表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
信長の庶子  作者: 壬生一郎
津田所司代編
119/190

第百十九話・天下の賢人

京都に戻ると、毛利の外交僧安国寺恵瓊が待っていた。安国寺恵瓊は毛利軍の実質的総帥である小早川隆景も連れ、人質を用意し、これより京都所司代の指示に従い、ひいては織田家に服すると誓う。それらの話を聞いた後、父から下された沙汰を伝えると、二人の表情が青ざめた。


「そ、そのような御無体な……」

「呑めぬと言うのであれば、それでも良い。我らは武家である。弓馬にかけて是非を問うべし」


安国寺恵瓊が絞り出した一言を拾い上げ、良いのだなと問うた。納得がいかないのであれば人質も連れて帰ると良い。安芸に帰還するまでの一行の身の安全は保障する。そう伝えた。


「これでは騙し討ちではありませぬか。一度は降伏を認めておきながら、実際には全てを奪おうなどと」

「降伏というものは、負けた者が勝った者の言うことを全て聞くということである。それを騙し討ちと言うのは片腹痛い。謀聖と呼ばれたお方を支えて来た者とは思えぬ陳腐な言よ」


噛みつくように言われたが、叩き潰すように言い返した。最近では、このような切った張ったのやり取りが少々強くなった。突然弁舌に鋭さが増したという訳ではない。右耳が無く、頬が焼け焦げているという点で迫力が増したのだ。それを隠すための頭巾を被ったら被ったで、『あれが本能寺の……』と噂される。


「右府様に御目通りを、我ら毛利家これよりは右府様に忠誠を誓い、幕府の御為忠勤に務めますれば、何卒、安芸一国でも長門一国でも周防一国でも構いませぬ故、何卒」

「無用だ。この下知は右府様直々のものである。右府様は御体調すぐれぬ故この決定の後万事一切はこの京都所司代めに一任するとのお言葉を頂戴しておる」


続けての言葉も、言下に否定した。父上には会わせない。手切れとなれば再び一斉攻撃をする手筈も整っている。


「御言葉なれど、毛利家無くして中国の安定は測れませぬ。中国の取り纏めとして、生え抜きの大名家が必要でございます」

「尼子や浦上ではならぬのか?」


安国寺恵瓊、流石に力強い表情をしている。俺はこの場でこの沙汰を下すことが分かっていた故心を整えて話をすることが出来た。このような主張をされるだろうとも、そうしたらこう返そうなどとも考えて来た。だが、この安国寺恵瓊はお家取り潰しの話を受けてすぐに、こうして論陣を張り俺を論破せんとしている。丸顔で、みっちりと肉が詰まった福福しい見た目の安国寺恵瓊。長宗我部家の外交僧である滝本寺非有と共に一対坊主と称される人物。油断することなく、肚を据えてかからなければならない。


「中国の取り纏め役が必要と言うのであれば、毛利よりも名がある大名家が二つある。一つは大内氏、もう一つは尼子氏、此度の戦で、我々は尼子旧臣の力を借りた。中国地方において地理的な中心である出雲や伯耆に尼子が復活すれば、それが中国の取り纏めとなる生え抜きの大名とはならぬか?」


勿論、父は尼子氏に一国や二ヶ国を与えるつもりはない。山中鹿之助個人に対しての褒美であれば十分なものが用意されている。


「中国の取り纏めとして、尼子が十分であるのならばそれで良し。不十分であるのならば是非も無し。再び叩き潰せばよい。幸いにして当家、一度伏した者らの離反を叩き潰す戦には慣れておる。遠慮容赦が必要ないとあって、家臣共は概ね楽しげにしておるな」


獰猛に笑って見せた。勿論毛利が織田に従った方が、中国は安定する。特に本拠地たる安芸は毛利以外の誰が入っても納得しない民衆が多くいるだろう。東では甲斐がそうだった。だが、ここにおいて俺が毛利の必要性を認めるようなことがあってはならない。毛利は強い。戦略家に小早川隆景がおり、戦場大将に吉川元春がおり、外交僧に安国寺恵瓊がいる。だからこそ、叩ける時に叩く。父の決定は果断で残酷であるが、断行すれば効果は絶大だ。


