742 幸せの終わり
(クラーク)
『我が儘放題の強欲娘』
『大司教の娘だからと、偉そうで傲慢な女』
『差別的な思想を持って、それを楽しむ性悪女』
社交界でひっきりなしに囁かれるジェニファー様の人物像は、実際はそれとは真逆だ。
大人しく一人で本を読んでいる事が好きで派手なものは好きではなく、身につける衣服も本当は『赤』が好きではないしアクセサリーなどにも一切興味はない。
自身が望んで欲しいと願うモノは、医療に関しての本やアイテムくらいの様だ。
なら何故そんな真逆とも言える事をしているのかと言えば、全ては『お父様のため』。
ジェニファー様は、必死にお父様の愛していたお母様の身代わりをしている。
周りから見れば歪んでいる『愛情』を受け取り、ジェニファー様のお父様が何処か遠くに行ってしまわないように『幸せ』を周りに見せつけて、この場所に縛り付けているのだ。
何度も母親の元へいこうとする父親を守るためには、きっとこれしか方法がなかったのかもしれない。
いずれにせよ、自分の『個』と『幸せ』を全て捨てる選択肢をとったジェニファー様の前には、望まぬ道だけが広がっていた。
俺と同じ様に。
ジェニファー様は、気を抜けば引きつりそうな顔の上に、父親と周りが作り出した『傲慢な娘』の仮面を被ったままツンッと顎を軽く上げ「行くわよ、クラーク。」と言って歩き出す。
それに俺は「はい。」と返事をしてその後に続き、彼女の背中を見ながら、自分が今の道に流される様に辿り着いてしまった『始まりの日』の事を思い出していた。
俺にとっての『始まりの日』は、4歳の時。
異母妹であるアゼリアが我が家へやってきた事から始まった。
アゼリアが来るまでの間、幼い俺には詳しい理由は分からなかったが父と母は激しい喧嘩────いや、今思えば罵り合いか……。
とにかく酷く言い争いを毎日していて、従者達はその度に酷い暴言や時には暴力的な八つ当たりまでされていた。
俺も視界に入れば怒鳴られてしまい、邸全体が嫌な空気に包まれていた事を、幼いながらにはっきりと感じていたのを覚えている。
そんな最悪な雰囲気の中、小さな馬車に連れられて当時俺と同じく4歳になったばかりのアゼリアが邸に来た時、俺が初めて持った感情は『嬉しい』だ。
『一人だと辛かった勉強も、2人なら楽しくなるかもしれない!』
そんな純粋な喜びの感情であったが────ワクワクしながら見上げた両親の顔を見て、その想いは一瞬で吹き飛んでしまった。
憎々しげに顔を歪め、怒りに震える体を隠す事もできずジッとアゼリアを睨む母。
そして心底めんどくさそうに、そして静かな怒りと憎しみを込めた視線をアゼリアにぶつける父。
どうしてそんな顔をするのか分かるはずもない俺は、青ざめてとりあえず黙った。
そしてそれからだ。
我がレイモンド家に『幸せ』が訪れたのは……。
アゼリアに対し両親は非常に冷たく、ありとあらゆる暴言、嫌がらせ、時には行き過ぎた『躾』をしては、それと反比例する形で俺は何をしても褒められ、讃えられ、溺愛された。
『お前だけがレイモンド家の正当な跡継ぎ。』
『あんな汚れた偽物とは違い、全てが正しい存在なのよ。』
歌うようにそう言われ続け、更に八つ当たりをされてきた従者達はそれに合わせるように『その通りです』『それこそが正しい!』と誰もが言った。
俺がアゼリアを気遣い意識が少しでも向けば、父は怒り母は泣く。
俺にとって両親は絶対的に正しい存在で、俺を愛し受け入れてくれる唯一信じるべき居場所であった。
何が『正しい』『正しくない』は、この時点で俺にとっては無価値なモノ。
よく理解はできていなかったが、今の状況は『幸せ』。
アゼリアがそういった扱いをされている『世界』では、父も母も喧嘩はしないし、八つ当たりされない従者達もニコニコと笑っている。
そしてそんな両親に目一杯愛され、更に罵りあう両親の悲しい姿を見なくて済む。
────なんだ。
これでいいんじゃないか。
俺は考える事を辞め、大好きな父と母が笑顔でいてくれるもっとも楽な道へ、この時から流され始めてしまった。
アゼリアという犠牲の上に乗って……。
それが崩れ去ったのは、10歳の時。
ソフィア様の専属聖兵士を決める為のお茶会に参加した時の事だ。
名だたる名門家の子息とご令嬢は、全員参加。
魔法特化の名門である我がレイモンド家も、当然の如く参加したのだが、年が近い貴族の家という事が条件であったため正式にアゼリアも招待されてしまったのだ。
それに対し両親は憤り、更に魔法の名門であるレイモンド家に籍を置いているのに、魔法を満足に使えないアゼリアをいつもの如く罵る。
『魔法も使えないレイモンド家の恥知らず!』
『汚れた下層民が産んだのだから、これは当然の結果だがな。』
アゼリアはそれを言われる度に下を向き、それが終わるまでただジッと耐えていたが、努力する事を諦めたりはしなかった。
魔法を捨て、物理に特化した特訓を中心にその実力を開花させていったのだ。
勿論それが認められる事はなく、更に激しく罵られたが……やはりゼリアは諦めようとはしなかった。
何をしても無駄なのに……つくづく馬鹿なヤツ。
そんなアゼリアを見て、両親同様魔法にしか価値はないと思っていた俺は、心底侮蔑した想いを抱いていた。
そして、仕方なく一緒に向かったアゼリアを押し退け堂々たる態度で城の中へと我先に入っていく。
そして結果は────……。




