第百二十四話・非道か天道か
「新次郎……」
普段無口な新次郎が、随分と乱雑な口の利き方をしつつ天海をねめつけている。睨まれたところで、それこそ首筋に刀を押し当てられたところで臆して引くような天海ではないが、予想外であったことは確かなようで、これはどういうことであるのかと訝し気な表情を見せている。
「答えよ坊主。貴様の想像が正しかったとして、貴様は何が言いたいのだ」
「その非道、許し難し」
多少は驚いていたのであろう天海だが、それでも二度質問を繰り返されて黙っているような男ではない。断罪するように、毅然とした態度でいつものような正しい言葉を吐く。ただ、俺が黙ったままで、新次郎が己の事を睨み付けていることを確認し、その会話の相手を俺から新次郎へと変えた。二人の真ん中にいるというのに蚊帳の外に置かれた俺は間抜け極まりない。苦笑しつつ指を弾き、パチンと鳴らした。外で待機している蘭丸に茶の催促だ。
「非道とは何を言うておる」
「和議を成さんと集まった僧侶達を騙し討ちにして殺し、更には公方様まで弑した挙句全ての罪を無実なる寺に押し付ける。これが非道でなくして何でございましょうや?」
仰る通り過ぎて笑いそうになった。公方様を弑逆する前に散々悩んだことだ。あれほど悩んだ経験は現在までのところ他にない。真正面からそれを指摘されたことはなかったので却って新鮮で、又、その真っ当過ぎる意見を述べて来るのが、真っ当な坊主である天海であることが、実のところ嬉しくもあった。
「非道ではない。天道である」
だからこそ、お前の言う通りだ、だがそれでも俺は止まることはないのだ。という回答を用意していた俺であったのだが、俺が何か言うよりも先に新次郎が返した。
「すまんが俺は一旦退こう」
新次郎の言葉を聞き、そして天海の表情を見て、俺は身体を脇に動かした。一旦だ。逃げるわけではない。後にちゃんと、俺の言葉を伝える。だが、新次郎の言葉に興味が湧いてしまった。俺のせいで義父が失脚し、俺と戦い、そして死ぬことを覚悟して俺の手元に収まった男の言葉に。
「罪なき坊主を殺すことが天の道と仰せか?」
「罪はあろう。あの時本能寺に集まった坊主共も、後に寺と共に焼け死んだ坊主共も、王法為本や鎮護国家の考えを疎かにし、天下の覇者たる織田家に槍を向け、教えではなく利益を求めていた者らだ。豪奢な袈裟を身に纏いながら何一つ救わぬ者ら、最早詐欺師よ。権力者に抵抗し、己らの言い分を通すことに血道を上げるだけの寺社ならばいっそ滅びる事が日ノ本の、天下万民の為」
話を聞きながら、寺社の連中と肩を並べて戦っていた期間の長い新次郎の胸中が伺える気がした。実際に腐れ坊主が沢山いたのだろう。天海が如き清廉に過ぎる者もいるが、確かに多くの僧侶が腐ってしまった世ではある。
「死んだ者達も又日ノ本であり天下万民でありますぞ。中には心底より仏門に帰依していた高徳なる者もおったのです。高野山にて修行に励んでおられた木食応其殿もそのうちの一人です。最後まで、高野山を守ろうとし、本能寺の変の後も話し合いの道を模索し、そして殺されました。彼の者を殺すことも天の道と仰せですか? 偽りの罪により、死なねばならぬ方であったのでしょうか?」
「それは」
「貴様が京都所司代様を何だと考えておるのかは知らんが、所司代様は天下万民の一人残らずあまねく平等に救う天の使いではない。何故一人一人の死にまで所司代様が責を負わねばならぬ。そのように一人ひとりまで救うのが貴様らの仕事であろうが。責任逃れも甚だしい」
思わず声が漏れ、惜しい人間を失ったと言いかけたところに半歩すら退こうとしない新次郎の厳しい言葉が返された。襖が開く。蘭丸が急須に入れた茶を持ってきた。頷き、茶を三杯器に注いだ。外は風が強くなってきたようだ。
「大事を成そうとすれば誰かが傷つく。当然の事だ。大事となる前に寺社の者らは自ら敗北を認める選択肢があった。最後までそれを拒否したが故に所司代様が断行なされた。当然人は死ぬ。だが、所司代様がそれを成されなければ今もって紀伊は不安定なままだ。同じく四国も、中国も、そして九州も、群雄が割拠し戦国乱世が続いていた筈だ。四国で戦いがおこり人は死んだ。中国でも死んだ。これから九州でも死ぬ。その度貴様は『高徳なるお方が死にました』と、天下を背負うこのお方に文句を言うだけか? ならば貴様は何をした。現状に文句を言うだけならば京童でも出来るのだ。代わりに何をした? 天下の為に何をした?」
言葉で人間を切ることが出来るのならば、きっとその言葉はこういうものであろうと思わせるような新次郎の弁舌。一瞬途切れたその隙に、少しぬるくなり飲みやすくなった茶を新次郎の前に置いた。ハッと気が付いた新次郎は慌てて立ち上がって茶の用意をしようとしたがそれよりも先に手で制した。
