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 総門の両脇に篝火が灯される。嘉納家の館の周囲には外敵対策のために空堀がめぐらされており、その内側に土塁が築造してある。大仰な館の西対に、鷹子は閉じ込められていた。館内には微かな音さえない。ひやりとした冷たさが、この家には充満していた。

「おまえは本当に、可哀想な子だね」

 則宗は腕を組み、格子越しに庭を眺めながら言った。

「別に、可哀想なんかじゃないもん」

「……そう」

 則宗は燈台の火に懐紙を差し入れた。それは群がる蚊と共に、爆ぜる火の中で焼き消える。

 ――――悲鳴が轟いた。まさか誰か来たのかと鷹子は息を呑む。彼女の脳裏に椿の顔が浮かんだ。

 途端、則宗が鷹子の肩を押した。彼は畳の上に倒れ込んだ彼女の腕を掴んで馬乗りとなる。則宗は躊躇いなく鷹子の頬を叩いた。

「今、誰を想った?」

 鷹子は則宗を見つめた。涙など絶対に見せないと心に決めて睨み上げる。則宗の拘束が緩んだ。

「――――ねえ、覚えてる? おまえとわたしが出会った時のこと」

「……覚えてる。ちゃんと、覚えてる」

 言うと、則宗は悲しげに微笑んだ。

「……おまえだけが、わたしの全てだった。だから、おまえもわたしだけが全てになればいいと思ったんだ」

「則宗様……?」

「鶯幸も坊主達も、椿も。本当に目障り」

 則宗の口から呪いのような言葉が洩れた。暗い家の中、静かに育まれていった狂気が滲む。その中に、微かな迷いが見えた。

 鷹子が口火を切ろうとした瞬間、勢いよく襖が開いた。襖を開け放ったのは、返り血にまみれた一人の武者――――椿だった。組み敷かれた鷹子と目が合った瞬間、彼の顔色が一変する。椿は則宗へと太刀をかざした。

「則宗さま! ご無事ですか!」

 ばたばたと嘉納家の郎従達が集結する。彼らは豪奢な鎧を身につけ、椿に向かって牙をむいた。刃と刃が合わさり、甲高い金属音が響く。椿は一本の太刀のみで数人の郎従を相手していた。郎従達はいったん椿から離れ、則宗の前に立ち並ぶ。

「おぬし、出来るな。名は何というのだ」

 郎従の言葉に、椿は静かにもう一本の刀を抜いた。

「名……? 我が名を聞きたいのか」

「もったいつけるな!」

「――――琴堀」

 椿がその名を口すると、ざわりとどよめきが起こった。

琴堀五朗倖鷹ことほりのごろうゆきたか

「――倖鷹だとっ?」

「かの有名な、あの琴堀倖鷹……」

「小者が軽々しく、俺の名を呼び捨てるな」

 椿の体が動いた。二つの太刀が舞う。並みいる強者どもを相手取り、椿は白刃をひらめかせた。

 ――早々に決着はついた。椿は積み上がるかばねの上に立つ。則宗は鷹子の上から退き、手を叩いた。

「さすがは一騎当千の猛者。これくらいの手勢を屠るなんてわけないか」

「……つべこべ言わず、刀を抜け」

 椿は剣先を則宗へ突きつける。

「やれやれ、わたしは武よりも知で売っているんだけどね」

 則宗は肩を竦めて笑い、刀を引き抜いた。彼はほんの一瞬、鷹子を見やる。両者は相対し、間合いを保ったまま刃を擦り合わせた。

「ぽっと出のおまえに、鷹子は渡さない。おまえや鶯幸達さえ現れなければ、鷹子はわたしから離れていくこともなかったのに」

 椿は則宗の言葉に眉尻をつり上げる。

 椿が右に動くと、則宗は左に足を滑らせる。肌が粟立つような殺気が、二人の間に流れた。

「しゃべる余裕があるとは、心外だな」

 椿の皮肉に則宗は瞳をぎらつかせた。

「鷹子へ一番最初に手を差し伸べたのはわたしだ!」

「つくづく、低俗な男だ」

 椿は低く呟き、太刀を構え直した。

「琴堀五朗倖鷹。都でも名高い人斬り人形のおまえには決してわからない。わたしの孤独も、鷹子への想いも」

「……孤独に佇み、人を想っていさえすれば、全て許されるのか」

 椿は低く呟いた。燈台の光が揺れる中、則宗の体が微かに揺れる。

「貴様のせいで鷹子が苦しみ喘いでいるのも、全て許されるのかと訊いているんだ!」

 椿は恫喝した。

「う、うるさいっ。おまえに何がわかる!」

 群がる蚊を振り払うように、則宗は髪を振り乱した。焦燥が浮かんだ顔に長い髪が張りついている。

「……ああ。貴様の心中など、わから――」

「わからない! わかりたくもない!」

 椿の言葉を鷹子がさらった。彼女は目にいっぱいの涙を溜めて両腕を抱きしめ、俯いた。

「あたしは鶯幸様と同じくらい……ううん、それ以上に則宗様には感謝してた……っ」

 鷹子が則宗から離れたのではない。彼女の小さな手をふりほどいたのは則宗の方だったのだ。自分以外と仲良くなる彼女は嫌だと、彼は鷹子の手を振り払った。それでも、鷹子の中で則宗は――。

