ひさしとひさし。を観た話&感想をとっくの昔に無制限に戻してた話
『ひさしとひさし。』 ドキュメント20min.
を、視聴しました。
ひょっこりひょうたん島は知っていたけれど、井上ひさし先生が脚本?というか先生の作品ってことを知らなかったです。
「とにかく読むことと書くことが好きな人で、毎日何か書いてないと気が済まない」
「何かためになろうとか何か役に立とうとかそういうことを、まぁ考える人は考えるんだけど
考えないで良いんですよ、うん
意味は考えなくていい」井上恒(井上ひさし研究員)
上記は研究員さんの言葉です。
個人的には。
意味とか、価値とか。
人を鼓舞、ある種の宗教の代わりの価値観としていつからか大事にされ始めて、それ自体は素敵な考えなんですけれど。
どこの地点からか、反転し始めてしまった、と感じてきました。
その行動に意味はあるのか?
その命に価値はあるのか?
私たちの生きる意味・生きる価値。
「ある」の反対の「ない」までもが強調され始めたように近年感じていました。
でも違うって思うんです。
誰かにとっての価値だとか意味だとか。
勿論大事ではあるけれど、けれど本当はそんな事はどうでもよくて。
自分にとっての価値だとか意味だとか、ただやってみたいっていう気持ちに揺り動かされたり。
本当は、ただただそこにだけフォーカスされれば、それで誰かが救われたらそれでいいんじゃないかって。
私自身は、そう考えています。
不特定多数が必要と思うのも大事だけれど、誰かが誰かを、自分が自分を、大事にしたり、意味なく過ごしていたっていいじゃないかって。
特別の意味があってもなくても、そこに居ればいい。
居るのが、なんとなしの要るになる。
そんな世界線があってもいいじゃん、って思います。
曹操。
そうそうと打って、必ず曹操と出ます。
私は変換していません。
何の影響でそうなるんだろう?
誰か無類の曹操好きさんが、そうそう、と打つよりも多く曹操と打っていてそれが反映されるんでしょうか?
謎です。
それはさておき。
感想欄をいつだったか忘れましたが、ログインなしでも書ける状態に戻しました。
というのを書いたか書いていないか忘れてしまったので、今書いてます。
公募作を書いていて、めっきりなろうで浮上しているように見えないのもあり感想来ないですし、どっちでも影響が現在ないのですけれど。
一応のお知らせです。
番組URL
https://www.nhk.jp/p/ts/YN5YRJ9KP6/episode/te/YPY2ZGZ91N/




