶会では、同じく自前の窯場で出来上がった天目茶碗モドキを披露した。古左辺りは己好みの作品を作り上げ、ゆくゆくはその品を価値あるものとしたいと思っているようだが俺はそんなに高い志など持っていないので現状価値のある品物を作る為に日夜試行と失敗を繰り返しているのだ。専門家に言わせれば、天目茶碗を作る為の材料は単純であり、焼く時の時間や温度により、それぞれ異なる焼となり個性が出る。であるのでともかく数をこなし続ければ何か良いものが出来る可能性は常にあるということだ。
ならば出資者たる俺は何度でも何十度でも何百度でも試せるよう場所と材料だけは提供し続けんとし、試行回数を積み上げさせた。そうして職人達が努力を重ねた結果、一つだけ出来上がった曜変天目モドキの茶碗を持って茶会に出かけた。
俺が持って行った曜変天目モドキは中々の高評価で、やって来た島井宗室などもしきりに感心していた。因みにだが島井宗室はこの度楢柴を父に強奪された。三千貫と、今後の九州において商売を保護することの約束、高々茶入れ一つに破格の条件であった。それでも楢柴を手放したくない島井宗室からはどうにかならないかという手紙を貰ったが、どうにもならない。一度行動を起こした父を止められた試しはない。今後の貿易で楢柴以上のものを手に入れるほかないだろう。うちの父がどうもすみませんという手紙は送っておいた。そうして、今回の茶会は天下三肩衝も天下三茄子も、全て父上の手中に収められた状態で行われた。弾正少弼殿も返還された平蜘蛛を丁寧に運び出して来て天下万民の前でその手前を披露していた。よくこれほど高価な物をこんな遠くまで運んでこられましたねと、その豪胆を褒めると『貴殿に言われたくはない』と言い返された。仰る通り。
たった一つの曜変天目モドキ以外の茶碗には絵付けをし、小倉の茶会で見た天目茶碗の模造品を作った。折角借りたものであるので、絵師に全ての模様を書き写させておいたのだ。それをもう一度天目茶碗に描いたことで、見た目には最早本物とほぼ同一のものが出来た。それでも一貫や二貫はする高級品ではあるが、やって来た多くの客が気軽に曜変天目茶碗を使っている気分になって帰って行った。茶道の千宗易は曜変天目モドキに対して『毫変盞』と名を付けてくれた。意味は分からないが箔が着くようならば何より。茶釜も、平蜘蛛を盗んだ時に描いておいた絵を元に、本物によく似せた茶釜を作っておいたのでそれを使った。中々に受けが良く、最後にはその茶釜で炊き込みご飯を作って皆で食べるという暴挙を行った。旨そうな香りが客を引き寄せ、捉えて離さないことからその茶釜を女郎蜘蛛と名付けたら皆笑ってくれた。
「子供らの様子は?」
話を変えた。真田家の於国と源三郎、源次郎の三姉弟。毛利家から迎えた毛利藤四郎。高橋紹運殿の遺児である彌七郎と千若丸。そして戸次道雪殿の遺児誾千代。
「皆恙なく過ごしていますわ。藤四郎殿と彌七郎殿は年も同じで仲が宜しゅうございますね。男の子達は毎日稽古です。そこに誾千代殿も加わって木刀を振るっておられます。留守居の奥村様が稽古をつけて下さるのですよ」
助右ヱ門も、若い頃には慶次殿と共に研鑽を積んだ人物だ。師とするのに丁度良いだろう。
「偶にですが、疋田様が来られて、珍しいものを食べたいと仰るので、何か振舞って差し上げますと、その礼にと稽古をつけて下さいます」
「あの御仁はよくわからんな」
笑った。剣の才に愛されつつも、自身はその強さに意味を見出せずにいる男疋田景兼。俺だけが特別なのではなく織田家中多くの者らと知遇を得ているようである。徳川や浅井とも顔が利き、今もって敵対している上杉や東国にも出かけては武者修行などに励んでいるようだ。家臣ではないので止めようもない。