「あなたはあたしの大切な人だった!」

 嗚咽を漏らし、鷹子は泣きじゃくった。

「鷹子……」

 則宗は呆然とする。その隙をついて椿は彼の刀を弾いた。それは弧を描いて床にぶつかる。

「――――終わりだな」

 椿は則宗の喉元に刃を当てる。つっと赤い線が彼の首に横切る。

 鷹子は止めなかった。もう引き返せぬことを、彼女はちゃんと理解していた。

 則宗は覚悟した面持ちで鷹子の方に目をやった。刹那、彼は微笑んだ。



『大丈夫だよ』

 十一年前――鷹子がまだ四つの頃。山中で迷子となっていた彼女にそう言って、手を差し伸べてくれた少年。彼もまた涙に瞳を濡らしていたのに、鷹子を泣き止ませようと精一杯の笑顔をくれた。。

『わたしはずっと鷹子の傍にいるからね』

 嘉納家の子息であるにも関わらず鷹子の遊び相手となってくれた。いつからか、すれ違ってしまったけれど。

 椿の刃が則宗の首に食い込んだ。

『おまえは孤独だったわたしに神が遣わしてくれた光だ。おまえが笑うと心があたたまる』

 無邪気に笑う則宗の顔が瞼の裏に浮かぶ。

『鷹子』



 ――則宗の最期を、鷹子は目をそむけることなく見届けた。



 夜は過ぎ去り、黎明がやって来る。橙の火の玉は、嘉納家の様子をあますところなく照らした。いたるところに死体が転がっており、邸内で息がある者は、たった二人しかいない。生き残った二人は、庭にいた。椿は転がっていた死体の裾で太刀についた血液を拭い、鞘におさめた。

「倖鷹様……」

 鷹子は椿の真名を呼んだ。

「……なんだ」

「本当の名前。あたしと、同じ〈鷹〉がついてるんだね」

 そう言うと、椿は「ああ」と相づちを打つ。返り血にまみれても彼の黒髪が艶を失うことはなく、朝陽の中で金色に染まっている。出会った時と同じ――美しい顔貌をした青年は振り返り、鷹子の前に佇んだ。鷹子は彼を見上げる。逆光によって彼の表情は窺い知れない。彼の手が鷹子を触れようとして躊躇い、引っ込んだ。

 椿は何も言わず、そのまま立ち去さろうとする。

「待って!」

 鷹子の制止に椿は立ち止まった。

「……待って」

 それしか言葉が出て来なかった。

「これ以上、お前達の世話にはならない。……夜が明けたら鶯幸達がここへ来る手はずになっている。お前はあいつらについて帰れ」

 椿は鷹子に背を向けたまま言い放つ。嘉納家が皆殺しにあったとなれば足利は動く。椿はそのことで鷹子達を巻き込むことを危惧しているのだ。鷹子は椿の直垂を握りしめる。

「万が一、足利の手の者が寺へ訪ねてきたらこう言え。『嘉納の家人を根絶やしにしたは、平氏に与する足利に恨みを持つ琴堀の生き残りだった』と。もしも、匿っていたのかと聞かれたら、俺が琴堀の者だったとは知らなかったと言っておけ」

「……倖鷹様は、これからどこに行く気なの?」

「岩代国にいる縁者のところへ。俺は一族の仇を討ち、琴堀の名を取り返す」

「嘉納家を倒しただけじゃ、駄目なの?」

「ああ。…………もう行く」

 鷹子は指先に力を入れて椿の直垂を掴んだまま離さない。椿は軽く息を吐き、くしゃりと鷹子の髪を掻き混ぜる。

「鷹子と出会えて、良かった」

 椿は穏やかに笑んだ。

「お前の息災を遠くより祈――」

「待ってる」

 言葉を遮って、涙をこらえて睨みつけるように言えば、椿は目を開く。

「ずっと、待ってます」

 彼は目を細め、鷹子の頬に手を添えた。彼女の口端に、羽のような口づけが落とされる。

 椿はすぐに鷹子から離れて身を翻した。

 太陽に向かって行く彼の背に迷いはなかった。

 朝陽が滲む。鷹子はぎゅっと拳を握って目を擦った。次から次へ、涙はこぼれた。

 空に残る夜の名残――明けの明星が強い光を放った。



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