第百二十八話・天下一六畳間
「石川五右衛門、ただ今戻りました」
そう言って俺の元に戻ってきた五右衛門の表情は疲れ切っていて、それでいて大仕事をやり遂げた男特有の清々しい表情だった。俺は手づから茶を点て、菓子でもてなしその労を労った。
「よくやってくれた。流石五右衛門だ。天下の大泥棒であるな」
肩を叩き、五右衛門以下その配下となって動いてくれた者達にも直接声をかけて肩を叩く。皆緊張して、茶の湯を楽しむどころの話ではなかったので、正座をやめさせ、一杯だけ抹茶を飲ませ、一応の作法を伝えてからは酒を用意させた。腹に溜まりそうな飯を食わせ、後は褒美の話だ。
「板金十枚と二千貫、褒美に持っていけ」
予め用意しておいたものを、ガシャンと畳の上に置いた。歓声が上がる。五右衛門も嬉しそうにしていた。
「お前達は俺がどこに行くにしても表舞台には出してやれぬ。故に領地や官位は中々与えてやれぬ故銭は惜しまぬつもりだ。茶道具やら、妻子に渡す反物やらで、欲しいものがあったら遠慮なく申せ」
そう聞いて、流石にこの場であれが欲しいこれが欲しいと言ってくる者はいなかったが、いつでも言うように五右衛門に伝えておく。
「客人方々は?」
脇に控えている新次郎に聞くと、既に皆様お見えでございますとの答え。
「蘭丸殿が直子様に連れてゆかれました。弟君達と共に、既に外にて楽しんでおられる様子です」
道理で姿が見えないなと苦笑し、まあ、好きにやって頂けば良いと答える。
中国と九州を結ぶ下関海峡。その九州側の沿岸地である小倉に、俺は要人を集めていた。四国勢からは一条信孝、更には土佐一国を賜った蒲生賢秀殿。中国地方からは、同様に中国攻めの折一軍を任されていた羽柴・惟任・惟住の三氏に、国替えによって中国へと移った長宗我部殿の御一族、そして備前宰相宇喜多直家殿。勿論、それ以外の中国攻めに加わった諸将も多く招いている。
四国中国勢だけでなく、中央や武家外の人間も呼び寄せた。最大の大物は太閤にして准三宮待遇、近衛前久卿。此度は九州勢との和議の取り纏めという大命も帯びつつの九州下向となった。前久卿は教如を猶子に迎え、本願寺勢力とのつながりも深く、かつては上杉謙信と共に関東にて直接兵を指揮したこともあるなど、各方面に顔の広いお方だ。
その前久卿と唯一対等に近い立場で話が出来る人物としては、たった今名の上がった教如の実父、顕如上人がいる。浄土真宗本願寺派の十一代宗主たるこの御仁は大坂を出でた後、京都や堺、福原など切支丹の勢力が急速に強まりつつある土地にせわしなく出かけては門徒を増やす為布教に務めているそうだ。此度は前久卿に先んじて、九州の反切支丹扇動の立役者としてやって来ている。下間頼廉らの一族もやっては来ているが、教如は来ていない。あの男はここのところ、精々来ても京都までで、大概は長島にて他宗派との問答に明け暮れている。父親よりも気性は激しいと専らの噂である。
こうして、織田家の主力と、公家・寺社の大物を呼び寄せた上で、俺は安宅船を利用して京都から大量の茶道具を持ち寄らせた。尾張や美濃で焼かれた所謂美濃焼や、古渡産の焼き物、古左が創意工夫を重ね伊賀で作った品々、当然京大阪堺等で買い集めた品々も大量である。これだけ大きな船が初めてであるのならば、これだけ大きな船に焼き物を満載したのも初めての事であろう。割れ物である茶道具を海上輸送など不安しかないが、巨大な安宅船と、既に敵のいない瀬戸内の海とが、大量の割れ物を一挙に、かつ迅速に輸送するという暴挙を可能とした。
因みにではあるが母の事は招いていない。俺の密命を帯びた三七郎が父に幾つか茶道具を貸して欲しいと頼み、移動するさ中、突然自分も行くと言い出したそうだ。安土から琵琶湖経由で京まで出で、何名かの古物商を呼び寄せ、珍しい本を買い漁った後村井の親父殿を誘い、そして再び船に乗って悠々と瀬戸内の海を渡り小倉までやって来た。
村井の親父殿であるが、俺が京都にいない間当然仕事が忙しくわざわざ九州くんだりまで行く余裕はない筈の御仁であり、母の誘いに応じるか否かなど、最早伝えるまでもないことである。一応言っておく、来た。いる。
瀬戸内の海を眺めつつ『この辺りで明石の君がイケメンにこまされたのね』やら『ここが源平の古戦場』やらと言いながら余裕の船旅であったそうだ。いつだか、自分は京都に行くのに歩きたくないから海沿いを船で移動する、と言っていたのを思い出した。その願望を京都どころか日ノ本の西の果てで達成したということだ。母とは対照的に、船を任された九鬼水軍の者らは皆ぐったりとしていた。
