「おかえり」⑫
人々が押し寄せる中、俺達は逆方向へと足を踏み出していく。肩にぶつかる腕、耳元を乱れた呼吸が掠め、怯えた顔がすれ違う度に視界に入るがこの疾走を止める訳にはいかない。
地響き。避難民達が悲鳴を上げる。左右の家が揺れ外装に小さく亀裂が入った。再び地響き。そして耳を劈く咆哮が聞こえる。嫌でもそれは目に入った。
視界を覆う赤い鱗が陽光を反射し鈍い光を放つ。全身を覆うそれは甲冑のように堅牢で、細部まで精密に組み合わされている。黄金に輝く縦瞳孔の瞳と剣の様な鋭い牙。鰐の様な口からは蒸気が漏れる。その巨体は十メートルを超え、筋肉の隆起が強大さを物語っていた。
フォリシアの町中に、中型の竜が出現していた。
三人の騎士が竜へ魔法を放ち足止めをしている。その中にはノエの姿もあった。西門から近い場所のため、そこから駆け付けたのだろう。見た所指揮を執る者はいない。
一人の騎士が『槍弩』を放つ。射出された槍は鱗に弾かれ効果はない。
竜は頭を振り正面にいる騎士を突き飛ばすと口を開く。一瞬で『火弾』の術式が構築され、魔法を放った騎士へ火球を穿つ。躱し切れずに騎士の体に炎が着弾。竜の強大な魔力から放たれる劫火を受け転がっていく。
続いて黄金の瞳はノエへと向けられた。ノエは剣を構えるが竜の口には再び術式の光が灯る。俺は足に強化術式を付与。同時に地を蹴る!
一歩で距離を詰めノエを抱えると即座に離脱。目の前では火炎が散り、熱気が肌を焼く。低位魔法と思えない威力だった。
「アイクさん……!」
抱えられたノエが声を上げる。しかしノエへ顔を向ける余裕などない。竜の顔が追撃しようと俺を見た。構わず後ろへ跳躍。すれ違いに俺の横を鉄塊が通過する。エドガーの放った『鋼鉄穿呀砲』による砲弾術式が竜の胴へ着弾。肉と血を散らしながら竜の進撃が止まった。追撃に『岩突』も発動。咆哮を上げようとした顎を岩が打ち抜いていく。脳を揺さぶられ竜の巨体が揺らいだ。
エドガーとマリーと合流したところでノエを下ろし問う。
「状況は?」
「……およそ十分前、突然竜が現れました。近くに居た騎士と共に民間人の誘導、足止めを行い竜はこの場から移動していません」
表情は憔悴し突然の出来事に困憊していた。
「多くの騎士は王城前広場の暴動に動員されています。ですが、応援を頼もうと通信を試みた所、何らかの術式で阻害されていて届きませんでした」
「通信が……?」
マリーを見ると首を振った。耳に当てていた手を下ろし顔を顰める。
「本当の様です。詰所に残った二人へ連絡を入れようとしてますが妨害されています」
「俺達でやるしかないな」
マルティナやヴィオラの協力は諦め前を向いた。竜は首を振りながら起き上がり俺達を見る。口からは呼吸の度に蒸気が漏れ出ていた。
エドガーが付けた傷は完全に塞がり跡形もない。高位の魔物特有の回復能力でなかったことにされている。
マリーが魔具である本を開きながら俺の横に並んだ。
「私は皆さんより実践経験は劣りますが援護ならできますよ」
魔物の中でも頂点と言われる竜を前に、臆することなく討伐対象を見据える。彼女の覚悟に頷き、目だけ動かしノエを見た。
「ノエも俺の援護を頼む。無理はするなよ」
「はい!」
嬉しそうな声を背中で受けながら剣を構える。俺の攻撃の意志に呼応するように竜が咆哮を上げ進み出した。地響きと共に石畳の地面が爆ぜていく。民家に巨体がぶつかるも構わず直進。壁が崩れ足元に石が転がるも踏みつぶしていく。
竜の前身は疾駆へと変化。エドガーとマリー、ノエは下がっていく。俺を噛み砕こうとする顎を右に飛び躱す。そのまま跳躍、民家の壁に着地し即座に跳ぶ。竜の胴へと水平に刃を振るうと皮膚が裂け鮮血が舞う。
しかし傷は浅い。俺の着地後すぐに後退。振り下ろされる前足を躱すと、マリーの『爆炸』が竜の目前で炸裂する。爆炎の奥で影が動き、鞭のように首が払われた。さらに下がった瞬間、エドガーも爆裂術式を発動。
竜に二度、至近距離の魔法を食らわせるも違和感。立ち昇る白煙の奥に半透明の膜が見える。高位の魔物が恒常的に発動する『拒魔構障壁』の術式によって阻まれていた。
「回復に障壁。中型つっても竜は竜だな」
後ろでエドガーが悪態をつく。エドガーの上げたもの以外にも高い魔力に発達した筋力。おまけに体を覆う鱗も異常に硬い。最高位と呼ばれるだけある。
民間人も退避済、建物への被害は考慮している場合ではない。とにかく、やるしかないのだ。
竜の口に赤い四重の術式が浮かび上がり即座に発動。『火竜灼吼』による炎の濁流が道を多い尽くし俺達に迫る。炎に触れた木々が燃え上がり一瞬で墨に変わる。煉瓦で出来た民家の外壁も融解していった。
