第百一話・俗説、津田畿内
「おうおう、畿内所司代様、来られたか。この翁、畿内所司代様が来られる時を心待ちにしておりましたぞ。畿内所司代様におかれましては」
「戯れ事はそこまでにしておいてください。親父殿」
この日ノ本に畿内所司代などという役職はない。俺が置かれた立場を見て、誰がともなく言い始めた街談巷説の類だ。
「五畿に伊賀、いやいや剛毅なことよ。今死んでも思い残すことはそれほどないのう」
以前より、幾分か視線が遠くなった親父殿が言う。かつては俺の方が低かった。いつの間にか追いついて逆転し、今では差が開く一方だ。俺の背はそろそろ伸び止まったのだろうか。
「少しでもあるのなら生きて下さい。親父殿には今まで以上に仕事をして頂きますぞ」
次の世代の織田家にとって俺が担う役割は信広義父上と直政伯父上、そしてこの親父殿がしていたことを全て足した程度の事であると周囲から目されている。だがそれらを真正直にこなそうとしていては幾ら体が合っても足りず過労で死んでしまうので、差し当たっては出来るところは人任せだ。腕に手傷を負ったと言っている村井の親父殿だが、既に腕に巻いた包帯も取れかけで、食事をするのにも支障はないそうだ。字を書くのが少々億劫だというが、それならば祐筆をこれまでの三倍雇えば良いと、字の読み書きが出来る者らを迎え入れた。下間頼亮、即ち下間頼廉が息子宗巴などもその内の一人だ。法名は明芸ということであるので、以降明芸と名乗る。
大和には古左に長益叔父上、そして彦五郎を送り込んだ。彦五郎はこの程右近助と名乗りを変え、以降高山右近という呼び名が広く人口に膾炙してゆく。右近のみならずこの三人はこれよりそれぞれがそれぞれに当代有数の数寄者として名を馳せてゆくのだが、この三人を揃って同じ土地に送り付けた事には勿論理由がある。当代有数の三人を超える当代随一の数寄者、松永弾正少弼の見張りだ。
松永久秀の危険性、それは勿論誰もが分かっている。唯一分かっていないのは父だろうか。父は、松永久秀という人物が危険人物だと理解はしているものの、いつでも潰すことが出来るとも思っているのでさほどの警戒をしていない。だが俺の如き凡人からしてみれば彼の者は十分に巨人だ。この度何の因果か自分が上役になってしまったことで今まで以上にそれがよく分かった。
弾正少弼殿を政から締め出すということは、俺には結局出来なかった。遊ばせておくには余りにも有能過ぎるのだ。此度大した武功はなかったこと、同時に、これまでの内政外交においての手柄、両方を加味して五万石与え、その周囲に三名を張り付かせた。名目上の大将は長益叔父上。実質上の大将は弾正少弼。上役に俺だ。
元々大和は与力の国人衆が多く、筒井家が治めていた時ですら直轄領は大和五十万石の内十八万石余りだった。地縁のある弾正少弼に一部領地を与え、大和の切り盛りをさせるのが良い。張り付かせている三人は趣味の面で馬が合う。一緒にいさせて金の動きや物の動きを逐一報告させる。弾正少弼殿が金をちょろまかし、それで物を買っている、贅沢をしている、というのならば無視する。大和の経済活性にも繋がるし、焼き物などの技術向上が図れる可能性もあるからだ。だがもし武器弾薬の類を織田家に無断で溜め込んでいるということが分かれば改易にする。場合によっては直接攻め滅ぼす。
摂津衆は、摂津三守護のうち二人が戦死し、和田惟政殿も敗走した。右近の父、高山友照殿、古左の義兄中川清秀殿らが摂津衆として武功を上げたのは非常に都合が良かった。彼ら地元の豪族衆を重用し、統治に充てた。
この摂津と山城、更に近淡海西岸の南部辺りまでの兵を十兵衛殿が纏め、丹波攻めの中心として動いて貰う。丹波においてめぼしい敵といえば波多野秀治。彼を服属させることが出来れば話も早いだろう。それ以外には『赤鬼』赤井直正『青鬼』籾井教業などが名高い。
