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ユーグは本当真っ直ぐに生きてきた少年だと思う。
「あのね、ユーグ。落ち着いて聞いて」
口元を押さえつける私の手の先で、ユーグの表情は驚きから動揺へと変化していった。
彼の少しだけ垂れた目がこれでもかと見開かれたかと思うと、私の手から逃れようと顔を反らす。
反射的に、それを追いかけて押さえ込んだ私の手の平に、もごもごと抗議の声を上げようとするユーグの唇を感じた。
それがくすぐったくて、思わず口元を弛めた私に気付いて、ユーグはむっと眉を寄せた。
だってこれはしょうがないじゃないか。
「ごめんごめん・・・ってなんかユーグと話すと、私いつも謝ってばかりいるよね」
苦笑すると、ユーグもまた諦めた様に後ろでに手をついて座りなおし、大人しくなった。
そっと手を離すと、はあっと大きく息を吐き出す。
その頬に赤味がさしてることは流石に気付かないフリをしてあげよう。
なんだかユーグのおかげで自分の焦りがどっかいっちゃった。
自分より焦ったり混乱したりしてる人の姿をみると、自分の方はすっと冷めちゃうあの感じ。
今なら落ち着いて話せそう。
「それで、レィニアスさんの事なんだけど、ユーグが考えたような事は本当にないから。でも、ちょっと・・・うーん、かなり? 最近迷惑かけてるんだよね。そこはほら、私のこの常識はずれなとことかで想像できない?」
「それは確かに」
「思い切り納得されてもムカつくんだけどね」
「すみません・・・」
「謝らないの!・・・とにかく、会いたくないなぁと思ってたところに本人登場なうえ、私を探してるっていうからこれはもうお説教か何かかと思わず隠れちゃったってわけ」
所々をぼやかし掻い摘んだ話ではあるけれど、でもその通りなんだよね。
会いたくないなぁと思ったから隠れた、本当そのまま。
お説教うんぬんに関してはうそでしかないけれど、まあ、そこは許してもらおう。
本当のことを言ったら、ユーグがどうなるか考えたら怖くて言えないってのもあったりする。
「でも、ユーグがあんなに落ち込む姿見ちゃったら、私の我侭でこのまま逃げるなんて本当いけないっていうか、うん、反省したよ。私の事でユーグにこれ以上迷惑かけちゃダメだって」
すらすらと言葉を並べ立てる私を、真意を確かめるようにユーグが見つめてくる。
片膝をたてて座り込むユーグの姿は、いつもの背筋をぴしっと伸ばして掃除に励む彼より、ずっと年相応に見えた。
だからこそ、本気で反省しなければならない。
8歳も年下のユーグを不安にさせたり落ち込ませたり、どんだけ情けないの私!
友達には絶対言えないわ。
「というわけでっ今から殿下のとこ行ってくるよ」
レィニアスさん達の方が先に私の部屋に着いちゃうのはしょうがないけど、私がこの宮殿関係に不慣れなのは確かだし、道に迷ってたとでもいえば大丈夫のはず。
勢いよく立ち上がると、座り込んでいたユーグも慌てて立ち上がった。
「大丈夫なんですか?」
「それはさすがにわかんないけど、まあ大丈夫でしょ」
実際は怒られるわけじゃないし、ていうか、何で私を彼一人じゃなくて近衛と呼んでいいのかわからない人達と一緒に探してたのかは、ちょっと気になるけれど。
まあ、王子様が一人で宮殿内うろうろする方がおかしいのかな? なんてこの世界の常識がわからないぶん、能天気に考えて、何とかなるだろうって思ったりする。
そういえば前、私の部屋に来た時も、外に人が控えてたよね。
うんうんと一人で納得していると、ユーグが困ったように眉根を寄せた。
「大丈夫だよ、それに今度は何かあっても仕事にサボらず戻ってくるから」
「それは当然です」
う、ぐさっとささったよ、今。
「もうっとにかく、急がないとすれ違っちゃうかもしれないし、行ってくるよ!」
ぽんっとユーグの肩を叩いて、この勢いのまま駆け出そうとした。
その時。
「わっ」
ぐっとユーグに腕をとられた。
急なことに体勢を崩してしまい、たたらを踏んでユーグの肩のあたりにぶつかってしまった。
「え、何びっくりした」
「・・・アオイさんにとって僕は何なんですか?」
「へ?」
「友達って言いながら、僕には何も話してくれませんよね? 一緒に働くことになってから、僕なりにあなたの力になれたらって思ってましたけど、いつも僕には大丈夫ってそればかりで何もっ! あなたの言う友達って何ですか? 僕はそんなにっ」
ユーグの堰を切られた激情に驚き、瞬きも忘れて彼を見つめていた私の視線に耐えられなかったのか、彼はぐっと言葉を詰まらせると眉をしかめて顔をそらした。
その彼の耳が、かーっと音をたてるように赤くなっていく。
うわーうわーうわー、なんだこの可愛いのは・・・!
