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悪い魔法使いを捕まえるお仕事  作者: 中谷誠
三章 去りし君との約束

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二節 「おかえり」*

 激しい雨が木々を打ち付け視界を奪う中、二人の幼い少年が森を駆ける。茶色の髪の少年が前を走り、その後を藍色の髪の少年が追った。

 数多の雫が肌を打つ。雨水が髪や服に絡みつき動きが鈍る。濡れた草の匂いが鼻腔を満たす。足元の泥が跳ね、ぬかるんだ地面に足を絡め取られそうになるも止まる事は許されない。暗い森の中を懸命に駆け続ける音は雨音に搔き消されていく。


 藍色の髪の少年が木の根に躓いた。バランスを崩した瞬間、体が地面へと投げ出される。冷たく重い地面の感触が体に伝わり、全身に痛みが広がる。


「フリット!」


 転倒に気が付き、茶色の髪の少年は即座に駆け寄った。


「アイク……」


 藍色の髪の少年の目に涙が滲む。怪我はないが打ち付けられた衝撃で身動きが取れない。

 雨音に混ざり、後方から低い唸り声と葉擦れの音がした。茶色の髪の少年は手を引き無理矢理立ち上がらせる。今は走るしかない。打ち付けた膝や肘が痛むがとにかく逃げなければ。足を止めれば、その先に待つものは死だった。


 何故、こんな事に。後悔しても遅い。命の危機に瀕して尚、怒りの矛先は自らへ向く。全ては自分達が招いた事なのだから。


 二人はいつもの様に森で遊んでいた。毎日の様に通い慣れ親しんだ遊び場。違うのは、普段より森の奥へと入ってしまった事。子供ながらの好奇心から、大した魔物が出ないのを良い事に深くへと進んでしまった。

 慢心に対する罰なのか、そこに豪雨が降りかかる。

 さらに不幸は続き、雨による地盤の緩みから藍色の髪の少年の足場が崩落。崖下まで転落してしまった。茶色の髪の少年も一人にはさせまいと彼の後を追い、二人で彷徨う事となる。


 だがそれだけではなかった。二人が足を踏み入れたのは国が立ち入りを禁止する区域。凶暴な魔物が蔓延りる、違法者でも採掘を避ける様な場所だった。

 そして、一匹の魔物に目を付けられ二人は必死に逃げる。崩落に巻き込まれたのならとにかく上へ。ひたすら進んで行く。今自分達が駆ける場所も道なのか分からない。そんなもの、とうに見失っていた。


 草木を搔き分けついに開けた場所に出る。雑草の生い茂る地面に先はない。そこは崖だった。

 茶色の髪の少年が淵へ近付き見下ろした。目下には濃密な霧が包み底は見えない。吸い込まれるような感覚に囚われ、後退した。


 ここに留まるべきではない。引き返す事を提案するために振り返ると、藍色の髪の少年の奥に暗闇で薄らと光る二つの球体が目に入った。上下に揺れながら少しずつ近付いてくる。


 追跡者の全貌が露わになると、その者の正体に息を飲んだ。全身を覆う黒い鱗。鰐と蜥蜴の様な顔。唸り声を上げる口の中には鋭い歯が並ぶ。それは竜だった。


 人間の大人程度の大きさの極小型の竜だが、子供二人では十分脅威となる。

 竜の縦瞳孔が動き前にいる少年を見た。背筋を凍らせるような恐怖に足が竦む。膝が崩れそのまま後ろに倒れ込んだ。息が詰まり、再び立ち上がる力もなくただ震えている。


 茶色の髪の少年は駆け、即座にその前に立つ。自身も震えている。小型と言えど、魔物の頂点に立つ竜を前に恐れを抱かぬ訳がない。それでも、僅かな時間稼ぎにしかならないと理解していても、庇わなければならなかった。大切な友のために。掲げる夢と信条のために。

 竜が咆哮を上げる。四肢に力を入れ突撃の姿勢。間近へと迫る死の恐怖に両目を硬く閉じた。


 閃光。


 耳を劈く雷鳴が轟く。

 地面を通して伝わる衝撃に思わず声が漏れた。しかし自分達に痛みはない。


 雨の音も消え、静寂が訪れた。竜の唸り声もせず、体動すら感じられない。ゆっくりと目を開くと白煙が目に入った。

 それは竜の全身から立ち昇ぼる。口からは黒くなった血液が零れ、目は白濁し先程の面影すらない。一目で絶命していると分かった。


 竜の体躯は支えを失い倒れていく。倒れた事でその後ろの景色が目に入る。木の陰に白金の髪が見えるも、額から垂れてきた水滴が目に入り視界が歪んだ。目を擦り、再び前を見た時そこに人の姿はない。

