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騎士は膝を折ると、恭しく頭を垂れる。
私は彼の前に立ち、軽く目を閉じて深呼吸をした。
室内は静寂に満ちている。
皆の期待がこもった視線が一身に注がれてるのを感じたけれど、それを意識しないようにしながら、私はデュラがしたように跪く騎士に向かって手をかざし、言葉を紡ぐ。
いや、正確には紡ごうとして口を開きかけ、そこで止まってしまった。
・・・あれ、何て言えばいいの?
ずらずらとデュラが長く聞き覚えの無い祝詞のような事を言っていた事を思い出し、焦ってデュラに顔を向けると、彼は小首を傾げて微笑した。
「私の口上は過去からの形式だからね、アオイが思うままに言ってみてはどうかな?」
何そのいってこい的なアドバイス。
どうしようかと私の前で跪く騎士へ視線を落とせば、彼も状況を察したのか上目遣いでこちらを伺っていた。
「・・・・・・」
ぱーチーム、スタートから先行き不安です。
この世界でいきなり芽生えたらしい使ったこともない不思議な力を、とりあえず使ってみろというこの状況、改めて思うけど一体何なんでしょうか。
指先で軽く頬をかき、それでもやるしかないかと諦めた。
だって、やらなきゃここから解放されないしっ!
心を決め騎士に向かって頷き、下ろしていた手を上げると、彼もまた軽く頷いてから目を伏せた。
力を貸してね、と器に目を向けたところで、ふと思い出す。
私は、この透明な器が黒く染まるのが嫌だという事。
黒い靄と向き合うのが怖いというのも勿論ある。むしろそれが大前提だけれど。
でも、さっき私が触れた時のように、この石は黒に染まるだけではなく、薔薇色にも染まる事が出来るのだ。透明に透き通った石がピンクに染まる様は本当に綺麗だった。
私のやりたいようにやっていいと言うのなら・・・
私は一歩、騎士に近付いた。
上げていた手で、そっと彼の頭に触れる。
意外に柔らかい髪質だなぁと思ったら、つい、ぽんぽんと子供をあやすように触ってしまった。
彼が驚き顔を上げたところに、膝をついて視線を合わせる。
「辛いことや嫌なことってたくさんあるよね。気持ちが弱くなって真っ黒に染まる事も。そんな時は・・・私がぱーっと飲みに付き合うから。助けてあげられるような事は滅多にないけど、話聞くくらいは出来るし、騒ぐのは得意だから」
疲れてるならマッサージもしてあげようか? まで続けたところで、いきなり首根っこを掴まれた。
く、苦しい、と顔を上げれば鬼の形相をした殿下の、怒りに濃くなった茶色の瞳に射抜かれる。
「何の茶番だ、それは」
「え、その好きにしていいって言われたのでつい思ったままに」
「誰が好きにしていいと言った。お前の力がどのようなものであるか判断するためにも、口上は好きに述べろという話だっただろう」
「え、あれ? そう言われると、今ので何処でどう私力使う事になるんでしょう?」
「知るかっ! とにかくもう一度だっ」
「・・・くっ」
すっとぼけた私の態度に殿下が声を荒げたところで、目の前の騎士が思わずといった感じに笑いをこぼした。
殿下の怒りに満ちた目と、驚く私の視線の先で、騎士は気まずそうに口元に手をあて、誤魔化そうとするように軽く咳払いをする。
失礼しました、と小声で呟いてから、改めて顔を上げた。
「申し訳ございません、殿下。もう一度と言われても此度の役、今の私では勤まらないでしょう」
「・・・何故だ?」
「集めの器は国民の憂いを晴らす神聖なる物。今の私にはそれが必要無いと言っても過言でありません」
そこで、騎士は私へと目を向けた。
軽く目を細め、口元に優しげな笑みを浮かべている。
「この娘の言動が、この場では不相応だったのは確かです。けれど、元より心の憂いを己の強さで律するのを常とする我ら騎士に、あのような面白・・・いえ、心に残る言葉を頂いてしまっては」
この人、途中で私の言葉面白いって言いそうになりましたよ!?
あの時は、結構真面目に話してたのに、面白いって・・・!
