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信長の庶子  作者: 壬生一郎
津田所司代編
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第百四話・嘘と誠と

 室内に、笑い声が二つ響いていた。一つは公方様の。そうしてもう一つは、俺の笑い声だった。


 「流石征夷大将軍様ともなると、狂言がお得意でございますなあ」

 「この笑いを解することが出来るとは、京都所司代よ、お主も中々のものではないか」


 公方様の言葉を受け、俺は腹筋を使い全力の大声でげらげらと笑ってみせた。狂ったように笑う俺達を見て、藤賢殿が慄いて表情を硬くしている。さしもの信良殿も、これは様子が違うぞとばかりに、怪訝そうな表情を作っている。


 「いや、面白き一座建立となり申した。これ程の話であれば是非手紙とは言わず直接殿や勘九郎様にもお伝えいたしたいところでございます」


 「左様か、余も、所司代を相手にこれだけのウケが取れて自信を深めたぞ。家臣達にも同じ話をして聞かせるとしようか」

 「それは宜しゅうございますな。天下の狂言に、きっと幕臣方々も笑い転げましょうぞ。公方様には狂言の話を作る才もおありと余人は驚きましょう」


 俺は、公方様の言葉を全て『全く現実味の無い冗談』として扱う。大笑いし、自ら広め、誰もが知る笑い話としてしまえば、それを理由に俺を危険視する者も少しは減るだろう。


 公方様は、俺が笑い転げている様子を見て俺と同じか、或いはそれ以上に笑って見せた。この俺が織田家を捨てて公方様につくという話について一考すらせず笑って流したという事実は、公方様にとって大きな肩透かしである筈。だがその肩透かしについて落ち込んだ様子など微塵も見せていない。


 「何、巷で流れておる噂を繋ぎ合わせればこのような『冗談』になったということよ。残念ながら余に話作りの才はない。だがのう、噂を繋ぎ合わせたものであるから、この狂言には続きもあるのだ、所司代よ、聞いてもらえるか?」

 「是非に」


 顔に笑みを張り付かせたままの公方様は、俺の表情をまっすぐに見据えながら続けた。こちらも微笑みながら頷いて、先を促す。


 「そもそも余が何故参議を襲撃し、重傷を負わせることが出来たのか、参議程の身分の者であればその警備も尋常ではあるまい。参議の予定を細かく知っており、参議から厚く信頼されており、参議に死んで欲しい何者かの協力があった」

 「はっはっは、即ちそれが拙者であると」


 話の先を読み、言った。公方様は然りと頷き話を続ける。


 「余は所司代の協力を得て襲撃を決行した。今参議に死なれては或いは織田家全体が滅んでしまうやもしれぬ故、昏倒し、暫く寝込む程度、そして起き上がってよりの寿命が数年となる程度に」

 「随分と器用な襲撃者ですなあ」

 「即死させるほうがよっぽど容易かろうな」


 この時ばかりは俺も本当に呆れた。銃で頭部を狙撃し、数ヶ月寝込ませた後、数年で死ぬように仕向ける。出来る者がいるとすればそれは射撃の名手ではなく妖術使いだ。


 先程の公方様が仰せになった言葉。自分が黒幕であると言い、そしてそれを嘘だと翻した。これについて俺は両方とも信じてはいない。つまりは参考にしていない。個人的には、父上の襲撃に公方様は加担していないと思っている。理由は、父上が倒れた結果公方様は何一つ得ておらず、それどころか多くの幕臣を失いその影響力を格段に落としているからだ。もし黒幕が公方様であるというのならば父が倒れたと同時に反織田の旗頭となって織田家を討伐すべきであったと考えるのは不自然な思考ではないだろう。


 一方で、公方様黒幕説を完全に否定し切ることも出来ない。ともあれ父さえいなければと考えて動いた結果、予想外の展開を見せ結果として貧乏籤を引いたということも十分に考えられる。先の展開などそう簡単に見通せるものではないのだ。


