第百六話・感謝祭『昼の部』
「殿に今更古渡に引っ込まれてしまっては、我々の生活まで危うくなってしまうではないですか」
「然り、拙者は殿から出世させてやるという確約を得てここにおるのですから」
父との会談の後、俺は再び京都に戻り、家臣達の報告を聞いていた。
「相変わらず古左と弥介は直截な物言いをするな。殿とて軽々に京都所司代を辞すると話した訳ではないのだぞ」
「嘉兵衛殿、殿は辞すると言うた訳ではないですぞ、適当な理由を付けて取り上げるようにと、自ら仰せになったのです」
「左様でございます嘉兵衛様。隠居や退任というのであればまだしも、ありもせぬ罪を被り捨扶持をなどという考えは我ら家臣一同決して頷くことが出来ませぬ」
嘉兵衛の言葉に古左が即座に言い返し、いつもならば俺の味方をしてくれる蘭丸が厳しい口調で言って来た。
この日、俺は時間を合わせて多くの家臣、そしてその家族達を招いて村井邸の中庭で食事会を開いた。炭を焚き、取り寄せた食材を皆で焼いて食べる。組木の床几や長椅子を幾つか用意し、思い思いに食いたいものを食うという趣向だ。母上がこういう催しが好きで、これを一度すると仲良くなれると言っていたのを思い出し、開催してみた。一応これまでの業務についての報告会という体を取っているが、その実は俺が皆にこれまでの忠勤を感謝するという労いの会である。瀬戸内海と琵琶湖、更に京周辺の山々から採れたての海の幸山の幸を用意したので、品物に関しては皆喜んでくれていると思っている。
「いや、何度も言うが俺の直轄地が百五十万石も二百万石もあるという訳ではないのだ。お前達の領地は確保した上で俺だけが長島に移るというやり方も当然考えていた故、迷惑をかけることは決してない。古左にも弥介にも、畿内にて万石取りとしてやれる準備があったのだ。古左など、京都周辺で五万石もあれば茶器やら壺やらの売買で実質五十万石分の実入りになることすら可能かもしれんぞ?」
父からは言下に否定されたこの策を、俺はまだ『悪くない考えじゃないのか?』と諦められずにいた。であるので家臣達に何げなく話してみたところ、殆ど全員から否定されてしまった。いつも何をしたところで笑っている古左が今日はほんの少しだが本当に怒っているように見える。
「主家に取って代わろうとした津田京都所司代の元家臣、と言われるようになっては売れるものとて売れませぬ。なあ?」
「そうですとも。丸山城にて大活躍をした大木弥介と呼ばれる故、今の拙者は京娘にモテるのですぞ。あの戦が、織田家転覆を謀るものであったのかと言われるようになっては、女子達に嫌われてしまうではないですか」
「そうなっては慶次郎も浮かばれませんな」
古左に弥介、加えて蔵人にも否定されてしまった。その横で、串に刺したヤマメをクルリとひっくり返している助右ヱ門が小さく頷いた。
「いやいや、そのように大袈裟なものには成り得ぬ。勘九郎と口裏を合わせて行うだけであるのだ。数年でほとぼりも冷めるであろうし」
きまりが悪くなり、石突きを取って笠を下にし、網の上で焼いていた椎茸に醤油を垂らす。焼けた椎茸から水分が抜け、旨味が凝縮し、そこから焦げた醤油の香りが漂う。うむ。旨そうだ。状況は不味いが。
「分かっておりませんなぁ」
とその時、右近から笑われ、そして言われた。右近の手はポルトガル宣教師が伝え、俺が少々高額を出して買ったトウキビなる食べ物を焼く作業を行っている。手から肘くらいまでの長さの食い物で、芯を食うことは出来ずその周囲の黄色い粒粒を食う物であるそうだ。焼いて潰して、練り物のようにして食うことも出来るそうだが、そのまま焼いてしまい齧り付いても旨いとのことで取り敢えず何も付けず、そのまま焼いて食おうとしている。
「皆、殿が不利益を被るということに我慢がならぬだけでございますよ」