「所司代様の武名は承知すれど、それでは少々時がかかり過ぎませぬか?」

「時?」


「左様でございます。降伏した者に対してすらこのような御無体を働くのでありますれば、今後九州や関東、東北の諸勢力も力を尽くして織田家に歯向かうは必定。それでも織田家は勝つこと能いましょう。しかしそれは右府様がご健勝で在らせられるからこそでございまする。失礼ながら、先程所司代様が仰せになられたように、先年の狙撃以来、右府様は御体調必ずしも万全ならず。もし、九州や関東で三年五年と苦戦するようであれば、その間右府様がご健勝で在らせられるかは不確かでございます」

「ほう、亜相様や我らでは天下は支えられぬと申すか。流石よな」

「決してそのようなことを申すつもりはございませぬ。しかし偉大なる先代を失えば例え後継たるお方が名君であったとしても多少の混乱は避けられませぬ。その混乱を抑える為、西国の支柱として、毛利家の御奉公をお許し願いたく存じまする」


流石に上手い言い回しだ。父が名君であるという前提で話をされて、よもや俺がそれを否定することは出来ない。だが。


「いや、そんなことはない。名君亡き後の大国を聊かの混乱もなく治めた例を俺は知っている」

「それは……」

「毛利家だ。陸奥守殿という当代随一の名君を失って後、貴家は織田と対決するまで家を傾けることなく、中国十ヶ国の覇者として見事に領内を運営してきた。此度、俺が行った数々の調略を歯牙にもかけず一蹴してきたことは貴公らが誰よりもよく知るところであろう。誠失礼であることを承知の上で言わせてもらうが、貴家の御当代必ずしも名君と呼ばれてはおらず、しかしながら優秀な叔父や外交僧の支えがあれば家は傾かぬと分かった。当家には右府様の弟君が四名おる。亜相様の弟君お二人は要所伊勢と、四国を治めておる。不肖ながらこの帯刀も京都所司代の大役を務めておる。例え右府様亡き世において、まだ九州や東北に賊徒があろうとも、我らは毛利家を見習い一丸となりこれに当たる所存。故に混乱などは起こり得ぬ」


名前には名前で返した。かつて朝倉家において朝倉宗滴公がそうであったように、毛利家においての毛利元就公は殆ど神格化されている。これを否定することは出来ないだろう。


「安心せよ。何も毛利家の男らを皆殺しにしようとしている訳ではない。武田・上杉は草の根分けてでも攻め滅ぼすが、優秀な毛利家の人材は今後次々に登用する。両名がもし望むのであれば今すぐにでも津田家の直臣に取り立てるぞ。左衛門佐(さえもんのすけ)殿には畿内に五万石を用意しよう。九州攻めに功があれば十万石や二十万石取りにもしてやれる。安国寺恵瓊についても、毛利家の時よりも良い待遇を約束する」


二人を釣った。二人とも表情は微動だにしなかった。毛利一門という不穏分子を纏めておくことは出来ないが、今後全国に散らばってゆくであろう織田家の家臣団に抱え込むことは考えている。


「兄君の吉川殿や弟君の穂井田殿も優秀であったな。併せて召し抱えたいな。津田家が嫌だとしても、亜相様の直臣となる道もあり、他の重臣達と知遇があるのであればその者の家臣となっても良い。少なくとも二人の将来は安泰だ。心配致すな」

