表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
信長の庶子  作者: 壬生一郎
津田所司代編
125/190

第百二十五話・九州北部戦線(地図有)

挿絵(By みてみん)

 「頼んだぞ三七郎。俺の求めるものは全て伝えた。伝えた内容は全てその紙にしたためてある。時との勝負、そして父上との勝負だ。腹を据えてかかれ」

 「お任せ下さい」


 当世具足に身を包んだ重厚な若武者が力強く答えた。一条三七郎信孝。織田家の四男にして四国の主。恐らく直接戦闘であれば兄弟の中で最も強い男。


 「しかし、小早川隆景、兄上をこうも利用するとは不遜な男ですね」

 三七郎が不敵な笑みを浮かべながら言う。そうだなと答え、しかし仕方がないと続けた。


 「必死なのだ。何しろ家の存亡がかかっている。俺とて父上亡きあとに織田家が滅ぶかどうかの瀬戸際となればこれくらいのことはする」

 「兄上は、織田家を存亡の瀬戸際に追い込ませないような気がしますが」

 「それは過分な評価というものだ」


 二人で笑い、それから、三七郎とは別に一つ仕事を任せた五右衛門にも頼むぞと一言。五右衛門は普段通り寡黙に頷いた。


 「公私に忙しい三七郎に使い走りをさせてしまうのは申し訳ないと思っているが」

 「何の、兄上の腕となり脚となり働けることは誉にございます。遠慮なさらず、何事もこの三七郎にお任せ下さい」


 ドン、と、若干十七には見えない分厚い胸板を叩き、笑う三七郎。かつて神戸家を継いだ際に、三七郎は神戸具盛殿の娘鈴与を妻に迎え、今回一条家の家督を継いだのと同時に一条兼定殿の娘(きよ)を妻に迎えた。まだ十一歳の娘であるが、家格としては間違いなく鈴与よりも上である為、後継については難しいところだ。家中の取り纏めも、神戸姓の時代からの家臣らと、一条家譜代の家臣らと、対立派閥の取り纏めに忙しい身である。だが、それでも三七郎からは以前感じられたどこか見ていて危なっかしい様子がない。


かつての三七郎は性格的に少々内に籠りすぎるところがあった。溜めてしまうからこそ、時折自分の感情を制御出来ず暴れてしまう。だが四国の名門土佐一条家の家督を継いでから変わったように思う。家臣や周りの人間の話をよく聞くようになり、明るくもなった。勘九郎に対し思った事もあることだが、立場を得て、そこに合わせるように立派になったように見える。同じく内に籠る気質があり、清洲でも安土でも表に出てこなかった母君を招き、共に暮らしている。この母君も、今は両家の家臣、そして二人の姫の間をよく取り持ち、家中の安定を図っている。この方も三七郎と合わせ、立場が人を育てる。という言葉通りの成長を遂げたのかもしれない。特に、三七郎の母君からしてみれば同じ父の妻に強烈過ぎる個性がいた訳で、何をされるでなくともやり辛かっただろうことは想像に難くない。


 「この三七郎めの立場を改めてハッキリとさせて頂きます。もし近く父上が身罷られるということがあれば、間違いなく勘九郎兄上を織田家当主に。帯刀兄上を推すものあらばこれを討伐致します」


 三七郎がその場に胡坐をかき、俺に頭を下げつつ言う。織田家の男らは皆やせ型だが、三七郎は戦場にて侮られぬようにと努めて肥えている。筋力があり、そして恰幅が良い三七郎が目の前にいると成程侮れない迫力がある。俺も肥りたい。今度母に肥る方法でも訊いてみようか。


 「万一勘九郎兄上、帯刀兄上どちらかに不幸があった場合、生き残った兄上を支持し、織田家の当主に押し上げます」

 「うむ」

 「万万が一、どちらもが帰らぬ身となられた場合、三介兄上を当主には推しませぬ。帯刀兄上の御嫡男勝若丸殿を織田家の新しき当主として推戴し、これを支えます。この立場を、此度父上に間違いなくお伝え申し上げる所存」

