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メロンパンデミック

作者: 村崎羯諦

『さて、続いては今日の特集です。みなさま、メロンパンと呼ばれる食べ物はご存知でしょうか? 今このメロンパンが熱狂的とも言えるブームを巻き起こしているのです』

「あれ、こんな所にパン屋なんてあったっけ?」


 路地の奥で、男は足を止めた。以前は空き地だったはずの場所に、いつの間にか小さなパン屋が建っている。白い暖簾に、手書きの「メロンパン」の文字。違和感はあったが、理由は分からないまま、男は扉を押した。


 店内には甘い匂いが満ちていた。棚には同じ形のメロンパンが整然と並び、奥から店主が顔を出す。

「よく焼けてますね」と男が言うと、店主はうなずいた。


「前は会社員だったんですが、ある朝、急にパン屋になるんだっていう考えが生まれたんです。気がつけば私は辞表を書いていて、その日の午後にはもう会社を辞めていました」


 まさに天啓でした。店主が淡々と付け加える事男はメロンパンを一つ買い、理由もなくそれ以上の質問をしなかった。


 店を出ると、夕方の空気の中に、まだ甘い匂いが残っていた。歩き出して数歩、男はふと気づく。

自分の頭の中で、オーブンの前に立ち、生地を並べ、同じ形のメロンパンを焼いている自分の姿が思い浮かんでいることに。



 国際会議の場では、各国の代表が同じ資料を前に沈黙していた。


 ここ数か月、世界各地でパン屋を開業する人間が異常な増え方をしている。職業も年齢もばらばらで、共通点はほとんどない。ただ、扱っている商品がほぼ例外なくメロンパンである、という点を除けば。


 原因は不明だった。経済的な要因でも、文化的な流行でも説明がつかない。専門家の意見は食い違い、会議は結論を出せないまま停滞していた。


「みなさまお困りのようですね」


 突然聞こえてきた聞き慣れない言葉に各国の代表が顔を向ける。先ほどまでは誰もいなかったはずの場所に、見慣れない存在が立っていた。


 皆がその存在を見て困惑の表情を浮かべた。なぜならその存在は確かに人間と同じ形をしていた。しかし、その肌、服装全てがあまりにも異質であり、この地球上に存在するどの生き物にも似て似つかない存在だった。ご推察の通り、私はこの地球上に居住する生命体ではありません。その存在は各国の代表をぐるりと見渡しながら言った。


「初めまして。私、アプキュラメという惑星からやってきました。あなたたちの言葉を借りるのであれば、いわゆる宇宙人と呼ばれる存在です


 彼はそれから自分は、ビジネスのために地球のことを調査している調査員だと名乗った。長期間、宇宙人であることを隠した状態で地球に滞在していており、自分の惑星や他の惑星との交易の可能性について調査をしていたのだと説明した。


「そして、その調査の中で私はあなた方が発明した素晴らしい商品を見つけ出しました。まずはこちらをご覧ください」


 全く話についていけていない各国代表を尻目に、調査員は腕時計から光線を出し、壁に映像を映し出す。


『さて、続いては今日の特集です。みなさま、メロンパンと呼ばれる食べ物はご存知でしょうか? 今このメロンパンが熱狂的とも言えるブームを巻き起こしているのです』


 これは銀河ニュースと呼ばれる銀座全体に放送されているニュースです。調査員が補足する。それから彼は、調査の中で偶然メロンパンを知り、個人的な興味から自分の惑星に紹介したこと。すると予想以上の反応があり、銀河全体でブームになっているのだと説明を続けた。


「需要は、すでに供給を上回っています」


 そう前置きしたうえで、彼は提案を持ち出した。地球を生産拠点とし、メロンパンを継続的に輸出する契約を結びたい、そのために正式な交渉の場を設けたいと。


 地球側の代表は顔を見合わせ、すぐに空気が変わった。


 理由は単純だった。説明のつかないまま増え続けていたパン屋と、その扱いに困っていたメロンパン。その行き先がはっきりし、しかも継続的な需要があるという。渡りに船だった。会議は一転して前向きに進み、輸出を前提とした契約を進める方針が、その場で確認された。


「この商談はきっと、我々に大きな富をもたらすことでしょう。それでは正式に契約を結ぶため、私は母星へ一度帰り、報告を行なってきます」


 彼はそう告げ、現れた時と同じように突然姿を消した。


 宇宙人の訪問と国際的な問題のドラマチックな解決。議場の空気は興奮で温まり、ざわざわと騒がしくなる。皆が先ほどの出来事について語り合いたい。そう思っていた時だった。