「恐れながら、京都所司代様に願いたき儀がございます」


その時、黙っていた小早川隆景殿が床にへばりつくような土下座をした。

「拙者に五万石、十万石を賜ると仰せなのでございましたら、その領地を主君右衛門督(うえもんのかみ)に譲ることをお許し願えませぬでしょうか?」


お願い致しますと、恥も外聞もなく頭を下げる小早川隆景殿。切れ長の眼にまっすぐに通った鼻筋。苦労もしてきたのだろう、渋みのある表情もあって実に味わいがある、男にも女にも好かれそうな人物だ。厳島の戦い以前の毛利家を知っており、幾度となく連続した窮地を見てきた筈だ。それ以外に方法がないと言わざるを得ないやり方でギリギリの勝利を掴んできた父親を知っていればこそ、不要な誇りなど直ちに打ち捨てられる人物。中国の覇者大毛利などと呼ばれるようになったのは元就公が亡くなられる数年前からだ。それまでの苦労と、弱き者達の無念を良く知る人物が、俺如き若輩にこうして頭を下げている。

亡き元就公の人となりや、軍略の妙などについて、教えを賜りたいくらいの相手であるが、しかし俺は短く小さく、鼻で息を吸い、そして鋭く言い放った。ならぬ。と。


「左衛門佐殿は、織田毛利が戦となるよりも前に降伏あるべしと言っていたそうであるな。そのような貴殿であれば大領を任せても安心出来る。逆に右衛門督殿は貴殿の言葉を受け入れず合戦を避けられなかった。そのような者、本来であれば打ち首が相当である。それを赦免し、命は助けているのだ。領地を与えるなどとはとんでもない事」

「御言葉御尤もなれど、そこを曲げて、何卒、お許しいただけますれば、某が織田家への忠勤を誓わせまする。傍にて支え、必ずや織田家の作る天下泰平に役立ってみせまする。何卒」

「同じように、貴殿らに頭を下げた男がこれまでにどれだけいた?」


理屈ではなく、感情に訴えて来た。俺が苦手な攻め手だ。だが、俺は言い返す、努めて厳しい表情で、可能な限り辛辣な言葉を探して。


「大内と尼子だけではなかろう。貴殿が養子に入った小早川家。二つあった小早川家を、随分と強引に一つに纏めたそうではないか。吉川家も同じこと。それを卑怯とも悪辣とも思わぬ。犬と呼ばれようが畜生と呼ばれようが、武士は勝つことが本義であるからだ。だが、毛利両川に小早川水軍。毛利一家一門を栄えさせる為に、どれだけの人間が涙を呑んだのか分からぬ貴殿ではなかろう。小早川家の当主も、尼子家の当主も、毛利は引き立ててやることなく幽閉し、そしてその者らは不自然な死を遂げた」


不自然な死を暗殺と決めつけはしない。若く元気な男が突然病死することすら良くある話だからだ。だが、仮に病死であったとしても、病魔に敗れる程の絶望を与えたのが誰であるのかは議論の余地がない。


「自分達がしてきたことを、自分達がされた途端『お慈悲を』では理が立たぬ。山中鹿之助とてただただ尼子家を救ってくれと言った訳ではない。大いに役立ってみせた。備前の宇喜多直家も同様。可哀想であるから一国を任せたのではない。それに値する働きを見せたからこそ一国を任せているのだ。そうではなく、己の保身のみを考え、大勢決した後に寝返りを打った者らがどうなったのかは貴殿も知る通りよ」


甲斐武田家に小山田信茂なる者がいた。武田家の譜代家臣である小山田信茂は、伊那上郷の戦いの後、武田家残党が北信濃に逃げたのを確認してより降伏し、甲斐にて武田家の女子らを捕らえ、差し出そうとした。

これを聞いて父も勘九郎も醜い裏切り者であると激怒し、即座に斬首を命じた。調略の結果ではなく、単なる保身を行おうとする者に対し、織田家は厳しい。


毛利家でも同じ目に遭った者がいる。得居通幸殿だ。俺とよく似た境遇の通幸殿は毛利水軍が明石海峡で負け、小豆島を失い、備後灘にて壊滅した後に降伏し、撤退してきた村上水軍の者らを捕らえた。

通幸殿としては織田家との関係を考え出兵を拒否し、居城に引き籠っていたのだろうが、大勢が決し既に抵抗の力もない者らを捕らえて手柄とするような真似を認めるわけにはいかなかった。俺は直ちに通幸殿を捕らえ京都に送るとともに、来島村上氏を解体した。後、通幸殿の首は重臣らと共に晒される。さぞかし俺の事を恨んで死んでいっただろう。恨みは全て、甘んじて受けるつもりだ。


