第百二十七話・尚武の子、虚けの子
毛利輝元による安芸一国支配の確約を三七郎が勝ち取って来た。加えて、小早川隆景、穂井田元清、安国寺恵瓊らには周防にて別領地を与えた。それぞれが独立した領地持ちであり、織田家にとっては毛利家と変わらない外様の家臣であることを示したものである。
「吉川元春殿にはなしか」
「反織田家筆頭という立場でしたから。責任を取らせるとのことで」
俺達は停泊した安宅船の一室でサバとアジの刺身をおかずに飯を食いつつ会話をしていた。
「切腹か?」
刺身を飯の上に乗せた手を止め質問すると、刺身一切れで豪快に米を頬張っていた三七郎が首を横に振った。口元に付いた米を舌で舐め取り、前歯で噛む。
「いえ、そこまでは」
安土での人質生活。龍造寺隆信殿と同じ扱いだ。加えて毛利家からの人質も取ることとなった。毛利元就公の末子であり、実子のない小早川隆景殿の養子ともなっている才菊丸や、吉川元春殿の家族も纏めて東国へと連れてゆくことが決まった。
「領地没収の処罰には変わりはないそうで、これまでの九州戦役の活躍を加味した上での新領地であると心得よと」
「まあ、そうでなければ不平も出ような」
九州のみならず、関東でも東北でも降伏している相手からの領地没収は行われているし今後も行われる。『何故毛利のみ許されるのか』と問われた時に『毛利はそれに見合った武功を立てたからだ』と答えられる理屈だ。
「龍造寺の降伏にも、最初は難色を示しておられましたが、最終的には妥当であると」
それぞれ、父の名でしたためられた手紙も添えられた。これらは毛利、龍造寺両家に届ける。戦後の国替えがあることは両家共に織り込み済みであるが、少なくとも大名家としての存続は成立したことでほっと一安心であろう。
「関東でも同じようなことがあったようで、三介兄上が勘九郎兄上の名代として来ておりました」
「北条か」
北条氏も、かなり早い段階から父に服属の意思を伝え降伏の使者を送っていた。だが父は直接自分がではなく、徳川殿や今川氏真殿を使って攻めさせ、後にそれを理由に討伐の軍を発した。最初から戦闘は避けたいと考えていた分、毛利家よりも不条理なめに遭っている。
小田原に籠った後、彦右衛門殿は何とか北条家存続がならないかと動いていたようだ。単に気の毒であるからなどという理由ではない。九州よりもより中央政権からの独立意識が強い関東の民衆にとって、織田家は他国からの侵略者に他ならない。そして、長らく続いた善政によって北条家の支持率は高い。どうにかして在地の民から支持を集めたい彦右衛門殿からすれば、北条家という与力は非常に使い勝手が良い。その考えに勘九郎も同意し、二人の考えを代弁する者として、三介が送り込まれた。奇しくも俺が三七郎を送り込んだのと同じ日、安土に到着し話し合いとなったそうだ。
「初代早雲公飛躍の地韮山城を居城に伊豆一国と駿河・相模の一部を北条本家が安堵され、分家に出た弟や一門衆は今後の関東や東北の戦においてそれぞれ勘九郎兄上や滝川殿から領地を頂戴するそうです」
「毛利家と同じか」
安芸一国は大体二十万石程、伊豆は十万石には届かず、六万石であるとか八万石であるとか言われている。今後の立身出世がどうなるかは俺と勘九郎の采配次第だ。
「父上のご容体はどうであった?」
「良くありませんでしたな。すっかり弱気になり大声で怒鳴るようになっておりました」
三七郎の答えに首を傾げた。弱気になり大声、という言葉の繋がりがちぐはぐな気がしたのだ。
「今までの父上であればもう少し鷹揚であったのでしょうが、急に思いついたように『やはり毛利も北条も滅ぼすべき』と言い出しましてな」
「父上がか?」
「はい。自分が死んだ後何をしてくるか分からない。宣教師や尼子の残党も同じだ。どうにか今のうちに、と」
「それは……随分と弱っておられる」
お身体がではない。お心がだ。実際に体がどれだけ回復しているのか、或いは壊れているのかは分からないが、気持ちの上で、もう長くはないという強迫観念に勝てなくなっているのだろう。だから自分のいなくなった後の織田家の事が過剰に心配であるし、その心配の裏返しで攻撃的にもなる。歴史上、晩節を汚した名君などは幾らでもいるが、父上も或いはそうなり得るのかもしれない。
「お体自体はどのようであった?」
「まあ、この三七郎と怒鳴り合えるくらいには元気でありました」
「怒鳴り合う? 三七郎と?」
俺が訊くと、三七郎がしてやったりという表情で微笑み、はいと頷いた。
「くどくどと話が長くなり、帯刀兄上や勘九郎兄上のお考えに対し『甘い』だの『未熟者共』だの『乱世の厳しさが分かっておらぬ』だのと、否定的なことばかり言うものですから、言い返してやったのです。あと二年や三年で死ぬような半死人が、今を生きている兄上達の邪魔をするな。とっとと兄上達の言う通りに手紙をしたため、花押を押して引っ込んでいろ。子を成す元気はあるのだから老人は余生を楽しんでいればいいのだ。と」
絶句した。手に持っていた箸を落とし、口の中に入っている飯を呑み込むことを忘れた。
「三七郎、貴様そのような事を言ったのか? 父上に?」
「はい。三介兄上も父の言葉にヘラヘラと笑いながらそこを何とか、というばかりで、埒も開かず腹も立ち、ならば無理やりにでもと思った次第」
「ち、父上はどう仰ったのだ?」
斬られなかったか? 生きているのか? 生きてはいるな。本物か?
