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信長の庶子  作者: 壬生一郎
津田所司代編
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第百二十九話・千客万来

 「お疲れ様でした」

 部屋に入ると、母上が蘭丸、そしてその蘭丸によく似た弟坊丸と力丸の三人を侍らせて炭酸の果実酒を飲んでいた。


 「自分好みの少年三人を侍らせて良い御身分ですね」

 「うふふ、そうでしょう。でも私とて本日は色々と頑張ったのです。疲れを癒しても構わないと思うのですよ。そなたも座りなさい、お疲れなのですから」


 ご機嫌に、ポンポンと自分の隣を叩く母。隣では話し辛いので、座布団を一つ取って向かいに座る。三人にも、適当に寛げと伝えた。蘭丸が言われたようにするので、弟達二人もそれに倣う。それでいい。警護の者は外にいるのだ。


 「いやまったくもって疲れましたよ。手も震え脚も震え、緊張します。父上もなぜあれだけのものを帯刀如きに丸投げしたのか、曜変天目一つ、或いは三茄子のうち一つあれば十分に織田家の威光は見せられたでしょうに」

 「思い切ってしまってからの思い切りの良さは天下一ですからねえ、殿は」


 言われて、確かにその通りだと頷く。三七郎に啖呵を切られ、三介の異形なる踊りに驚かされ、全て倅共に任せてやっても良いか、という気持ちになったのだろう。


 「可哀想なのは原田家の男の子ですよ。縁もゆかりもないものに突然呼びつけられたと思ったら天下の名品と共にさらし者にされて」

 「仰る通りです。しかしお陰で俺の手が震えていることには気付かれずに済みました」


 普段は俺に忠実な忍び連中が、今日の茶道具の荷運びだけは全員這いつくばって『ご勘弁下さい』と言って来た。だから直接担いだのだが、カチャカチャと音が鳴るたび割れやしないかと気が気でなかった。茶を点てている時も、飲んでいる時も、自分が何をしているのか夢見心地であったし味など分からなかった。恐らく皆同じで、今日俺のところに来た客で茶葉の味が分かった者など一人もいないだろう。馬の小便を混ぜても分からなかったのではあるまいか。


 「堂々たる手前であったと聞き及んでおりましたけれど?」

 「そりゃあ、堂々とせねば意味がありませんから虚勢を張りましたとも。早く終われと念じ続けておりましたし、二度と茶会など開きたくないとも思っておりましたけれども」

 「幾つか頂戴するつもりではなかったのですか?」

 「俺は良いです。父上の茶道具を俺と勘九郎で分配などとしてしまえばどうせまた『織田家の跡目未だ定かならず』などと言い出す輩が出てくるのですから。俺は自前で焼いた物を使います。今回の茶会で、金も使い切りました。己で作れば安上がりですよ」

 「空っぽなのですか?」


 少々意外そうに聞かれた。俺は普段から努めて節制するほうではないが、武器から食い物から大概のものは領内で作らせてしまうから散財もしていない。そんな俺が金欠というのが意外なのだろう。


 「戦いもしない兵を海岸に貼り付け、急ごしらえの茶会の準備をし、人を招き、道具を買い漁りましたからね。勿論、戦費として残しておいた分はありますが最早余裕はありません」

 「……最近では山城の山奥に私鋳銭の窯を移したのではなかったのですか?」


 伊賀を出て、山城と丹波の国境付近の山間を直轄領とした俺は、そこを丹波や山陰道との街道にするという名目で少々切り拓き、銭の密造を行っていた。最近では技術力も上がり、交易路が増えたことで錫や銅も手に入り易くなったので規模は拡大の一途を辿っている。


 「それも含め、今年の分は空っぽです。父上や勘九郎には報告してあります。反乱を起こそうにも兵を賄えるだけの銭を持っていないので安心してくれと」

 あらまあと、母上が笑う。その時外から軽妙な足音が近づいてきて、新次郎の『お待ちを』という声が響いた。


 「帯刀様、名刀様、猿にございます」

 「新次郎、良い。通せ」


 その一言で誰であるのかは瞭然であったので、すぐに通すよう言うと、俺の言葉が終るか終わらないかのところで襖が開いた。腕に赤子を抱いた羽柴殿が満面の笑みで入って来た。