若狭と近淡海の北西部、それに越前敦賀郡を併せた領地はほぼ丸ごと惟住五郎左殿に一任されており、丹後についても切り取り次第と言われている。父から親友とも兄弟とも呼ばれる五郎左殿の信頼の程が分かろうというものだ。彼は、信広義父上の長女、即ち恭の姉を娶ってもおり、俺にとっても義兄である。長らく子に恵まれていなかったのだが、一昨年嫡男鍋丸が誕生し、父を喜ばせた。父と誕生日が一日違いだったとのことで、父は喜びのあまり幼名を付けてやり、翌年産まれた五女、報を嫁にやるという約束もしていた。変な名前を付けられてしまった事には同情するが二代続けての婚姻は惟住家にとって喜ばしいことであろう。
河内と和泉、この二ヶ国の国割り、城割りが最も苦労した。ここは直政伯父上が城割りや国人衆の統治を進めており、成り上がり者の多い織田家の中でも更に成り上がり度の高い原田家が懸命に収めようとしてきた土地であったからだ。父としては、直政伯父上のみならず、原田一族に経験を積ませる場としていたようだ。弾正少弼殿のような伝手もなく、十兵衛殿のような教養もなく、羽柴殿のような才覚もない。だが、愚直で父に忠実な原田一族を、ゆくゆくは関東や九州にでも送ることを考えていたのでは、というのは俺の想像である。だが、その一族は忠実さゆえに敗戦の際殿を務め、そして多くが死亡した。河内も和泉も空白地帯だ。南部からは今も佐久間軍が紀伊攻めを行っているし、伊勢方面からは彦右衛門殿が攻撃を加えている。九鬼水軍も、間もなく訪れる四国攻め準備運動とばかりに頻りに紀伊南部を襲っている。勿論大和からも兵は出ているので、紀州征伐は最早秒読み段階だ。
数少ない原田一族の生き残りに喜三郎殿がいる。俺の二つ年下の従兄弟で、直政伯父上の嫡男だ。原田安友を名乗り原田家の名跡を継ぐ位置にあるが、大敗の責任を原田家の誰かがとらねばならないと自ら頭を丸め、蟄居謹慎している。他に、一族の男子で今年七つになる長八なる子もいるが、いずれにせよ原田家が自力で復活するのは難しい。
畿内五ヶ国の中で、俺が取り急ぎ立て直しを図らなければならないのは河内と和泉。堺の会合衆や地縁の強い国人衆らと話をしつつ体制を立てなおす。いずれ、羽柴殿が四国攻略の方面軍団長としてやって来る。名目上の大将は三七郎だが、軍の総指揮は羽柴殿だ。
「これより、名乗りは何とするつもりだ?」
「問題はそれですね。復姓すべきかを考えたのですが」
村井であると家臣筋であることが明らか過ぎる。原田は良い姓であるが惟任や惟住には及ばない。北畠や一条に及ばないのは言うまでもないことだ。やはり一門衆として織田に戻すべきであるとも思うのだが、又家督争いがどうとか言われるのは面倒くさい。
「徳川殿に倣うのが良いのではないか?」
「徳川殿ですか?」
正式な文章では織田を、そうでなければ村井を使い分け、伊賀守辺りを名乗りに使うべきかと考えていると、親父殿から提案された。
「津田を使うがよい。お主は三郎五郎様の名跡を継ぐ者でもあるのだ。徳川殿が一族に対して松平を使わせるように、最も織田本家に近きお主が津田を使えばよい。周囲はお主を織田家の棟梁候補とは見ず、一門衆筆頭と見るようになろう」
「成程、津田伊賀守ですか。悪くありませんね」
納得して頷くと、何を言っておる、と親父殿が笑った。
「お主程の大領の持ち主が伊賀などという小さな土地の国守を名乗って何とする。他に相応しきがあろうが」
「拙者、文章博士という名は些か気恥ずかしく」
「違う」
「では京都所司代ですか? 京都所司代はまだ暫く親父殿にお任せしておきたいと思っておりますが」
「違う、畿内所司代があろう。そう名乗れ」
「又無茶なことを、地方の大名が勝手にどこそこの守を名乗るのとは訳が違いますぞ」
「あらあら、お二人とも如何なさったのです。タテ様もご老公様も、立ち話などなさっていないで早く部屋にお入りになられて下さいまし」
再会して即座に、屋敷の前で話し込んでしまっていた俺達を、中から現れたハルが迎えた。ハルの言葉に、親父殿がムッとした表情を作る。
「ご老公ではないわたわけ」
「それならタテ様がいらっしゃらない間も元気を出して下さいな。全身大怪我をなさったタテ様がこうして元気にお屋敷までやって来て下さったというのに、腕にかすり傷を負っただけのお人が塞ぎこんでいるのを見ていたくはないですよ」