「そのままだ。貴様の言葉に興味がある。口が渇いては折角の舌鋒も鈍ろう。まずは一口飲み、口を潤せ」
許可を与えたのではなく、飲めと命じた。新次郎は平伏し、そうして一息に茶を半分ほど飲みくだす。天海にも同じ理屈で茶を一杯。難しい顔をしていた天海は、先程とは違い一口、唇を湿らせる程度に茶を飲んだ。
「大事を成すに、これほどまでに性急である必要がございましょうや? 最早天下は織田に降りつつあり。本能寺の変以前にも勅命を使い平和裏に事を収める事は能うものでありました。此度の戦役についても然りでございます。涙を呑んで断行することと、全ての痛みに背を向け簡単な道を進むことは異なります。時と手間さえかければ、天下の平定は可能なのです」
「結果論だな。そうして手間をかけている間も、所司代様の御身に何かある可能性は常に存在するのだ。右府様の襲撃も然り、亜相様とて、明日どうなるのか誰にもわからぬは天下万民と同じ。なればこそ、織田家は最速にて、最短にて天下を一つとする。問題を先送りにし、棚上げにしてきた結果がこの百年続く乱世である。織田家は一刻も早くこの時代を終わらせ、天下を正す」
俺は新次郎に本能寺の変において起こったことを全て語ったことはない。父と勘九郎は当然事の次第を知っている。あの時共に本能寺にいた又左殿と内蔵助殿、それと教如は知っているが、その他の重臣達にすら、詳しくは伝えていない。重臣達は本能寺の変が起こる前から『ことが起これば速やかに寺社を接収し山を焼き払え』と伝えてあったので、実際に起こった『こと』を確認した後ある程度合点がいった者もいるだろう。だが、織田家内部では公然の秘密だ。
「いやだいやだと駄々をこね、怒るくらいであれば貴様も戦え。それ程の不満があるというに何故それほどまでに弱い? 何故、真っ向から戦うことも出来ずこうして所司代様の前に現れる? 単身、武器も持たずにやって来た。だから自分には覚悟があると主張しているつもりか? 滑稽だな。己一人の命を捨てるくらいのことは誰でも出来るぞ。その辺の女ですら我が子の為になら喜んで命を捨てよう。失うものも何もなく、ただただ自分の言いたいことをのみ言いに来る貴様は愚者だ。今の貴様は惟任様の世話になっていると言っていたな。此度の話によって所司代様が惟任様に対して怒りを覚え領地の召し上げや謹慎などの処分を降すとなったら如何する? 貴様の短兵急な行動のせいで惟任様に迷惑がかかるのだ。それによって浪人が出、生活に困り死ぬ者が出た時ですら、貴様はその責任を所司代様に押し付けるのか? 全ての出来事において己が正しく、己の正義に従わぬ誰もが間違っている。さぞかし楽しかろうな。何が天海だ。弘法大師空海を超える偉人にでもなったつもりか。貴様は何一つ成し遂げてはおらん」
「新次郎、もうその辺で良かろう」
「殿、この男が余計なことを周囲に触れ回るよりも前に、今ここで切り捨てるべきにございまする」
手を伸ばし、話を終わらせようとした俺に対し、新次郎が進言してきた。天海は驚いていない。俺は驚きを隠すために一度きつく瞼を閉じ、そして開けた。
「必要ない」
「後々の憂いとなりまする」
「ならぬ。この男、纏まりつつある天下を今更引っ掻き回すような真似はせぬ。そのようなつもりがあるのであれば九州渡航を承知などせぬであろう。此度単身にて我が元に訪れたるも、我々の仲であれば忌憚なく話が出来ると知っての事。そして無用な噂を広めぬ為よ」
言うと、新次郎は平伏し、畏まりましたと言った。そうして俺は天海を見る。天海はまっすぐに俺を見据えながら、最後に一つ質問をしてきた。
「ただ今の、林様の御言葉、御身の御言葉と捉えて宜しいのですか?」
俺はお前に対してそこまで辛辣には思っていないよ。そんな言い訳染みた言葉が口に登って来るのをすんでのところで止めた。どう取り繕ったところで俺はこれから多くの人間を殺す。適当に言葉を飾り立てるのは公式の場だけで良い。そうだなと頷き、答えた。
「天道である。それが証拠に、我が織田家の人間に未だかつて『仏罰』なる死因で命を落とした者、ただの一人もおらず。延暦寺、長島、そして本能寺の後にもそれは変わらず。此度我が織田家が行いたる義挙は正に御仏の思し召しでもある」
言い切る。天海に対しての視線は逸らさない。天海も又俺から視線を逸らさず、やがて、その場に頭を下げた。
「御言葉確かに頂戴致しました。今宵はこれにて失礼しまする」
そう言って頭を上げた時、天海の眼に感情は見て取れなかった。
「僭越ではございますが、殿は相手の言葉に理を探し過ぎてしまいますな」
「相手の理か」
それから半刻ほど後、俺達は茶菓子を摘まみながら、たった今起こった出来事について反省会を行っていた。
「あの男の正しさは分かります」
「分かるのか」