 「余が参議を滅しようとした動機は、参議が余の事を蔑ろにしたから、であるとのことじゃ。余と参議はこれほどまでに密接であり、今こうして所司代とも知遇を深めておるというに、誠噂などというものは不確かなものよのぉ~」

 語尾を長く伸ばし、公方様が俺の顔を覗き込んでくる。誠その通りにございますると答えると、満足げに頷いた公方様が更に続けた。


 「所司代、そなたが余に加担した理由についても語られておるぞ。これも噴飯物でのう、こともあろうに参議と、そして弟達との不仲が原因であるそうじゃ」

 はは、と、乾いた笑いを漏らした。ふふふ、と、公方様がどこか禍々しさすら感じられる顔で笑う。


 「初陣の頃より金ヶ崎や宇佐山といった危険な戦場に送られ、体よく戦死させられようとしていた。文武に優れる所司代はその度に功を立てていたのにも関わらず得られた領地は伊賀一国のみ。嫡男勘九郎には織田の本領たる尾張と美濃が与えられ、敗戦を繰り返していた三介にも伊勢志摩が与えられ、その領土は五十万石にもなる。扱いの差に対する不満が爆発し、父親の暗殺に及んだ」


 茶を啜った。室内温度は高くはないが低くもない。快適と言えるだろう。だが、黙っている二人はそれぞれ汗をかき、音もなく額や頬を拭っている。


 「所司代が元々そのように不満を持っていたことを知っていた勘九郎は先の大戦において援軍を派遣せず、弟二人に伊賀奪還を表向き命じた。三介も三七郎も所司代さえいなければ己達の立身に繋がると敢えて消極的に戦闘を行った。戦後その事実を知った所司代は怒り、最早織田本家と津田所司代の勢力は手切れ寸前」

 「途中までは中々面白うござったが、特に最後が無理筋ですなあ」


 公方様が言い切ったのを受けて、俺はその話に駄目出しをした。突っ込みどころは沢山あるが、最も大きな点としては、現実に俺が京都所司代と、畿内の統治を任されているという事実であろう。俺は畿内を戦で切り取った訳ではなく、勘九郎の口添えもあって父から貰ったのだ。不仲で手切れ寸前の相手にこれほどの大盤振る舞いをする理由を説明出来る者はいないだろう。


 「ほほほほ、まあそう言うてやるな。所詮は口さがない者らの妄言よ。逆に事実に即した筋の通る話であったのならば気味が悪かろう」

 「仰せの通りですな」

 「故に、嘘じゃ、ということであるの?」


 頷き、漸く話が終ったかと思う。同時に、何故公方様はこのような益体もなく、寧ろご自身が危険視されるばかりの話を俺にしたのかと考えていると、今度は質問をされた。どういう意味か掴めず何がでしょうと答えると、先程の話がと言われた。


 「余が参議を疎み暗殺を企てたというのも、嘘じゃ。参議が所司代を危険視し、厳しい戦場に送り込んで戦死させようとしていた、これも嘘じゃ。勘九郎がそなたを見殺しにした。これも嘘じゃ。三介と三七郎が見殺しに加担した。これも嘘じゃ。そして、それらの仕打ちを受けた所司代が余と結び、織田家を乗っ取ろうとしておる。それも又」



 嘘じゃな?



 そう聞かれ、にっこりと笑われた時、再び背筋が冷えた。だが、今度は同時に腹の奥が熱を帯びるのも感じた。ずっと感じていた気味の悪さがフッと消え去った。公方様の狙いが読めた。これは、単純な内応策だ。敵方の信頼関係を崩し、味方に付けようとしている。切り崩されようとしているのが、俺だ。


