第百二十二話・土佐の王子様
「こうして近場にてのお目汚しを賜るは初めてのことにございますな。長宗我部家当主、長宗我部宮内少輔にございます。弾正尹様におかれましては遠路はるばるの御渡航、誠に忝く存じまする」
京を出、淡路へと向かった俺達一向は北周りではなく、南回りに四国を迂回し、土佐国へと向かった。中国の安芸ではなく、土佐国東部に位置する安芸に到着し、その安芸城にてしばし休息をと考えていたが、船を降りるとすぐさま長宗我部元親殿からの歓迎を受けた。
「いや、国替えの準備に忙しいところであろうに、邪魔をしてすまない。宮内少輔殿」
実際、忙しい時に下手に偉い人間などに来られては面倒だろうと思っての言葉だ。滅相もございませんと宮内少輔殿は言った。
「ここにおる二人は、共に拙者の弟にて」
「吉良左京進殿と、安芸城主の香宗我部内記殿か。不勉強にてどちらがどちらであるのかが分からぬが」
俺が言うと、宮内少輔殿によく似た二人の男が少し驚いた様子を見せ、そしてニッと笑った。
「我が名を、弾正尹様がご存じでおられるとは誠に喜ばしいことにございまする。吉良左京進にございまする。尤も、我ら兄弟それぞれ兄が弥三郎、拙者が弥五郎、弟が弥七郎と通称しておりますれば、そう呼んで頂けた方が分かりが良いかもしれませぬ」
「成程、分かり易い。そう呼ばせて頂こう。知遇を得て喜ばしく思う弥五郎殿。拙者の事も、帯刀と呼んでくれれば良い」
そう言うと、弥五郎殿の眼が更にニッと笑顔で歪められた。まだ挨拶をしていない下の弟、弥七郎殿が少々戸惑ったかのようにこちらを見ている。心配性の三男に、見たところ少々不健康そうな次男。そして三人の中で最も肌が黒く、歯が白い弥三郎殿。
「ご紹介致す。これなるは織田家家臣、蒲生家が当主蒲生左兵衛大夫にござる」
俺が紹介すると蒲生賢秀殿がスッと前に出て三人に頭を下げた。
「お初にお目にかかります。左兵衛大夫。これより長宗我部家に成り代わり土佐一国の統治をさせて頂きまする。慣れぬ事ばかりにて今後頼りにさせて頂くことも多々あるかと。何とぞよしなに」
「観音寺城の忠臣、蒲生左兵衛大夫殿にござるか。お目にかかれて光栄。土佐の引継ぎ、遺漏なく努めます故御安心あれ」
賢秀殿に対して、弥三郎殿が頭を下げた。長宗我部家の三兄弟は皆背が高い。一方で賢秀殿は平均よりやや低いくらいだ。見栄えでは負けているなあなどと失礼なことを考えつつ、俺はその場を離れ城へ向かおうとする弥三郎殿らと一旦分かれることにした。
「新旧の領主で話し合うべきことも多くござろう。拙者がいては却って話の邪魔にもなりかねない。一旦失礼致す」
そう言って一歩下がると、ならばご案内をと、安芸領主である弥七郎殿が俺と共にその場に残った。
「三方を山に囲まれ、南には海。土佐の中心は更に西にあり、阿波や讃岐は近くとも山道を超えるのは困難。別段案内が必要な程の土地ではないのですが」
そう言って、少々緊張気味にしている弥七郎殿。謙遜しているが、弥七郎殿は長宗我部家の外交になくてはならない人物であり、多くの大大名が没落する中、紀伊から四国、中国そして九州へと怒涛のように続く戦役の中で長宗我部家が領地を拡大したのは彼の力によるところが大きい。
「四国とは、誠に四つに分かたれた島なのでござるな」
思っていた通りの事を言うと、弥七郎殿がその通りですと答えた。地理的に見れば四つの国々は近く、統一することが困難であるとは思えないが、実際には四国の中央部は山また山であり、どうしても海岸線に沿って外側から攻め入る必要がある。土佐の東を有していた長宗我部家が阿波や讃岐ではなく、直線距離においては遠い筈の土佐一条家との対決姿勢を鮮明にしていたのにはそのような理由もある。
「そちらの御曹司と、こちらの御曹司は何をしておられるかな」
「さて……何やら大切な話があると、蒲生忠三郎殿は仰っておられたが」
海岸線から、軍船の停泊する港を見る。その辺りに立っている兵に対し『忠三郎はいずこか』と訊くと慌てて案内された。
「……こうですか?」
「そうだ。このようにして足で踏ん張り、腕はなるべく肩の力を抜くのだ。子供は肩が柔らかい。可能な限り義兄上が繰り出す攻撃の力を受け流せるように……」