「今申し上げたことを一息にぶつけたわけではないですからな。半死人の癖に、というような事を言った時には激昂して立ち上がり、刀を抜こうともしておりましたが」
「して、それを見て三七郎は?」
「切りかかって来たところで今の父上では俺を殺すことは出来ませぬと睨み付けながら言い返してやりました。それを見て父上は座りましたな。心月斎殿がいなければ、どうなったかは分かりませんが」
落ち着いて茶でもどうぞと三七郎に言われる。ああ、とかおお、とか、よく分からない間の抜けた声でそれに応じ、茶碗を出す。三七郎が怪訝な顔をしながら茶碗に茶を注いだ。注がれてから、飯用の器であったことに気が付いた。あっ、と小さく声が漏れる。ま、まあ刺身を乗せれば旨い茶づけになるだろう。
「この三七郎信孝、少々気性が荒いことは自認しております。父譲り、兄譲りであるので治りませんな。とはいえ父上や帯刀兄上のように普段からギラギラと抜身の刀のような気性ではないだけマシであると思うておりますが」
「待て待て、俺がいつから抜身の刀の如く荒い気性を発しているのだ。寧ろ上の兄弟四人の中で最も気性が大人しきは俺であろうが」
言い返すと、三七郎がはぁ、と溜息を吐いた。さらさらと茶漬けを食う。旨い。もう少し味を濃いめにし、大葉やワサビ菜等を加えて香りを出せば絶品になるのではと、可能性を感じた。
「気性が大人しきお方は、かつて自分が追い出した家臣の義息を傍に仕えさせたりはしませぬし、自ら面白がって悪魔を名乗りはしませぬし、このような催しごとを開催したりはせぬものです。忠三郎に窘められてはいないのですか?」
「時々嫌味を言ってくる。あの男ネチネチとしつこいのだ。この間など」
「いや、申し訳ありませぬ兄上。話を変えてしまいました。父上の話です」
三七郎が手を上げて俺を制し、それもそうであったと話を進める。切りかかられそうになってからの話だ。
「もし切りかかられたら、その場でくたばるよりも先に、『子殺しのかいにて滅す武田家と同じ負う身の平氏長者』くらい言ってから死んでやろうと思っておりましたが、言わずに済みましたな。その場で考えた整いもない辞世を読まずに済んで助かりました」
また絶句してしまった。殺されるかもしれないという瀬戸際に、少しも媚びないどころか相手の滅びすら予言している。そんなことを言われたら寝覚めが悪いどころの話ではない。
「室内の空気が固まり、私が父上と睨み合っていたところ、突然三介兄上が奇妙な踊りを踊りはじめましてな。人にあのような動きが出来ると初めて知りました。ご存知ですか? 人間は手を使わず駒のように背中や頭でグルグルと回ることが出来るのですぞ」
「グルグルと回る? 立って横に回転すればよいだけでは?」
「違います。地面についているのは背中や頭だけです。その状態で足を中空に持ち上げ、体の回転でギュルリギュルリと」
何を言っているのか分からず、頭の中に映像も浮かばなかった。とりあえず棚に上げて置き、更に話を進める。
「その後、下駄を持ってきた三介兄上が脚先の動きでタカタカタカタカと、実に軽妙な音を鳴らす踊りなども始めました。先程申し上げた踊りについてもそうですが、どちらも見たことのない異国、いや、異世界が如き踊りでありました。天下の何れにてあれを教わったというのか不思議でなりませぬ。まず間違いなく三介兄上しか踊れぬ踊りであります故、次三介兄上に会う際には是非とも見せてもらうがよいかと」
「わかった、そうしよう」
誰から教わったかについては考えるまでもないことであるけれど。それ程面白い踊りであるのならば是非見てみたい。
「一同あっけにとられた後、父上が大笑いを始めました。釣られて俺も笑い、父上に無礼をお詫びしましたところ、寧ろ誉められた次第です。お前も言えるようになったなと」
「言い過ぎな気もするが」
一言突っ込むと。ですからそれは兄上には言われたくありませぬ。と言い返されてしまった。
「その後、冷静になられた父上が『確かに貴様の言う通りだ』と仰せになられました。此度の、帯刀兄上、それと勘九郎兄上、御両名の嘆願を全て受け入れると。そして、九州と関東北陸の戦が終った暁には、自分は完全に隠居して引っ込む故後は好きにせよと」
「父上が?」
「はい」
「九州の仕置きについては?」
「というか、結論については既に手紙にてお話した通りですが?」
「まあそうだが」
ここまでの話を聞いて、三七郎の話を聞きたくなったのだ。もっと面白い話が出てきそうであるし。
