(レオン)71 不思議な事
(レオン)
しかし、なんだかんだとリーフ様は、やっと落ち着いた女に「大丈夫?」と優しく話しかけ泥を落としてあげる。
更に逃げようとぴょんぴょん飛び回るカユジ虫には、女を待っている間にとってきたお花を食べさせ、そのまま葉っぱの上に避難させていた。
なんて優しいお方なんだろう……。
そんな慈愛に満ちた姿に心を暖めていると、突然リーフ様が手を叩く。
「レオンもイザベルも戯れ合うのはここまでにして、そろそろ朝ごはんを食べに行こう!イザベルも一緒に食べないかい?」
「!!戯れっ……!?いえっ!あのっ!リーフ様!」
リーフ様の提案に女は苦言を示していたが、俺の脳裏には昨日味わった幸せの記憶が蘇った。
昨日初めて体験した『幸せの共有』……俺はあんな身に余る体験をもう一度したいなんて贅沢は言わない。
ただ側で、リーフ様の幸せそうな笑顔を見れるだけでいい。
それだけで俺は十分だ。
期待に跳ね上がる気持ちを必死に抑えていると、突然リーフが俺に向かって話しかけてきたので心臓はドキッと跳ねた。
「じゃあ、食堂まで、また『馬』になってもらおうか!」
『馬』……昨日教えてもらった、凄い事だ!
ドキドキ……。
ドキドキ……ドキドキ……。
早くなっていく心臓を押さえ込み、熱くなっていく両頬を隠そうと慌てて下を向く。
そして喜びと同時に、昨日の屈辱と悲しみを思い出して、拳を強く握った。
今度こそ完璧な『馬』になってみせる。
失敗は二度としない。
そう誓って、俺は直ぐにリーフ様に背を向け跪いた。
そうしたらもっと長い時間触れてもらえる。
あの凄い『幸せ』を沢山貰えるんだ!
心臓が口から飛び出そうなくらいドキドキしながらその時を待つと、すぐに俺の肩に暖かな手が触れる。
そして、その感覚に慣れる前に、同じ暖かさが背中全体を包みこんだ。
ドッ!ドッ!ドッ!
『誰か』がいる事で初めて得られる感覚は、あっという間に俺の身体に大きな変化をもたらす。
苦しい。
気持ちいい。
ただでさえおかしいくらいに早かった心臓が、今では内側から身体を殴りつけるくらいにうるさくなって、暖かい体温と自分のではない匂いにクラクラする。
『触れる』事がこんなにもごちゃ混ぜの感覚を与えるものだとは、昨日まで全く知らなかった!
────凄い!凄い!凄い!
もはや語彙力も失う程それに夢中になっていると、あっという間に目的地についてしまい、今度は悲しい気持ちになる。
幸せな時間は終わり。
名残惜しくてリーフ様の足に触れてる手にギュッと力を入れてから、少しでも長く触れていたくてできるだけゆっくり下に下ろした。
途端に寒くなってしまった背中に対し、『もっと触れていたかった 』 という欲望が湧くと、その瞬間俺は理解した。
触れて貰っていない今、俺は『寂しい』。
一人は『寂しい』。『寂しい』から『悲しい』……これは一人で完結する世界では、存在しなかった感情だ。
これがあるから、リーフ様が与えてくれる全てのものが、俺は欲しいのか……。
今まで捨てなくては生きていけなかった感情が、今は中心になって俺という存在を創り上げていく。
それが凄く不思議だと思った。
ボンヤリと考え込みながらリーフ様を見つめていると……リーフ様はニコリと笑ってそんな俺を相変わらず受け入れてくれる。
その綺麗な笑顔に思わず見惚れていると、リーフ様は「さぁさぁ!これから楽しい楽しい残飯の時間だよ〜。」と言ってさっさと部屋の中に入ってしまったので、俺は直ぐに後に続いた。
『まさかまた昨日のように食事を共にしてくれるのだろうか?』そんな期待を密かに持ちながら。
中は食堂と言われている部屋らしく、人が20人くらいは座れそうな細長いテーブルに、ギラギラとした装飾品が至るところについている随分と豪勢な家具が並んでいた。
部屋には男と女2人が佇み、テーブルには既に料理の数々が並んでいる。
そしてその前には大きな宝石がこれでもかと付けられているキラキラ輝く椅子とシンプルな木の椅子が並んで置いてあった。
リーフ様はササっと輝く椅子の方に近寄っていったので、恐らくそこがリーフ様の椅子。
では木の椅子の方はあの2人のどちらかが座るのだろうか?