「えと、ユーグ」
声をかけると、ぴくりと彼の体が反応する。
その振動が捕まれた腕から伝わり、視線をそこに下げると彼が慌ててその手を離した。
それを今度は私が捕まえて、ぎゅっと握ると、びっくりしたように目を瞬かせて、自分を捕まえた手をユーグは見つめた。
今ユーグが言った事はたぶん、言うつもりのなかった胸の内だと思う。
相手に対してどう思ってるか、自分が相手からどう望まれたいかなんて、そんな心情は大人になるほど口に出せなくなるけど、何となく伝わるくすぐったくて、嬉しい感情だ。
頬が緩んじゃうのは、許してほしい。
年下だから心配かけちゃいけない、話しちゃいけないってことは、友達という枠組みの中じゃ関係ないんだよね。
ユーグに対して友達といいながら、日本の友達とやっぱり区別してたのだと改めて感じた。
かなり解りづらいけれど、彼は彼なりに私の事を考えてくれていて、だからこそ、さっき彼は私がレィニアスさんから隠れてる時に、助けてくれたのかも。
本来だったら、王族優先にすべきところで、彼が私に対して出来ることをしてくれたんだ。
なのに、私ったら誤魔化すばかりで、彼の誠意に対して向き合おうとしてなかった。
うう、ごめんユーグ・・・!
「あのさユーグ」
「失礼、アオイ・オーサカという女性を探しているのだが」
肩に手をそえられたと同時に、突然聞こえた無粋な声。
ユーグと私が真の友情を深めようとしている時に一体誰だ!
そんな気分で顔を上げた私が見たのは、白地を基調とした騎士服に身を包んだ男性二人。
はっきり言って、びびったね。
警察の方に道端でいきなり職務質問されたような変な緊張感が体に走り、息をのむ。
驚きに声を出せない私を、彼らはちらっとお互い目配せして軽く頷くと、片方が口を開いた。
「あなたがアオイ・オーサカで間違いないな?」
「そうですけど、えと、何か御用でしょうか?」
「殿下がお呼びだ。一緒に来てもらおう」
殿下って事は、やっぱりレィニアスさんか!
肩にそえられていた手に、ぐっと力が入った事で、私はユーグを掴んでいた手を離した。
そのまま促されるように歩き出そうとした時。
「・・・アオイさんっ」
ユーグの心配そうな声が背後から聞こえて、振り返る。
「ちょっと行って来る。今度会った時に話すから! また一緒にご飯食べに行こうね」
彼を安心させるように笑うと、騎士二人の怪訝そうな視線を感じながらも、ユーグはこくりと頷き返しながら口を開いた。
「・・・仕事にも、今度は本当にサボらず戻ってきてください」
くそう、この真面目少年が!
今ここで言うべき台詞が、それか!
見知らぬ騎士二人の前で言われた事に、羞恥と怒りで顔を真っ赤にさせた私を見て、ユーグはようやく彼から滅多に見る事が出来ない、幼さの残る顔で笑った。
その顔に免じて許してあげようと心の広い私は考えながら、呆れたように私達の様子を伺っていた騎士の二人に改めて促され歩き出した。
でもね、この時私は大きな間違いに気付かなかった。
この国には殿下と呼ばれる人が3人いるという事に。
殿下と言われて、レィニアスさんだと思って彼らの後をついて歩きながら、どうしようと困惑する気持ちや会える嬉しさと葛藤しながら私が辿り着いた部屋で見たのは。
「アオイ・オーサカをお連れしました」
「げ」
「・・・開口一番がそれか」
殿下は殿下でも、あの危険なお兄ちゃんの方だったよ!
な、何で!?