一応、名目上は俺の客将であり、高山友照殿の嫡男である右近だが、事実上俺の家臣同然になっている。友照殿もそれを喜んでいるようであったし、畿内を任される俺としては、重要な与力である高山家を労せず譜代衆に取り込めたことを喜ばしく思っている。
「このように、我らや我らの家族に対しても気遣いを忘れず、妻子をも招いて食事会を開いて下さる殿ですぞ。土産の品も厳選された素晴らしいものばかりでございまする。慶次郎殿をはじめとし、お亡くなりになられた家臣方々の葬儀も盛大に執り行い、遺族の者らも篤く遇しておられる。そのようなお優しい殿がどのような理由であれ不利益を、ましてや不名誉を押し付けられることなど我慢ならぬと、皆様そう言っておられるだけでございます」
焼けましたぞ、と、トウキビの根を掴んで持ち上げた右近が近づいてきた。俺は周囲の皆を見回し、視線で『そうなのか?』と問うた。皆それぞれに視線を逸らした。
「恥ずかしがりますな、武人というものは。良いではないですか、家臣を想う主と主を想う家臣、これは我ら切支丹が『愛』と呼ぶものに他なりませぬぞ」
微笑ましいものを眺めるような表情で右近が言う。その尻を、古左が蹴った。右近は尚も楽しそうに笑っている。トウキビを齧った。甘い。飯のおかずにはなりそうもないな。と思いつつ、だからといってこれを飯の代わりにするのも嫌だなとも思った。甘い芋で酒を造ると旨いと聞いた。トウキビ酒など造れないだろうか。或いは、この甘さを利用して新しい甘味とし、茶会の席で何らかの菓子として使うというのは無理だろうか。
「松永殿ですが、今のところ不審な点はございませぬ。殿に置かれましては御心配なきよう」
古左が、話を誤魔化すように言った。その辺りの話は既に書簡でしているので理解している。
「そうか……ありがとう」
「とんでもございませぬ。殿は来たる和議に向け全力を傾けて下されば宜しいのです」
似合いもしない真顔を作り、古左が重々しく頷いた。成程、この男は恥ずかしい時にこうやって真面目な話をするのか、今更だが一つ学んだ。
和議、事実上の降伏勧告は十一月十一日と決まった。その日までは、織田家紀伊進攻軍は一旦停止し、準備万端整えながら待っている。どうせ適当な理由を付けてごねようとするであろうから、織田家としては『決裂するのであれば寧ろその方が良いのだぞ』という態度を露わにすることとした。場所は本能寺。法華宗本門流の大本山で、法華宗に関係ない者らが和議の会談を行うというのがはたして良いことなのかは分からないが、俺が押し切った。表向きの理由は『関係勢力の本拠地などで行えば話し合いに不公平が出る。中立たる本能寺が適当』である。周囲の者は皆『遠出するのを億劫がりましたな』と言ってくる。仲介には兼ねてよりの約定通り公方様が首を突っ込み、それに対して俺は浄土真宗より教如を連れて行くと言い、これも認めさせた。
最早、寺社勢力について恐ろしいと思う相手はいない。紀伊や南大和の天然の要害を盾とする連中が攻撃に回った時いかに纏まりを欠くのかは既に天下が知るところであるし、それ以外の地域の寺社勢力は軒並み降伏した。彼らに対しての条件も、寺社領の没収と砦となり得る寺からの退去だ。織田家は石山本願寺を始め、実際に退去に従った者達に対してはキッチリ代替え地を与え、新しく寺の建立を認めてもいる。そして大坂城は対四国、対西国の為織田の兵が入った。森心月斎殿を中心とした父股肱の臣とその兵が入った事で大坂城は門徒全員退去を免れてもいる。石山本願寺との和合を見て、他宗派の信徒達も安心することが出来たようだ。
「おうおう帯刀よ、出来たぞ」
「ああ親父殿、手ずからの御料理、忝く存じます」
そうしてひとまず小難しい話を終えた丁度その時、親父殿が手に皿を抱え、そして後ろに多くの家臣達を引き連れて現れた。中川清秀殿や和田惟政殿、高山友照殿といった与力衆もおられる。皆今となっては五畿を統括する俺の部下となってしまった。言うまでも無く皆俺よりも年上だ。