「母上や親父殿に挨拶をする必要はない。母上は関サバと関アジを食べたいと駄々をこねていたからそれだけ与えておけばよい。騒ぎ始めたら見目の良い男子を生贄に捧げよ」
俺が指示を出すと新次郎が頷き、外にいる者に対して指示を出す。今回、九鬼水軍衆と伊賀忍、そして新次郎が率いる近習の者達には貴人達を陰日向に護衛してもらう大役を申しつけている。内蔵助にも派手な衣装を着せて警備隊長を任せている。
「太閤殿下や法主殿には既にご挨拶申し上げたが、今どこにおられるか分かるか?」
「はっ、神屋紹策、島井宗室ら博多の豪商らとご歓談中との事にございます。源五様が間に立ち、これよりは昵懇の関係をと」
「又、何か金儲けの機会でも見つけたか?」
ニヤリと笑った。此度、我が津田家の数寄者連中も九州にやって来た。最早天下は統一したも同然で『兄上とて何だかんだ後十年は生きましょう』と全く危機感のない長益叔父上は最近数寄者として拍車がかかりどうにか良い物を安く手に入れられないものかという点に血道を上げている。京大坂の商人達とは既に深い仲であるそうだ。軽率と言ってしまえば軽率なのかもしれないが止めはしない。寧ろ後押しする。長益叔父上には長益叔父上の役割がある。叔父上が作った伝手は即ち津田家の伝手にもなる。良い縁を結んだ際には小遣いを与えているので、長益叔父上も積極的に動いてくれる。
「ならばお任せしておくとして、古左はどうした?」
「野点に興じておられまする。羽柴様らと共に、見世物などを行いながら大盛況であるそうでございます」
「あの二人にはそういうところでは敵わないな」
身支度を整え、外へ出た。ここまで多くの人物を招き、俺が行うのは表向き家臣や客人を招いて行う茶会であり、皆で紅葉を見ようという催しだ。今回の九州戦役、ひと月が経過しようとしている今、完全に織田家の手に落ちた国はまだない。筑前は戸次・高橋が籠る城が落ちれば陥落、肥前も松浦党、それに大村純忠と有馬晴信を残すのみではあるが、九州中部南部の国人衆らも今もって態度を鮮明にせず、侵攻速度としては遅いと言わざるを得ない。このままであると九州国人衆皆殺し、という悲劇になりかねなかった。父はああいう人物であるし、俺も最終的には仕方がないとは思っているのだが、余り好ましい事態ではない。可能な限り人死にを減らしつつ攻略をと思っていた俺が相談した相手が、人の心を攻略させたら天下において右に出る者なし、今斉天大聖羽柴筑前守秀吉公である。
『どうも、成り上がりの織田家なぞ何するものであろうか、という気持ちが九州国人衆の気持ちの底に流れているように思われます。でありましたら、ここで一つ、力だけでなく、人脈も財力も、何もかも織田家には敵わないのだと思わせてしまえば宜しい』
そう言って、羽柴殿が策を授けてくれた。丁度九州原田家を織田家臣の畿内原田家に組み込む為色々と話し合いを進めていた時であったので、ここで一つ、身内での茶会でも開くと良いと。紅葉を楽しむ為野点を行い、それを公開して誰でも来られるようにせよと。九月の終わりの事にて、まだ紅葉を見るには早すぎるがそんなことはどうでも良い。目的は多くの人間を集め、織田家が持つ力を知らしめる事。織田家がどれだけの物を持ち、どれだけの権勢を持つのか、九州の人間にあまねく知らしめる。
『上手くいけば、誰一人死なず、全て弾正尹様のご存念次第にございまする。となるかもしれませんぞ』
成程それならば、人も死なないし物や銭で解決が出来るので気が楽だ。と、頷き、俺は九月末日に小倉で茶会を開くことを決定した。
「何だか緊張して来たよ、新次郎」
「お気持ちはお察しします」
その時は気が楽だ。と思っていた俺だが、今こうして小奇麗な衣装を身に纏い人前に出る段になると随分緊張した。俺は今回、身内で小ぢんまりと普段通りの茶会を開こうとしたところ、勝手に皆が集まってしまったという体裁を取るので、必要以上に華美な衣装は着ていない。立烏帽子に束帯姿で出るという意見もあったが却下した。古左や母上が用意してくれた、基本的には濃い蒼を基調とした衣装だ。今子建ならば、曹氏らしく蒼が似合う。と言われたのだがよく分からない。今子建等と、最早言ってくる者もいなくなった。