 「お勤め誠お見事にございました。天下の織田家、その権勢がいかばかりのものか九州の民皆が理解したことにございましょう。津田弾正尹様の御雷名も西国の果ての果てまで轟いたことと存じ奉りまする」

 言いながら、俺にグイと赤子を見せる羽柴殿、非常に愛らしい子供だ。去年産まれたばかりで、今年二歳。ともあれ三歳まで、まずは三歳まで健康的であって欲しいと思い、優しく抱き上げた。


 「羽柴殿のお知恵があったればこそにござる。あのような大茶会を開くなどという奇策、織田家においても斉天大聖公をおいて他に出てはこないものかと」


 まだまだ歯も生えそろっていない赤子、羽柴家の嫡男石松丸は、父親から離されてしまって不安になったのか、すぐにふええと泣き声をあげた。すまないなと謝り、父親の腕に返す。


 「何を仰います事やら、弾正尹様がこれまで積み上げて来た武功や名声があったればこそ、某の猿知恵などそこに一つ付け加えただけに過ぎませぬ」


 おおよしよしと、石松丸の頬に口づけし、ベロベロと舌を出して見せる羽柴殿。慣れたもので、すぐに石松丸の機嫌が直った。


 「お二人とも、お互いを持ち上げるか、赤子を可愛がるかどちらか一つずつ行われては如何です」


 隣で見ていた母が笑う。そうですねと二人で顔を見合わせて笑い、そうしてから羽柴殿が胡坐をかき、自分の足の間に石松丸を置いた。蘭丸達三人は、更なる来客に備え座布団や茶の準備をするべく下がる。


 「然りながら弾正尹様、此度、この羽柴めの猿知恵が多少はお役に立ったことと存じまするが、如何でございましょうや?」


 子供を抱えたままの平伏。何とも愛らしい動きだなと思う。こういうところも人たらしなのだろう。俺は勿論大いに助けられたと答えた。嘘ではない。


 「されば、図々しいことなれど一つ、褒美を頂戴したく存じ奉りまする」

 「褒美?」


 金ならない。領地なら九州の仕置きが終ってからだと伝えてある。さては茶道具でも欲しいのかと思い、何が欲しいのかと問うと、石松丸を掴み、持ち上げた。


 「我が嫡男石松丸に、織田家の妻を頂戴したく」

 「成程」


 言われて、即座に合点がいった。気が早すぎる気もするがまあそうだろう。最早羽柴筑前守秀吉は国持大名。このまま九州と東国が治まれば播磨一国が二ヶ国三ヶ国に増えることはあっても減ることはない。与力武将らも併せ、羽柴筑前守が差配する石高二百万石、ということも今後あり得るかもしれない。そうなった時、次世代の当主たる石松丸の妻を誰とするかは問題である。


 織田家はまずもって一門衆が多い。父の弟も、その子らも、減ったとはいえまだまだ数はいる。勘九郎には国持の兄弟が三人おり、一門衆の座席に空きはない。それに次ぐ譜代衆の席も、森家と惟住家がしっかりと確保している。ここに、同盟者から家臣に降った浅井家と徳川家が入り、忠三郎が後継となる蒲生家も連なる。父からの信頼は篤いとはいえ、滝川や惟任、そして羽柴らはどうしても外様扱いになってしまう。下の妹達も筒井家や前田家に嫁ぐことが決まってしまった。長宗我部元親殿が父に無理を言ってまで茶々を欲したのはそうした理由もある。戦が無くなれば、横のつながりの重要性が増す。繋がりにおいて最も強いものは姻戚関係だ。


 「しかしな、今お鍋の方様やハルが妊娠してはおるが、これが必ずしも娘という保証はない。他に目ぼしい娘となると」

 「おられまする。お二人ほど」


 どちらかが女であった場合の予約を入れに来たのかと思って問うと、首を横に振られた。二人も?