 「分かった。それでいい。頼んだ」


 父親としては勝若丸に織田家の当主などという天下一重たい荷物を背負わせたくはないが仕方なし。俺が死ななければ良い話であるし、勘九郎を死なせなければ良い話だ。

 九州攻めが本格的に動き始めた。筑前五城将の奮闘と、竜造寺家の意外な脆さが際立った初戦。そして此度初めて毛利勢が大きな勝利を挙げた。


 九州北西部に威を張る海賊集団松浦党。その中でも大きく二つに分かれたうちの一つ、波多氏を中心とした上松浦党を撃破。大勝した。唐津の港を占拠し、同時に博多など、九州北岸の港は毛利の手に落ちた。唐津からほど近くにある壱岐も同時に接収されている。吉川元春殿が即座に唐津から南下し、本城である岸岳城を陥落せしめたことにより、上松浦党勢力は崩壊した。


 この大勝により味方の士気は当然上がったが、それ以上に北部九州を分断できたことは大きかった。唐津や壱岐を中心に長崎港への攻撃も容易となり、筑前も肥前も同時に挟み撃ちできる状況が出来上がっている。

 そうして、いよいよ南下が開始されるというところで再び安土から手紙が届いた。又も父の容態が悪くなったという話だ。


 たった一人の容態変化に何度右往左往させられるのだと、我ながら情けない限りではあるが仕方のないことでもある。結局のところ織田家の総帥は父であり、勘九郎と俺はその両腕でしかない。父は半分隠居したようなものではあるが、美濃尾張の領土を譲り、軍権を与えたとしても平氏長者の地位は健在である。更に言うのならば安土に君臨し続けているという事実がある。どのような状況であれ父が亡くなれば一旦織田家の動きは止まる。最悪の状況でそれが起こらないように、俺は事あるごとに父の容態を確認しつつ九州を睨み付けなければならない。勘九郎が今関東で同じ悩みを抱えているだろう。北陸と東北が残っている分俺よりも苦労はでかいかもしれない。


 一旦中国から甲斐までで領土拡大を止め、一年程をかけて権力を全て勘九郎に譲渡し父を完全に引退させるという意見も出た。悪くない考えであると思うが他ならぬ父がそれに頷かなかった。父は己の眼が黒いうちに日ノ本を統一し、後に勘九郎に全てを譲り渡し、そして死ぬと考えている。それが確かに理想的ではある。第六天魔王織田信長がいる織田家といない織田家では相手に与える圧力が明らかに違うのだ。父上が存在するというだけで戦に有利になる。有利な間に一気に片を付ける。その理屈が分かっているからこそ急いでいるのだ。


ともあれ、俺は父の言葉通りあと二年父が生きてくれることを信じ、同時にそれが成らなかった場合の事を想定し行動する。


 九州、とりわけまずは北九州だ。例えば四国や中国東部のように、この地も土地との地縁が強い在地領主がとにかく多い。一代で成り上がった羽柴殿や十兵衛殿、彦右衛門殿らと違い、どいつもこいつも数百年続く父祖伝来の土地にしがみ付いている為、ここから引き剥がすのは容易ではない。豊後から北上し豊前や筑前に勢力を伸ばした大友氏に対しての反抗勢力も、半分は反基督教であるが、もう半分は土地を奪われた旧領主達だ。


 俺は今まで四国でも中国東部でも或いは関東北部でもそれらの小大名や豪族達を『叛服常ない』と簡単に評価してきたが、ここのところそれは間違った、というか一方的な強者の理論であるように思うようになった。彼らが忠誠を誓っているのが父祖伝来の土地であるのだと考えれば、その土地を守れるほうに着くというのは当然の事だ。彼らの中ではきっと矛盾などしていない。昨日今日に現れた連中に心からの忠誠など誓わないが、数百年の思いが詰まった土地の為にならば命も捨てよう。


