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信長の庶子  作者: 壬生一郎
津田所司代編
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第百十三話・従うか滅ぶか

 「黒田官兵衛様が、お見えになられましたよ」


 京都、旧公方御構、現在の京都所司代屋敷だ。本能寺が焼けた際、旧村井邸も焼け落ちてしまった。その後俺は早々に古渡へと引き籠った為直接何かをしてやれることはなかったが、そこは手抜かりのない村井の親父殿がいる。本能寺は以前よりもより良きものを建立し、村井邸もちゃっかり公方御構の脇に建てていた。


 父と勘九郎の下であるはずの俺が京都の中心に居座ることは後々の為にならないのではないかという話はあったのだが、表向き俺は公方様をお守りする為に戦って重傷を負い治療をしていたとされる身だ。加えて言えば、寺社勢力に対して問答無用の立場を取っていた父と勘九郎に反発し、自らの立場を危うくしてまで会談の場を設けたということにもなっている。俺が公方御構を使うことは『奪い取った』ではなく『引き継いだ』と受け止められた。その上で、安土の父と岐阜の勘九郎、織田家における上位二名が京都に在駐しないことで、安土と岐阜という二つの都市を京都よりも上であると示す狙いもあるとは父上に聞いた。父上らしい発想ではあるが、それは俺や勘九郎が生きているうちには成し遂げられないとも伝えた。敵を倒すのではなく心を変えなければいけないのだ。千年かけて培ってきた『日ノ本の中心は京都』という常識がそう簡単に変わる筈もない。


 「領内を見て回りたい。新次郎達に馬の用意をしておくように言ってくれ。それと、客人に持たせる土産も」


 今回、播磨の国人小寺氏の家臣である黒田家の嫡男が客人としてやって来た。播磨一国の、それもその全てを領している訳ではない家の家臣筋嫡男如き、この京都所司代様が会う必要もない。などと言っているようでは天下の早期統一などままならない。羽柴筑前殿が見る目ありとしてわざわざ俺のところに寄越したのだから、それなりの対応をする必要があるだろう。


 「タテ様、こちらを」


 言いながら、ハルが俺に『頭巾』を被せた。頭部全体を覆うものではなく、失った右耳を含めた右側頭部を抑えるものだ。見た目には顔の右側を覆う仮面のように見えるだろうか。口や目は隠さないので動く時に邪魔にはならない。父が馬上にて狙撃を受けた事もあり、鉄が仕込まれた丈夫なものである。だが、内側にはハルが縫い込んでくれた布が張られており、温かい。


 「うん、良いですわ。今日も格好良いですよ、タテ様」


 座っている俺に頭巾を被せるハル。俺の目の前で形が良く、大きな乳房が揺れる。両手で包み込むように触り、撫でるとぺシンと手を叩かれた。毎日のようにやっていることであるからハルも慣れたものだ。


 「毎日飽きませんわね。そんなに良いものですか?」

 「大変良い物だな。見ているだけで元気にしてくれるものなど、世に幾つもあるまい」

 「一部分だけ元気にしたところで、仕事になりませんわよ」

 「そうしたらそれを治めるのもハルの仕事だろう」


 まあ、と言ってハルが口を押さえた。いやらしい。と一言叱責を受ける。良い反応だ。元気で、生命力に満ちている。


 「ハル」

 「何ですか?」

 「お前は、死なないでくれ」


 言って、返事を聞かずに立ち上がり、部屋を出て行こうとした。後ろから、大丈夫ですよという声が追ってきた。


 「大きな胸と尻くらいしか取り柄がありませんもの。ちゃんと、勝若丸様の良い家臣となる子を、五人でも十人でも、産ませて頂きますわ」

 「頼もしい」


 言って執務室を出、一旦広間へと向かった。今日は使われておらず、下働きの女中が一人雑巾がけをしていたが俺を見てすぐに頭を下げ、出て行った。部屋の中央奥にある神棚に手を合わせ、頭を下げる。


 「行って参ります。公方様」


 本能寺の変の後、公方様と、一色藤長殿、長岡藤孝殿の三名の御遺体が堂宇から見つかった。俺は御三方の御遺灰を僅かずつ頂戴し、こうして祀っている。最後まで愚直に公方様を守り続けた一色藤長殿がいなければ、本能寺の変においてもう少し楽に公方様のお命を頂戴することが出来ただろう。蜀漢における趙雲子龍、南朝における北畠顕家公、もし藤長殿が万余の兵を率いることが出来ていればと思わずにはいられない。無二の忠臣という言葉に相応しい方であった。