「珠殿や華殿などは私の身体が重たい時に手伝いなどして下さって。於国殿も優しい娘ですね。男勝りな誾千代殿を三人で可愛がっては『女の子はこのようなことをしてはいけない』などと叱るのです」
「あの猛獣が如き娘を叱りつけて、逆にひっぱたかれて泣いたりはしないのか?」
「それが薙刀を持たせれば於国殿が強いのです。信州では弟君達の稽古に付き合っていたそうです。四つも年上でもありますし、暫く負けなそうですわ」
成程と頷く。年子の弟と稽古か。恐らく向こうは手加減などしてくれないであろうし大変であっただろう。本当に、良い姉なのだろうな。
「皆なるべく良い縁談を用意してやりたいものだな。於国に限らず、皆親元を離れ不安だろうが無事に育ってくれているなら何よりだ。煕子殿も最早九州に向かわれたからな。娘御らには苦労を掛ける」
九州平定後、俺は十兵衛殿と羽柴殿を呼び、どちらかに九州へ出向いて欲しいと頼んだ。惟住殿は恐らく父が京都周辺から離そうとしない。中国と四国、それぞれに信頼出来、そして実力もある者を置いておきたかった。用意する土地は九州最南端、旧島津領。
当然加増するが、京都や安土からすれば西の地の果て、織田家が行った殲滅戦により土地は荒れ、人心とて織田家に対して敵対的だ。嫌だろうとは思う。
既に蒲生家が土佐から筑前に転封となることを了承したこと。向こう一年は俺も九州に居座ること。両名の内、九州に向かうものは九州探題に任じること。前の国替えから時を開けずしての移動であるので国替えに一年の時を使って構わないこと。以上の事を伝えた上で頼むと、十兵衛殿が『それならば拙者が』と頷いてくれた。
頼んでおいて言えたことではないが、十兵衛殿とて既にご高齢である。少々不安になっていると娘達の事は頼みましたぞ。と、しっかり釘を刺された。己は九州で権勢を得て、娘達は中央で良き家に嫁がせる。畏まったと言ってしまったので、本当に良い縁談を探さなければ。
十兵衛殿には薩摩・大隅・日向・肥後の四ヶ国を与えた。勿論父や勘九郎も了承済みの事である。在地の国人領主が全員いなくなったわけではないので全てが惟任領という訳ではないが、四ヶ国併せれば石高は九十万石余り。直轄地だけでその半分はあるだろう。十兵衛殿が差配すれば百万石超えも近いのではないだろうか。羽柴殿は安芸・周防・長門の旧毛利領。ここに銀山の利権を除いた石見も加え六十万石程。島津領とは違い毛利領では戦闘は行われていないので統治自体は楽であろうと思う。
「松姫様が男子を産んで下さいますれば、織田家は安泰ですわね」
「そうだなあ」
勘九郎はこの度正室松姫殿がご懐妊とのことで、これが男子であった場合平氏長者近江織田家の三代目が誕生することになる。中国と九州は暫くの間統治に専念となろうが、三七郎や惟住殿は東国攻めに参加することになろう。残る敵地は減り続け、こちらの戦力は増す。
本当にここまで来たのだなあと思いながら、飽きもせず我が子の顔を覗く。多くの家族を失ったが、それでも俺は子を得て、そして家も残るだろう。幸せだ。絵に描いたように、幸福な今を得ている。
「何を憂いておりますの?」
幸せについて考えていた筈であるのに、ハルからは憂いていると言われてしまった。何でもない、と言いかけて、何でも、なくはないなと口から言葉が出て来た。
「何が……違うのかと思った」
話しだした時に、ハルは質問を重ねたりはしなかった。ただそっと俺に寄り添い、背中を撫でてくれた。
「今回の戦いで、俺は毛利を助けた。毛利を助けたかった。小早川隆景殿という賢人は尊敬するに値する人物であったし、その心情も深く理解することが出来た。そうして、毛利家は助かった。中国から九州に国替えとなったが、それでも織田家の大大名として生き残った。元就公が五千貫の国人領主であったことを思えば、勝ちだと言えよう」
