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信長の庶子  作者: 壬生一郎
津田所司代編
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第百三十話・恨みと教えと恩と名と

「俺に?」


思わず唸るような声が漏れてしまい、周囲の人間が訝し気に俺を見た。新次郎に確認すると、間違いございませぬと言われた。


立花山城・宝満山城に対しての総攻撃が開始されたのは九月の二十八日。先に降伏した大友家の家臣達、天海らの仏僧、竹中半兵衛に黒田官兵衛、四度行われた降伏勧告に、戸次道雪も高橋紹運も最後まで首を縦に振ろうとはしなかった。最後には新次郎に直接俺の手紙を持たせ最早抗戦の意味なしと伝えた。返答はそれぞれ以下の通りだ。



戸次道雪『道に落ちた雪の如く、武士も一度主君を得たのならば死ぬまで節を曲げず。ただ一人の主の下にて忠義を尽くすことが武士の本懐である』



高橋紹運『主家が盛んな時は忠誠を誓い、衰えたときは裏切る。そのような輩は鳥獣以下である。私は大友家より受けた大恩を忘れることは出来ぬ』



言うは易く行うは難し、誰もがそんなことを考えることはあるし、そう出来たなら格好良いと思う。だが援軍はなく、万余の兵に囲まれて勝ち目もない。そのような状況の中でそれが言える人間がどれだけいるだろうか。


両城の攻撃は毛利家を使わず、これまで武功を上げていない後方待機の織田本隊が務める事となった。せめて何か一つ手柄をと志願した将兵が両城に二万ずつ、計四万が城を取り囲み、それぞれに持ち場を決めて攻撃した。


総攻撃が始まった時俺は太宰府天満宮にいた。宝満山城の南西、高橋紹運が放棄した支城、岩屋城がある水瓶山の麓。かの有名な菅原道真公を奉る場所であるだけに将兵皆扱いには気を使った。何しろ菅原道真公だ。一族を祟られたり雷を落とされたらとても叶わない。先程の会話はそうやって俺が総攻撃中の城の様子を眺めている時に成された会話である。


「今頃俺に何を託そうというのだ。あの二人が」


新次郎が、手紙を二通取り出し俺に渡した。戸次道雪殿と高橋紹運殿それぞれからだ。五度に渡る降伏勧告についての礼が書かれていた。そうして、戸次道雪殿は六歳の娘で、自分の血を引く唯一の人間である誾千代を、高橋紹運殿は長男彌七郎八歳、次男千若丸三歳をそれぞれ保護して欲しいと書かれていた。保護した後、どうしたいであるとかどうして欲しいであるとか、そのようなことは一切書かれていなかった。ただ、『弾正尹様なれば安心して冥途に行ける』という言葉は両者共に使用していた。


「俺が殺すのだぞ、俺に殺されるのだぞ」

手紙を読み、思わず声が漏れた。そのような相手に託して何を安心するというのか。俺はただただ死者を減らしたいと考え行動しただけだ。


織田家の精兵相手に、立花山城は六日、宝満山城は九日戦い抜いた。纏まった降伏者は最後まで出ず、両城の生き残りは、身動きが取れなくなったところを捕らえられた者、気を失ったところで助けられた者など極わずかであった。織田軍は城兵以上の被害を出し、戦後焼け落ちた城からは二人の遺体が見つかった。


『古今無双の勇者にして、天下に聞こえし忠義者、我ら一同、織田家に対し両名に負けぬ忠義を誓わん』


戸次道雪殿と高橋紹運殿、並びに彼らに付き従い戦った将らは身を清められ、荼毘に付された。二人共、主人大友宗麟とは異なり仏教徒であったが故、仏教式の火葬で間違いはなかっただろう。死者の数は夥しかったが、坊主の数とてこちらは多くいた。少々時間はかかったが全ての埋葬が終り、傷ついた味方を労い、勲功を称える。


降伏した敵の家族と会話したことは今までになくはなかったが、親を殺されたばかりの子供らと真正面から会話するのはさすがに初めてだった。まずは戸次、高橋の子らの前に、武田家遺臣、加津野信昌とその一族からだ。


