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信長の庶子  作者: 壬生一郎
津田所司代編
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第百十話・織田家、天正への道(地図有)

 天下の均衡が崩れた。そう表現するのが最も適当かと思える天正元年から二年の冬だった。


 古渡に戻った俺は、続々と届く報せを聞きながらも、それを遠くの事として受け取っていた。畿内について、差配する人物はいるのかと少々気をやりもしたが、よく考えてみればこれまで京都所司代として辣腕を振るっていた村井の親父殿がご健在であるのだから俺の出番などないならないで全く問題はない。


皆の官位がどうなったであるとか、国割がどうであるとかという話は少々置いておき、軍の動きとしてはまず早くも四国勢が九州に目を向けるようになった。同時に、瀬戸内海の南岸を領するようになった織田家は調略と攻略の両輪でもって村上水軍と対峙するようにもなった。村上水軍最大の名は瀬戸内海における海賊の王村上武吉。しかし彼の名をもってしても、自由気ままな瀬戸内の海賊衆全てを完全に統括している訳ではないらしい。付け入る隙は十分にあるとの事。三七郎の、そしてその下で手柄を立てんとしている長宗我部元親の、腕の見せ所だ。


中国地方において、織田領と接している播磨丹波丹後の三ヶ国を切り取る手筋はある程度固まったとのことであった。摂津の西に面する播磨は淡路から海路攻撃することも可能になった訳であるし、日本海に面する丹後も同じく陸海両方から攻撃が出来る。その先にある但馬と因幡も、比較的毛利家の手が深く及んでいない。この辺りまでを織田家の領地とすることが出来れば残る毛利家の本領は中国十ヶ国となる。不確かながら、計算してみるとその石高は大体百五十万から二百万石。石見銀山の力を含めれば更に国力は増すだろう。毛利家には結束があり、人が揃っている。個人的にはそれが最も怖い。


面白い人事としては、三介が京都に召集された。舞に茶の湯にと、公家衆が好む芸事や趣味に関して非凡な才能を発揮する三介に、織田家と朝廷の仲介をさせているそうだ。ただし仲介と言っても、密書を届けたり内示を受け取ったりということではない。これからも織田家と懇意にしてほしいという意味を込めて、連日土産を持って貴族の邸宅に行き、一日何らかの雅なお遊びをして帰って来る。というだけの話だ。だが、そのお遊びを一日の隙間もなく、日によっては二件三件と梯子しながら動かされているらしい。『お前だけが何の手柄も立てていないのだ』と勘九郎から叱責され、毎日報告の手紙を書く事を強いられながら動き回っていることは本人から聞いた。最近勘九郎兄上が怖いという泣き言が書かれた手紙を何通も貰っている。本人からすればたまったものではないだろうが俺は無責任にヘラヘラと笑った。何だかんだで三介には特に甘い父では出来ない差配であっただろうし、同腹の兄である勘九郎が行わせていることであるのならば角が立たない。俺が同じことをしたら多分、腹違いの弟を使い潰そうと……的な噂が立つのではないだろうか。


因みにではあるし、今更でもあるのだが、俺が古渡に戻らされたことについても毎度おなじみの廃嫡論やら左遷論やらが飛び交った。おなじみだからこそウンザリしたものだが、勘九郎は『最早何をしても我々は比べられるし周囲が勝手に忖度することは止められない。ならば思い切って楽しんでしまった方が良い』と言って来た。そうして、俺が古渡に戻ってすぐに『兄上が怖いので、古渡に幽閉することにする。心安らかに休まれよ』などと書いた手紙を送って来た。同じ手紙の中に、俺が京都に戻ってからの話も描かれていたので冗談であることは間違いないのだろうが、手紙を持ってきた義弟忠三郎に見せるとギョッとしていた。俺は勘九郎に対して、頑張れであるとか、征夷大将軍に相応しい仕事ぶりだと思う。などと書いた手紙を返した。その手紙の中に『今織田家簒奪の為の兵を集めている。人の集まりが悪いので金を貸して欲しい』などとも書き加えた。早馬で鐚銭が送られてきたのには笑った。