屋敷の中から現れ、親父殿を相手にあっさりと丸め込んで見せたハル。相変わらずふくよかで、見ているだけで温かくなりそうな見た目をしている。器量良しと褒められている姿を見たことは無いが、笑顔が快活で暗いところが無い。
「さあさあ、少し寒くなって来ましたからね、温かいお鍋にいたしましたよ。若狭の惟住様から届けられた魚介をお塩と昆布とかつお節で煮込みました。こうした単純なお料理が結局一番美味しいですからね」
言いながら、屋敷の前で談笑していた俺達を押し込むハル。最初に親父殿を進ませ、それから俺の背中を押した。
「押されなくとも進めるぞ」
押されて進みながらそう言うと、不意にハルが手で押すのではなく顔から胸元までを俺の背中に押し付けるようにして、しがみ付いてきた。
「……そなたにも心配をかけたな」
「本当ですよ」
そうやって迎え入れられた村井邸は普段通り暖かかった。
「最大の敵は、どの大名でもなく公方様になったのかもしれんな」
一刻ほど後、鍋をあらかた食い終えた俺は、親父殿と共に生臭い話をしていた。
「宗教心というものも、手強い敵でありましたが、権威というものもまた、手強いものでありますね」
俺は魚介の旨味がたっぷりとしみ出した鍋の湯に一摘まみの山椒をふりかけ、啜る。濃厚芳醇な出汁とは口の中で雄弁に語るというが、正にその通りで、先程食べた魚介が一塊になって喉をすり抜けていった。
「摂津三守護の壊滅に三淵藤英殿の戦死、更に、公方様に忠実であった筒井順慶殿も死んだ。畿内の親幕府勢力は半壊したと言って良い。であるからこそ、今後公方様はなりふり構わず動くであろう。既に動きはある」
親父殿がそう言った時、おひつを持ってやって来たハルが、冷えた麦飯を鍋の中に放り込んだ。そのまま火にかけ、卵を三つばかり割って、溶いてから回すように流し込み、そうしてから蓋をする。そうやっている間、俺達の会話がしばし止まった。
「どうなさいました。どうぞ?」
戦の話にまるで興味が無いハルは、そう言ってから俺達が空にした茶碗や食器を纏め、立ち上がる。どこまで話したかなと確認をして、公方様の話だと思い至る。
「我が手の者の動きによると、武田上杉毛利は勿論の事、丹波丹後播磨辺りにも手紙を出しているようです」
「うむ。既に情報収集においてお主には敵わぬな。公方様の動きが分かっておるのならばよいが、ゆめゆめ出し抜かれるようなことの無いようにな」
戦いがひと段落付き、これまで危ういところで均衡を保っていた父と公方様の関係は一気に冷え込んだ。戦時中、織田家とは別個に動き、勝手に勅命講和などをしようと画策していた公方様に対し、父が強権を発動。かつて父と公方様の間で取り決めが成された殿中掟書き九条に追加五条を書き、送りつけた。内容は以下の通りだ。
一つ。諸国の大名に御内書を出す必要があるときは、必ず信長に報告して、信長の書状も添えて出すこと。
一つ。これまで諸大名に出した命令は全て無効とし、改めて考えた上でその内容を定めること。
一つ。将軍家に対して忠節を尽くした者に恩賞・褒美をやりたくても、将軍には領地がないのだから、信長の領地の中から都合をつけるようにすること。
一つ。天下の政治は何事につけても信長に任せられたのだから、信長は誰かに従うことなく、将軍の上意を得る必要もなく、自身の判断で成敗を加えるべきである。
一つ。天下が泰平になったからには、宮中に関わる儀式などを滞りなく将軍に行って欲しい。
この五条はかつての九条とは比べ物にならない程重たい内容で、これを呑めというのは即ち織田家に従えということであった。己の生を残り三年と見定めた父上が、これまで以上に急いでいることが分かる言い分である。一条と二条でこれまでの義昭公のなさりようを否定するのと共に、織田家の力が足利家のそれに勝ることを認めさせている。三条については今更なことではあるが、これを公に認めてしまえば幕臣という言葉は織田直臣と同義になってしまうだろう。極めつけが四条で、最早将軍などより織田弾正忠が上なのだと、明確な主客の逆転が成されている。そして、最後の五条で今後の将軍がすべき仕事について書かれている。権威は認めるも権力はない、鎌倉幕府における皇族将軍が如き存在に成れということだ。
