743 叩くモノ
(クラーク)
ソフィア様は、そんな俺の傲慢な心を全て見抜いていたのだ。
大した努力もせず、自分よりも下だと決めつけた存在を馬鹿にする事で、自分の価値が高いと勘違いする傲る俺を。
そしてただただ自分の意志なく、楽な方へと流されるだけの俺を。
今まで見えていた世界が急に崩れ去り、見えてきたのははっきりとしたアゼリアとの境界線だ。
『辛い』を乗り越え自分の意志を貫き、見事に上に登っていったアゼリアと、『楽』を取り、急に見えてきた世の広さに呆然と立ち尽くす俺。
その距離は遠く、流され続けていた俺の足はどうやって動かせばいいのか、この時点で分からなくなっていた。
しかし時は無情に流れるし、周りはゆっくりと待ってはくれない。
両親がソフィア様に対して言った苦言は、周りの選ばれなかった子息達の言い訳には格好の材料となってしまい、我が<レイモンド家>はどこに行っても嘲笑の的になってしまったのだ。
アゼリアがいなくなった途端、我が家を包み込んでいた『幸せ』は消え去り、また以前の様に毎日罵り合う両親、そして以前より激しく八つ当たりされるようになった従者達は、お互いいがみ合う様になっていく。
従者達はこの最悪の職場を離れたくとも『レイモンド家の元従者』と笑われ、まともに雇ってもらえず耐えるしかなかった。
その姿は、家にいた頃のアゼリアそっくりだ
それに気づくと背筋は凍った。
『入り婿のくせに!!低い身分の貴方を拾ってやった恩も忘れてよくも!!』
『うるさい!俺を認めようとしないドルトン様や他の奴らがストレスなのだから仕方ないだろう!女遊びくらい許せ!!』
言い争う両親を見て真っ先に頭を過ったのは────『因果応報』
今までアゼリアを使って『楽』をしてきたツケが全員に返ってきた。
それにどっぷり浸かってしまっていた俺にとって『変わる』事は酷く難しい事だ。
特に今更アゼリアに対する態度を変える事や、ましてや謝罪をするなど恥ずかしくてできなかった。
それに、この最悪な形になってしまった場所でも、俺にとっては唯一の大事な場所。
だから、今度こそ『俺』が守らなければと思った。
ツケを払い続けよう。
それが俺の罰であり、同時に『愛』という唯一手の中に残ったものだから。
そこから俺は才能に胡座をかくのを止め、ひたすら努力する事を始める。
睡眠時間を削っての座学に、実習、社交界への挨拶周りにと自分にできる事は何でもやった。
しかし、その努力は認められる事はなく、また一つ因果を味わう。
『不義の子に負けた出来損ない。』
『魔法の名門もこれでお終い』
『そもそも入り婿殿を未だに先代のドルトン様達が認めていないらしいし、実の娘だって実績の一つもない出来損ないじゃないか』
『現当主様は実力はないが女を誑し込む術だけは一流で、奥方はそれにコロッと落ちた愚か者ね』
どんなに努力しても、至る所で囁かれては笑いものにされる日々。
辛かった。
でもその通りだと思った。
そして────……。
『出来損ないの不義の子』
『魔法もまともに使えぬならお終いだな』
『母親は汚れた下層民で、男を誘惑する才能にだけは恵まれた愚かな女だ!』
そうアゼリアを笑っていたかつての自分が、今の俺を指差し笑っている姿が常に頭に浮かんでいた。
それから必死で目を逸らし、頑張り続ける俺に反し、両親は社交界に行くことを止めてしまう。
そして『全ては、次期当主のクラークの仕事である』と全ての責任を俺に押し付け、そのまま家に閉じこもる様になってしまったのだ。
それについて周りは更に両親に対し悪いイメージを抱いたようだが、両親に対する愛情は消える事はなく、俺は冷たく吹き付ける世の風よけになり続けた。
しかし、ある日大司教の娘ジェニファー様の専属聖兵士に選ばれた事で、俺の環境はまたガラリと変わる。
選ばれた俺に対し、今まで陰口を叩いていた周りは意見をコロリと変え、また俺とレイモンド家を褒め称え始めた。
勿論それに対し思うことはあったが……彼らも俺と同様にただ楽な方にながされているだけだとよく知っていたので、それを責める資格はない。
結局大多数の人は流されて、気がつけば望まぬ場所にいて……そしてそこに慣れていってしまうのだろうな。
自分のしてきたことと照らし合わせながら、どこか仕方がないとまた楽な方に流れようとする自分に気づき、笑ってしまった。
そうして流されていく事にも慣れてきたはずの俺であったが、以前と違うのは何となくモヤモヤしたものが心の隅に存在する様になった事だ。
それは俺が専属聖兵士に選ばれた途端、今まで風よけになるため前に立っていた俺を押し退け『俺こそがレイモンド家の当主である』と前に進み出た父と、自慢げな笑みを浮かべる母を見て強くなっていった気がする。
そして意気揚々と毎日の様に着飾ってパーティーに出掛けていく両親に手を振りながら、コツンコツン……と、何かが叩く音が常になっているのを感じていた。