新次郎の言葉に思わず食いついた。ゴマ団子を口に入れ、モチモチと噛む。それは勿論、と新次郎が返してきた。
「あの男が言う通りに事を進めることが出来れば確かにより良いのかもしれませぬが、織田家は織田家の考えがあります。既に動き出している物事を止めてまで己の理を通そうとする輩を相手に、なぜこちらが慮る必要がございましょう? ただただ己の理を押し通し、相手の痛いところを攻撃し叩き潰す。戦と変わりませぬ」
「成程なあ」
団子を食えと手で催促する。俺は床柱に背を預け身体を崩しているが新次郎は正座し、背筋を伸ばしたままだ。手掴みで良いからと言うと、白玉団子にあんこを付け口に運んだ。
「義父と戦った時にはもっと切れ味鋭かった筈です」
団子を一つ飲み下した新次郎に言われた。義父、かつての織田家筆頭家老林秀貞殿の事だ。
「帯刀仮名の折、殿は全身全霊を以てして義父に掛かっていったと聞いております。その時殿に敵を、即ち義父を思いやる余裕などなかった筈でございます」
「無かったな」
父の気まぐれでいつ親子ではないと言われてもおかしくない時期であったし、多少文字の読み書きが達者な子供が筆頭家老様に勝てるなどとは露ほども思っていなかった。ただただ憤りを持って、どうせやられるなら出来る限りの反撃をして一矢報いてやる。くらいの心持ちであったような気がする。
「義父は驚いておられましたぞ。『狐の子の尾を踏んだと思うたら、麒麟の尻尾であった』などと」
「そうか、ご家老殿が、そのように」
笑った。名誉なことであるように思う。
「いつの頃からか、殿は大きく強くなられました。ご自身もそうですし、織田家もそうです。故に、相手を理解する余裕が生まれたのでしょうな。逆に鋭さは失われました」
「まあ、武家に向いていない性格をしているというのは自覚している」
よく言われるし、自分でもそう思う。
「拙者は名君の器であると思いますが、しかし殿は最早引き返せぬところにおるのです。話を聞き、理解してやるのは一旦天下を治めてからで宜しいのではないでしょうか?」
「……そうだな」
今、こうして天海がいなくなり俺が感じているのは寂しいという感情だ。あれだけ言いたいことを言い合える相手は他にいなかった。又ああやって忌憚なく話が出来るようになるだろうかと思う。天下が治まり、そして時が流れれば又分かり合える日も来るだろう。
「新次郎は、本能寺の事をどの程度知っていた?」
「殆ど知ってはおりませぬ。ですが、例えそのようなことがあったとしても驚きはしませぬ。我らは武士であり、武士はその強さによって天下を治め、そして足利は余りに脆弱であった。それだけのことにございます」
「凄いなあ、新次郎は」
丸山城においてただ一度林秀貞殿と話をした。あの時、秀貞殿の所作にも言動にも毛一筋の恨みも見えてこなかった。それでいて、新次郎は自分が殺されることを前提として俺の前に現れた。その辺りが、俺が新次郎を家臣とし、いきなり近習として使っている理由だ。
「風が益々強くなって参りましたな」
「そうだな。天海に使いを出せ。明日の渡航は中止。風が治まってよりの出立で構わぬと。後方待機の部隊にも、海岸線を無理に守る必要はない。城でも寺でも、屋内に入るか高地にて風雨をやり過ごすようにと伝えよ」
指示を出すと、新次郎が頷き、立ち上がった。菓子を全て食ってから行けと伝える。残っていた団子を全て口に放り込み、茶を一気に煽ってから走り去っていった。
「そう言えば、この時期であったな」
夏の間に、南方よりやって来る広範囲な嵐。長引けば五日は何も出来ない。攻めているこちらからすれば時を無為に失うものであり、守る方からすれば一時でも敵の攻撃を凌げる恵みの雨ということになる。
北九州の戦いは、筑前五城将と呼ばれる者らが予想通りの頑強な抵抗を見せている。大友や大村の領地は追放や改宗をさせられた仏教徒の蠢動により政情不安定となっているが直ちに敵勢力を崩壊させるには至っていない。加えて、九州における海賊衆、松浦党の動きもある。彼らを早期に屈服させるが為の鉄甲船であった筈だが、鉄甲船はまだ外海での戦いの経験はない。加えて嵐となれば水上戦闘など自殺行為だ。暫く両者共に動くことはないだろう。
「天下は、毛利家を見放したか?」
そう、俺が呟いてしまったせいであるかは分からないが、翌日から六日間に渡り、嵐により九州の戦いは停滞した。毛利家にとっては血涙を流すほどに惜しい六日間であり、九州諸侯にとっては改めて冷静になることが出来る六日間であった。
そうして嵐が過ぎ去った後、俺の元に幾つか報せが入った。一つは島津家の北上。他勢力を攻撃し、勢力を拡大せんとする構え。もう一つは、竜造寺家家臣、鍋島左衛門大夫よりの降伏の書状。
残酷な沙汰を下す覚悟を、俺は少しずつ固めていった。




