第百二十一話・援軍、津田帯刀
「全く父上は……」
「恥ずかしかったのでしょう、許して差し上げなさい」
九月一日、大坂を出た俺は珍しく東から来た急報に呼び止められ一旦京都へと向かうことになった。届けられた報せの一つはハルの懐妊。
「帯刀もこれで二人目ね。直子さんが三人、私も三人なのだから、男である帯刀はもっと頑張らなければ駄目よ。兄上を見習いなさい」
「それは勘九郎達に言ってやって下さい。揃ってまだ子供無しですよ。それに年齢で言えば、父上よりも若くして父親になっています」
座布団に座り、自ら要求した背もたれと肘置きに体重を預け、甘い飲み物と甘いお菓子をちみちみと口に運びつつ俺と会話をする我が叔母、市姫様。長らく小谷城にて浅井長政殿の正室をなさっていたから世間からは『小谷殿』と呼ばれることの方が多くなったようだが、今では越前一乗谷に居を構えている。この程北陸三ヶ国、都合百万石の太守となられた浅井長政殿は今後の統治について考え居城を更に北に移すことも考えられる。その都度呼び名を変えるのは面倒であるから、やはり俺が彼女を呼ぶ呼び名は市姉さんだ。久しぶりの再会であり、その間三人の子供を生んだのにも関わらず、驚く程老けていない。寧ろ妖艶になったようですらある。
「全く、隠したところでそうそう隠し切れる話ではないでしょうに。なぜそんなに詰めの甘いことをするのか理解に苦しみます」
「来月にはお土の方がご出産、そしてお鍋の方もご懐妊。目出度いこと」
父の側室お徳の方が女子を出産成された。これで父の娘は六人目だ。男子は既に八名いる。俺と市姉さんが作った子供を足した数よりも遥かに多い。
「いい年をして何を恥ずかしがることがあるのでしょう。単に喜べばいいだけの話でありませんか、それを俺に隠して」
「続けてのことだったもの。きっと長男には沢山の迷惑と心配かけたのに、今更子供が、しかも続け様に出来るなんて、と思ってしまったのよ」
今日ノ本において一挙手一投足を最も注目されている人物は間違いなく父上だ。その父に子が産まれる兆しありとあれば、どれだけ隠しても隠し切れるものでもない。何か理由があって俺に言わないのであろうと気を使っていたら、この度ハルの懐妊を報せたその戻りの報で、ついでの如く自分にも子供が出来たという情報が添えられていた。
「まあ確かに、もうじき自分は死ぬと仰っている方が三名も子供を成したならば、一言二言の嫌味くらいは言ったかもしれませんが、しかし基本的には喜ばしいことではありませんか。倅相手に隠すという態度が気に入りません」
「随分とお冠ねえ、ハル?」
「そうですわね」
不満を口にする俺。その時ハルが室内に入って来た。普段通りに歩き、表情も明るい。腹を見てもまだまだ大きくなってはいない。胸元の方が遥かに膨らんでいる。近づいてきたハルの腹を撫でさすり、頭を下げた。
「すまぬ。折角ハルが子を孕み祝いに来たと言うのに、来てすぐに愚痴ばかりを零してしまった」
「宜しいのですよ。大好きな御両親から隠し事をされて、寂しい気持ちになられたのでしょう? タテ様のお気持ちはよく分かります。けれど、お二人ともタテ様を仲間外れにしたかったわけではないことを理解して差し上げて下さい」
機嫌が良いハルはにっこりと笑いながら俺の頭を撫でた。そうやって言い切られてしまうとまるで俺が子供のようだが、確かに俺の気持ちはハルが言った通りだ。父上がバツの悪さから俺に隠し事をしていたと言うのはまだ分かる。だが、母上もが一緒になって奥方達のご懐妊を俺に隠していたことが気に入らない。
「母上は御褥辞退をなさったとはいえ、他の方々を夫にあてがうを嫌がりはしないのか?」
「嫌がらなそうね。寧ろ楽し気に『昨夜の殿はどうだったかしら?』などとお話している姿が目に浮かぶわ。もしかすると、此度続けざまに懐妊となったのも、又直子さんが不思議な方法を考え付いて兄上に試させた結果かもしれないわね」