 「初様と、小督様にございまする」

 「そういえばまだあの二人がおったな」


 上に兄がいる以上浅井家の当主は決まっている。その上で此度の長宗我部家との縁談では同時に俺との知遇を得ることが出来た。同じように初姫や小督姫を羽柴家に嫁がせることが出来れば浅井家としても損な縁談ではないだろうし、織田家としても家臣家との強い繋がりを持つことが出来る。


 「石松丸は二歳。初様は三つ年上、小督様は同じ年、年回りとしては悪い縁ではないかと存じまする」

 「確かに」

 畳みかけて来る羽柴殿、その後ろで、音も無くスッと、襖が開き、惟住、惟任の両将が現れた。


 「藤吉郎、そのように畳みかけては弾正尹様がお困りであるぞ」


 穏やかな表情で言うのは惟住長秀殿。父の親友であり、恭の姉を妻に持つお人だ。腕に、四歳の嫡子鍋丸を抱えている。


 「五郎左殿は二代に渡り織田家から妻を貰いました故我らの苦労は分かりませぬよ。そうは思いませぬか、十兵衛殿?」

 続けてやって来た十兵衛殿に羽柴殿が問う。そうですなあと呟き、同じように連れて来た娘二人をスッと前に。


 「かように、弾正尹様は多くの縁談が舞い込みまする。そしてその縁談を成立させるためには多くの子が必要となりまする。なればこそ如何でしょう? 我が惟任家から側室を迎えるというのは。両親共に丈夫ですからな。体の強き子が産まれるは保証いたしますぞ」

 「又その話ですか?」


 羽柴殿ほどガツガツとしていないながらも、あわよくばという意思が見える勧めに苦笑した。前に出された珠と華は恥ずかしかったのか父親の陰に隠れてしまい、見目麗しい娘が二人も来て喜ぶ母に招かれてその左右に侍った。


 「母上からも突然他家の子を押し付けられ、何やらいきなり千客万来になった」

 やれやれと頭を掻きながら、三人に頭を下げる。中国攻めが始まってより、俺が最も頼りにしてきた三人だ。今回小倉に集まってくれたことも含め、礼を言う。


 「太閤殿下や顕如上人がお出まし下さったことも大きかったが、御三方がそれぞれ趣向を凝らした茶席を用意して下さったことも、九州国人衆に対しての威武として大いに効果が上がった事と存ずる。この帯刀、これまでの織田家に対しての忠誠と合わせ、深く感謝致す」

 改めて頭を下げると、三人も頭を下げた。


 「右府様から借り受けた名器の数々に、弾正尹様が自らお作りになられた品々もお見事でございましたが、何よりも驚いたのは平蜘蛛ですな。あれを、かの梟雄から譲り受けておられるとは、流石の弾正尹様にございます」


 そう言って来た惟住殿に、俺はニヤリと笑みを返した。


 「あれは、譲り受けたわけではなく、盗み出したのよ」

 言うと、珍しく三人が、そして母上までもが驚いた。この海千山千の者達を一度に驚かすことが出来てしてやったりの気持ちになる。


 「以前より、松永弾正には隠居を求めておったのだが、あの男俺が幾ら言っても畏まりましたと返事をするのみで、実際の領地のかじ取りは一向に放そうとしない。ともかく隠居し、京都に居を構えよと命じたところ、『命と同じだけ大事な平蜘蛛が重たくて動かず難儀している。これを動かすことが叶ったならばすぐに京都へと向かう』などと言い出した。故に、我が配下の大泥棒石川五右衛門に頼み、命と同じだけ大切な物を動かしてやったという訳で」


 今頃松永屋敷は大騒ぎであろう。消えた平蜘蛛が九州で使われたという話も間もなく届く筈だ。


 「貴様が京都まで移動出来るのであれば平蜘蛛は京都に置かれるだろう。もし、歩くのが難しいというのであれば船で来られる九州の壱岐辺りに置いて来るのでそこを領地とするがよい。そのような内容の手紙を書き付けて送った。返答が楽しみだ」


荒療治であるし性格の悪いやり方だが、弾正少弼殿は心の底で、父以外の誰も認めていないような節が見受けられる。恐らく本来ならばもう一人、三好長慶公の事も認めておられたのだろう。だが、父の息子の一人にすぎない俺の事を、年下の友人や趣味の合う仲間と認めはしても、畏れてへつらうような真似はしない。既に隠居し京都へ移住せよという勧告は幾度となく繰り返しているのだ。これまでの事を加味し、一度だけ強引な手段を用いさせてもらった。勿論、命程も大切にしている茶釜を本当に奪うつもりはない。弾正少弼殿が京都に参られたのなら、丁重にお返しする。