俺程思い悩むことが無く、開き直ることが出来る勘九郎には素直に感心する。後から考えれば、あの危うい手紙はあまり考え過ぎないようにという、勘九郎なりの優しさだったのかもしれない。感謝している。ただ、俺達の悪ふざけのせいで手紙の配達人を一任されてしまった忠三郎には申し訳ないことをしたと思っている。『忠三郎が我か貴殿か、どちらを選ぶのか近いうちに信を問う日が来よう』と、思わせぶりな手紙を書いてみたら、返信を持ってきた忠三郎本人から、本当に止めて下さい。と怒られてしまった。ゴメン。


北陸加賀には筆頭家老である柴田権六勝家殿が入った。雪解け後、能登を征する際に上杉謙信がどう出てくるのかが分からないと考え、織田家中最強の軍人をぶつけたということだ。浅井家からは磯野員昌殿が出張ることになった。能登を征したならば併せて浅井家に譲ることが決められている加賀であるが、織田家中において戦場指揮右に出る者なしと認められての出兵に権六殿もご満悦であったようだ。戦後北陸からは離されると決まってはいるものの、父と勘九郎、両名から直接『必ず功に報いる』と言われ納得しているらしい。


そうして、西と北について少々目を向けた後、東の話だ。




「久しぶりね……帯刀」

憂い顔をした女性が一人、幼い男子を一人連れて立っていた。その女性に、俺は一言、母上。と答える。


「よくここまで辿り着いたわね……そう、全ての黒幕はこの私、すべて母が仕組みたる事よ」

「母上……」


母の言葉に、傍らの少年御坊丸は表情を崩すことなく、僅かに微笑みながらこちらを見ている。


「今日ここで、全てに決着を付けましょう。そうして、この悲しき戦いに終止符を打つのです。かかってきなさい。帯刀」

「母上、そういうのいいですから普通に再会を祝しませんか?」


頭を掻き、あきれ顔を作りながら言うと、母がそれまでの憂い顔を崩し、年齢不相応な悪戯っぽい笑顔を見せた。


 「最終回直前的な雰囲気を見せてみたのに、相変わらずそなたは母のノリに付いて来てくれませんね。そんな事では立派な京都所司代になれませぬよ」

 「京都所司代にそのようなノリが必要であるとは知りませんでした。取り急ぎ三介に所司代職を譲り渡すことに致しましょう」


 俺が言うと、母は元気にけたけたと笑った。相変わらず面白い人のままであり安心した。この耳を見て何か言われるのではないか、会わないうちに母が変わってしまっているのではないか、色々と心配し気を揉んだが、再会してすぐにそれらの心配が杞憂であることが分かった。うっかりお経を書き忘れたのかしら? とよく分からない事を言うのも昔のままだ。変わらない母を見られたことが嬉しいと思った。


 「ノリが悪いと言えば聞きなさい帯刀、武田家の連中、私が何を言ってもブラをしてくれないのですよ! 胸部装甲を身に纏いながら戦場を駆ける赤備えの山県隊に、鬼美濃馬場軍団を見たいとお思いにならないのかしら!?」

 「勿論お思いにはならないでしょう」

 「そうでしょう!? そう思うでしょう!? 全く武田軍と来たらもう」

 「だから思わないっつってんのに」

 「甲斐の国の癖に海がないから新鮮な海の幸もないし!?」

 「それはもう、とんでもなく程度の低いかけ言葉であると思いますが」


 前言を撤回し、もう少し母には変わって欲しいと思った。憤る母を見て、御坊丸はその体を撫でている。背中を撫でてやりたいのだろうが身長が足りていないので尻か腰か、その辺りをさすりさすり。この病気を発症している母に対しては、全く気にする必要はないのだぞと、弟の頭を撫でた。

 こうして、俺と共に古渡へやって来た藤も含め、俺達四人は母と子で、家族水入らずの年末を過ごし、年明け前には臨月の恭と過ごす為、全員で岐阜城へ入った。



挿絵(By みてみん)