市姉さんから言われて、そんな話をしている母のニヤニヤとした笑い顔が頭に浮かんだ。
此度父上からの報せを俺にもたらした使者は市姉さんだった。市姉さんは言わずとしれた父の妹であり、俺の叔母でもある。関係としては使者を務めてもおかしくはない。今回のような慶事について、バツの悪い父が俺とも仲の良い妹を送って様子を伺っている、というのもおかしな話ではない。だが、市姉さんは既に百万石の大大名の御正室でもある。そうそう簡単に動き回れる人物ではない。織田家浅井家、両家から選り抜きの精鋭たちが護衛として付けられ、この京都所司代屋敷へとやって来た。その中には蒲生家の兵五百なども含まれている。
「何にせよ、婚姻に使える弟妹も随分と減って来たところで丁度良く補充出来たということよ。今となっては男子よりも女子の方が使い勝手が良いでしょう?」
戦国の女らしく、子供達を手駒として考える市姉さん。流石だなと思いつつ頷く。確かに仰る通りだ。
「永の嫁ぎ先も決まりましたからね。残る女子は早くも産まれたばかりの末娘だけです」
市姉さんの言葉に答えた。父の子のうち、上の男子四名がどう扱われているかは説明する必要もないだろう。六名いる女子のうち、長女の五徳は徳川家に、次女の相が蒲生家に嫁いだことも世間一般に広く知られている。同腹の妹たる藤も、筒井家に嫁ぐことが決まっており、つい先日まで末娘であった報も惟住家への嫁入りが内定している。その一つ年上の娘永が又左殿の嫡男、孫四郎利長に嫁ぐことになった。前田家の通字である利の字と、父上の名から一文字を貰い、利長。良い名前であると思う。
五男の於次丸は子のない権六殿の養子に貰われた。柴田家親戚筋の娘と娶せ、織田家筆頭家老柴田家の存続をと父も権六殿も考えておられる。藤と同じく同腹である弟御坊丸は武田家にねじ込まれる可能性があったがそれが無くなり、原田家の跡継ぎとする運びになった。俺が今後ハルと設ける子供よりも、先代当主の妹である母が産んだ子の方が原田の血も濃くて良いだろう。ハルとの間に三人四人と男子が産まれたならば津田家の家臣として勝若丸を支えて貰おう。
お鍋の方が産んだ下の弟二人についてはまだ何も決まっていない。七男と八男だ、家を継げる可能性が低いのと同時に、余計なしがらみなどはない。もし三介のような人柄であるのなら、寧ろ長男次男などよりも悠々自適な生涯を送れるだろう。出来る限りのびのびと育ててやって欲しい。
ざっくりと織田信長の息子娘の処遇について説明をしたが、父は実に上手く家族を使い姻戚関係を深めている。同盟者や家臣家に娘を嫁がせ、男子には名家や子飼いの家を継がせ織田家の血脈を濃く強くしている。姻戚関係の嚆矢とも言える人物が他ならぬ市姉さんである。その市姉さんは残念ながら今日まで当主浅井長政殿の男子を産めずにいるが、女子を三人産んでいる、これを上手く利用しない父ではないし市姉さんでもない。
「では帯刀、すでに伝えてあることですが改めて、茶々を頼みますよ」
珍しく真剣な表情を作り、居住まいを正して俺に頭を下げた市姉さん。畏まりましたと言い、こちらも頭を下げた。
事の始まりは織田家に臣従した長曾我部元親殿からの打診だった。長曾我部元親殿は織田家と終始協力体制にあり、四国統一後は土佐の東半分から土佐一国の領有を認められるに至った。だが、長曾我部元親殿は自身が織田家にとり最も新参の外様であり、織田家との繋がりといえば明智家との縁を辿った間接的なものでしかないことに危機感を抱いていた。そうして息子信親の妻に、織田家の娘をと欲した。最初に目を付けられたのは藤であった。公にはしていなかったが藤には既に先約がある為その申し出を断り、二つ年下の永はどうかと父が言ったのだが、長曾我部元親殿は藤姫を迎えることはどうしてもだめであるのかと食い下がって来た。どうも、織田家だけでなく津田家、というより俺との繋がりも欲しかったようだ。その話を聞いた時には子供としての認知すらされていなかった頃からすると、随分出世したものだなと思わず笑ってしまった。