こちらに届く前にエドガー、マリーが共に三連の『岩突』を発動し炎の進軍を阻む。しかし凄まじい火力に岩の一部が溶解。壁が崩壊する前にマリーがノエの襟首をつかみ後退させ、俺はエドガーを抱えて跳躍する。
エドガーは空中で『鋼鉄穿呀砲』を打ち込むが竜は尾を振るだけで四散させた。尾は建物ごと薙ぎ払い、砕けた外壁が礫となって俺達を襲う。
着地し、エドガーは額から流れる血を拭いながら後退。負傷しようが瞳は竜から逸らさない。俺は再び前へ進む。ノエも『槍弩』で応戦するが硬い鱗に阻まれ効果はないようだ。高位術師と竜の戦いにノエは上手く関与ができない。
再び火炎術式を吐こうと竜が顔を上げる、が突如、不自然に行動が止まった。
竜の頭上に浮かぶのは白い術式。弾けると黄金の瞳が動き、続いて首が後ろを見る。地面を踏み砕きながら方向転換しそのまま動き出す。それは王城の方角だった。
「おいおい不味いだろあれ」
俺に駆け寄るエドガーを抱え走り出す。
「今の、従獣術式だよな」
走行を開始する竜を追いかけながら先程の出来事を確認する。エドガーは即座に「間違いない」と肯定した。
「あの竜、明らかに術式の関与を受けてる。近くに違法術師がいるならこの通信妨害もそいつらの仕業だろうな」
エドガーの補足に対して頷く。しかし、こんな状況でいったい誰が、何のために。暴動で荒れる王都に更なる混乱を呼び込むのは誰の特にもならない。
竜は大地を震わせながら駆け抜ける。踏みつけられた地面は深い爪痕を残し、周囲の木々は紙切れのように圧し潰される。竜の巨体に当たる建物は障害物にもならず無残にも崩れていく。破壊の軌跡が直線となって描かれていた。考えるのは後だ!
抱えられたエドガーが『爆炸』を連発し牽制するが、威力を調整している事と、竜の『拒魔構障壁』により効果はない。エドガーに目線を送ると小さく頷いた。俺の意図に気が付いていると確信しエドガーを離す。そして、これまでの疾駆を助走として剣を投げ放つ!
刃は足の付け根に刺さるが竜の足は止まらない。立ち止まる俺の代わりに横を紫電が通過。剣の柄に雷撃が絡み付いた次の瞬間、竜の体が跳ねあがる。
通常なら阻まれる『雷牙』の術式は、剣が伝導体となり竜の体を内側から焼いていた。こんな魔具の使い方をしてまた技術部に怒られそうだがすぐ思考を切り替える。
竜の元へ走り、振り向き際に振られた左手が見えるのと同時に地面へと滑り込む。爪が髪を掠めたのを感じながら投げた剣を回収する。
気が付けば暴動の音が近い。いつの間には広場の手前まで来てしまっていた。
竜の姿を目撃した女性から鋭い悲鳴が溢れ空を割く。それは一瞬で広がり、次々と人々の喉から恐怖の声が漏れた。
中型といっても竜は竜。竜害の傷が癒えない彼らにとって恐怖の対象に変わりはない。
逃げる者、立ち尽くす者、その場で蹲る者。それぞれが異なる形で絶望を体現し、町中にその波紋が広がっていった。王都は暴動と竜、この二つで更なる混乱に陥っていく。
俺と竜を挟んだ正面、間近でその姿を目撃した女性が膝から崩れ落ちた。見開かれた瞳は竜を見つめ、全身を震わせる。
「僕は民間人の誘導に回ります!」
追いついたノエが状況を見て叫ぶ。彼の足は竜の前で動けずにいる女性へと向かった。
風音。
それに気が付くより先にノエの肩に槍が突き刺さった。着弾の衝撃で足が縺れ、血を散らしながら激しく地面に倒れ込む。目の前で起こった出来事に、女性は更なる悲鳴を上げた。
さらにノエの頭上で爆発が起こる。熱気と衝撃が竜を掠め、竜の視線は俺からノエへ向かった。突然の出来事に理解が遅れる。エドガーもマリーも、今魔法を使う訳がない。負傷者に、民間人に、敵視が移るような、そんな事するはずがなかった。起き上がったノエも状況を掴めずにいる。
俺達の動きが一瞬止まった矢先、竜が動き出す。身を捩る姿に次の攻撃を予測する。
ノエを助けようと走り出した瞬間、辺りで幾重にも先程のような爆発が起こった。衝撃で足が止まる。砂塵と爆炎で視界が狭まる。これではエドガーも魔法を使えない。
だが、考えている場合ではない。遅れを取り戻すように足を踏み出した。
胸が軋みを上げる。傷ではなく、感情が痛みとして襲い掛かる。これはあの時と同じだった。フォリシアを離れるきっかけとなったあの出来事と。
当時の光景が脳裏に蘇り足が竦む。肺が潰される様な感覚に息が詰まる。胸を貫く痛みは激痛となっていた。
それでも!
歯を噛みしめ、無理矢理前に出る。震える手を伸ばしノエを押した。突き飛ばされたノエの代わりに、俺がその場に残る。
次の瞬間、竜の尾が俺の胴へ直撃した。