「御三方も申し訳ござらぬ。早うお座りになり、食って下され」
中川清秀殿、和田惟政殿、高山友照殿の三人との距離は中々に測り辛い。皆昨日までは俺よりも上の立場にあったような人物だ。元々京周辺の領主らは父の事すら成り上がり者と下に見ている者が珍しくない。ましてやその庶長子風情など、と心の中で悪態をついていてもおかしくはないのだ。そのような者達に、上から高圧的に接するか、逆に丁寧に遇するかはかなり迷った。迷った末、俺は妻二人に相談した。ハルは『偉そうにしているのはタテ様っぽくないです』と言い、恭の手紙には『天下人にも浪人にも、差別なく輝くから月は美しい』と書かれていた。結果、俺はこの三人に対し、決して敬意を失することなく接することに決めた。
「和田殿、大振りの鮑を焼き、醤油を垂らしてカニ味噌をまぶしたものにござる。極上ですぞ。是非ご賞味あれ」
手紙や、或いは家臣達の話で、特に和田惟政殿は俺を見下すどころか、ここで知遇を得ておかなければお家断絶もあり得ると怯えていることが分かった。確かに、手柄が無い名族を取り潰すというようなことは、いかにも父がやりそうだ。壊滅した摂津三守護の一人である和田殿は摂津撤退後も京都の織田家に合力し戦いはしたものの、目ぼしい戦果はあげられなかった。戦死した残り二守護に対し、父は何らの手当てもしていない。
「忝うござる。所司代様の手ずから頂戴出来るとは光栄の極み」
前述の通り、今回は海の幸山の幸をふんだんに使ったもてなしの会である。同時に、南蛮渡来の海のものとも山のものともしれぬ食材も多くある。それらの調理は博学な親父殿に頼み、ハルや女房衆に動いて貰っている。親父殿はそういうことが好きであるから楽しんでやっているが、話を聞く限りの和田惟政殿は決してそういったことを積極的に行う人物ではない。それでも今回こうして親父殿が作った料理や荷物などを自ら運んでくれるなど、これ見よがしな程に『京都所司代』という職に対しての敬意を示してくれた。屈辱的な仕事であっても積極的に行い俺からの心証を良くしたいのだろう。相手がそういう態度で来てくれている以上は、こちらとしても相手を立てるのに吝かではない。
「いやいや、和田殿は父上と同じ弾正忠ではございませぬか、この帯刀とも、是非親子の如き昵懇の関係をと思っておりまする」
俺が言うと、和田殿が深々と頭を下げた。鮑を一口食べ、これは旨いですなあと声を上げたが、多分味など分からないだろう。本当に良い物を用意したのだけれど。
対三好や山陰山陽での戦の際には活躍を期待しておりますと言うと、和田殿はあからさまにホッとしていた。そのまま、高山友照殿に話を向ける。右近も隣にいることであるし、多少は話し易い。
「図書殿、貴殿のお力により摂津一国滞りなく治まってござる」
この人物は、右近の妹が和田殿の室であったり、その右近や和田殿に基督教を勧めたりと、横のつながりが強くそして仁君として畿内周辺で名を馳せている。
「いやとんでもござらぬ。石山本願寺が織田家に服したことで最早摂津の統治はかつて程困難なものではなくなり申した。これ即ち『帯刀問答』のお力によるものと心得ておりまする」
鷹揚な態度の高山殿には焼けたイワナを手渡し、南蛮で飲まれている葡萄酒を勧めた。和田殿にもどうぞと言い、土産にも用意してござると伝えた辺りで二人から離れる。
「瀬兵衛殿、お久しゅうござる」
現れてすぐ、古左と酒を飲み出し、勝手に楽しみ始めていた中川殿に話しかける。長椅子に座って飯を食っていた中川殿は、俺が近づくまで気が付いていなかった様子で、俺を見るとサッと立ち上がり、頭を下げて来た。
「こちらからご挨拶申し上げるべきところを、申し訳ござらん」
「粗忽者ですなあ義兄上は。ひゃひゃひゃ」
俺が近づいて来る時、あえて立ち位置を変え、中川殿が俺に気が付かないようにしていた古左が言う。中川殿は恥ずかしそうに俯き、もう一度頭を下げて来た。