「大友と島津が、私が九州に到着するまでの間に無条件の降伏をすると言っているのならば半国程度の領有を認めると、そうでないのならば是非も無し」
頷いた。両家共に織田家に伏するつもりはない。切支丹の王国を作らんとする大友宗麟は、悪魔を名乗る俺を討滅することがゼウス様の御心に、と息巻いているようである。かつて父上が仏敵と言われたのと同じことであろう。だが、家中が切支丹一色に染まっている訳ではない為、仏教を信仰する家臣連中の大半は内応した。筑前と肥前のみならず、豊前と筑後、それと豊後にも勢力は伸長しつつある。立花山城と宝満山城の二城は、力攻めにすれば味方の戦死者も多いだろうという小早川隆景殿の考えにより、付け城を用意し、その間に豊後攻めを行う。
「期せずして、島津氏とは大友領を分け取りになるな」
「どうやらそのようで」
龍造寺はすんでのところで降伏し、大友はその実力を出し切ることが出来ず飲み込まれようとしている。残る島津家は織田家の侵攻を幸いにと、一気にその勢力を拡大していた。今年、大隅の肝付氏を討伐し、日向を含めた三州統一を目指していた島津氏。日向の伊東氏も最早風前の灯火で、北進の準備を進めていたところ、その伊東氏が後ろ盾とする大友氏が織田家に攻められるという事態に陥った。これを一気に降し、肥後の国人衆とも結び、肥前の大村純忠と有馬晴信、更には平戸松浦党とも結んで上陸した九州織田軍を撃退せんとしている。織田家として、俺としては、日向の国人衆が倒れること自体は構わない。肥後においては相良氏と阿蘇氏が侮れない勢力を持つ。両家共に大友氏と友好関係にあった関係もあって織田家には敵対的である。戦後の国替えを明言している織田家よりも、所領安堵の上、切り取り次第では加増もあり得る島津家に付くだろう。即ち九州の南半分は島津が征する。織田家は残りの五ヶ国を如何にして切り取り、少しでも有利な状況で九州決戦を迎える事が出来るかが肝となる。
「天が、毛利に生きろと言っているかのようだな」
「確かに、結果だけを見れば毛利に都合良く事が運びました」
恐らく、父が体調に全く不安が無ければ、五年時をかけたとしても毛利家は完全に潰されていた筈だ。一方で、父の体調に不安がある現状において、毛利一門が徹底抗戦を敢行していた場合父は自分の寿命が尽きるまでの天下統一は諦め、死ぬまでに中国までは平定するという方法に変えていたと思う。その場合でも毛利家に対して行われたのは徹底的な殲滅だ。武田家や三好家がされたことである。可能な限り天下の大勢力を討伐しつつ、己の眼の黒いうちに天下統一を成し遂げたい父。それに対し、自分さえいればそれが成し遂げられると立候補した小早川隆景殿の執念が毛利家の大名としての座を引き寄せた。
「最早、後方に貼り付けた十万を遊ばせておく必要もないのですから一気に片を付けても良い気がしますが」
「確かにな」
毛利も龍造寺も、家名の存続は成立したのだ。四国勢が豊後と言わず、一気に大隅あたりに上陸し、中国からの軍勢は長崎港を占拠し、などと、これまでの戦では考えられないような手法も取れる。そこまで突拍子もないことをせずとも、単純に九州北岸から十万の兵を南下させれば数の暴力で敵を圧倒出来るだろう。
「だが、『何があっても本年は毛利家を主功に』というのが小早川左衛門佐との約束であるからな。聞いてはおくが、要請がない限り直接戦闘はせん」
「外様勢に手柄を立てられるとその勢力が大きくなりすぎますぞ」
「仮に毛利家に五ヶ国与えたとしても、その代わりに九ヶ国得るのだ。相対的に織田家の力は伸びる。それに、毛利家が前線に出ている限りは織田家に死者は出ぬ。降兵が最も激しき戦場に、とは珍しいことではあるまい」
「帯刀兄上らしくない厳しいお言葉で」
「俺とて、全員が全員仲良く生きられるとは思っておらん。生き残るものを選べるのだとしたら、織田家にとってより利のある者を生かす。なるべく誰も死なぬ為の手は打ち終えた」
降伏した大友氏家臣連中に、戸次、高橋両将に対しての開城勧告はさせた。家臣連中は『恐らく無意味です』との言葉と共に使者を務め、実際に無意味だった。最後の一手が空振りに終われば、二つの城は力攻めに落とす以外にない。大友宗麟と大村純忠に対しては領地没収の上教会の破壊と棄教を呑んだならば身の安全を保障すると伝えた。死んだほうがマシとの答えであった。最早是非もなしだ。
「羽柴・惟住・惟任に長宗我部も間もなく九州に来ます。楽しみですな」
大仕事を終えた三七郎はケケケケケケケケ、と大声で笑った。いつの間にか、この男にもこの笑い方が遺伝していたようだ。