恥ずかしいやら悔しいやらで、赤くなる私の顔を騎士は笑みを更に深くして見つめ、言葉を続けた。
「私の憂いは晴れたも同じ。この娘の力は、どうか他の者でお確かめ下さい」
そんな優しげな目を向けられても、要は私の言葉で興がそがれたっていうのが本当のところだと感じて、何だか全然嬉しくない・・・と、眉間に皺をよせそう思った時。
ふわりといった感じで、騎士の周りに薄いオレンジ色の靄が現れた。
何だろ、と手を伸ばすと、触れた指先から私の心にほんわかと親しみが沸くような、温かな感覚が広がった。
その靄が揺らめいて私の手に集まるのを見た時、デュラが器に触れていたのを思い出す。
そこで私はあれを黒に染めるのは嫌だけれど、このオレンジ色に染まるのは見てもいいかも、そんな気持ちになり、立ち上がると器へと近付いた。
靄が流れて消えてしまうのではないかと、ドキドキしながら、そっと手を伸ばし器に触れる。
すると先程感じた体温を奪われるような感覚を私が感じると共に、石がオレンジ色の靄を吸い込み、淡い光を放った。
光の中に薄いオレンジを混ぜて溶かしたような温もりの感じるそれは、室内を淡い輝きと共に満たす。
私はなんだか石が喜んでいるような感覚を感じ、そっと石の側面を撫でた。
よしよし、良く出来ました。
そんな感じで二度ほど手を滑らせた後、視線を感じて意識を周囲に戻せば、うっと思わず引いた。
だって、先程の薔薇色事件から膝をついてこちらを伺っていた白莉殿に仕える方達は、もう恍惚とでもいわんばかりの陶酔した顔をしているし、騎士の二人も先程デュラに向けていたような、何か期待のこもった目をしている。
殿下までもが、先程の怒りなんてなかった事のように、満足した目でこちらを見ている。
そんな視線にはっきりいって慣れていない私はうろたえ、どうしようもなく逃げたい気持ちで一杯になりながら、デュラに顔を向けた。
今度こそ助けてちょーだいっ
焦る私の視線の先で、デュラはゆっくりとこちらへ近付くと、私の傍で立ち止まり、まだ淡い光の残照を残している器に触れた。
彼が触れると同時に、集めの器は元の透明な石像へと戻る。
「あなたの力は私と同じようであり異なるもののようだ。皆の心の闇、負の感情を集め器へと注ぐ役割の私と違い、あなたは人の心の正なる感情、喜び、慈しみ、愛情・・・それらを石へと注ぎ、それを周囲に満たす事が出来るのだと思う」
石の感触を確かめるように触れながらそう言ったデュラは、瞑目してほうっと溜息を漏らす。
真面目な雰囲気が辺りにも伝わったところ、大変申し訳ないのだけれど、私はというと・・・
・・・すいません、ぶっちゃけよくわかりません。
だって、何となくやっちゃった事に、そんな事言われたって自覚も何もないんだよ。
自分の許容範囲を越えた言葉に、愛想笑いを浮かべた私を、ふいにデュラが腕を引いて抱きしめてきた。
気の抜けていたところにいきなりの行動のため、抗う事も出来ずデュラの腕の中に閉じ込められてしまう。
く、苦しい・・・!
デュラの胸元に押し付けられた顔を何とか動かし、顔だけは自由になった事にほっと息をつけば、次に襲ってきたのはまたもや周囲の視線だ。
宮殿に仕える人の、大物カップル誕生!? と色めき立つような視線と、騎士の方々の虚をつかれたような好奇の視線。
殿下は腕を組み、含みのある視線を向けてくるがその口角は意地悪く上がっている。
皆の視線に晒され、抱きしめられた腕が強くて苦しいやら、恥ずかしいやら真っ赤になった私は、早鐘のように鳴る心臓のせいで言い訳も出来ずに口をぱくぱくさせた。
いやいやいや、誤解の無いように言っておきたいんだけど、私とデュラ、何もないからね!?
そう言いたいのに、口から声が思うように出てくれない。
どうしよう、この状況・・・!
そう思った直後、本当、小さな声でデュラが何かを呟いた。
「・・・・・・た」
言葉よりも、彼の熱のこもった吐息が耳にかかったくすぐったさの方が印象的で、何も考えられなくなった私は更に焦って身体を動かす。
けれど、デュラは勿論逃がさんとばかりに、更に力を込めてきて・・・
誰でもいいからこの状況何とかしてーっと助けを求めた、その時。
「デュラルース、いい加減に」
「兄上っ!」
そんな声と同時に、室内の扉が大きく開け放たれた。
そこから現れたのは、走ってきたのか髪が少し乱れたレィニアスさんと、カイル、扉に手をかけているのはミハにアレン。
見慣れたメンバーに安堵する。
昨日ぶりというか何ていうか、何でこんな間の悪いときにばかり現れるんだと、羞恥で混乱していた頭がすっと冷静に戻った時、扉を開けた直後は至極真面目な顔をしていたカイルが、ぽかんとした顔をした後に、にやりと笑った。
「神聖なる器の前で、愛でも誓ったところか?」
「誓ってないっ!」
言うなり、だんっと力を込めてデュラの足を踏んだ。