 不思議に思いながらも茶色の髪の少年は竜の亡骸に近付いた。完全に沈黙し、動く気配はない。雷が落ちたのだろうか。今まで鳴ってなかったのに。まるで、奇跡のようだった。


 空は灰色に覆われ、周囲はひっそりと静まり返っている。魔物が焼けた異臭と血の匂いが漂い、ただしんとした時間が流れていた。


「ごめん、アイク……僕のせいで……」


 藍色の髪の少年が震える口で言う。潤んだ瞳の端から涙が零れた。手で拭うも次から次へと溢れ頬を伝うばかりだった。自分が崖の傍を歩かなければ崩落に巻き込まれる事はなかった。魔物に負われ、こんな恐怖を抱かずに済んだのに。


「違う、俺が、あんなこと言ったから……」


 そう言って茶色の髪の少年も瞳を潤ませる。確かに、彼がもっと奥に行きたいと言わなければ豪雨に見舞われてもすぐに戻ることが出来た。崩落に巻き込まれる事はなかった。

 だが、それに同意したのは自分だ。迷わずその言葉に頷いたのだ。それを責められる訳がない。


 彼は今、罪悪感と後悔に苛まれているのだろう。それは自分も同じだった。彼にだけ罪を背負わせる訳にはいかない。否定しようと口を開くが漏れるのは嗚咽。言葉にしようとしても、極限の緊張から解き放たれ、溢れ出した感情で覆われてしまう。二人のすすり泣く声が森に溶けていく。


 視界の端に、光が差し込んだ。

 空を覆う雲の間から陽光が漏れ、瞬く間に広がっていく。光が霧を切り裂き、暗幕が上がるように景色が少しずつ姿を現した。


 二人は崖の先へと目を向ける。そして、息を飲んだ。

 高所から見下ろす景色は、言葉を失う程美しかった。


 眼下には堂々と王城がそびえ、威厳と存在感を示す。その白亜の塔の上では深緑の旗が大きく風を受け堂々とはためいていた。その足元に広がる街並みは大小様々な家の屋根が色とりどりに点在し、雨粒が反射し宝石の様に輝いていた。

 町の外れに視線を移せば、濃緑の森が自然の静謐さを讃えながら広がっている。風が吹く度に木々がさざ波の様に揺れ、まるで生きて呼吸しているように見えた。その奥には連なる山々が重厚な輪郭を空に描き、その山頂は雲に覆われ天と地が溶け合う様に霞んでいる。

 人の営みと自然の雄大さが交錯するこの景色はあまりにも壮大で、ただ見つめているだけで心が満たされていく。それは先程までの感情も忘れ去る程に。


「綺麗……」


 藍色の髪の少年が呟く。それにもう一人の少年が頷いた。歩き出し、地面に座ったままの彼へと手を差し伸べる。藍色の髪の少年は手の甲で目尻に残った涙を拭い、その手を取った。立ち上がり、並ぶと再び崖の先を見る。


「俺さ、騎士になりたいんだ」


 町を見据えながら茶色の髪の少年がふと零す。


「皆を、この国を守れる様な、父さんみたいな騎士に」


 照れくさそうに話す少年の瞳には憧憬の他に揺るぎない決意が込められていた。それを見て藍色の髪の少年はゆっくりと微笑んだ。


「なれるよ、アイクなら」


 彼なら絶対になれると信じていた。引っ込み思案な自分を連れ出し、導いてくれる彼を。勇気があり、夢があり、そして誰よりも努力家である親友の事を。

 先程も恐怖に震えながら、それでも自分の前に立ち守ろうとしてくれた。崩落に巻き込まれた時、迷わず後を追って助けに来てくれた事も。いつもいつも彼に助けられていた。


 それと同時に無力さを実感する。自分はただ逃げるだけ。追い詰められた際も怯え、何もできなかった。そんな自分が、彼と肩を並べる事が許されるのだろうか。恥ずかしさと共に、怒りが沸き上がる。だから、


「……僕も、なりたい」


 変わりたい。守られるだけではなく、親友と対等な関係になりたい。そう願い藍色の髪の少年も夢を口にした。そして、彼と、彼が愛するこの国を守りたいと心から願った。

 その言葉を聞き、茶色の髪の少年の顔が呆気に囚われる。


「フリットも?」

「うん」


 少しの間を置いてその顔に笑顔が広がった。同じ夢を共有できる喜びに歓喜する。

 藍色の髪の少年の前に小指が差し出された。


「じゃあ約束だ」


 自分と同じ青い瞳は、横から差し込む光を受けさらに輝く。眩しかった。けれども、目を逸らさない。瞳に映る自分は、泥にまみれながらも晴れやかな顔をしていた。


「俺達二人、騎士になろう」


 その言葉に応え、藍色の髪の少年も小指を絡めた。二人の指は固く結ばれる。胸には温かい充実感が満ちていた。成長した自分達を想像し鼓動が高鳴る。


 いつの間にか雲は消え去り、頭上には晴天が広がっていた。二人の夢を称するように暖かな日差しが包む。


「二人で……」


 藍色の髪の少年は呟き、決意する。親友が大切にするこの国を守れるような、そして彼と肩を並べられる騎士になると。


 遠くから、二人の名を呼ぶ声が聞こえた。


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