母はああいう人間であるのでまるで悪ふざけの一環として連れて来たかのような言いぶりであったが、少しでも早く目通りをというのは寧ろ信昌が考えていた事であったらしく、その妻子、亡き武藤喜兵衛の子供ら三人と会った。泥を啜ってでも生き延びようと、紆余曲折を経て、仇である織田一族の男に頭を下げている加津野信昌は無念であるとも満足であるとも言えないような表情だった。役目大義だった。悪いようにはしない。そう伝えるとふう、と安心したように息を吐き、俺に平伏した。


武藤喜兵衛の子供ら三人は立派であった。特に上の娘が。嫌な問いかけではあるが『憎しみはないか』と俺は信昌以下全員に問うた。仕方がないと、恨みを呑み込むことを決めた者もいれば、恨んでなどおりませぬという者もいた。その全てが本心とは思わないものの、それでもそれぞれがそれぞれに滅んだ主家の事を、死んだ親しい者達の事を考えたのだと思う。


『私は父上を忘れませぬ』それが武藤喜兵衛の長女於国の言葉だった。憎しみが無いのかどうかについての答えにはなっていないかもしれないが、俺は立派な回答だと思った。弟は年子で、更に下の弟もその一歳下、年の近い三姉弟は姉を真ん中に身を寄せ合うようにして座り、俺に怯えているようだったが時々姉が弟達の背中を叩き、その背筋を正させていた。負け、死、滅び、そういったものが、僅か十歳の娘にこれほど立派な態度を強いているのだとすればそれは大いに考えさせられることだ。


考えた結果、三人は俺が養育することとした。武藤喜兵衛の妻は生きているので、彼女と話し合って婿探し嫁探しをする。武田の名も真田の名もまだまだ公儀憚りである為扱い辛い。加津野家も武藤家も存続させたまま、時が許すようになれば兄弟の兄か弟どちらかに真田を名乗らせる。十年後か二十年後か、或いはもっと先の話になるかもしれないが不可能ではないだろう。


この利発な子供らに対してであれば良いかと思い、俺はその旨を伝えた。姉が弟達の手を取って『源三郎、源二郎』と言い、涙ぐんだ。それを見て、それまで姉を頼りその顔色をちらちらと見ていた弟達が良かったですと顔を綻ばせ、姉を慰めていた。


次に会ったのは戸次道雪殿の一人娘誾千代。この娘には驚かされた。恨みはないのかという質問に対し、真っすぐ、俺を睨み付けながら憎いと言い返してきたのだ。まだ六歳の子供がだ。自分が男で、もう少し大人であれば父と共に戦い果てたのに悔しいと、六歳の少女らしからぬ雄々しい態度で言い切った。又、その見た目がやがては美しく成長するであろうなと一目でわかるものであるから、余計に異様な迫力を醸し出していた。


残念ながらお前は女で、戸次道雪殿の血脈を残す為にはいずれ婿を取り家を再興しなければならないと説明すると悔しそうにしながらも頷いた。良い縁談は俺が探そうと言うと、更に悔しそうに頷いた。彼女も俺が養育することとなる。どうなるだろうか、心配だ。


最後に、高橋紹運殿の息子二人にも会った。まだ三歳の次男千若丸は流石に何を言われているか分からなかっただろうが、八歳の兄彌七郎は最も子供らしく、武士らしい態度を取った。父が討ち取られ、悔しい。しかし自分は男である故、弟と共に高橋の家を再興しなければならない。その為に貴方の力に縋るしかない。そのような話を、泣きながら語った。武士の考え方として正しいし、八歳の子供として当然の涙だ。同じく、二人も俺が引き取り、養育することにした。上手くいけば彼ら彼女らかその家臣、親族筋の者らを直臣に取り立てることが出来るかもしれない。