原田姓を受けてから母は亡き吉乃様と、表舞台から身を引いた帰蝶様のしていた奥の取り纏めをするようにもなった。時折抜けていることがある俺であり父であるので、特に気にかけていたわけでもなかったのだが、結果としてそれは原田直子が現状において織田信長の妻筆頭として認知される根拠となった。よって現在、永や報に比べて藤のお値段は高めなのだ。俺も出世したが、母も随分と出世したものだ。
そうして話し合いが交わされた後、父が一つ提案をした。市姉さんの長女茶々を俺の養女とした上で長曾我部家に嫁がせると言うのはどうかと。茶々は藤と同じ年の生まれで今年六歳になった。
この提案に最も乗り気であったのは意外にも浅井長政殿であった。自身と市姉さん以外に織田家との強い繋がりを欲していたところに、京都所司代たる俺の養女とするこの話は渡りに船であったようだ。長曾我部元親殿もこれに応じ、話はとんとん拍子に進んだ。俺としては棚から牡丹餅と言うべき話だ。何も考えていなかったところに、降って湧いたように浅井家長宗我部家両家との繋がりが出来た。
勿論懸念が無いわけではなかった。だが、勘九郎が『これで北陸から四国までを繋ぐ兄上の一大勢力が出来上がったのですな、カッカッカ』と、俺の懸念を笑い飛ばしているのを見て何となく安心出来た。最近勘九郎の器がでかい。
「茶々は早々に土佐へと送った方が宜しいですか?」
「いえ、それには及びません。これより某が土佐に渡り、取り急ぎ国替えの下知を行い西国を治めますれば。茶々は早くとも年明け後に輿入れすれば良いでしょう」
「国替えが、又四国であるのかしら?」
「はい。土佐の長宗我部家を中国の備後と備中二ヶ国へ。空いた土佐には蒲生賢秀殿が」
空いた出雲と伯耆は一旦織田家の直轄地とする。恐らく尼子旧臣が騒ぐであろうから、羽柴殿か惟住殿に治めてもらう。長宗我部家は国替えだが、備中備後を併せれば石高は四十万石近い。土佐は一国で十万石足らずと言われることも二十万石余りと言われることもあるが、二十万石であったとしてもほぼ倍、十万石だとしたら四倍だ。文句は言わないであろうし、あっても言わせない。
「帯刀は、そこで国替えの指図をして戻って来られるの?」
「いえ、それから四国西岸の宇和島辺りに兵を進め、いつでも九州に渡航出来るよう備えつつ、領主の交代が相次ぐ西国が荒れぬよう努めます」
此度の戦、年内いっぱいは毛利家に一任することが決まっているが、それでも外様の毛利家に全てを任せるのは武家の恥である。などと息巻く者らがいないでもなかった。その中の筆頭が蒲生家だ。土佐一国を拝領するに至った蒲生家は忠三郎に一隊を預け、九州へと向かわせる。森家からも長可が同じく一隊を率いて出兵するとのことだ。
その他にも、羽柴家からは竹中半兵衛が、竹中家の一門衆を連れて九州へ向かう。どうやら対毛利戦初戦での大敗を随分と気にかけているようで、珍しく手柄を欲しているとのことだ。十兵衛殿は野田城の戦いの頃に知遇を得た天海なる僧侶を派遣した。外交僧として大いに役立つと、自信満々のお墨付きが成された。
「忠三郎も、此度の戦で活躍したそうだな」
「義兄上程ではありませんが」
翌朝、俺は蒲生の兵五百と共に京都を発した。四国には三七郎と十兵衛殿が纏める兵が既に三万おり、畿内から先発の軍一万が淡路を経て四国へと出た。俺が大坂湾に到着すれば、後軍の一万を加え、都合五万が四国に集結することになる。
「忠三郎はこの度の九州攻めで活躍し、更に多くの領土を得られるとしたらどこに領地を得たい?」
「北九州か、さもなくば東北ですな」