「豪胆ですなあ」

「松永家の為でもある」


十兵衛殿の感想にそう返した。謀反の疑いありとなってからでは全て手遅れなのだ。早めに膝下に跪かせてしまわなければ。


「皆も知っていると思うが、間もなく北条家の降伏が正式に認められる。亜相様が行われた御馬揃えにより、関東の諸侯も織田家に伏することは必定だろう」


俺が行った大茶会とほぼ同じ時、関東では勘九郎が家臣を集め御馬揃えと呼ばれる催しを執り行った。八万と称される関東武者の総数を超す十万もの兵が甲斐から相模までを行軍し、その威を示す。こちらは俺が行ったよりもより露骨に脅しを込めたものだ。お前たち関東勢が束になってかかって来ても織田家には勝てないのだ。と、そう伝える為の演習。関東において前代未聞の出来事だろう。


「天下統一は最早目の前ですな」

羽柴殿が明るい口調で言い、俺は頷く。話は前後してしまうが、この後間もなく、北条家の降伏が認められ、勘九郎の関東攻めも速度を上げる。信濃・飛騨・加賀国境で睨み合いを続ける上杉家は孤立し、東国においても大勢は決した。


更に、これも少々先の話だが平戸松浦党も小早川水軍に敗北し壊滅。松浦党は解体となる。大村純忠と有馬晴信の連合軍は毛利軍との対決に及ぶが敗北し、有馬晴信は戦死。撤退し島津領に逃げようとした大村純忠殿は雪崩を打って降伏した筑後の国人衆に捕らえられる。こうして、十月の後半には織田家の九州討伐軍は豊前・肥前・筑後を攻略し、筑前と豊後も風前の灯火というところまで追い詰めることとなる。

暫く、俺が三人を労って酒や九州の珍味などを振舞う時間が続いた。顔を見せに来た子供らは帰って眠り、そして母も含めた五人が残った。


「そういえば、先程直子様から他家の子を押し付けられ、と仰せになられましたが?」

惟住殿の質問に、俺は頷く。武田家の子を引き取ったのだと答えた。


「かつて武田家が砥石崩れと呼ばれる大敗を喫した相手がおる事を知っておられるか?」

質問をすると、博識な十兵衛殿が頷いた。村上義清、なる男の名前も出て来た。その通りだ。


「軍神武田信玄に土を付けた男村上義清。その村上義清から策略をもってして寡兵にて居城を奪い取った武将がいるそうだ。名を、真田幸隆」


ふむ。と三人が頷いた。皆やはり根の部分で武士である。強い男の話については興味深そうに聞く。


「武田家家臣の多くは伊那上郷の戦いにて死んだと聞いておりますが」

「死んだ。病床の身を押して戦場に出た幸隆は戦死、長男信綱も三男で養子に出ていた武藤喜兵衛も死んだ。生き残ったのは次男の昌輝、そして同じく養子に出ていた四男の加津野信昌。生き残ったうち、次男昌輝は残党を連れて上杉家に合流し、加津野信昌は加津野の残党と、死んだ武藤喜兵衛の妻、そして子供らを連れて母上からの庇護を得んと近江に出た」

「何故直子様を?」


惟住殿が聞き、三名が一斉に母を見る。母は一言、子供らが仲良くなってしまいまして。と呟いた。


「真田の名を継ぐ者らは最後まで武田に忠義を尽くし、養子に出た者らは何が何でも生き延び真田家再興を、というのが亡き真田幸隆の遺言であったそうだ」

流石は名将、と十兵衛殿が呟いた。最後まで希望を捨てず、それでいて現実も見ている。会う機会はなかったが良き武将だったのだろう。


「直子様は、その、武藤喜兵衛とやらの子らをどのように?」

「連れてきちゃいました」


質問してきた羽柴殿に、そこそこに酔っぱらっている母がキャッ、とかわい子ぶりながら答えた。苦笑する。母上らしくて怒る気にもならない。


生きている者、生きてゆく者、既に死んだ者。勝ちあがってしまった俺は多くの者達から願いを託され、そしてそれらを受け取ることになる。そして俺はこれから間もなく、筑前の名将二人からも託され、神に殉じようとする者二人と相まみえることとなる。


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[一言] 昌幸死んでたのか…
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