そうして、俺が乱世の先に生きるべき子らと知遇を得ていた十月の十四日、小倉へと二人の人物が送られてくる。大村純忠と大友宗麟の二人である。




最早豊後の国人衆すら信用出来ずと見た大友宗麟は城に籠って最後の一戦をとは考えず逃げ、潜伏していたところを小早川隆景殿の手の者により捕縛された。大村純忠も含め両名は切支丹であるが故に自害、即ち切腹が出来ず今日まで生き、そして俺の前に引き立てられる結果となった。


見世物とし、嬲る趣味はない。だが両名ともに俺との面会を求めており、俺は室内にての面会を認めた。豊後の主と肥前の一領主。この二人に勝ったことで豊前・豊後・筑前・筑後・肥前の、九州の内北五ヶ国が織田に服した。残るは肥後・日向・薩摩・大隅の四ヶ国。数字の上では過半であるが領土面積という意味では全体の三分の一程だろうと思う。


「大村様、大友様にございます」

「通せ」


勿体付けて待たせ、相手が待ちくたびれた頃合いに登場する。ということをせず、俺は先に上座にて待った。一段高い位置で二人の登場を待ち受ける。先に現れたのは大村純忠。髷を結い、身綺麗にしている。求める物は全て与えよと伝えてあったが、胸元にはこれ見よがしに十字架があった。


続けて、禿頭で釣り目の男が現れた。先程の大村純忠は俺に対して敵意らしいものを向けてはこなかったが、この大友宗麟は少々非難めいた視線を向けて来た。意外だった。もっと全力で、呪い殺してやるというような表情で睨み付けられると思っていたのだが。宣教師が着ているような衣装に身を包んでおり、こちらも棄教するつもりなどないぞと全身で表しているかのようだ。


「津田帯刀である」

俺が名乗ると、二人がそれぞれ頭を下げ、名乗った。さて。


「両名とも、この帯刀と話がしたいということであったが、その前に一つ宜しいか?」

言って、居住まいを正す。此度の戦についてだ。


「我が大友家忠義の者達に対し格別の御恩情を賜った事、まずもって御礼申し上げなん」


俺が口を開こうとした時、遮るように大友宗麟が言った。機先を制され、息をのむ。うむ、と頷き、改めて言葉を発する。


「御両名よく戦われた。信じる大義の違いにより我らは同じ日ノ本の民でありながら相争うことになったが、勝敗は時の運。勝つも負けるも兵馬の常である。この場においては、最早余人が聞く話でも無し、忌憚なく言いたいことを言われるがよい」


俺の言葉を聞いて、二人とも少なからず驚いたようだ。自ら悪魔を名乗り追放令を発した人間とは思えなかったのだろう。

 「貴殿は……」


 釣り目の瞳をギロリと俺に向け、大友宗麟が言う。睨み付けているのではなくて元々そういう顔であるだけかもしれない。


 「貴殿は基督教を憎んではおらんのか?」

 「憎んでおらん。舶来の神をわざわざ嫌いになる理由などない」


 身勝手な勝者の理論ではある。今回の戦い、織田家は切支丹から大した被害を受けなかった。つまり、恨むほどの思い入れがないということだ。これが、三七郎が戦死し、十兵衛殿も戦死し、羽柴殿は重篤で予断許さず。という状況であれば言うことも簡単に変わっているだろう。


「ではなぜこうまで惨いことをするのだと問われれば、日ノ本を守る為と答えよう。日ノ本の民を金銭でもって売り捌くことを認めるわけにはいかぬし、この国を奴隷の国とするわけにもいかぬ。基督教という教えを利用する者らを駆逐するため、ひとまず織田家は基督教を禁じ、伴天連を追放する」

 「乱暴な、残酷な方法であるとは思わぬのか?」


 話を続けると、大友宗麟が言い返してきた。


 「思うとも。だが、丁寧な、優しい方法を取っている時間はない」

 「信長一人がそれ程に偉いか?」

 諱を、吐き捨てるように言い、控えていた近習達が色めき立った。手を挙げて制する。構わない。言いたい事を言わせる場だ。


 「親父一人の眼が黒いうちに、仮初めの、力づくの平和なる世を見せ、そうして往生させることがどれだけ尊いのだ? たった一人の満足の為に万を超す切支丹が改宗を、追放を、死を強いられる。それほどまでに偉い人物であるのか?」