 公方義昭公はこれまで、実に多種多様な勢力と結んで来た。織田家は言うまでもなく、かつては浅井朝倉に六角家など。時には仇敵三好と結び、寺社勢力や公家とも誼を通じて生き延びて来たその手腕は既に天下に有数、或いは天下一かもしれない。現在は武田に毛利に上杉にと遠方の大名とも書簡をやり取りしているようである。だが最早、織田家に対抗しうる勢力の数が無い。そこで新しく結べる勢力を探し、俺が、京都所司代としての津田家がその目に留まったということだ。


 実際問題、俺が公方様と手を組み、天下を獲れる可能性が全くないのかといえば、多少はある気がする。公方様と結んで水面下で動き、父の死後に武田や石山本願寺勢力と協力して勘九郎を挟み撃ちにする。俺が兵を率い、公方様が得意の手紙攻勢で外交交渉を纏める。実際に行動に移したならば案外即座に俺が敗死するかもしれないし逆の結果になるかもしれない。荒唐無稽な話とは思わない。その辺のことを全て理解した上で、公方様は俺の武士としての野心に囁きかけている『庶長子のままでいいのか? 天下が欲しくないのか?』 と。


 欲しいか欲しくないかで言えば、天下は欲しい。この時代に男として生まれ、まして大名家の男子として兵を率いる身であるのだ。己の天下を夢見たことが無いと言ったならばそれこそ嘘くさい話であろう。その為に命を賭して戦うこともやぶさかではない。ただし、それが身内でなければの話だ。


 天下の覇を争う相手が例えば武田辺りで、全てをかけて決戦に及ぶというのであれば俺とて全身全霊を懸けられる。だが公方様の誘いはそうではない。俺は『織田家の天下』を『己の天下』と見定めることが出来る程度には織田家という旗の下にいる事を誇らしく思っている。故に。


 「例えば、某が公方様と結び、首尾良く父を、そして弟達を討伐し織田家の領地を全て手に入れたと致しまする」

 俺の言う例えばを聞き、初めて公方様の表情から仮面が剥がれた。やはり、公方様の狙いは織田家から俺を引き剥がすことだ。


 「その後、我らはどうなるのでしょうな?」

 その、公方様の狙いに水を差す為、俺は疑問を呈した。今度は公方様が、俺の言葉の意味を捉えかねて小首を傾げた。


 「今某が申しあげた話が成し遂げられたとするのならば、この京都所司代津田帯刀めは、己の野心が為にならば父親も弟も切り捨てることが出来る梟雄にございます。そのような者を公方様は御信頼なさいますでしょうか?」


 笑顔を崩さず、俺が何を言ってもその緩やかな口調を途切れさせなかった公方様が、初めて口籠った。そのままほんの一呼吸か二呼吸も待てばこの口が上手い公方様の事だ、それらしい答えを述べるのであろう。当然それはさせない。


 「又、親兄弟をその手にかけるを何とも思わぬ鬼畜が如き某であるのならば、公方様を弑し奉る事について何ら躊躇はしないでしょう。赤松に三好、既に家臣に弑された将軍の例はございます」

 「いや、所司代よ」

 「結局」


 何かそれらしい理路を思いついたのか、俺に対して言い返そうとしていた公方様を、更に制する形で俺は話を進めた。


 「今の情勢において某が己の天下を得ようとするのならば、親殺しに弟殺し、将軍殺しに主殺しと、乱世とはいえど天下の非難を避けられぬ程の悪行に手を染めねばならぬということにございます。残念ながら、某にそこまでのものを背負う覚悟はございませぬな」


 つまり『あり得ぬ』と、そう伝えた。確実に伝わっていることだろう。初めて、公方様の表情から、目から、笑いが消えた。成程、そういうお顔立ちであらせられるのか。先程までよりも余程好感が持てる。


 「得るものが多き会話にございました。ありがとうございまする」

 そう言って、俺は頭を下げた。嘘ではない。今後勘九郎とも話し合わなければならない話を今日公方様と出来た。今後勘九郎とどう接するべきかを纏めることが出来た。そして、公方様の狙いを知ることも出来た。