滅ぼすつもりはないが従うつもりもない。父らしい最後通告であったが、返事はその行動でもって伝えられた。即ち、御内書の濫発。これが父に露見しないと思う程公方足利義昭公は阿呆ではない。『やれるものならやってみろ』という意思表示だろう。そうやって腹を括った者はいつだって強い。
そうして、分かるものにだけ分かるように、父と公方様の仲は決裂した。公方様の答えを見て、次に行った父の行動は築城である。観音寺城跡地とほぼ同じ土地に、それ以上の豪壮たる天下の名城を作ると宣言し、その城の名を安土城と名付けた。
結局最後の最後まで京都に明確な御座所を定めなかった父が狙っていたのが何であったのか漸く分かった。美濃尾張にも近く、近淡海の水運があり、人口も多い。それでいて既存の都である京都や古都奈良とも違う新しき時代の中心となるべき城だ。観音寺城を攻めた際に既に構想があったのかもしれない。だが、南の甲賀郡や更に南の伊賀には敵がおり、北の浅井家も一時敵に回るなど近江の治世は必ずしも安定していなかった。だが、事ここに及び、築城の妨げになるものは既に無かろうと動員令を発した。かつて宇佐山城築城の際にも世話になった穴太衆や、降伏した雑賀、或いは石山本願寺の技術者などを集めて築城するそうだ。公方御構など比べ物にならない豪壮な城の建築に、最早天下は足利から織田に、と言い出す者が早くも表れている。
こうして、将軍家よりも織田家が上であることを天下に知らしめようとする父に対し、公方様は得意の外交交渉によって対抗している。即ち、停戦の交渉だ。相手は今もって抵抗を続けている紀伊と大和にいる寺社勢力達。織田家は彼らに寺社の聖域を認め、代わりに今後真言宗や大和三山は武力をもって抵抗しないと約束させる。それで良いだろうと、再び朝廷を動かして話を纏めようとしている。織田家の勢力範囲を少しでも削らんという意図が透けて見えている。天地神明にかけて約束する、などと言われたところで織田家には何も得るところが無い。
更に暗闘は続き、父は自分の官位を従三位参議とし、公卿となるべく動き出した。朝廷はこれを認め、父は間もなく公卿となる。更に父は間を置かず右近衛大将就任を狙っている。右近衛大将は常設武官の最高職で、源頼朝公がこの職を得て以降、武家の頂点として象徴的な官位である。公方様の官位は今もって近衛中将のままであり、これが成されれば父は官位において公方様を、足利将軍家を超えることとなる。これまでは公方様に遠慮してきたが、自分が本気を出せばこれくらいの事は造作もないのだと主張しているようであった。公方様も父によるこれらの動きを阻止することは出来ず、両者の溝は更に深まった。
ハルが戻って来て、鍋の蓋を取る。ふわりと湯気が立ち昇り、ハルが何も言わずに俺と親父殿の椀におじやをよそった。俺は熱々のそれを口にし、親父殿は少々冷ます為間を置く。
「出し抜かれるも何も、拙者今や公方様には協力者の一人として頼りにされておりますれば」
苦笑しながら答えた。そうであったなと親父殿も笑う。公方様はこの所織田家内部の切り崩しを図っており、俺に対しても、織田家の家督を条件に味方するようにと話をしてくる。
「これまで、幕臣の方々と話をすることも多かったですし、今なお、公方様には利用価値があるという立場でありますので、織田家の中での幕府穏健派だと目されておるのでしょう」
俺が言うと、親父殿がそうだなと頷く。頷いて、匙で掬いよく冷ましたおじやを口に含み、ゆっくりと噛んで飲み下してからひと言。
「されどどうする。最早先延ばしには出来ぬ」
俺の心を覗き込むかのような視線と言葉を受け、俺も又頷いた。その通りだ。玉虫色の回答が許される時は過ぎた。
「分かっております」
織田家と足利家、決着の時が近づいていた。
百話達成についてのお祝いコメントを沢山頂きました。皆さんありがとうございました。
百話を書くことが出来た達成感よりも、
百一話をこうしてお届け出来た達成感の方が、
ほんの一話分だけ、大きいように思います。
未熟な拙著ではございますが、これからも懸命に描いてゆきます。
ご愛顧のほどを、宜しくお願い致します。