 「貴殿も行った事ではないのか? 仏教徒の強制的な改宗を。それが為に随分と人を失ったようだが。神の御名においてであれば許されるのであれば、神も又、随分と傲慢であるな」


 否定の言葉を否定するのは、それほど難しくない。お前もやっているではないか、と言い合ってしまえば水掛け論だ。人身売買は東国、例えば甲斐の武田家も行っていた事、貧しい東北の国々でも行われていた事、何故切支丹が行う事だけが大々的に罪として取り上げられなければならないのか。そんな話になった時も、今後織田家では人身の売買を認めないよう法を整備する。武田家も滅ぼした。そして基督教も罰する。全て、平等であるという理屈で返した。


 「敵を悪し様に言うだけでは神の教えにもとるぞ宗麟殿。汝の敵を愛せよ。ではなかったのか?」

 どこかで聞きかじった基督教についての教えを述べる。その言葉を聞き、大友宗麟がぽかんと口を開け、それから笑った。


 「流石に、皮肉の利いた言葉を返す小僧だ。聞いていた通り」

 「であろう?」

 二人で、声を併せ笑う。それに合わせて微笑んでいた大村純忠が、横から声をかけて来た。


 「拙者小鳥を飼っておりましてな。今後、拙者では面倒を見られぬようになると思います」

 突然何の話だと思ったが、うむと頷く。


 「人も小鳥も、全てはデウス様がお作りになったもの。今後も、誰か愛情を持って世話をして下さる方にお譲りしたいと思っているのですが。弾正尹様、貴方様、面倒を見て下さいませぬか?」

 「敵である、そして悪魔であるこの帯刀に?」

 「敵にも味方にも、惜しみなく慈悲の心を、これこそ『愛』にてございます」


 言って、大村純忠が平伏した。愛であるなあ。と大友宗麟が笑う。俺にはまだよくわかっていない概念であるが、それならばと両名に一つ質問をする。


 「我が織田家は、というか俺は、大義の為に己を殺し、より多くの悲劇を防ぐ為、武を振るっておる。例えば今日百人を殺すことが明日千人を救うことに繋がるのならばそれを成す。今年一万の死体が積まれることで後の世の死者を百万無くすことが出来るのならば自ら死者を積みに行く。此度も、そう考えて行動をしたつもりだ。勿論、俺が良かれと思って行った事でより悪い方向へと事が進むという可能性は常にある。だが、まだ見ぬ者らの為を思い、今目の前にいる者達と戦わんとするこの考えを、基督教においては何と呼ぶのか。『愛』ではないのだろう。或いはそれこそを『悪魔』と呼ぶのかもしれぬ。だが俺は両名に問いたい。この心を何と呼ぶのか」


 父は、大義を成す為に小義を蹴散らす事を迷わず行える方だ。そうして、桶狭間以来常に結果を出してきた。だが、俺はそう簡単に割り切ることが出来ず常に情けなくも悩み続けている人間だ。その答えは仏教の中にも神道の中にも禅宗の中にも、或いは自分で見出したものもある。だが基督の教えから答えを賜ったことはない。


 「両名と、その御家族の内我らが保護している者らは皆追放処分とする」


長崎港から南へと下り、ルソンなる島に送ることとなる。勿論家族も一緒にだ。この島は基督教が認められており、言葉さえ何とかなれば生きてゆくことも出来るだろう。宣教師も一緒に追放するので、日ノ本の聖人とでも説明してくれるのではないだろうか。

俺の言葉に、二人が目を剥いた。大村純忠には、小鳥も後で届けようと伝え、微笑む。


「貴殿らから答えを聞ける日が来るかは分からぬ。だが、貴殿らがルソンにて『愛』を広め、我らが日ノ本に泰平をもたらした暁には、いつか我らの子孫が酒でも酌み交わしながら話をする日も、やって来るであろう」




天正二年、一時ではあるが九州より伴天連が追放され、津田信正という人物に、また一つ悪名が追加される。


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