 今から七年前の永禄十年に北九州で大きな動きがあった。かつて大友氏に滅ぼされた筑前の国人、秋月種実が、謀聖・毛利元就公の後援を受け筑前入りし大友氏に反旗を翻した。この反乱に大友氏の重臣、高橋鑑種が呼応し更に竜造寺隆信も加わるに至って筑前の帰趨は混沌とする。この戦いのさ中に大友氏からは原田隆種や宗像氏貞などの筑前国人の離反者が相次ぎ、筑後国衆の筑紫広門も叛旗を翻した。その他城井氏、長野氏、千手氏、麻生氏といった氏族も大友氏と敵対したがいずれも国人衆であり、大友氏からの土地収奪に抵抗した。


 この一連の戦いは大友家の三宿老と呼ばれた臼杵鑑速(うすきあきすみ)吉弘鑑理(よしひろあきまさ)戸次道雪(べっきどうせつ)らの活躍により鎮圧され、国人衆の大半は大友氏に従属を余儀なくされる。


 それから二年後の今山の戦いにおいて肥前の旗頭としての立場を固めた竜造寺家は、北九州の御家人である少弐氏を滅ぼし下剋上を果たした後南下政策を取り、此度討伐令が発せられた大村純忠の大村氏や、有馬氏に対して圧力を強めている。有馬氏は本来織田家と戦う理由もなく、味方に付けて差し障りがないのだが、面倒なことに有馬氏は大村純忠の甥である有馬晴信が当主を務めている。更に、松浦党のもう一方、下松浦党は毛利との対決姿勢を見せているものの、大村純忠が開いた長崎港を焼き討ちにしたことがあるなど、味方とする事は必ずしも不可能とは言えない。


 場所を戻して筑前であるが筑前五城将は切支丹という訳でもなく、大友宗麟の九州を切支丹の王国にするという考えは家臣の中でも評判が悪い。その為、今回の仏教徒に対しての蜂起要請は殊の外効果があった。更に、かつての大友三宿老のうち吉弘鑑理(よしひろあきまさ)は既に亡く、臼杵鑑速(うすきあきすみ)は病の身で前線には出られない。隙は大きいのだ。


 と、ここまで色々と調べた結果、俺は何をどうするべきか分からないと匙を投げた。誰を味方とし、誰を敵とし、どこにどう仕掛けたら良いのか皆目見当がつかない。餅は餅屋に、謀略は謀聖に。元々九州戦線に手を伸ばしていた毛利家だ。まして小早川隆景殿がいれば最も良い方法を見つけ出すだろう。毛利攻めの時と同じだ。俺は後方にて支援を行い、前線が存分に戦える状況を作り続ける。


小早川隆景殿には、仮に戦い利非ずとも、戦功に応じて取り計らうよう父に頼むつもりだと手紙を送り、今年中の決着を急ぐあまりの暴発が無いよう布石とした。父の容態については常に後方と連絡を取り、万一の場合には九州撤退の際毛利勢が全滅などということにならぬよう船数だけは揃えてある。時勢の読めていない尼子遺臣は長曾我部元親殿に備後備中を与えただけで約束を違えていると不満を漏らし始めたが、いざとなったら俺が直接出向いて沈める。


 そんな中で九州三強が一角竜造寺家が自ら降伏嘆願をしてきた。今山の戦いの立役者たる鍋島左衛門大夫は、竜造寺家が推し進めていた西肥前、南肥前の侵攻を中止し、以降は織田家に伏すると約した。又、先の毛利軍との戦いも毛利家の独断である可能性を考え、織田家との確認が取れるまでは通すことが出来なかった。その後降伏の使者は幾度となく送っていたが嵐により連絡に行き違いが生じた。これまでも大村純忠との戦いは行っており、織田家の討伐令に従って動いている。など、ありとあらゆる言い訳でもってして生き残りを図っている。


