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「やっぱりやめておくよ」


 2人を振り返り、きっぱりとそう言い切った私を、カイルはひゅうっと小さく口笛を吹き、デュラは彼にしては珍しく驚いた表情で、軽く目を見開いて凝視した。

 そんな2人の態度に思わず苦笑する。


 デュラの私の心を軽くするといった言葉の意味は、そのままの意味だった。

 この世界で、そういった負の感情を見て、操り封じる力を持つデュラ。

 彼は私の中に芽生えた、嫉妬という名の黒い感情を感じ取ったのだと思う。

 元より、その力の事で彼の元へ赴いていた事もあり、促されるままに白莉殿の地下、集めの器が安置されているこの場所まで来てしまったのだけれど、私はその申し出を断る事にした。


 だって、自分が嫌だなって思うものに頼るのって、なんか違うって思うんだよね。


「ねえデュラ、私そんなに黒いの出てた?」

「・・・いや、少し感じた程度だよ」

「良かった。あんなのが自分から出たかと思うと、ぞっとするもん」


 言葉と同じく、おどけて見せながら私は石像の下の台座に手を置き、その周りをゆっくりと歩いた。

 毎日綺麗に掃除してあるのだろう。そこに触れる指先には埃一つ付かない。


「私の世界にはこんな便利なものなんてないんだよ」


 自分は聖人君子じゃない。

 だから、いろんな嫌な感情を持っている事は、しっかりと自覚している。

 その感情に振り回される程子供でもない。

 というよりも、そこまで強い負の感情を持った記憶はない気がした。

 今まで、流れるままに生活していたせいかもしれない。


「ちょっとした事でこれに頼ったら、これからも頼り続ける事になるかもでしょ?」


 それでも嫌な感情が全くなかったわけじゃない。

 私なりに、乗り越えてきた所だって確かにあった。

 今まではそんな事さえ、しっかり考えた事もなかったけれど、この異世界という場所に来てから、ある意味自分というものを見つめ直している気がする。


「いつか私が自分の世界に帰った時、これがなくちゃ生きていけないような、弱い人間になりたくないんだよね」


 強くはないけど、そこまで弱くもないつもり。


 何気なく視線を上げて石像を見る。

 こんなにも透明で綺麗なものが、黒く染まるのを1度見ている。

 この世界で生まれ育ったわけじゃない私くらいは、この綺麗な石像が黒く染まらないように、願ってもいいんじゃないかな。


「それでは、私があなたに出来る事が・・・」


 呟くようなデュラの言葉に目を向けると、彼は呆然とこちらを見ていた。

 その細い瞳が戸惑いに揺れているのを見つけ、何故彼がそんな顔をするのか驚いたけれど、理由はすぐに解った。


 あ、そっか。

 私の言葉って、デュラ全否定だ。


 人の黒い感情を集め、封じるために只1人、この世界で不思議な力を持つデュラ。

 集めの器に頼らない事は、その力を宿すデュラにも頼るつもりはないって事になる。

 今までの彼の変態行為が何処まで本気なのかさっぱりわからないけれど、彼なりに私を思ってここに連れて来た事を考えると、何だか申し訳ない気持ちになり、どうしたものかと考える。

 デュラの事は好きではないけれど、そこまでも嫌いにもなれない。


 憎めない奴って感じかな?


「なんとなくだけど、デュラこの力好きじゃないよね? でも今回私のために自分から使ってもいいと思ってくれたって思っていいのかな?」


 彼の気持ちを確かめるべく問いかけると、素直に頷きが返る。

 いつもの黙っていれば大人な雰囲気で、話せば変態的な彼からは見られない姿に苦笑した。


「あのね、もし私が落ち込んでて、デュラが何かしてあげたいって思ってくれるんだったら、もっと普通の事でいいよ」

「・・・普通とは?」

「んーっと、例えば、話し聞いてくれたり、一緒にどこか遊びに行ったり、美味しいご飯食べに誘ってくれたり、ぱーっとお酒飲んで騒いだりね。私の世界じゃそういう感じで嫌な気持ちは晴らすんだよ」

「むしろ、酒がメインだろ。お前なら」


 意地悪くにやっと笑いながら突っ込みを入れたカイルを、軽く睨みながらデュラの傍に歩み寄った。

 背の高い彼を見上げると、彼はいつになく真剣な眼差しで、私の言葉を待っている。

 そんな彼の態度に、気恥ずかしくなりながら口を開いた。


「力じゃなくて、デュラ自身が私に何かしてくれる方が、私はずっと嬉しいよ」


 便利な器や力がなくても、それでも私の生まれた世界は成り立っている。

 人と人の繋がりを大事にしてたんだって、そんな奇麗事、この世界にいる時くらいは素直に考えてもいいんじゃないかなって思う。


「どうかな?」


 というか、解ってくれただろうか?