 天正元年年末。母と御坊丸は人質から解放され、古渡へと帰って来た。織田家が武田家に対して付けたいちゃもん、本能寺の変武田家黒幕説に説明を求め、場合によっては手切れ、そして戦になると強硬姿勢を見せた結果だった。


 天台座主を自称する武田信玄が、全ての糸を操りし者であるという疑惑は、誠に詭弁で滑稽ですらあった。何しろ、父は体調を回復させてすぐに武田信玄が死亡したことを看破したのだ。今もって公式にはその死が秘匿されている武田信玄であるが、放った忍びの手によって、恐らく信玄のものと思われる遺体が埋葬されるのも確認された。それを知っておきながら、信玄ならばと追い詰める織田家。もう少し、武田家が時間を得ていれば信玄死亡とは言えずとも隠居して勝頼に家督をということも出来たのだろうが、それも出来ていない為、正式には家督を継げていない勝頼が事実上当主として指揮を執ると言う何とも中途半端な形になっている。


疑惑の本人が既にこの世の人物ではない武田家は、疑惑を完全に払拭することも出来ず、進退窮まった。当代随一の軍略家としての名が、死して後敵に利用されるとは、さしもの軍神も予想だにしていなかっただろう。


 四国に六万五千の大軍を動員し、北陸に一万を派兵し、中国地方にも圧力をかけ、それでも対武田に二万の戦力を用意することが出来るのが今の織田家であった。徳川軍とも協力し同時に攻められては抗しきれないと、武田家は釈明に奔走し、結果、天正元年内に人質たる御坊丸が尾張に返されることが決まり、丁重に岐阜城まで届けられ、そして母上共々古渡城へと戻った。


 毛利上杉の両家と比べ、偉大なる当主信玄公の死からの立て直しが出来ていない武田家は虚勢を張りつつ弱気が見え隠れした。戦国最強と謳われる武将らも、今はどこか覚悟を決められずにいる。陣代として武田家を統括する勝頼は、先の山県や馬場といった、信玄公を支えた宿老達に頭を抑えつけられて上手くいかず、主と従とが同じ方向に向くことが出来ずにいる。そんな中で、武田家は何の対価も得られないまま、みすみす人質を返した。


 人質の返却で時を稼いだと安心したであろう武田家であるが、当然のことながら父がそれで良しとする筈もなく、これまで織田武田両属の立場を取っていた東美濃の国人衆全員に対し、平氏長者として将軍信忠直臣となるよう命じた。武田家に対しての軍役労役年貢など、それら全ての支払いを禁じ、その分を織田家に支払う。即ち、事実上武田家領土の割譲である。平氏長者に征夷大将軍という名の効果は抜群で、甲斐源氏たる武田家はこれに何らの文句も付けられず黙した。だが、武田家に長らく苦しめられ続けて来た父がこの好機を逃す筈もなく、年が明けた直後、更に次の一手を仕掛けた。


戦国三司の一つ、姉小路家を再興せよという命令が朝廷より父に対して下されたのは正月開けて四日であった。父がそれを受け入れ従三位中納言、姉小路頼綱卿に飛騨一国をと発表したのはその翌日。朝廷からの命令という体を取っているが、明らかに父からの意向が多分に加わっていた。姉小路頼綱卿は父と相婿の間柄であるのだ。


朝倉滅亡の折、草刈り場となった飛騨は半分が織田に、もう半分が武田に降った。飛騨一国を姉小路家にということは、即ち武田家に飛騨を捨てよと言っているのに等しい。石高としては二万石に足りない飛騨半国であるが、戦わずして飛騨を織田に奪われるという屈辱を、果たして武田家は受け入れられるのだろうか。父は、雪解けを待ち、能登攻めと同時に飛騨に姉小路頼綱卿を送るとしている。現在のところ、武田家は名門姉小路家の復活について喜ばしいことであると言っているが、春になり、飛騨に織田の兵が入った時、果たして武田がどう出るのかは分からない。