「成程。面白いですね。先程の指相撲と言い、上方では土佐では思いつかないような遊びが沢山あります」
「いや、これは遊びではなく実戦稽古であると心得よ。お主は織田帯刀様の娘を妻とする。実の娘ではないとはいえ、市姫様と義兄上の関係は極めて良好であったと聞く。家族のこととなれば奇妙なまでに器が小さくなるあのお方が千雄丸に対し、俺と同様の仕打ちをなさることは必定。一刻も早く上達する必要がある」
「認めて頂く為の、試験といったところでありましょうか?」
忠三郎が、見るからに利発で素直そうな少年と話をしていた。少年の言葉を受け、そんなに立派なことではないと言いながら肩を叩く忠三郎。
「おい、何を話しているのだ忠三郎」
「ああ、義兄上ですか。今後妻を迎えるにあたっての、花婿修行と言ったところですかな」
「余計なことを教えるものではない」
「余計なことは教えておりません。よいか千雄丸。このお方が右大臣様の御長男であり、弾正尹並びに京都所司代を務めておられる織田帯刀様である」
大股で近づいて、それから忠三郎に話しかけると少年千雄丸が目を丸くし、俺と忠三郎を交互に見ていた。
「どうした?」
「み……耳が……!?」
ああ、と頷き苦笑する。休暇を取っていた二ヶ月で慣れてしまったが、子供が突然、右耳が無く、しかも側頭部が焼け焦げている男を見たら驚くだろう。俺は袂から『頭巾』を取り出し、装着した。
「若様、失礼でございますぞ」
「あ、叔父上。すみませぬ。申し遅れました。長曾我部宮内少輔が嫡男、千雄丸にございまする。今は元服し、右府様から一字頂戴し信親を名乗らせて頂いてございます。今年十歳になり申した。本日弾正尹様へのお目汚し叶いましたこと、誠に喜ばしく思いまする。今後ともご指導ご鞭撻のほどをお願い申し上げます」
父親の弥三郎殿がしたのとよく似た口ぶりで、利発そうな少年がハキハキと挨拶をし、頭を下げた。
「これは又、父君が溺愛する理由がよく分かる御子息であるな」
「左様でございましょう。兄上はこの所千雄丸がどうした千雄丸がこうしたとそればかりで。我々弟二人が色々と苦労を背負わされておるのです」
笑いながら、後ろに控えている弥七郎殿に話しかけると、弥七郎殿も楽しげに笑いながら答えてくれた。困ったものです。と言いつつも弥七郎殿が千雄丸を見る目はとても暖かい。人に寄らず、万人に愛される少年なのだろう。
「余りに家族に気持ちを預け過ぎてしまうというのも問題である気もする。まして宮内少輔殿は高いお立場にいる御仁だ」
「仰せの通りにございます。是非兄に直接言って差し上げて下さい」
「義兄上が、家族に気持ちを預け過ぎるな、などと、ご自分で言っていて耳が痛くはなりませぬか?」
「いや全然、何故だ?」
「御自覚がありませぬか?」
忠三郎が半目で俺を見る。煩い。自覚は十分にある。
「ところで忠三郎はここで何を?」
「織田家の大型の船を見たいと言いましてな。乗せてやって、説明をしたのですが、この通りです」
言いながら、忠三郎が千雄丸の腰元に提げられた巻物らしいものを持ち上げ、俺に見せた。千雄丸がちょっと恥ずかしそうに、緊張した面持ちで俺を見る。俺はその書き付けた内容を見て成程と頷き、感心した。
「聞いた内容と、話を聞いて感じたこととを書き付けたのか」
「はい! このような珍しく面白いものは土佐にはございませんので!」
嬉しそうに頷き、答える千雄丸。今回、鉄甲船ではないが大型の安宅船を一隻用意した。俺が乗っている、言わば船団の旗艦である。大型の安宅船は大体八百人程が乗ることが出来る。水上に浮かぶ小城の如しだ。確かにこれを見た人間は誰もが一度目を奪われる。父が真っ黒に塗った鉄甲船や彦右衛門殿が真っ白に染めた鉄甲船はまた更に違った趣があって大変良い。
「良いことだ。その年で立派な文章を書いている。なかなか出来ることではない。将来が楽しみである」
俺が褒めると、千雄丸が更に恥ずかしそうな表情を作った。嬉しそうだ。可愛いものだな。
「そのような言葉を義兄上が言うと『俺の子供の頃はもっとすごかったぞ』と主張しているようで嫌味ですな」
「煩い、ニャン三郎は黙っていろ」