同じく生涯を公方様への忠義に使った長岡藤孝殿だが、彼の場合はどこか覚めていて、織田家との橋渡しの中で自分を最も高く売る機会を計っていたように思えた。実際に、俺からも随分と賄賂を取っていたし、その取った賄賂を散財している様子もなかった。恐らくいずれどこかで使うべき機会を伺っていたのだろう。その真価を発揮する前、忠義の仮面を被っている間に俺が切り捨てた。この後天下が更に二転三転、或いは五転六転したとして、長岡幕府、ないしは細川幕府が成立していたとしても俺は驚かない。



『余に勝ったのだ。必ずや成し遂げられよう』



今でも、本能寺で聞いたあの空耳を思い出すことがある。何があっても絶対に弑することが出来るよう、心の臓を貫き、そして首を切った。成程のうと漏らした一言ですら、既に声が枯れていたのだ。あのようにハッキリと声が聞こえる筈はない。だが。


 「必ずや成し遂げます」


 御三方の死すら、俺は悲しいと思う。己の手で切り捨てておきながら何を言っているのだと、人に語れば笑われるか、呆れられるだろうが、公方様がいなくなった天下を見てハッキリと理解出来た。俺は公方様を尊敬していた。既に浮かぶ瀬も見えず、沈むのを待つばかりの幕府という泥船に乗り、最期の瞬間まで足掻き続けた公方様を。


 きっと、これから俺が殺す敵の中にも尊敬すべきものが多くいるのだろう。愛すべき英雄好漢を、俺は織田の名の下に切り捨て、踏み潰す。その度に俺は傷つき、悲しむことだと思う。歩みを止めぬままに。


 「そのような、現世の悲しみを救う為に、御仏は必要であるのかもしれんな」

 言いながら苦笑する。これも又今更だ。俺がいなければ燃やされずに済んだ寺や仏像がどれだけの数あった事か。


 「新次郎、行くぞ。五右衛門も、付いて参れ」


 表に出るとすでに馬が用意されており、口取りをしている若い武士、林新次郎通政に声をかける。新次郎は頭を下げ、言葉も無く、馬の先導をした。供に、五騎程騎兵が続いた。当然のことながら五右衛門達伊賀忍は常に周囲にて見張りをしている。どこでどう見張っているかを俺に伝える必要はないと言っているので何人がどの辺りに隠れているのか俺は知らない。


 「新次郎、京都は慣れたか?」

 「いえ……いや、はい、慣れました」

 「嘘を言う必要はない。どうなのだ?」


 本音が漏れてしまい、それから形を取り繕おうとして結局それが出来ずにいる新次郎に対して笑いかけると、新次郎は一度振り返り、申し訳ございませぬと頭を下げた。


 「長らくの間、旅又旅、そして日陰暮らしが続きましたもので、慣れませぬ」

 「であるか」


 新次郎は、かつて俺のせいで織田家を追放され、丸山城において一度だけ言葉を交わしたあの林秀貞の娘婿である。戦後、崩壊する味方を纏めて何とか決戦をと図っていた秀貞を支え、それも無理となると紀伊から四国、毛利家の本領安芸まで逃げようとした。しかし高齢の秀貞が体調を崩し、厳しい追手に耐え切れぬと見た秀貞に介錯を頼まれ、その首をもって安土の父に自首した。


 新次郎はそのまま自分も首を打たれると覚悟を決めていたようだが、そのような覚悟を決めた士が大好きなのが我が父である。殺すのには忍びないと思ったらしく、俺に手紙を寄越した。父の手紙と、死ぬ前に秀貞が書いたという手紙、二通同時だった。


 読み終えて、俺はすぐに新次郎を召し抱えることにした。決め手は秀貞の手紙だった。全て平仮名で書かれていたのだ。死の直前において、元織田家筆頭家老による最期の冗談。不覚にも笑わされてしまった。笑っている俺を見て、古左が『笑わされてしもうては負けですな』と言っていた。確かにその通りだ。


 「あの者らか?」


 屋敷を出ると、馬の前に立ち、こちらに頭を下げる者達がいた。皆あか抜けた様子のない者らだ。一番前にいるのが恐らく黒田官兵衛。周囲にいるのは栗山四郎右衛門利安、母里太兵衛友信、井上九郎右衛門之房だと思う。大急ぎで調べて貰ったことだ。知ったからと言って直ちに何が起こるという訳でもないが、こちらの諜報力を報せる意味もあり、『自分達の事をこんなに気にしている』と相手に思わせることも出来る。


 新次郎が頷いたので、俺も馬を降り近づいた。俺が馬を降りてしまったせいで更に身を低くする必要が出た四名は、その場に膝を突こうとした。無用であると言い、立ったままにさせる。