最後、の一手かどうかは分からないが、今までのところ最新の一手として、父は武田家の家督問題にも口を突っ込んだ。信玄存命中にその養子として迎え入れられた御坊丸こそが、次の武田家の主として相応しいと言い出したのだ。言うまでも無く御坊丸に武田の血は一滴たりとも流れていない。甲斐武田家の当主に御坊丸という差配は、即ち織田家に服属せよという最後通牒の如きものである。


多分だが、父はこの条件を武田が呑むのであれば武田家を滅ぼさず、家臣化するつもりなのだと思う。俺個人の見解としては、甲斐一国以外を没収するとか、武田勝頼の嫡男武王丸を人質として要求するなどして挑発し続け、最終的には全て攻め滅ぼすべきであると思う。これは単純に俺の心情から来る独善的な判断である。武田家の如き身内での争いを繰り返してきた一族は嫌いだ。逆に毛利北条に対しては、一族の仲が良いという理由で好意的に思っている。故に滅ぼすべきとは思わない。今ここに亡き武田信玄がいれば口角泡を飛ばしながら反論してくることだろう。それに対して反論の余地はない。だから、俺のこの考えが正しいとは全く思っていない。どこまでも俺の独善的な好みの問題であるのだ。勘九郎がどう考えているのかは知らない。対立したくはないので黙っているつもりだ。


そして、天正二年一月九日、俺にまた一つ、転機が訪れる。




「元気な男子でございます。内府様におかれましても、初孫にございます。きっとお喜びになられることでしょう」

恭が子供を産んだ。俺の嫡男。津田家の次期当主の誕生だった。前々から、俺の子が父にとっての初孫であっても嫡孫とはしない旨は話し合っていた。


「恭の体調は?」


年が明けてより、恭の体調は思わしくなかった。誰もが恭は出産に耐えられないと思っていたし、母子共に死亡ということすら想定の範囲にあった。それでも、産まれた子供は一般的な赤ん坊に劣らない大きさで、体のどこにも不具は見当たらなかった。


「気を失っておられます」

医師、永田徳本先生に訊くと、沈痛な表情で返された。末期の別れになる可能性が高いと、別室に通される。


恭と結婚をした時、余り身体が強くないことは分かっていた。妊娠してすぐ、最悪の場合を考えておくように言われていた。美濃にやって来てから恭の顔を見て、長らく生きられるとは思えなかった。そうして、少しずつ現実味を帯びて来る恭との別れに、俺は日々覚悟を重ねて来たつもりであった。それでも、本当にあの恭が物言わぬ躯となってしまうのかと、俺はこの時怯えた。初陣の時、自分が死ぬかもしれないことに怯えた。率いる兵が多くなって、自分の差配次第で味方が死ぬのだという事実に怯えた。今、ただただどうしようもなく、自分には何も出来ないところで、愛する妻が死んでしまうのだということに、怯えていた。


「恭……」


寝台に横たえられている恭を見る。死んだように眠っている。その胸が僅かに上下するのを見て生きていることを確認した。


「恭……!!」


その手を取り、強く握る。額にその手を付け、祈るように項垂れる。大きな涙の粒が、両目から零れ落ちた。


「恭!!」

「手が、痛いです」


三度名を呼ぶと、返事があった。握る手を緩め、顔を上げる。微笑みながらこちらを見ている恭がいた。


「疲れている妻の寝顔を見るなんて、悪趣味ですよ」

かすれるような、極めて小さな声であったが、はっきりと恭が言った。間違いなく恭の声で、恭の言葉だ。


「疲れました。出産とは大変なものですね。直子様を尊敬致します」


恭が言う。頷いた、何度も何度も、手を撫で、さすり、その体温を少しでも感じようとした。


「まだ死にませんよ。貴方がそんな顔をしているのですもの」

悪戯っぽく笑った恭は、そんな事を言って俺の手を僅かに握り返した。


その言葉通り、いつ死んでもおかしくないと言われていた恭はこの日より六十日の時を生きる。その六十日は人間の持つ生命力を全て振り絞るような六十日であり、最後の抵抗であり、そして、俺に対して恭が遺してくれた最後の贈り物でもあった。


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