又武骨なたたずまいに磨きがかかった義弟に質問をすると、そんな返答がなされた。暫く考えてみたものの言葉の真意が読み取れなかったので、何故かと問うと、武功を立てられるからだとの答え。
「関東と東北には今もって織田家に従わぬものがおります。しかしそれもじきに鎮圧されるでしょう。ならば朝鮮や唐国の者どもと戦い武功を立てるべし。義父上の先鋒として、洛陽の都に織田の旗を立てる事を、我が武の誉れとしたく」
「誠、忠三郎は己が生まれるべき時代に生まれたものだな」
轡を並べながら笑う。若者らしい身の程知らずな大言壮語が大好きな父上であるから、このようなことをいつまでも言い続けられる忠三郎は可愛くて仕方ないだろう。しかもこの男は口だけではなく実際に戦が強く、それでいて茶の湯などにも造詣が深い。武人であるとか文化人であるとかではなく、大物なのだ。
「そんな忠三郎にとってみれば、此度の九州攻めは不本意であっただろうな。毛利家に一任し、お前の手柄を立てる場を奪ってしまった」
「世間では、降伏した毛利家を九州攻めの先鋒にし、共倒れを狙う京都所司代の悪辣なる手法と呼ばれておりますな。世間では」
そうだなと答えて、それからひっかかって質問をした。わざわざ世間ではと二回繰り返した忠三郎に、お前はそう思っていないのか、と。
「重臣の方々は、毛利家存続の条件を知っておりますからな。義兄上が機会を与えたのだと言っておりますよ。年内中に九州平定。不可能であると決まっておるが、それでも手柄を立てればお家取り潰しは避けられるのではと。その為に、後ろに十万の大軍を張り付けておられる。年が明けたらすぐにでも、大軍でもって九州を押しつぶせるように」
違いますか、と聞かれ、そんなところだと答えた。嘘ですな。と答えられた。忠三郎に視線を向ける、皮肉気な表情をしていた。
「年が明けてから一斉攻撃をするのであれば、四ヶ月も前から十万を張り付けておく意味などないではないですか。あれは義兄上の援軍です。直接攻撃はせずとも、十万の威をもって、そしてご自身の、第六天魔王と呼ばれるお方の長男にして京都所司代の御名前を使って、少しでも敵の士気を挫こうとする援軍です」
そうでしょう? とは言われなかった。俺も、正解だとは言わず、それだけかと問うた。いいえと返って来た。
「中国や四国では大規模な領地替えが行われております。もし後方で不穏な動きがあれば毛利家は兵を一旦引き上げ内治に務めなければならない。そうなれば、四ヶ月しかない時が更に失われる。そうなることの無いようご自身や、羽柴様、惟任様、惟住様、或いは父上らの重臣を配置し、毛利家がただただ戦にのみ専心出来るよう取り計らっております。今天下において最も後顧の憂い無く戦が出来ている軍は毛利軍でしょう。義兄上は、それが可能かどうかはともかくとして、毛利家が年内に九州を平定出来るよう、最大限の取り計らいをしております。十万の軍を長対陣させておく費用も、全て津田家の持ち出しであると言うではありませんか」
「金は、たまたま十万貫の臨時収入があったのでな。都合よく、皆にばら撒こうと思ったまでの事」
「義兄上、安宅船の十万貫、安土まで運んだのは拙者ですぞ」
そうだったか、忘れたな。と答えると、忠三郎が溜息を吐いた。くつくつと笑いつつ、そんな義兄に対して何か助言はあるかと聞いた。
「ありません、嫌味ならば一つ御座いますが」
「聞こうか」
「お人よしも大概にせねば、いつか背負いきれなくなりますぞ」
しれっとした視線を向けながらの一言に、俺は笑った。カッカッカ、と、甲高く、周囲に聞こえる声で。
「此度は、拙者の勝ちで宜しゅうございますな?」
「完敗である。貴様が義弟であることを喜ばしく思うぞ。忠三郎」
有難き幸せ、と言われ、俺達はそれ以降とりとめもない話をしながら四国を目指した。