可愛くない義弟に言うと、忠三郎が『人を猫のように』と憤った。その様子を見て千雄丸が楽しそうに笑う。仲良しですねと言われてしまった。まあ、悪くはないと思っている。
「千雄丸は文章を書くのが好きか?」
「書くのも読むのも好きです。太平記など面白いです」
「そうか、では近いうちに白紙の紙と何か面白き物語が書かれた本を用意しよう。読みたいものはあるか?」
「弾正尹様がお書きになったという物語を所望いたします」
そう言われて、俺の口がへの字に曲がった。あんなものを読ませてしまっては元々賢いこの少年の成長を妨げてしまうかもしれない。あれは字をよく理解出来ていない人間が面白おかしく学べるように作ったものだ。
「あのようなものを読んでも身になるまい。源氏物語や古今の軍略が書かれた書物を持って来て進ぜよう」
俺が言うと、意外そうな表情を作った千雄丸が忠三郎を見た。さもありなん。とばかりに頷く忠三郎。
「言ったであろう。このお方はな、文武に優れ、人を慈しみ、いざという時には果断になることも出来る名君の器たるお方であるがご自身を客観的に評価するということが致命的に苦手だ。『頭光るゲン爺』には、滑稽譚の中に古今東西の物語の暗喩や故事などがふんだんに盛り込まれており、読めばそれだけで学識を高めてくれるものであるが、御本人のみが唯一単なる馬鹿な物語と勘違いされておる」
「ピョン三郎。貴様さっきから俺をけなしているのか褒めているのかどっちだ?」
「先程から、拙者の名を面白おかしく弄るのは止めて頂きたいところですが、褒めてもけなしてもおりませぬ。事実を申し上げているまで」
「忠三郎様は、弾正尹様の事を尊敬しておられますよ」
俺達の会話を聞き、千雄丸が言う。忠三郎が皮肉気に笑う。否定はされなかった。俺が恥ずかしくなってしまう。
「話をしていたら腹が減ってしまったな。この時期、カツオはあるかな? あるのなら食べたい。カツオの叩きを食べたいな」
「カツオならありますが、叩きというものは何でしょうか?」
恥ずかしさを誤魔化すために言うと、弥七郎殿が小首を傾げながら聞いてきた。
「今更ですが、相変わらず義兄上が持つ謎知識は広範囲に及びますな」
「まあ、狐に教わったものであるから、統一性がないのだ」
言いながら、俺達はカツオの叩きを食べる。
母が名をマグロに改めたシビとは違い、カツオは勝魚と当て字が出来るので縁起が良い。更に鰹節は勝男武士と当て字が出来て大層縁起が良い。父もカツオが好きで、清洲にまで生きたまま運ばせ家臣に振舞ったこともある。そんなカツオの叩きはどういう食べ物であるのかと言うと、単にカツオの表面を炙ったものだ。
地元の漁師が釣り上げた三尺(約九十センチ)程の大ぶりのカツオを五枚下ろしにしてもらい、その間に火を焚く。火は出来たら藁が良いそうだ。理由は知らないが母は絶対に藁が良い、そっちのほうがそれらしくて良い。と譲らなかった。故に炭火などではなく直接藁で焼く。
五枚下ろしにしたカツオの表面がこんがりと焼けるまで炙り、炙ったら一旦置いておく。常温になるまで待って、後は一口大に切って食べるのみだ。
「このタレも旨いです。このような食べ方があったとは」
付けているタレは醤油ではない。母が広めた醤油はまだ四国までには到達していないようで、俺は母から習ったポン酢なるものを作ってみることにした。酢ならばどこにでもあるだろうと、用意してもらい、それにその辺から適当にもいできた柑橘系の果物を絞った汁を入れる。サッパリとしていて旨い。塩で食べるかポン酢で食べるか、二つ選ぶことが出来るのは良いことだ。
「やはりとれたてに優る美味いものはないな。これを食べられただけで土佐にやって来たかいがあったというものだ」
俺が言うと、周囲の者どもが笑った。賢秀殿や長宗我部家の上二人などはまだ難しい話をしているようでこの場にはいない。偉い人は大変だなと言うと、義兄上が一番偉いのですぞと忠三郎からの注意を受けた。
「あら汁と、後は温かい飯。これだけで永遠に食っていられるなあ」
「我らは、魚は最早食い飽きておりますがな」
厚切りのカツオを口に含み、それから麦飯を掻っ込む。堪らないなと思いながら言うと弥七郎殿が言って来た。気持ちは分かる。俺ももうピザは要らないと思ったことがある。