 「わざわざ播磨より来られた客人を道端で跪かせるような趣味はござらぬ。これなるは津田帯刀でござる。よく参られた」

 「小寺家家臣、小寺官兵衛と申しまする」

 「黒田家の御嫡子と聞いていたが?」

 「はっ、母が小寺家の者にて、小寺と名乗るを許されておりまする」

 「成程」


 知らなかった。俺の諜報力もまだまだだな。


 「運動も兼ねて、京都の町を見て回るのが好きなのでな。官兵衛殿、良ければ供に。栗山殿、母里殿、井上殿、御三方も」


 言いながら、さっさと馬に乗った。後ろの三人が顔を見合わせている。当たっていたのだろう。良かった。

 俺は室町小路を南に進み、京都下京の端まで進み、それから西へ、本能寺の焼け跡を見ながら戻る道で馬を進めさせるがよいかと聞いた。無論、否やという者などどこにもおらず、俺達は馬を進める。


 暫く、俺達は日常会話などの歓談を行った。俺が名を挙げた三人はいずれも正解であったようで、通称も含めた名をそれぞれ言い当てると三名とも驚き、嬉しそうにしていた。逆に官兵衛は笑いながらも目の奥にて恐れを抱いていたような気がする。播磨の一豪族に過ぎない我々の、家臣の名前を知っているとは京都所司代恐るべし。そう思ってくれるのであれば組みやすい。賢い人間であれば、道理も通じるであろう。


 「我が、小寺家は織田家に臣従したく、御目通りを願いました次第」

 「ほう」


 官兵衛は室町小路において俺が行った弁論について述べ、見事なるご見識などと褒めてくれた。事実だけを並べ立てておべっかを使われるのはあまり得意ではないが、随分と深く調べた上で褒めてくれているようであった。それならばこちらとしても嬉しいことだ。官兵衛から道理の通じる賢人であると見做してもらえたのであれば今後も話がしやすい。そう思っていたさ中の、突然の本題であった。


 「東播磨の別所長治は丹波の波多野秀治と呼応して織田に反旗を翻したぞ。今の状況で織田についても、播磨で孤立するだけなのではないか?」


 中国地方の諸豪族が反旗を翻し出したのは、毛利の手によるものという意見だけでなく、羽柴殿の生まれが農民であるからという見方もある。畿内周辺の豪族に多い名族意識だろう。播磨の別所長治は三木城を本城としており、それは小寺氏の居城播磨御着城よりも、黒田氏の居城姫路城よりも東、即ち京に近い。丹波は摂津の北で山城の西だ。織田家が丹波と東播磨で苦戦すれば周囲の豪族達から攻め滅ぼされるかもしれない。


 「織田家に、播磨丹波が抵抗したところで決して勝てませぬ。南は四国勢に淡路の九鬼水軍、北からは忠臣山中鹿之助率いる尼子再興軍が攻めて来られましょう。毛利一家がどれだけ抵抗しようと、もって五年」


 先程までの会話よりもハキハキとしていて分かり易い言葉だった。官兵衛の言う通りだ。織田家において最強の水軍衆である九鬼水軍は淡路六万石に加増移封としてある。九鬼嘉隆は来たる村上水軍との戦いに腕を鳴らしているそうだ。一気に攻めかかり、播磨丹波を落とす。この二ヶ国が落ちたならば山陰地方の三ヶ国は最早孤立したも同然。将軍に従わなかったという理由で全て討ち滅ぼす。


 「某、主小寺政職(まさもと)に対し織田家に降るべしと献策致しました。主はこれを受け入れ、小寺家は皆右府様に従いまする」


 「なれば、織田家としては、播磨における全ての諸豪族に人質の供出を求めておる。勿論小寺政職殿も例外ではない。又、公儀憚りの者を匿う等ということは一切許さぬ。仮にそれが寺社の成したることであったとしても、その地を領する者を罰する。今後は播磨の豪族間に揉め事があった場合それらは全て織田家が裁定する。播磨平定後、織田家の役人が播磨を見聞し、不要と判断した城は破却する。今後織田家が日ノ本全土を平定した場合、どの豪族であっても移封に処することがある。これらの条件を全て呑んで初めて降伏、家臣化と言う。これらを全て受け入れさせ、もう一度ここに来るのに何日かかる?」