 そんな気持ちで見つめた視線の先で、デュラは不思議な物を見る目で、じっと私を見返してきた。

 細い目が、二度三度と瞬く。

 そして、ふっと泣きそうに歪んだかと思うと、微笑みに変わった。


「あなたの言う事で、私が否と応えるような事などあるはずがない」


 言うなり、デュラの腕が伸びてきたかと思うと、その腕の中にすっぽりと包まれた。

 肩口に埋められた彼の口から、安堵のような溜息がゆっくりと吐き出される。

 私はデュラのいきなりの行動にわけがわからず、近くに立つカイルにどうしたものかと顔を向けた。

 カイルは面白い物を見たというように、くっと喉を震わせて笑った。


「デュラの奴、完璧落ちたな」


 ・・・えーっと意味がわかんないんですけど?


「ようは、力ありきのデュラに近付く人間が山ほどいたんだよ。弱い奴なんていくらでもいるだろ? でもこいつがいれば、そんな辛い感情なくしてくれる。自分の気持ちは常に安泰ってわけだ」


 カイルの言葉で、私の気持ちを軽くしてあげられると言った時に見た、デュラの目に浮かんでいた黒い闇を思い出した。

 その力ゆえに、幾度も望まぬ他人の負の感情に触れてきたのだろう、彼の過去が垣間見えた気がした。

 本当に、便利ゆえにやっかいな世界だ。


「でもお前は、力なんていらないって言う。俺も結構ぐっと来たな、マジで」


 そう言ったカイルの目が、私の先程の言葉を褒めるように優しく揺れた。


「ふ、普通だよ! ちょっとデュラ、どさくさに紛れていつまでもくっつかないでよ」


 こういう真面目なの苦手だからっ


 慌てて今の状況から逃れようと、ばしばしデュラの背中を叩くと、デュラはゆっくりと顔を上げた。

 その顔はやけに甘く微笑み、真っ直ぐに私を見下ろす。

 何度も見たような気がするのに、今初めて彼の本質に触れたようなその甘く真っ直ぐな視線に、なんともいえない感情が膨れ上がり、頬に熱が集まった。


 だからっこういう真面目なのはちょっと遠慮させて・・・!


 とにかく離れてもらおうと、身じろぐ私の身体に更にぎゅっとデュラが力を込めた。

 その反動で、ぼすんと彼の胸元に顔をぶつけてしまい、慌てた私の後頭部に彼の手が添えられ、動きを封じられてしまう。


「あなたが私の力より、私自身を欲しいと言ってくれた」


 ・・・はい?


 思考がストップした。

 離れようともがいていた身体も固まってしまい、デュラはそんな私の髪の間に指を滑り込ませ、梳くように撫ぜながら、歓喜の甘い吐息を漏らす。

 それが私の首筋に流れ込み、思わずぴくりと反応した私の髪に、デュラが唇を寄せたのが解った。


 うああっやばいって、これは!


「・・・かいる、この馬鹿、どうにかして」


 動けないのならば、近くの人間を使うまで。

 動けずくぐもった声でそう言った私の願い通り、数秒後には、デュラはあっさりとカイルの腕によって引き剥がされ、私は安堵してデュラと距離を取った。

 非難めいた目が私とカイルに注がれたけれど、断固無視するとデュラが溜息を吐いた。


「私が欲しいと言ったり、冷たくしたり、全く駆け引きが上手だね」

「・・・もう好きに解釈していいよ」


 それでも、真面目なデュラよりは、こういう頭の沸いたデュラの方が安心する私がいたりする。

 カイルと目を合わせて、苦笑した。

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