「弾正尹様は本当に凄い方なのですね」
「そうだ。本当に凄いお方なのだ。今が好機だ。何でも訊け。どうせそのうちに虐められるのだから少しくらい図々しく質問しても罰は当たらぬ」
「義理の息子になるものを虐めたりしない。人聞きの悪い事を言うな」
「それでは拙者が虐められたのはどういうことだったのですか?」
「あの時はまだ俺も幼く未熟であったのだ。もうあのような真似はしない。茶々に相応しいかどうか、多少は試すかもしれんが」
「処置無しですな」
「お伺いしたいのですが」
例によって俺と忠三郎が小競り合いをしていると、千雄丸が質問をしてきた。
「本当に、四ヶ月で九州を制圧出来るものなのでしょうか?」
それは分かり易く、誰もが知りたい質問であった。質問されているのは俺で、忠三郎は箸を止め、俺の言葉を待つ。
「その口ぶりから察するに、千雄丸は不可能だと考えているようだな」
「はい。父上が初陣を済ませてから、長宗我部家は勝ち戦を重ねてきましたが、約十五年で土佐一国を統一し切ることは出来ませんでした。十五年で土佐一国です。四ヶ月で九州全土とはとても」
理にかなった考えだ。長宗我部元親の名を近隣に轟かせた長浜の戦いの年は桶狭間の年でもある。父とて、あれほどの勝利を得てから隣の美濃を制圧するまでに七年もの時をかけている。一度や二度の大勝利は、そのまま一つの勢力の躍進を意味するものではなく、敗北した勢力の即時消滅を決定付けるものでもない。
「正直なところ、俺にも分らん。だが、成功する条件は整っていると思っている」
「条件ですか?」
絶対にありえないと考えているらしい千雄丸に、玉虫色の返答をする。好奇心旺盛な千雄丸はグッと身を乗り出した。
「かつて、近江に天下有数の名城があった。尾張と美濃を征したばかりであった右府様は、この城を制圧するために大軍でもって囲んだ。都合七万という大軍勢であったが、大半は勝馬に乗ろうとどこからともなく現れた恩賞目当ての者らであり、軍中決して楽観的な雰囲気ではなかった。だが、結果として城は二日で落城した。城主が家臣を見捨てて逃亡し、意地を見せて最後まで戦い抜こうとしたのはこれなる忠三郎の父君ただ一人であった」
そういうこともある。結果、美濃一国に六年かけた父は僅か二ヶ月で京都までを制圧した。
「あの時と同様の条件は整っている」
「条件とは?」
「敵方の統率の悪さよ。当時観音寺城を治めていた六角家も家中の纏まりは極めて悪かった。此度の九州も、一口に九州勢と言うが、まず大勢力が三つあり、それらに服さぬ小勢力が十余り。更に大将が切支丹であり、家臣らが仏教徒という大友家が存在し、主従の気持ちが纏まっておらぬ。織田家からの攻撃を受け、戦わずしてとっとと降伏してしまう事もあり得る」
敵の士気を挫き、敵の降伏を促すために今俺がこうして身体を動かしていると言うのは忠三郎に看破された通りだ。
「もう一つ先例がある。城攻めには一般的に攻め方が城方の三倍程度の兵が無ければならぬと言われる。だが、その例を大きく覆した例だ」
本能寺の変の前、天正元年の八月から十月にかけてのことだ。中国では不屈の男山中鹿之助が尼子遺臣を率いて戦っていた。
「この時、山中鹿之助は千でもって五千の敵を打ち破っている」
「それは、確かに凄いことですが、五倍の攻め方を押し返した例であれば例えば弾正尹様も」
「違う」
言い方が悪かった。千雄丸の言葉を遮り、改めて言い直す。
「千の兵で、五千の兵が守る城を攻め、これを陥落させたのだ」
千年前の唐国にて起きた伝説ではない。去年の今頃に実際あった出来事だ。
「これに関して、どうしてそのようなことが可能であったのか、俺にはよく分からない。尼子再興軍の士気の高さ、山中鹿之助という人物が持つ力、或いは城兵の不甲斐なさ。それらを理由にして納得することも出来るが、それでも俺は分からない。一つ言えるのは、世にあり得ないことなどないということだ。まして戦場に禁忌はない。人が想像できることは全て起こりうる。俺は、小早川殿の智謀に賭け、今年中に九州制圧を目指している」
心配せずとも、後四ヶ月で答えが出る。そう言うと、千雄丸は真剣な表情で頷いた。