「それは、旨いですか?」
如才ない行動が出来ない中川殿だが、俺はこの人物を嫌いではない。何と言うべきか、その不器用さを含めて『正義の人』という雰囲気を持つのだ。十兵衛殿もそれに近い雰囲気がある。尤も、十兵衛殿は不器用とは程遠い出来人であるが。
「旨いです。この魚が特に」
俺は中川殿が脇に置いた竹節を指差しながら言った。遠く蝦夷地から運ばれてきた鮭、それと椎茸や山菜を米と一緒に入れ、炊いたものだ。鮭の塩分と椎茸の旨味とが合わさって皆喜んでくれる。親父殿が思い付きで作ったものだが、誰に食わせても大喜びしてくれる。
「椎茸もお好きですかな?」
「椎茸嫌いの者などおりますまい」
軽くはにかみながら中川殿が言った。そうでもない。皆、めったに食べられない高級品だからと有難がって食べるが、妹の藤は臭いと言って食わない。正直に言うと、俺もそこまで好きではない。だが母上から引き継いだ栽培法を廃れさせるのも何であるし、誰に出しても喜ばれるし、何より高値で売れるしというところで栽培を続けている。
「でしたらこちらも。これ以上贅沢な椎茸の食い方はございますまい」
後ろ手に隠し持っていた焼き椎茸を取り出す。無骨な中川殿がおお、と感嘆の吐息を漏らした。
「うむ、でしたら拙者が毒見役を」
古左が手を伸ばしてきたので皿を引っ込めようとすると、それより先に中川殿が古左の手首を手刀で叩き落とした。刀を持っていたのならば手首が切断されていただろうことは疑いのない、見事な一撃であった。
「所司代様が儂如きにそのようなことをするか、馬鹿めが」
言って、中川殿が大ぶりの椎茸をむんずと掴み、そのまま口に運んだ。目を閉じ、“んふー”と、大きく鼻息を漏らす。恍惚とした表情だ。見ていて実に面白い。
「旨いですか?」
「津田家の子になりたいですな」
その一言を聞いてカッカと笑った。冗談を言うのですなと問うと、古左が冗談でなく本気で言うておられますと答えたので更に笑った。
「おうおう帯刀、挨拶はし終えたか?」
そうして皆に話を終えると、見計らったように親父殿が近づいてきた。実際見計らっていたのだろう。後ろにはハルがいる。古左の妻にして中川殿の妹であるおせん、弥介の妻など、女房衆は皆手伝いをしてくれている。
「さてさて、ここからが本当の毒見の時間ですな。まずは、何です? 随分と派手派手しい色合いの汁ですな。かぼちゃですかな?」
豊後国の大名である大友義鎮殿に、南蛮渡来の献上品として伝えられたというかぼちゃ。同地では既に栽培され、庶民にも食われているということで、輸入し、調理してもらうことにした。焼いたものは食っている。ホクホクとした食感の芋で、先程のトウキビ以上に甘かった。
「女子達には好評であったぞ。甘さを活かした吸い物よ」
黄色と、橙色の中間とでも呼ぶべきか、およそ日ノ本にある汁物には考えられぬ色合いの汁を、匙で掬って飲む。確かに甘い。焼くと甘みは増すと言うが、煮込んでも増すものなのだろうか。
「どうじゃ? 裏ごしし、砂糖と牛の乳を加えた。中々の出来であろう?」
「これを、麦飯と共に食らう想像が付きませぬなあ」
正直な感想を言うと、何でもかんでも飯と合わせようとするなたわけ、と叱られた。南蛮だか唐国だかの料理本にある作り方であるらしい。確かに女子は好きそうだ。ハルが羨ましそうにこちらを見ている。
「次はこれじゃな。泥抜きをせなんだせいか、生臭くとても食えたものではなくなってしまったのが惜しまれるが」
「生臭くてとても食えない出来であると予め言ってから食わせるのはいかがなものかと思いますが」
「気にするでないわ。とりあえず食うてみい。鯉の旨煮じゃ」
儂はいらんがな。と前置きをされ、出されたものは生意気にも見た目にはそれなりに食えそうな出来栄えだった。ハルは気の毒そうにこちらを見ていた。