 降伏し、家臣化を望む声はどこからも上がって来る。それに対してこのような条件を突きつけると、殆どの場合はそのような無体な条件は呑めない。等と怒りを露わにして帰ってゆく。これまでの権利は全てそのままで形だけ降伏したいと言うのは虫が良すぎるだろうとは思うが、ある程度の条件ならば呑むつもりでやって来た者であっても、移封については認められないという者が多い。一所懸命という言葉があるが、この土地に対しての執着が戦国乱世を長引かせている大きな理由である気がしてならない。移封とは言っても、領地を没収するわけではないのだ。寧ろ九鬼のように所領倍増ということもよくある。


 「されば、半月」

 「五日、それ以上は待てぬ」


 威圧するつもりはなく、無茶を言うつもりもなく言うと、官兵衛が黙った。船は用意する。川を下って大坂湾から向かえば、海に近い姫路城まで一日で辿りつけるだろう。三日話をして、戻って来るのに更に一日。これで五日だ。


 「せめて十日を、家臣の中には毛利勢と合力して織田と戦うべしと申す者もおりまする。性急を求めれば彼らの怒りに触れるやもしれませぬ」

 「織田家は一向にかまわぬ」


 言い募ろうとする官兵衛の言葉を遮った。視線の先に、復興中の本能寺が見えた。


 「官兵衛殿、今織田家は敵に囲まれている」

 俺が言うと、官兵衛がはいと答えた。どのような敵かと問うと、上杉、武田と言われた。頷く。


 「上杉家は軍神上杉謙信自らが能登へと侵攻し、加賀の織田勢と小競り合いを、そして武田家は飛騨を譲ることなく、攻めて来るのであれば追い返すと、五千の兵を飛騨に送ったとの事。この上で丹波播磨の豪族を敵に回したとあれば、毛利勢も含め織田家は四方面にて敵と戦うことになりまする」


 よく調べているなと思った。恐らく主の小寺殿に対しては、このような状況になり、今ならば織田家に対して最大限の恩を売りながら降伏することが出来る。と説いたのだろう。さしもの織田家も、武田上杉毛利を同時に敵に回せば、播磨の豪族を無視することは出来まい。賢いものの考え方であると思う。だが、俺は微笑みながら言った。


 「そう、我らは四方面同時に戦い、そして一気に攻め落とすと決めた。故に、待っている暇はない。織田家は今言った三家全てを、今年を入れて二年で滅ぼすつもりである」


 賢い男小寺官兵衛は、しかしながら織田家の、父の覚悟を見誤った。飛騨に姉小路家を再興させると決めたのも、これまで上杉家との空白地帯として残しておいた北陸二ヶ国を先に攻撃したのも父なのだ。両方を敵に回した上で、更に西に軍を回したという時点で、それでも勝てるという算段は付いている。

 大大名が徹底抗戦を唱えるのも、小豪族が誇りにかけて父祖伝来の土地を守るのも、こちらとしては好都合だ。織田家の直轄地や信頼出来る家臣達に与えられる領地が増える。


 「そのような事……」

 「出来ぬと思うか? 誰であっても? 例えば青山・土器(かわらけ)山の戦いにおいて、十倍の敵を撤退せしめた知恵者と、その知恵者に従う強者らがいたとしても?」


 言うと、官兵衛がハッとした表情を見せた。青山・土器山の戦いは龍野赤松氏と黒田家の間で行われた戦闘で、黒田官兵衛の名を近隣に広めた戦いでもある。


 「官兵衛殿、貴殿は賢い。そして五年後十年後を見ることが出来る。俺よりもよほど賢いであろう。だが、立場の違いか、見ているものの高さが俺よりも低い。俺は天下を見ている。それは俺の器が大きいかどうかではなく、たまたま天下人の子として生まれてしまったが故だ。官兵衛殿は播磨とせいぜいが中国、畿内しか見ておらぬ。一所懸命も悪くないが、その才を播磨一国で使い潰す必要はない」


 勧誘してみた。しなければならないことは増えたのに、家臣はなかなか増えない。そろそろ俺も戦に強い軍師を欲しいと思っていたのだ。羽柴殿が先見の明ありと言ったのだから間違いはあるまい。放っておくと優秀な人材は皆羽柴家に行ってしまう。今のうちに唾を付けておかねば。


 「上手く行くとも行かずとも、戻ってよりもう一度俺に会いに来てもらいたい。貴殿と、その家臣くらいであれば何とでもしよう」


 本能寺を過ぎ、俺達は室町小路を北上して上京を目指した。


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― 新着の感想 ―
[気になる点]  部屋の中央奥にある「神棚」に手を合わせ、頭を下げる。  公方様と、一色藤長殿、長岡藤孝殿の三名の御遺体が 堂宇から見つかった。 俺は御三方の御遺灰を僅かずつ頂戴し、こうして祀っている…
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