「羽柴様は、金色の衣装を身に纏い、そのまま木登りなどしては枝にぶら下がり周囲から大いにウケを取っておるそうです。場の空気は固くはございませんので、ただただ、普段通りに茶を点てているのだと思わせることが出来れば、即ち殿の勝ちにございまする」
「羽柴殿には感謝するが、普段通りというのが難しいな」
それでも仕方なし。俺は晩夏の暑気がまだまだ残っている九州の太陽に焼かれつつ、用意しておいた茶室に出向いた。茶道具を入れる荷物も、自ら背負っての移動である。
「五郎殿、お待たせいたして申し訳ござらぬ」
そこかしこで野点が行われるその場において、俺の為に用意された場は正に一等地、賑わいの中心と呼べる場所であった。というよりも、俺が座る場所を中心とし、皆が集まったというのが正しい。それはまあ、表向き俺と親戚、家臣連中の会合に皆が群がってきている訳だから仕方ないことではあるのだが。
「だ、弾正尹様、本日は好天に恵まれましたこと」
「ええ、良き日にございます。ささ、立ち話も何です故、そちらの席に」
緊張し身体が硬い少年の言葉を遮り、軽く肩に触れつつ座るよう促す。大蔵氏嫡流原田氏の第八十代当主原田信種殿の姿を見て、俺は少し安心した。自分よりも遥かに緊張している人間を見ると何故だか落ちつけるのはどういうことだろうか。
原田信種殿は永禄三年の生まれでまだ十五歳だ。若いというより幼さすら残っている。大友宗麟から責めを負い切腹して果てた叔父上に代わり、祖父の養子となって家督を継承したのはまだ今年の話だ。
「気に入った道具は見つかりましたかな? あまり多くは持ってこられませんでしたが」
野点は、枝ぶりの良い松の木の下で行う事とした。木漏れ日が時折キラキラと漏れ、その下に用意された六畳間程の敷物は余り濃すぎない朱塗りで、俺の蒼と対照的になっていて成程面白い。木々からは何故だかよい香りが漂っているので、こっそりと白檀でも焚いているのだろう。古左が考えてくれたものであるので俺はよく分かっていないのだが、何となく風流であると思っておく。
「あ、はい。素晴らしき品々を見せて頂き恐悦至極にございまする。こちらの、器を本日は使わせて頂こうと」
「ほう、油滴天目ですか、流石にお目が高いですな」
安宅船によって運んできた茶道具を、俺はその安宅船の中で陳列し、本日の貸し出しを許した。美濃焼瀬戸焼唐物等の焼き物は勿論、景徳鎮産の梅瓶や香炉、鉢、水差といった白磁の品々、明代青磁、宋代青磁、高麗青磁等の青磁の器等々、『この船の持つ価値を九州全土よりも高くせよ』と指示を出し、急ごしらえの棚を用意させて展示場とした。人に見せるのであれば、とにかく派手になさいませ。という羽柴殿の指導を受けての行いだ。
「高温の窯の中において極めて稀に発生する現象でしてな。器の表面にあたかも油滴が飛び散ったような模様を作り出すもので、その名が付けられたということでござる。中でもその逸品は評価が高く、漆黒の底部から徐々に青みを帯びて縁にいたる色の変化が絶妙と、京のみならず畿内の物狂い共が喉から手を出すほどに求めたる品にございます」
丸ごと暗記した知識をそのまま伝えると周囲はおおと唸ったが、信種殿は顔を青くした。多分だが、陳列されている物の中でも恐らく価値が低いだろうというものを選んだのだろう。その気持ちはよく分かる。口が裂けても言いはしないが、俺は初めて油滴天目を見た時、『ブツブツしていて汚ねえ』と思った。申し訳ないが、信種殿に見せた者は全て銘品・逸品・高級品揃いでどれを選んでいたところでこうして俺が解説を入れることになっていた。
「青磁や白磁ではなく、唐物の天目茶碗がお好みでございますか。結構ですな」
俺が続けざまに言うと、信種殿はああ、いや、と何事か呟いた。だが、それは相手とせずそのまま話を続ける。申し訳ないが今日一日は九州の人間を代表して驚く役に徹して頂く。畿内にてそれなりの領土と地位を与える故体のいい人身御供を許してもらいたい。
「喉も乾きましたな。そちらの方々は親族衆ですかな?」
原田信種殿に質問する。原田家は織田家が九州に現れるより前には龍造寺家の傘下となっていた。故にか、その同僚か上司或いは単に親族衆か、そのように見受けられる者達も、俺達を囲みながら様子を注視している。中にはこれから織田家に従うか、寧ろ島津と組んで一戦交えるかを考えている者もいるだろうし、商いの役に立てようと俺の持つ道具を見に来ている者らもいるだろう。