モヤッとした不快な気持ちで部屋に佇む男と女の方を思わず睨みつければ、男は汗を一筋流し、女はあからさまにビクッと体を震わせた。
お互いに間にピリッとした嫌な空気が漂った瞬間、リーフ様がその空気を壊す様に突然俺に話しかけてきた。
「おや?おやや〜??これはなんと素晴らしい椅子なんだろう!キラキラで、横には沢山の宝石まで付いているよ〜?
まさに俺のためにある様な椅子だ!そうは思わないかい?」
リーフ様はキラキラ輝くあの椅子がいたく気に入ったようで、それの素晴らしさと共に、いかに自分にその椅子が似合うかを俺に尋ねた。
その通りだ。
俺は未熟で無知故か、あの椅子に有用性を感じられなかったが……リーフ様が座ってこそ真価が発揮されるのだと気づき、それが素晴らしい椅子であると完全に理解する。
俺は真剣な顔でコクリとうなづくと、次にリーフ様はその隣に置かれた木の椅子に気づき驚いた顔をする。
「あれ?あれれ〜?!この薄汚れた木の塊は一体何かな〜?
こんな汚れた塊に相応しいのは一体誰かな〜?────んん〜???」
困った様子でその人物を必死に探すリーフ様。
なんと、リーフ様のお隣という名誉ある特別席はまだ空なのだそうだ!
部屋で控えている男と女が座る椅子ではないと聞きホッと安堵の息を吐くのと同時に、まさかそいつらのどちらかを選ぶおつもりか?とモヤっとした思いを抱いた、その瞬間────突然リーフ様が、俺の左手をギュッと握った。
呪われている醜い左手を。
「────っ!!?」
これには驚いて頭が真っ白になり動けずにいると、そんな俺に構う事なくリーフ様は俺を引っ張りあの特別席に乗せた。
驚き、言葉もない俺にリーフ様は嫌悪も恐怖も何一つない『普通』の目を俺に向けあっさりと告げる。
「これに似合う人み〜つけた!今日からコレはレオン専用椅子にし〜よおっと!
君は毎日この貧相な椅子に座って俺の残飯を食べるんだ。分かったかな〜?」
「……俺の……?毎日……。」
俺だけの『居場所』をくれる……?
本当に……??
突然ぶつけられた言葉にびっくりして固まってしまった俺だったが、確かな椅子の感触を下半身に感じ、ジワジワと理解が追いついてきた。
ここは俺だけが唯一居ていい俺だけの『居場所』で、『毎日一緒にいよう』と言ってくれた。
それがどんなに嬉しい言葉だったか。
どんなに欲しかったものだったのか。
きっと一人で完結した世界で生きてきた者なら分かる。
『神様』は俺をこの世界に産み落とし、俺の存在を許してくれて、受け入れてくれて、そして感情を与え────俺を『個』として『 見て』くれた。
更には俺だけの居場所まで与えてくれたのだ。
俺が帰れる場所を創ってくれた。
それが苦しい程に嬉しい。
「……っ…………。」
大きすぎる感情を心で受け切る事ができず、涙が滲んできたのを感じて慌てて拭きとる。
俺の家、ここが帰ってくる場所。
『神様』 の隣が俺の唯一の『居場所』 になった。
満たされた心で一杯になりながら、リーフ様の差し出す料理の数々を全て平らげていく。
この幸せがどうか逃げていきませんようにと願いながら────……。