 最早話すこともあるまいと、席主たる信良殿を見る。何を話していたのか、恐らく理解出来ない部分も多かったであろう。


 「鬼にでもならねば、天下など取れぬものなのかもしれんのう」

 暇乞いをするか、あるいは解散か、そう思った時公方様が先程までとは少々異なった声を出した。先程までのように明るくはなく、高貴さが損なわれたある意味人間らしい声だ。


 「参議は、家族思いであるとは聞いたがかつて家督を得る為に弟を殺したそうであるな。鎌倉幕府の祖、右大将様も弟君の九郎判官様を切り捨てた。我が室町幕府の初代様も、主君たる後醍醐の帝と戦った。皆鬼の所業を幾つも行っておるが、その結果天下は収まった」


 ふうー、と、公方様が長い溜息を吐いた。そうして、そういえば、と何かを思い出したかのように口を開く。


 「余の主導で、紀伊の寺社勢力と和議を結ばんと動いておる。この度話し合いの場を設けることが決まった」


 その情報は掴んでいた。父に断りなく勝手に動いたことは、幕府と織田家の手切れが近いことを示す良い証拠であると見做されていた。


 「参議の許可が下りたならばで良い。その会合に、所司代も出席しては貰えぬか?」

 「拙者が代表になったとしても、殿が代表になったとしても、織田家の結論は変わりませぬ。先に言った通りの条件を飲めねば、即座に全山焼き討ち。既に織田家の準備は整っておりまする」


 釘を刺すように言うと、分かっておると返された。


 「織田家の人間の前で、その中でも賢人と称される所司代の前で、己らの理を述べることが出来れば、連中も少しは立つ瀬があろうと思うての事よ」


 公方様が言う。左様ですか、と、俺は返した。それで会話は途切れた。最早公方様は俺に何か仕掛けてくることなく、その日は解散となった。

 



 「天下を諦めさせることが出来た。ということなのでしょうか?」

 翌日、俺は村井の親父殿に前日会った公方様との会話を事細かに伝えた。


 「何とも言い切れぬな。あの公方様が天下への野心をそう簡単に捨て去るとは思えぬし、最後の策に敗れ、屈服するを示したように見えなくもない。途中の、公方様の狙いについては帯刀の読み通りであろうな。聞く限り、最早公方様に後ろは無し。形振り構わずお主に会い、そして取り込もうとしたのであろう」


 親父殿のお墨付きに、俺はほっと胸を撫で下ろした。それに対しての俺の対応も間違っていないと言われた。将軍家と結ぶことは無いと言い切った事、織田家を捨てることも無いと言い切った事については褒められた。


 「昔から感受性が強過ぎる点は変わらぬな。すぐに心を揺さぶられる。お主の美徳ではあるが、腹芸には向いておらぬ」


 敵に対しての対応が馬鹿正直すぎるという小言も頂戴し、ともかく、寺社との和議、ないしは降伏を求める会談の日までに何をすべきかを考えた。俺が公方様に呼ばれたという内容だけは既に手紙を送って知らせてある。どう動くべきかは殿と勘九郎様のご存念に従う。という一文も加えてある。


 「殿、そして勘九郎様には儂に話したのと同じ内容を全てお伝えすべきであろう。痛くも痒くもない腹であるのだ。探られるよりも前に全てさらけ出しておけ」


 言われ、頷いた。かなり長い手紙となってしまうが是非もなし。俺達の考えはともかくとして畿内にて百五十万石の差配が出来る人間が常に危険性を孕んでいるということは事実である。神経質すぎると言われるくらいに気を付けておくべきである。


 「天下が漸く纏まりつつあるのだ。織田家がすべきことは革新的な何かではなく、取りこぼしなく、詰め将棋を終わらせることよ。大駒となったお主こそ、油断してはならぬ」


 親父殿の言葉に頷き、天下統一への意思を新たにした翌日、俺は父に呼び出され安土へと向かう。


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