「これだけの方々に来て頂いて、立って待たせておくというのも無礼ですな。信種殿、宜しければ皆様とも茶を喫したいと思いますが如何にございましょうか?」
俺が言うと、信種殿は飛びつくように『是非』と答えた。そりゃあ、こんなに多くの人間に見られた中で、割ったらどうなるか分からない器を手にしているのは辛かろう。
「さて、では信種殿に合わせて天目茶碗をご用意いたしますが、足りるかどうか」
持ってきた道具入れの中から天目茶碗を取り出す。途中、青磁や白磁等を取り出してはこれ見よがしに端へと避けたのは勿論わざとだ。奥から天目茶碗を重ねて取り出した時、思わず何人かが立ち上がった。
「灰かつぎ天目、禾目天目、木葉天目、文字天目、鸞天目……」
「慧眼な方がおられますな」
俺が並べる器を見て、一つ一つ名を挙げる人物がいた。武士らしい身なりではない。かといって公家でもない。切った張ったには慣れている風情であるが、だからといって粗野ではない。見受けるところ、恐らく博多の豪商、島井宗室。
「皆様にはこれらの内、好きなものを使って茶を飲んで頂ければと思います」
言うと、悲鳴にも近い声が上がった。野点で、ふらりとやって来た客に出して良い品ではない。皆一応自分の器くらいは持ってこられる身分なのだ。
「皆様お選びいただいている間に、こちらでも用意を致します故少々お待ちを。そちらの、ご慧眼なる方にはこれが相応しきかと」
言いながら島井宗室には別の器を手渡した。それまでまだ、数居る客人らの中で鷹揚とした体面を守っていたその男が、俺から天目茶碗を受け取ったのと同時に固まった。
「よ……曜変天目」
「三好長慶公がお使いになられていたという品を、四国攻めの折に我が弟が見つけましてな。もしよろしければ、島井宗室殿にお使い頂けましたらと」
俺が言うと、島井宗室が脂汗を浮かべながら俺を見た。良き商談は纏まりましたかと問うと、それでも何とかまあまあ、と言ったところにございます。と答えた。中々の胆力だ。だが、まだまだここで終わりではない。
「天下の三肩衝が一つ、楢柴をお持ちのお方の前で茶を点てるなど、中々に恐ろしいことではございますが」
言って、俺も天目茶碗を取り出す。先程の品は三好長慶公ご愛用の物。そしてこちらは父ご愛用の物をお借りしてきた逸品。曜変天目茶碗が二つ。そんな茶会がかつてあったろうか。
「もう二つ三つあれば良かったのですがな」
言いながら笑い、茶入れを取り出す。先程の肩衝というのは肩の部分が角ばっている茶入のこと。俺は三つ程茶入れを取り出し、どれを使おうかと見聞する。三つとも、丸形のやや膨れ口造りと細くなっている茶入で、所謂茄子と呼ばれる形の茶入れだ。
「そ、それはまさか」
「器を落としますぞ」
三つの茶入れを見て、島井宗室のみならず周囲の者らが戦慄く。天下の三肩衝。これは確かに名品で、百貫積まれようが千貫積まれようが島井宗室が手放すことはないだろう。だが、天下に又、三茄子と呼ばれる茶入れがある。九十九髪茄子・松本茄子・富士茄子の三つで、今俺が無造作に並べた三つがそれだ。
そうして物を見せびらかしている間に、人が人を呼び、騒ぎが騒ぎを呼び、いつの間にか周囲は人垣で埋め尽くされていた。新次郎と、この時の為に来てもらった内蔵助達に頼み、前列の島井宗室らには座って頂き、その後ろの客人達には長椅子を用意した。それでも人垣は途切れず、このままでは道を封鎖してしまいそうであったので、警備の兵が特別に増加される。
「人数が多いですな。湯が足りませぬ。五郎殿、申し訳ありませぬが茶釜を変えますぞ」
言って、俺は最後の大物を取り出す。恐らく天目茶碗よりも天下の三肩衝、茄子の茶入れよりも、青磁や白磁の逸品よりも見栄えよく、見る物に畏怖を与える名品。
それを取り出した時、とうとう島井宗室が倒れた。それでもこれだけはと考えたのか曜変天目茶碗だけは胸に抱えて倒れたのは見事なる物狂いである。
「家臣、松永弾正が所有し、この度某が譲り受けました茶釜にございます。『古天明平蜘蛛』。これにて湯を沸かしましょう」
その日、俺が申しつけていた『九州より価値のある安宅船』という言葉は後の世にて流行することはなかった。代わりに、『九州に優りたる帯刀の六畳』という言葉が九州地方では囁かれるようになる。
この派手な見世物の甲斐があってか、以降織田家による九州国人衆への調略は実に上手くゆく。