 先ほどまで調査員がいた場所の空間が不自然に歪み始める。照明が一拍遅れて揺れ、次の瞬間、三つの影が同時に現れた。


「銀河公正取引委員会です」


 名乗りは簡潔だった。それだけで、場が一瞬で静まり返る。一体何が起きているのかわけがわからない。困惑する各国代表に対して彼らは、調査員と名乗る宇宙人から提示された取引に関して、確認と是正のために来訪したと告げた。


 調査官の説明は淡々としていた。


 先ほどの調査員が所属する商社は、多数の不適切商行為によりマークされているのだという。特に問題視されているのは、文明の発展段階が低い惑星に対し、思考を緩やかに誘導するウイルスを散布することで、自分たちに都合のいいように惑星をカスタマイズするという行動らしい。彼らがばら撒くウイルスに感染した住民は、自発的に特定の商品を生産したくなり、その行為に疑問を持たなくなる。結果として、惑星全体が単一の商品に特化し、大量生産体制が自然に構築される。


 それは強制ではない。命令も、支配の自覚もない。ただ、そうしたくなるように誘導するだけ。


「この惑星でのメロンパンの流行についてもおそらく彼らの仕業でしょう。文明の優位性を利用した取引は、公正とは認められません」


 公正取引委員会はそう断じた。それから彼らは被害を受けた、つまりは文明に対しては、保護と介入を行う方針であると説明した。


 各国代表がお互いに顔を見合わせる。確かに突然のメロンパンのブームは明らかに不自然ではあった。それが誰かの仕業であると考えると納得がいく。


 公正取引委員会は力強く頷き、具体策を提示する。提示されたのはワクチンだった。現在地球に拡散している思考誘導ウイルスに対するもので、効果は確実、副作用もなく、無償で提供できるという。


 接種すれば、人々は元の状態に戻る。パン屋になりたいという衝動は消え、世界は以前の姿を取り戻す。


 その説明を聞きながら、地球の代表団はすぐには反応しなかった。誰も声を上げなかったが、誰も否定もしなかった。その反応に今度は公正取引委員会の方が困惑した。こちらの申し出を断る理由など地球側にはないはずだと考えていたからだった。


「一応確認なんですが、元に戻るというのはパン屋が流行する以前の地球に戻るということでしょうか?」

「ええ、その認識であってます。あなたたちが思考の自由を取り戻せるということです」


 その答えに各国の代表が腕を組み、眉をひそめる。


 確かに、世界中でパン屋が増えたことは異常だった。だが、その結果として起きている嬉しい変化も、彼らは把握していた。


 犯罪は減り、戦争は止まり、街には甘い匂いが満ちている。人々は生地をこね、焼き上がりを待ち、同じ形のパンを並べることに集中していた。


 そして何より、先ほど提示された契約がもたらす富。彼らは先ほど提示された対価を思い浮かべる。それは、地球の金銭で換算すると、これまで地球上のどの産業も実現できなかったほどの規模のものだった。


「実は私、毎日美味しいメロンパンを食べられる今の生活が好きなんですよ」

「奇遇ですね。実は私もそうなんです」

「私なんて副業でメロンパンを焼いてますよ」


 各国代表がポツポツと発言し始める。ワクチンを受け取れば、そのすべては失われる。甘い香りも平和も富も。


 短い沈黙のあと、結論は驚くほど静かに下された。ワクチンの無償提供は辞退する。


「そうだ。せっかくですから各国にメロンパンの銅像を作りましょう。自由の女神のような大きなものを」

「地球の名前もいっそのことメロンパン星にするのなんてどうですかね?」

「義務教育の中にメロンパンを焼くカリキュラムを盛り込みましょう」


 各国代表がまるで子供にように目を輝かせ、議論を始める。会場の空気が一変し、前向きな高揚感が広がっていく。


 その光景を、公正取引委員会は黙って見ていた。彼らの端末には、簡潔な報告が入力される。


『当該惑星は、知能水準および文明的成熟度が低く、自由や構造的理解よりも即時的な安定と短期的利益を優先する傾向が顕著である。

 

 問題商社による不公正な誘導は是正対象とするが、是正を理解・選択できない文明の判断について、当委員会が保護責任を負うことはない』


 送信完了の表示が点灯する。


 公正取引委員会は端末を閉じ、最後に議場を一瞥した。メロンパンの未来について語り合う声が、遠くに聞こえていた。


「……考えが甘い生命体たちだ」


 誰に向けたとも知れない一言を残し、彼らは地球を後にするのだった。

『お次は本日の特集です。最近はメロンパンに代わり、イージーパフという新しい菓子が注目を集め始めています。銀河最先端の店舗ではメロンパンの売りスペースを狭め、この新しいお菓子を積極的に売り出しているようです』

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