268 懐かしい絵本
(リーフ)
最初に動いたのはジュワン。
彼はまるで静かな泉の様な……ほぼ完璧な出来の身体強化を体全体に均等にかけ、そのままレオンの方へと足を一歩前に進み出し──────────……。
……─────そうそう、前世での話になるが、俺がまだ小さい頃孤児院にあった絵本の話。
【ヤダヤダ!ないない君】という、結構印象的な絵本があった。
主人公の男の子『ないない』君は、食べ物の好き嫌いが激しく、毎日ご飯の時間になると、『食べたくな〜い!!』と そう言って、ご飯を食べずに遊んでばかりいた。
朝ごはん、嫌っ!
昼ごはん、嫌っ!!
夕ご飯、嫌っ嫌っ!!!
そんな少年にお母さんはほとほと困り果ててしまい、ある日『ないない』君に言いました。
『そんなにヤダヤダ言ってばかりいると、お腹さんが嫌になっていなくなっちゃうよ』─────と。
そんな日々が続いていたある日の朝、欠伸をしながら起き上がった『ないない』君は身体に違和感を感じた。
不思議に感じながら鏡の前に立ち、パジャマの上着を脱いでみるとそこに写っていたのは………。
お腹に大きな大きな穴が空いてしまった自分の姿だったのでした。
要は、遊んでばっかりダメダメ〜、ご飯はしっかり食べようね〜!
そんな意味合いの事を教える子供向けの教育絵本だったが、これが子供の頃にはとても怖かった思い出がある。
しかし大人になるにつれて、そんな事は現実に起こるわけないと分かり、その時感じた恐怖とともにその記憶は遥か彼方まで飛んでいってしまっていたが…………。
今、俺の目の前にはその恐怖の『 ないない君 』がいる。
俺は一瞬たりとも見逃さない様、レオンから目は逸らさなかった。
もちろん俺だけではなくこの場にいる全員がそうだったはずだが─────気づいたらジュワンが『ないない君』になっていたのだ。
「……あ……え……えぇ……?」
ジュワンのお腹から向こう側の景色がしっかりと見え、そちら側にいる受験生達の恐怖に歪む顔が良く見える。
当のジュワンは、前に出した最初の一歩が地面に着く時、自身の足に力が入らない事に気づいた様子で、「……はっ???」と不思議そうな声を挙げた。
「…………??……?……??」
そしてそのままフラフラと力の入らぬ足で何歩か前に歩いた後、とうとう足が動かなくなった様で、そのまま前に倒れ込むと、遅れて聞こえたブシャッという液体が吹き出す音とリングの上に広がっていく『赤』を見て─────…………。
「……俺……の………??」
そんな小さな呟きを残し、その場は完全なる静寂に包まれる。
誰一人として動けず言葉も発せない中、勿論俺も口をパッカーンと開けたまま固まっていた。
何?何??ちょっと誰かスローモーションでもう一度映像流して〜。
混乱しながら心の中で呟いていると、突如視界が真っ暗に。
あれ?電気消えた??と思いながら、スッとわずかに身体を後ろに引くと、見慣れた逞しい肉体が目の前にある。
いつの間に移動したのか、さっきまでリングの上にいたはずのレオンが俺の低いお鼻が付くくらいの至近距離に立っていた。
「お待たせしました、リーフ様。さぁ、次に行きましょう。」
目の前に広がっている非日常的な光景は一切目に入ってない様子のレオンに、俺は倒れているジュワンを指差す。
「レオン……あれ、なんか…………『ないない君』……。」
俺の言葉を聞いたレオンは、俺の指し示した方へ視線を一瞬向けたが、あぁ……と興味が一切ない様子で呟くと俺に視線を戻した。
「やっぱり片付けますか?」
『真っ赤になっているリングの上をお掃除しますか?』
洗浄魔法大好き、汚れは決して逃さない!のレオンにそう言われたが……そもそも<仮想幻石>をつけている時流した血ってどうなるんだろう???
ちょっと分からなかったので、とりあえずは「ううん。」と言って顔を横に振っておく。
するとレオンは嬉しそうにニコッと笑った。
「じゃあ、もういいですよね?
俺が勝ちました。俺が一番。だから他の奴隷もいらない。そうですよね?」
そう言ってレオンは俺の二の腕辺りに手を伸ばし、酷く優しい手つきで触る。
縋るような仕草はまさに迷子になった子供の様で、俺は完全にレオンの心の内を理解した。
レオンは聞いていない様に見えたが、実はジュワンの言っていた数々の暴言をちゃんと聞いていたのだ。
だからその暴言の中の1つ。
『見た目が麗しい奴隷を〜』という発言を聞いて不安になっちゃった。
『この勝負、負けたら捨てられちゃうかも…………。』
『もうお仕事させてもらえないかもしれない?』
『(自分で消しちゃったから)家ももう無いのに……。
ご主人様に捨てられたらそこらへんの草むらで寝るしか無いにゃん……。』
俺はさっきのニャンニャン手招きさせていたレオンを思い出し、ぷーっ!と笑う。
そしてその間にリングの上から、パリィィーンという<仮想幻石>の砕ける音が聞こえて、ジュワンがゆっくりと起き上がる姿が目に見えた。
その姿は、まるでいちごジャムを塗ったパンを上手く食べれず、溢しまくった幼子とそっくり!
それに俺は更に続けて吹き出した。
どうやら如何に仮想体とはいえ、流れた血は消えないらしい。
なんとか必死に笑いを引っ込め、なるほどね〜と納得した後、お高そうな洋服を汚され呆然としているジュワンに、次は乳幼児用の前掛けをつけて勝負だ!とエールを送っておく。
そして俺は不安になっちゃったらしいレオンの背後にササッと回り込み、よじよじとその背中を登った。
「よ〜しっ!良くやったぞ!俺の『唯一』の奴隷のレオンよ!
こんなに強いなら奴隷は一人で十分だな〜。新しいのいらないな〜。
しか〜し!これで満足するようでは三流奴隷!これからも頑張りたまえ!」
『レオン以外奴隷なんて買わないよ〜。』
『これからも、頑張れ頑張れ〜!』
そう遠回しに伝えると、レオンはパァァ〜!と目に見えてご機嫌になり、「はい!」ととても良い返事をした。
その間ジュワンは、お腹をペタペタとひたすら触っている。
「??は??俺……お腹……??……ない??……あれ?あるのか…………???」
そしてなにやらブツブツと言っていたが、お腹はあるから大丈夫大丈夫、何も問題ない。
ニッコリと笑いながら心の中で教えてあげた後、さぁどうしようかと考える。
試験は終わったし、レオンの顔を見るとジュワンが錯乱するかもしれないから、とりあえず俺はレオンを連れて出ていった方がいいか……。
「よ〜し!じゃあ、皆先に行ってるね。」
瞬時に答えを出した俺は、静かになってしまったみんなにそう伝え、次の試験会場へと向かった。