 俺は、今山の戦い以降に獲得した領地は全て没収とする事。その上で今後の領地転封を承知する事。竜造寺隆信は隠居し政家に家督を譲ると共に安土に暮らす事。これを降伏の最低条件とした。これでも父が言う九州三強を完全に無力化し討伐するべし。という条件よりは格段に優しい。だが、これを即座に呑めるというのならば俺個人が何とか出来る。肥前は四十万石の大国と呼ばれるが今山の戦い以前の竜造寺家の領地はその半分もない。更にその中にある竜造寺家の直轄領となれば精々十万石だろう。隠居と領地替えを頷けるのなら、新領地として俺の領地を五万石程度譲り渡してやれば良い。丁度畿内から有力家臣が出て行って直轄地が増えたところだ。九州から竜造寺という勢力を抹消することには成功している訳であるから、これは父にも認めて頂く。三七郎にはこの辺りの話も纏めて伝えて貰うようにと頼んである。


 「内蔵助を呼んでくれ」


 新次郎に伝えると、直ちに佐々内蔵助成政がやってきた。義兄にして、我が与力となった。家臣と同様に扱って欲しいとの事であったので最近では内蔵助と呼ぶ。


 「お呼びでございますか?」

 「九州小倉に向かうことになった。俺の身辺警護を任せたい。兵五百と共に近衛を務めてくれ」

 「遂に我らも大友と戦にございますか?」


 嬉しそうに内蔵助がニヤリと笑った。残念ながら違うと首を横に振る。戦であるのならば連れてゆく人数が二桁違うし、向かう先も北九州ではなく宇和島の対岸にある九州東海岸だ。


 「まだあったことの無い親族がいてな。挨拶がてら茶会でも開くつもりだ」

 「御親族にございますか?」


 内蔵助が、その野太い声を震わせた。当たり前のことだが、俺の親族は大半が父と被っている。そしてそれらの親族衆は長く黒母衣衆筆頭を務めていた内蔵助であれば殆ど知っている。知らない親族であるというのならば母方ということになるがその母方の親族は父上が襲撃された後の戦いであらかたが戦死した。


 「原田家の方々にな」


 言うと、内蔵助が合点がいったとばかりに頷いた。そう。亡き伯父上原田直政が賜った原田の姓は元々九州の名門の姓である。それを、父が朝廷から譲り受け、家臣たる直政伯父上に渡した。今や名門原田家の本家当主は俺ということになっている。


 「ご挨拶がてら、今後の話し合いをするつもりだ」


 原田氏を利用することを考え付いたのは小早川隆景殿だ。調べ、永禄十年の戦いにおいて大友氏と争った原田隆種の息子親種が原田家を継いでおり、弟の信種は竜造寺への人質として生活をしていることも突き止めた。彼らを招き寄せ、親族として話をする。表向き他意はない。親族なれば気軽に茶会などすることも当たり前だ。


 「そこに、九州の大名連中を集めるのですな?」

 「一言声をかけるだけだ。ちょっとした催しごとをするとな。それに、どれだけの人間が集まるかは分からん」


 仮に集まったら色々と有意義な話も出来よう。


 「数多くの方々を唸らせ、黙らせてきた帯刀様の言なれば、有象無象の小領主共などたちどころに感化され織田家に伏しましょうな」


 戦いがなさそうであることに少々不満げな顔を見せた内蔵助だが、催しがあると知って今度は顔を綻ばせた。大きな催しがあれば、その警備隊長を務める内蔵助も目立つ。無事に事を終えれば功としても認められる。黒母衣衆時代から慣れ親しんだ職務であろう。


 「さあなあ、もしかすると、俺は何も言わないで良いのかもしれんとすら思う」

 「それは又何故です?」

「俺よりも雄弁に語るだろうからな」



まだ九月は終わっていない。毛利家の命数は、未だ先が見えずにいた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