「それ以上が無ければ、決定は変わらぬ」

「なればお役に立ってご覧に入れまする」


潰れるほど強くその頭を地面に擦り付けていた小早川隆景殿が、スッと首を上げ、俺を見据えた。その眼を見て、思わず吸いこまれそうになった。覚悟というものがこれほど真っすぐに人間に備わると、これ程澄んだ目になるのかと、思わず感心した。


「織田家にとっての急務は速やかなる日ノ本の統一にございまするな」

「うむ」

「九州の毛利領、いえ織田領を攻める大友追討の先鋒を賜りたく存じまする。某、大友を降し、その足にて島津を降し、九州を速やかに平らげてごらんに入れまする。毛利勢を味方に付けなければ決して能わぬ速さで、本年中に西国の果てまでを織田家に献上する次第」

「本年中?」


最早四ヶ月少々しかない。北陸や東北と違い、豪雪により戦闘が不可能になる可能性は殆どないが、それにしても、俺が毛利を落とすのにかかったのが五ヶ月だ。しかも殆どは両家の間にある領地を奪い合っていた期間で、毛利家の本領には殆ど手を付けられなかった。


「成し遂げること叶いましたならば、主に領地を賜りますよう、何卒お願い申し上げます」

そう言って、再び小早川隆景殿が頭を下げた。その小早川隆景殿に対し、俺は思わず溜息を吐いた。


「陸奥守殿亡き後、貴殿が速やかに毛利家棟梁となっておればと思わずにはいられぬ。織田家は或いは呑み込まれていたかもしれぬ」

「過分なるご評価にございまする」

「九州全土を四ヶ月で呑み込むとなれば古今例なき大功にて、立役者たる者はそれがどのような身分であっても一国を賜って当然であろう」


九州全土で、総石高は恐らく二百万石を超す。南方の琉球や北の朝鮮を通じて唐国との貿易もし易く実入りも良い。一国の約束で平定が速やかに終わるのであれば安い買い物だろう。


「一つ、訊きたいのだが、貴殿は何故、そこまで毛利に忠誠を尽くすのか。今となっては別家にて己の栄達を求めたところで誰も文句は言うまいに」

問うと、小早川隆景殿は俺を見て、信じられませぬなと言った。


「天下において、今某の気持ちを誰よりも理解して下さるは京都所司代様をおいて他になしと思うておりましたが」

「なぜ故?」

「どうしてそこまで主家に尽くすのであるか。それは天下万民悉くが京都所司代様に対して思うておることにございまする。何故、織田家の家督を求められぬのか。何故、己の天下を目指さぬのか。何故、織田の名乗りを認めぬ主家に、そこまで尽くすのか。誰もが京都所司代様の生き様に憧れ、同時に疑問を持っておられまする。その問いに対する答えは、某と同じではありませぬのか!?」


その言葉を聞いて、ストンと腑に落ちた。そうして、左様か、と言葉が漏れた。


「貴殿、亡き御父上を慕うておられたか」

「はい」


「出来が悪いと言われる甥御を、可愛いとお思いか」

「はい」


「不器用な兄君や、己を頼る多くの弟妹達が愛しいか」

「はい」


「成程。確かに貴殿と某は同じだ。いや、貴殿程の者と某如きを同列には語れぬであろうが、それでも考えるところは同じであるな」

「過褒なるお言葉、恐れ入りまする」


小早川隆景殿が再び頭を下げた。頭を下げられているのは俺だが、勝ったのは向こうだなと思った。一人の人間として、清々しい敗北感を得た。


「本年中の九州制圧。これが成った暁には毛利家に安芸一国、小早川家に周防一国を約束しよう。九州平定後は、毛利家も小早川家も同列の織田家家臣となると心得よ」


有難き幸せ、と頭を下げた小早川隆景殿の為にも、九州を即座に平定しなければと思ってしまった俺は、やはりどう考えても甘い男だ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