布を一枚、亀千代にかける。大人しく眠っている。気持ちよさそうだ。
「切支丹は追い出した。殉教などと言って死なれるよりは新天地で心機一転してもらった方がこちらとしても無駄に血を流さずに済んだのでな。切支丹の教えに自害の禁止というものがあってよかった。あれが無ければ大村純忠殿も、大友宗麟殿もどこかで死んでいただろう。二人共、生き延びる道を選んでくれた。あれのお陰で、他多くの切支丹達が故郷を離れて生きるという道を選んでくれたように思う。助けられたよ」
九州は暑かったがルソンなる土地は更に暑いと聞く。皆力強く生き抜いて欲しい。
「戸次道雪殿や、高橋紹運殿は助けたかった。九州国人の誰もがあの両人が名将であり忠義の者であるということについて疑っていなかった。俺はあの二人の名を知ったのはごく最近であったが、それでも、彼の者らが貫いた生き様については敬服し、尊敬せざるを得なかった。救いたかった、だが、救えなかったな」
「タテ様が全てを救う必要など、どこにもございませんのよ」
「いや、そうじゃないんだ」
分かっている。俺が全て救えると思うことなど優しさではなく傲慢だ。救いたい命は沢山あった。救えたものもあり救えなかったものもある。だが、
「島津や相良、阿蘇などは生きたいと言い、降伏をして尚許さなかった。同じ口で、別の人間には『貴殿らを殺したくはない』などと言っていた俺が、殲滅を命じたのだ」
五歳や六歳の子供もいた。俺が知らないだけで、俺の命令のせいで死んだ赤子もいただろう。
「毛利と島津、片方は生き延び片方は滅びた。その差は何か。俺が助けようとしたかしなかったかだ。俺が全力で島津を助け、毛利を助けまいとしていたら、きっと逆の事も起こりえただろう」
小早川隆景殿は、兄弟を愛し、亡き父を慕い、一族大事の為に汚れ仕事も平気で行った。島津の四兄弟も又、仲の良い兄弟であったと聞いている。弟達は皆、兄の為、家の為最後まで戦い死んでいった。恐らくどこかで別の知遇を得ていたならば仲の良い友人にも成り得た者らを、俺は殺した。
「たまたま、たまたま毛利は中国にいて、俺と話をする機会があった。そしてたまたま、島津は九州の果てに領地を持ち、俺と対話することが出来なかった。たったそれだけの差だ。そんなことで、国の興亡が左右される。多くの人間の人生が狂う。果たしてこの俺に、そんな大それたことをして良い権利などあるのだろうか、などと」
思ったりするわけだ。と言い、俺は笑った。傍で聞いてくれていたハルの頭を撫でる。ハルは抵抗せず俺の肩に頭を置いた。
「前々から思っておりましたけれど、タテ様ってとっっっっても、面倒な人ですわねえ」
大きなため息と共に、ハルが呟いた。苦笑して頷く。
「そうとも。気付かれていたとはな」
「気が付きますわよ。遠くから聞こえてくるタテ様への御評価はまるで鬼に対してのようでありますのに。こうしてここに来るといっつもそうやってお悩みです」
「外では、余り不安は見せないな。見せたら周りが不安になる」
ここは家だ。ハルの隣だ。
「前に、タテ様が正しいですわとお話はしましたからね。それ以上の事は私には言えませんけれども。それ以下にもなりませんわ。ずっと、私の気持ちはあの日と同じです。つまりタテ様のお味方ということですわ」
「そうか、優しいな」
「あとは、タテ様が勝手にお悩み下さいまし」
「なんだ、厳しいな」
慰めてくれ、と、その胸元に頭を突っ込もうとしたら後頭部を叩かれてしまった。痛い、と声をあげると、その声にびっくりした亀千代が泣きだした。
「もう、タテ様が助平だから亀千代が泣いてしまいましたわ」
「俺が助平だから亀千代が産まれたのだ。寧ろ感謝して欲しいくらいだな」
減らず口め、と鼻を摘ままれた俺は早々に降参し、泣き止まない亀千代をハルに預けた。




